レンゴー の歴史

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創業 1909年
創業者 井上貞治郎
創業地 東京都
創業
1909年4月12日に井上貞治郎氏が独立自営を決意した日を、レンゴーは創立記念日としている。同年8月、東京で三成社(当初は三盛舎)の名で個人経営の紙器事業を起こし、仲御徒町でボール紙にシワを寄せる技術を自ら研究して、その緩衝材を「段ボール」と名づけて国産化した。呼び名の無かった輸送資材へ、名称と製造技術を同時に与えた形である。1920年5月には東京電気の斡旋で東紙器製作所・栄立社・帝国紙器製造など5社を統合し、資本金200万円の聯合紙器株式会社を設立した。1949年に大阪証券取引所へ上場し、1972年に商号をレンゴー株式会社へ改めている。
決断
名前から作った資材を、原料と回収まで自社に囲い込んだ。段ボールは品質で差がつかず、加工だけを持つ会社は原料価格の変動をそのまま損益で受ける。1920年に乱立していた同業5社を統合して聯合紙器を設立した井上貞治郎氏は、1923年に競合の日本製紙を吸収合併して千船工場と原紙設備を取り込み、1930年に淀川工場の加工工場、1936年に同工場の製紙工場を加えて原紙から製品までの一貫生産を始めた。1962年からは古紙回収で全国を覆うため地方工場の新設を加速する。1999年にはセッツを合併し、2000年に住友商事出身の大坪清氏が社長へ就任して丸三製紙など国内同業の取り込みを続けた。調達から回収までを自社の内側へ置いたことが、価格で差のつかない産品に規模の経済を効かせる条件を作った。
現況
売上が1兆円に達した年に、海外の事業だけが損失を出した。2026年3月期の連結売上高は1兆83億円、営業利益は371億円である。板紙・紙加工が5,218億円でセグメント利益256億円、軟包装が1,915億円で93億円、重包装が464億円で18億円を上げた一方、海外関連は2,090億円を売りながら189億円の減損損失を計上して16億円の損失に沈んだ。1990年のマレーシア合弁参加に始まり、2016年10月に244億円でトライウォールを取得して重包装ごと海外へ広げた事業が、売上の2割を占めながら利益を出していない。国内で組み立てた原紙と加工の一貫生産は、輸送費と現地の古紙相場に縛られる海外へ同じ形では移せなかった。
競合
原紙を作る同業とは提携で終わり、統合したのは箱を作る側だけである。2006年11月、レンゴーは日本製紙・住友商事と3社の戦略提携を結んだ。同年7月の王子製紙による北越製紙への敵対的TOBが引き起こした業界再編の圧力を受けた連携で、統合の模索も並行したが、2008年のリーマン・ショックで両社とも業績対応に追われ、2009年に提携そのものが解消される。以後は単独に戻り、1991年の福井化学工業、1999年のセッツ、2000年の丸三製紙と加工側の同業を順に取り込んだ。王子と日本製紙が紙全体の内需減に向き合う一方、レンゴーは2016年のトライウォール、2024年のアールエム東セロと段ボールの外側にある重包装と機能性フィルムへ品目を足した。競争の焦点は原紙の規模から、包装の品目をどこまで揃えられるかへ移った。
レンゴー:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 段ボールの国産化と垂直統合モデルの完成 (1910年〜)

無一文からの創業と段ボールという名の誕生

創業者の井上貞治郎氏は1909年4月12日に独立自営を決意し、レンゴーはこの日を創立記念日としている。同年8月、井上氏は東京で三成社(当初は三盛舎)の名で個人経営の紙器事業[1]を起こした。1968年刊の概略書は、井上氏が事業を始めるまで東京の仲御徒町でボール紙にシワを寄せる技術を研究してこれを開発[2]したもので、『段ボール』の名称も同氏によって名付けられたと記している。同書はまた、このとき作られたわが国最初の段ボール第一号機が王子の製紙博物館に寄贈・保存[3]されているとも述べる。国内にまだ呼び名すら定着していなかった緩衝材に名称を与え、その製造技術を自ら確立したことで、国内市場の標準語と標準品が井上氏の手から形づくられた。

  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]段ボール事業の創始は1909年8月、名称は「三盛舎(のちに三成社)」(有報沿革)。概略書も「明治四二年(1909年)に…三成社という名称で東京において個人経営の紙器事業を創設した」と記す
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]井上氏が仲御徒町でボール紙にシワを寄せる技術を研究・開発し、「段ボール」の名称も同氏が命名(概略書)。国産初の段ボール製造(有報沿革)
    • [3]わが国最初の段ボール第一号機が王子の製紙博物館に寄贈・保存されている(概略書)

三成社は個人経営の紙器事業として10年余り続いた。段ボールという新しい梱包材を国内に広めながら個人商店のまま事業を回す段階から、資本を集めて法人として量産に乗り出す段階へ移る必要があり、その転機が1920年の聯合紙器設立だった。概略書は、三成社がその後に東京電気(株)の斡旋を受けて他社を統合し聯合紙器[4]となったと記しており、段ボールの命名者が始めた個人事業が、外部資本を呼び込んで業界統合の母体へと組み替わっていく流れを伝えている。創業者の命名で生まれた新しい産業の入口が、井上氏ひとりの商店から、後の業界統合を主導する会社組織へと引き継がれた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [4]三成社はその後、東京電気(株)の斡旋を受けて他社を統合し聯合紙器となった(概略書)。東京電気は1936年12月にも資本提携相手として登場する
  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]段ボール事業の創始は1909年8月、名称は「三盛舎(のちに三成社)」(有報沿革)。概略書も「明治四二年(1909年)に…三成社という名称で東京において個人経営の紙器事業を創設した」と記す
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]井上氏が仲御徒町でボール紙にシワを寄せる技術を研究・開発し、「段ボール」の名称も同氏が命名(概略書)。国産初の段ボール製造(有報沿革)
    • [3]わが国最初の段ボール第一号機が王子の製紙博物館に寄贈・保存されている(概略書)
    • [4]三成社はその後、東京電気(株)の斡旋を受けて他社を統合し聯合紙器となった(概略書)。東京電気は1936年12月にも資本提携相手として登場する

五社合併と原紙一貫生産への踏み込み

1920年5月、三成社は東京電気の斡旋を受けて東紙器製作所・栄立社・帝国紙器製造など計5社を統合し、資本金200万円で聯合紙器株式会社を設立[5]した。概略書はこの統合の年月を1920年5月2日と記しており、井上氏は乱立していた段ボール各社を束ねる業界統合を主導した。1923年には競合の日本製紙(大阪市西淀川本社・現在の日本製紙とは無関係)を吸収合併して千船工場を取得し、概略書も同年の日本製紙合併[6]によって製紙から製函にいたる一貫作業の基礎を確立したと述べる。1930年12月には大阪で淀川工場の加工工場を開設し、1936年4[7]月に同工場の製紙工場を加えて原紙から段ボール製品までの一貫生産を本格的に始めた。1936年には東京電気との資本提携を結び、1937年に東京工場[8]、1948年に名古屋工場を設けて全国展開を行った。原紙と加工を自前で抱え込む設計が、後年のレンゴーの競争力の原型となった。

  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1920年5月 5社合併により聯合紙器株式会社を設立(有報沿革: 資本金200万円で東京で設立)。概略書は統合の年月を1920年5月2日(1920年5月2日)とし、東京電気の斡旋で東紙器製作所・栄立社・帝国紙器製造を統合・資本金200万円としたと記す
    • [7]1930年12月 淀川工場(加工工場・のちの大阪工場)を大阪で開設。原紙から段ボールまでの一貫生産の本格開始は1936年4月(淀川工場の製紙工場開設時)
    • [8]1937年3月 東京工場を開設
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [6]1923年7月 日本製紙(大阪市西淀川本社・現在の日本製紙とは無関係)を吸収合併し、同社工場を千船工場として稼働。概略書も同年の日本製紙合併で製紙から製函にいたる一貫作業の基礎を確立したと記す

戦中・戦後の被災と在外資産の喪失で事業は一時の空白に陥ったが、概略書によれば同社は1948年の名古屋営業所開設を皮切りに営業所・工場を新増設[9]して立て直しを進めた。1949年には大阪証券取引所市場第一部へ上場し[10]、資本市場から資金を調達できる体制を整えた。1961年に利根川製紙工場を新設し[11]、1962年からは古紙回収で全国をカバーするため地方工場の新設を加速した。原紙・段ボール製品・古紙回収を垂直統合した事業構造は、コモディティ産業で規模の経済を効かせる設計だった。概略書は1968年時点で同社を段ボールの一貫生産[12]で業界第一位を占める企業に成長したと記しており、創業期の命名で得た先行者利得を工場網と古紙回収網で固めなおして戦後の高度成長期に業界首位を築いた。原紙から回収まで自前で閉じる発想が業界の標準形として定着し、消費財生産の拡大で段ボール需要が伸びて垂直統合の投資が利益に変わった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [9]戦後しばらくの空白期を経て、1948年の名古屋営業所開設を皮切りに営業所・工場を新増設した(概略書)
    • [12]1968年時点で同社は段ボールの一貫生産で業界第一位を占める企業に成長していた(概略書)
  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1949年5月 大阪証券取引所(市場第一部)に上場
    • [11]1961年10月 利根川製紙工場を開設
  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1920年5月 5社合併により聯合紙器株式会社を設立(有報沿革: 資本金200万円で東京で設立)。概略書は統合の年月を1920年5月2日(1920年5月2日)とし、東京電気の斡旋で東紙器製作所・栄立社・帝国紙器製造を統合・資本金200万円としたと記す
    • [7]1930年12月 淀川工場(加工工場・のちの大阪工場)を大阪で開設。原紙から段ボールまでの一貫生産の本格開始は1936年4月(淀川工場の製紙工場開設時)
    • [8]1937年3月 東京工場を開設
    • [10]1949年5月 大阪証券取引所(市場第一部)に上場
    • [11]1961年10月 利根川製紙工場を開設
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [6]1923年7月 日本製紙(大阪市西淀川本社・現在の日本製紙とは無関係)を吸収合併し、同社工場を千船工場として稼働。概略書も同年の日本製紙合併で製紙から製函にいたる一貫作業の基礎を確立したと記す
    • [9]戦後しばらくの空白期を経て、1948年の名古屋営業所開設を皮切りに営業所・工場を新増設した(概略書)
    • [12]1968年時点で同社は段ボールの一貫生産で業界第一位を占める企業に成長していた(概略書)

創業者逝去後の労使再編と看板の掛け替え

1963年11月に創業者の井上貞治郎氏が逝去した。カリスマ経営者の不在はそのまま労働争議の激化につながり、経営と現場の距離が開いた。1968年に山野社長は『三カ年計画』を策定し、職工・工員制度を廃止して完全月給制を導入するなど、戦前から残っていた身分制的な労務慣行を刷新した。1972年に商号を聯合紙器から『レンゴー株式会社』に改め[13]、戦前からの看板を下ろした。創業者個人の求心力で回した会社を、制度と組織で回せる会社へ組み替える作業が、井上氏逝去後の10年を貫く経営課題となり、海外進出や業界再編を進める前提条件にもなった。段ボール業界全体の上位集中が進むなか、組織と制度の近代化は次世代経営に欠かせない準備だった。

  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1972年1月 社名(商号)を「聯合紙器株式会社」から「レンゴー株式会社」に変更

1975年のオイルショックで段ボール原紙は供給過剰に陥り、レンゴーは不況カルテルに参加したうえで不況対策第八項目を発表した。半期赤字へ転落するなかでも新京都工場を新設するなど投資は止めず、1985[14]年に千葉工場、1993年に三田工場を[15]設けて生産拠点の近代化を行った[16]。需要減少期に生産能力を絞るのではなく更新投資を続ける判断は、垂直統合モデルを維持するうえで原紙設備の老朽化を許容できないという事情に支えられた。規模と設備更新を両立させる姿勢は業界内での相対的な地位を底上げし、不況のたびに上位集中が進む構図を段ボール業界に定着させた。

  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]半期赤字転落のさなか、1975年9月に新京都工場を新設(1992年4月 京都工場に改称)
    • [15]1985年9月 千葉工場を開設
    • [16]1993年4月 大阪工場を移転し三田工場を開設
  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1972年1月 社名(商号)を「聯合紙器株式会社」から「レンゴー株式会社」に変更
    • [14]半期赤字転落のさなか、1975年9月に新京都工場を新設(1992年4月 京都工場に改称)
    • [15]1985年9月 千葉工場を開設
    • [16]1993年4月 大阪工場を移転し三田工場を開設

商社出身社長の就任と軟包装への本格参入

1990年、レンゴーはマレーシア合弁への資本参加で海外進出を本格化し[17]、同年に軟包装営業部を新設して段ボール以外の包装領域へ進出した。1998年に朋和産業を子会社化して軟包装事業へ本格参入し[18]、1999年にはセッツ(旧摂津板紙)を合併した[19]。セッツとの合併は住友商事との関係を深める契機となり、2000年には住友商事出身の大坪清氏が代表取締役社長に就いた。商社出身の経営者の登用は、段ボール専業で自己完結した会社が外部の調整力と海外ネットワークを取り込む転換点となり、業界再編の旗振り役への立ち位置転換を示す人事でもあった。食品・飲料・日用品の消費財メーカーがアジアへ工場を広げる動きと歩調を合わせ、海外拠点設立の動きも並行した。

  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1990年8月 マレーシアの段ボール合弁事業に資本参加し、海外事業に進出(海外進出の本格化)
    • [18]1998年6月 朋和産業を子会社化し軟包装事業に進出
    • [19]1999年4月 セッツ(旧摂津板紙)を合併

大坪清社長は住友商事の調整力を活かして業界再編路線を敷き[20]、1991年の福井化学工業合併や1994年の新潟段ボール・旭川レンゴー[21]統合に続き、就任直後の2000年7月には丸三製紙を子会社化するなど[22]、国内子会社の束ね直しを進めた。段ボールを中核としつつ軟包装にも広げる総合パッケージングへの組み替えが、2000年代前半の骨格となった。コモディティ製品では差別化で勝てないという認識から、事業領域の横拡大と資本関係の再編を同時に行った。原紙と加工を垂直に統合し、隣接する包装領域へ進出する二方向の拡張が、段ボール専業メーカーから総合パッケージング企業への組み替えを支える両輪となった。中核の段ボール事業でも、原紙設備の集約と加工拠点の再配置が並行して進み、業界再編の流れのなかでレンゴーの規模優位は一段と際立った。

  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]大坪清氏は2000年就任直後の2000年7月に丸三製紙を子会社化した(大坪体制下の国内再編事例)
    • [21]新潟段ボール・旭川レンゴーの合併は1994年4月(現在の新潟工場・旭川工場)で、大坪清氏の社長就任(2000年)より前。年代を明記して修正済み
    • [22]福井化学工業の合併は1991年10月(現在の福井事業部)で、大坪清氏の社長就任(2000年)より前。旧文は大坪社長の業界再編路線の事例として挙げ時系列が不一致だったため、就任前の出来事として年代を明記のうえ、就任後の事例(丸三製紙・2000年7月)を追加して修正済み
  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1990年8月 マレーシアの段ボール合弁事業に資本参加し、海外事業に進出(海外進出の本格化)
    • [18]1998年6月 朋和産業を子会社化し軟包装事業に進出
    • [19]1999年4月 セッツ(旧摂津板紙)を合併
    • [20]大坪清氏は2000年就任直後の2000年7月に丸三製紙を子会社化した(大坪体制下の国内再編事例)
    • [21]新潟段ボール・旭川レンゴーの合併は1994年4月(現在の新潟工場・旭川工場)で、大坪清氏の社長就任(2000年)より前。年代を明記して修正済み
    • [22]福井化学工業の合併は1991年10月(現在の福井事業部)で、大坪清氏の社長就任(2000年)より前。旧文は大坪社長の業界再編路線の事例として挙げ時系列が不一致だったため、就任前の出来事として年代を明記のうえ、就任後の事例(丸三製紙・2000年7月)を追加して修正済み

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レンゴーの沿革1909〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
「段ボール」の命名と国産化 ── 井上貞治郎氏による三成社創業

1909年、井上貞治郎氏が東京で三成社(当初は三盛舎)を起こし、輸入品に頼っていた弾力性のある緩衝紙を手製の機械で国産化した経営判断。井上氏はこの新しい資材を『段ボール』と名づけ、機械と製法を実用新案として認可させた。

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★★★
1910〜1962年段ボールの国産化と垂直統合モデルの完成聯合紙器の設立による法人化と同業統合 ── 原紙から製品までの垂直統合

1920年5月、井上貞治郎氏が個人経営の三成社を母体に、東京電気の斡旋で同業各社を統合し、資本金200万円で聯合紙器株式会社を設立した経営判断。現在のレンゴーの直接の前身にあたる。

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★★★
日本製紙(大阪市西淀川本社)を吸収合併★★
大阪工場を新設(淀川工場)
東京電気との資本提携
東京工場を新設
名古屋工場を新設
大阪証券取引所に株式上場
利根川製紙工場を新設
地方工場の新設を積極化
1963〜2000年創業者逝去後の近代化とセッツ合併による業容拡張創業者の井上貞治郎氏が逝去・労働争議が激化へ
三カ年計画を策定
商号を「レンゴー」に変更
不況対策第8項目を発表・半期赤字に転落★★
新京都工場を新設
千葉工場を新設
福井化学工業を合併(金津工場・武生工場)
三田工場を新設(大阪工場を移転)
新潟段ボール・旭川レンゴーを合併
軟包装事業に参入
セッツを合併
大坪清住友商事元副社長・大坪清氏が社長就任★★
大坪清丸三製紙を子会社化
2001〜2026年業界再編の模索と総合パッケージング企業への脱皮大坪清葛飾工場と京都工場のリニューアル(投資額60億円)
大坪清日本製紙・住友商事・レンゴーの3社で戦略提携を締結(のちに解消)★★
大坪清新京都事業所を発足(段ボール・紙器一体型工場)
大坪清福島矢吹工場を新設(115億円)
大坪清板紙・段ボールを値上げ(+10%)★★
大坪清独占禁止法に違反・公正取引委員会が立ち入り検査★★
大坪清トライウォールを買収・重包装事業でグローバル展開へ★★
大坪清原紙生産体制を再編・淀川工場での生産終了★★
川本洋祐愛媛東温工場を新設(投資額140億円)
川本洋祐子会社アームエル東セロを発足
出典・参考
  • レンゴー 有価証券報告書 第157期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)

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