セッツの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

大手が捨てた原料と品目に張り付き、その先を自前で持った。1958年度から原料から紙器までを自社で通す計画に入り、1959年4月にケミグランドパルプの生産、8月に大阪工場のコルゲートマシンで段ボール加工へ入り、1960年6月のライナー抄造で一貫体制が揃った。資金は22億円である。ただしパルプの自製を本格化する計画は中止し、故紙と廃材を主原料に据えたまま加工度を上げる方針へ切り替えた。1976年、不況のどん底で尼崎工場に80億円の合理化を決めたのも同じで、故紙の集荷に恵まれた立地の会社だけが取れる原価の設計だった。

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