大王製紙ティシューペーパー「エリエール」による家庭紙市場への参入と紙おむつ・ナプキンへの品目拡大
市況に振られる産業用の紙か、店頭で選ばれる商品か——後発の製紙メーカーはどちらに販路を作ったか
- 概要
- 1979年4月、大王製紙がティシューペーパーの製造販売を開始し、ブランド「エリエール」で家庭紙市場へ参入した経営判断。新聞用紙と段ボール原紙の専業メーカーが、初めて一般消費者に選ばれる品目を持った。以後トイレットペーパー、紙おむつ、生理用ナプキンへ品目を広げ、参入は営業を統括していた井川高雄氏の発想によるものであった。
- 背景
- 主力の新聞用紙と段ボール原紙は、市況の変動と北米からの輸出攻勢に最も晒される品目であった。加えて、代理店が系列で支配する紙の流通のなかで、後発の大王製紙は製品が不足したときにしか扱われず、限界供給メーカーの位置に置かれていた。
- 内容
- 1975年から代理店を通さずに卸商とユーザーへ直接出向く販売網を作り、大手ユーザー1,800社の仕入れ経路をチャート図にしてコンピューターに入力し続けた。この販売情報の網を家庭紙へ流用し、家庭用紙専門の販売網と大量の広告投入を重ねた。
- 含意
- 家庭用薄葉紙の売上高は1985年3月期の149億8,800万円から1987年3月期には230億9,700万円へ伸び、構成比は11.1%となった。同じ3期に段ボール原紙は半減している。2007年9月には米国P&G社から大人用紙おむつ「アテント」事業を譲り受けた。
系列が効かない品目を先に取る
後発メーカーの紙は、製品が不足したときにしか代理店に扱われない。1970年代の大王製紙が置かれていた位置は、そういうものであった。井川高雄氏が1975年に営業担当を志願し、代理店を飛び越えて卸商とユーザーを押さえにいったのも、抜け道が流通のほかになかったためだとみられる。家庭紙への参入は、その延長にある。300年、400年の系列が支配する産業用紙と違い、店頭で消費者に選ばれる商品では代理店の歴史が効かない。後発が不利にならない品目を先に取りにいった。
ただ、家庭紙が会社の性格まで変えたわけではない。参入から28年を経た2008年3月期でも、紙パルプ製品事業の売上高は紙加工製品事業の3.7倍あり、原燃料価格の高騰で営業利益は25.9%減っている。市況に振られる構造は残った。家庭紙で得たのは、市況の上下とは別の理屈で動く売上を一定量持てたことであった。それでも、市況とは別の理屈で売れる品目を持ったことが、その後の品目拡張とアテント事業の譲受を支えた。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
新聞用紙と段ボール原紙に寄りかかった収益
大王製紙は1943年5月、商工省の製紙工業整備要綱に基づいて愛媛・香川・高知の製紙14社が合同して設立された。戦後は1947年に新聞用紙、1957年に段ボール原紙の製造販売を始め、この2品目を主力に据えてきた。1962年5月には過大な設備投資と原木高から会社更生手続の開始を申し立てており、1965年4月の終結まで信用の回復に時間を要した。1970年代半ばまでの大王製紙は、新聞用紙と段ボール原紙の専業メーカーであった[1][2]。
この2品目は、同時に市況と輸入に最も晒される品目でもあった。井川伊勢吉社長は日本証券アナリスト協会での講演で、米国・カナダからの対日輸出攻勢で最も脅威なのは新聞用紙と段ボール原紙であり、この2つが主力である以上、対抗できなければ存立にかかわると述べている。同じ講演で家庭紙については、「箱に詰めたかさ高の物なので海外から持ってくるわけにはいかず」(証券アナリストジャーナル 1983/1)と、輸出攻勢の恐れがないことを挙げた[3][4]。
代理店が支配する流通と、後発という位置
収益の偏りに加えて、紙の流通にも壁があった。紙は代理店と呼ぶ1次問屋、卸しと呼ぶ2次問屋を経て印刷会社などの末端ユーザーへ流れる。代理店には300年、400年の歴史を誇る店も多く、王子製紙グループや大昭和製紙のような古いメーカーは、それぞれ系列の代理店に品物を扱わせていた。後発である大王製紙の紙は、製品が不足したときにしか扱われず、常に限界供給メーカーの地位に甘んじた[5]。
井川高雄氏がこの流通に手を入れたのは、1975年の正月であった。生産と技術を担当してきた井川高雄氏が、父の井川伊勢吉社長へ営業担当を申し出る。その見立ては、王子系列の流通網を使うかぎり「どんないい製品を生産しても、飛躍的な販売増は難しい」(日経ビジネス 1987/12/7)というものであった。代理店を通さず、卸商とユーザーへ直接出向いて注文を取る。新聞用紙と段ボール原紙の最終ユーザー3,500社を、代金回収の経路まで品種別・地域別に図表化する作業が始まった[6]。
決断
1979年4月、ティシューペーパーでの参入
1979年4月、大王製紙はティシューペーパーの製造販売を開始し、家庭紙部門へ参入した。ブランド名は「エリエール」。産業用紙では持ちようがなかった、消費者から指名される商標を初めて手にした。参入は井川高雄氏の発想によるもので、以後トイレットペーパー、紙おむつ、生理用ナプキンへと品目を広げている。産業用の紙を抄いてきた会社が、店頭で選ばれる商品の側へ回った転換であった[7][8]。
家庭紙は、産業用紙とは勝ち方が違った。買い手が一般消費者である以上、ブランドの知名度が販売量を決める。大王製紙は家庭用紙専門の販売網を別に構え、テレビ・新聞・雑誌へ巨額の広告費を投じた。1980年代前半からは日本女子プロゴルフの公式トーナメント「大王製紙・エリエール」を主催し、競技名でブランドを広めた。設備の規模と抄紙機の性能で競う産業用紙とは、投じる資源の種類そのものが違っていた[9][10]。
産業用紙のために作った販売網を、家庭紙へ流用する
1975年から積み上げてきた直販の仕組みは、そのまま家庭紙に流用できた。井川高雄氏は3万から4万といわれる大手ユーザーのなかから1,800社を選び出し、どの卸商のどの社員から仕入れているかを調べ上げてチャート図を作らせた。この情報は10年にわたってコンピューターに入力され続けている。産業用紙のために築いた販売情報の網が、1979年に始めたエリエールのティシューと紙おむつでも働いた[11]。
流通を押さえる作業は、その後も続いた。大王製紙は10年以上をかけて自前の倉庫を要所に置き、全国400近い卸商の倉庫に自社製品を常時置いてもらう関係を作っている。井川高雄社長は販売情報のデータベース化に「15〜16年かかって」(日経ビジネス 1990/11/19)取り組んだと語っている。紙は性能差の見えにくい価格志向の商品であり、ユーザーの側が卸商へ大王製紙の紙を指定する状態を作るほかないとみていた[12][13]。
結果
売上構成の入れ替わり
参入から6年で、売上の構成は動いた。家庭用薄葉紙の売上高は1985年3月期の149億8,800万円から1987年3月期には230億9,700万円となり、全社売上高2,078億9,900万円に対する構成比は11.1%に達した。同じ3期に段ボール原紙は442億6,500万円から221億3,200万円へ半減し、新聞用紙も610億8,700万円から551億3,500万円へ減っている。段ボール原紙の半減は家庭紙に押されたためではなく、収益が不安定な品目として意図的に減らした結果であった[14][15]。
製品がユーザーへ届く経路も変わった。大王製紙の主力ルートは総合商社・紙専門商社・卸商を通じた販売で、直接販売の比率は低かった。だが家庭紙などでは既存の流通機構への拡販に加えて直接ユーザーへの販売促進を強め、1987年5月時点で全国に4営業所と25営業出張所を置いている。ティシューペーパーは後発でありながら1985年に販売シェアで首位に立った。産業用紙で使えなかった系列の力に代えて、自前の営業網が販売量を運んだ[16][17]。
品目の拡張と、アテント事業の譲受
家庭紙の品目拡張は、その後も続いた。2007年6月14日、大王製紙は米国P&G社が日本で展開する大人用紙おむつ「アテント」事業を譲り受ける契約を結び、同年9月1日に譲受を完了している。譲り受けたのは商標権と生産設備であった。有価証券報告書は目的を、既存の大人用紙おむつと合わせて市場シェア2位となり、加工品分野の競争力を高めることと記している。1979年のティシューから28年を経ていた[18]。
ただし、家庭紙が本体を置き換えたわけではない。2008年3月期の連結売上高4,558億400万円のうち、新聞用紙・印刷用紙・衛生用紙を含む紙パルプ製品事業が3,473億6,700万円を占め、段ボールや紙おむつ、ナプキンを扱う紙加工製品事業は930億1,000万円であった。営業利益では、原燃料価格の高騰を受けた紙パルプ製品事業が185億2,200万円と25.9%減ったのに対し、紙加工製品事業は52億6,100万円と50.0%増えている[19]。
- 証券アナリストジャーナル 1983年1月号「大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー」(井川伊勢吉 大王製紙社長 講演要旨)
- 日経ビジネス 1987年12月7日号「シリーズ・人『起業家を目ざす1.5代目』井川高雄・大王製紙社長」
- 日経ビジネス 1989年2月27日号「大王製紙 BIG BOY井川社長の決断 海外に目もくれず秋田に大工場」
- 日経ビジネス 1990年11月19日号「編集長インタビュー 井川高雄氏(大王製紙社長)『シェア落とせば負け犬になる』営業は叱咤でなくデータで動かす」
- 証券 1988年4月号「新規上場会社紹介 大王製紙株式会社」
- 大王製紙 有価証券報告書(2008年3月期・連結)