後発メーカーの紙は、製品が不足したときにしか代理店に扱われない。1970年代の大王製紙が置かれていた位置は、そういうものであった。井川高雄氏が1975年に営業担当を志願し、代理店を飛び越えて卸商とユーザーを押さえにいったのも、抜け道が流通のほかになかったためだと思われる。家庭紙への参入は、その延長にある。300年、400年の系列が支配する産業用紙と違い、店頭で消費者に選ばれる商品では代理店の歴史が効かない。後発が不利にならない品目を先に獲得した。
ただ、家庭紙が会社の性格まで変えたわけではない。参入から28年を経た2008年3月期でも、紙パルプ製品事業の売上高は紙加工製品事業の3.7倍あり、原燃料価格の高騰で営業利益は25.9%減少している。市況に振られる構造は残った。家庭紙で得たのは、市況の上下とは別の理屈で動く売上を一定量持てたことであった。それでも、市況とは別の理屈で売れる品目を持ったことが、その後の品目拡張とアテント事業の譲受を支えた。