大王製紙 の歴史

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創業 1943年
創業者 井川伊勢吉
創業地 愛媛県伊予三島(現・四国中央市)
創業
1943年5月5日、井川伊勢吉氏が営む製紙業を主体に、商工省の製紙工業企業整備要綱に基づいて四国の14事業所が合同し、資本金217万5,000円で大王製紙が発足した。当初の製品は丸網抄紙機で抄く和紙である。戦後の需要が洋紙にあったため、1945年12月に生産設備を愛媛県伊予三島の三島工場へ集め、1947年から新聞用紙を作った。1950年に西日本パルプを設立し、1954年に未晒クラフトパルプ、1955年に晒クラフトパルプの設備を三島工場へ据えて、原木から紙までの一貫生産を整えている。1956年8月に大阪証券取引所、1957年7月に東京証券取引所へ上場した。
決断
抄紙機を先に据え、あとから需要と資金を合わせてきた。一貫生産を整えた直後から増産へ資金を向けたが、1960年秋からの原木価格の高騰と過剰生産による製品価格の下落に借入金の金利が重なり、1962年5月に会社更生法の適用を申請した。上場から5年、市場第一部への昇格からは7か月であった。1965年4月に手続を終え、1970年4月には更生債務を最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済し、1973年10月には抄紙機3台を同時に増設している。1979年4月にはティシューペーパー『エリエール』で家庭紙市場へ参入した。新聞用紙と段ボール原紙は総合商社と卸商を経て企業へ渡るが、家庭紙は消費者が小売店の棚で選ぶため、全国に営業所と営業出張所を置いて直接販売する体制を新たに作った。
現況
3期赤字が続いた家庭紙が、2026年3月期に利益の出る事業へ戻った。同期の連結売上高6,667億円は紙・板紙3,502億円とホーム&パーソナルケア2,988億円でほぼ二分され、セグメント利益は140億円と80億円である。原燃料高に見舞われた2023年3月期には両事業とも損失を計上し、連結の当期純損失は347億円に達した。家庭紙のうち紙おむつではパンツ型で市場を開拓したユニ・チャームが先行しており、大王製紙は2007年9月に米プロクター・アンド・ギャンブルから大人用の『アテント』事業を譲り受けて品目を足している。
競合
同業が合併で規模を作るあいだに、大王製紙は消費者が選ぶ品目を増やした。王子製紙は1996年に本州製紙と合併し、2006年には北越製紙への敵対的TOBが不成立に終わっている。その北越紀州製紙が、2012年の創業家との資本関係の解消を受けて2013年3月期末に19.59%、2016年3月期に21.23%を持つ筆頭株主として入った。生産は創業以来、三島工場と隣接する川之江工場に集めたままで、他の大手のように全国へ抄紙機を分散させていない。同業を吸収して設備を増やす道を取らなかったため、競争の焦点は生産規模ではなく、小売店の棚に置ける品目数と価格改定の通り方に移っている。
大王製紙:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2012年3月期2026年3月期

創業ストーリー 和紙14事業所の合同から洋紙の一貫生産体制へ(1940〜1957) (1940年〜)

商工省の企業整備が生んだ和紙メーカー

大王製紙の設立は戦時下の産業統制による[1]ものである。1940年4月[2]、井川伊勢吉氏が丸菱製紙所の経営権を譲り受け、機械による製紙を始めた。3年後の1943年5月5日[3]、商工省の示した製紙工業企業整備要綱[4]に基づいて井川伊勢吉氏の経営する企業を主体に四国の14事業所が合同[5]し、資本金217万5,000円[6]で大王製紙が発足した。当初の事業は丸網抄紙機による和紙の製造販売[7]で、設立と同時に東京と大阪へ出張所を置いた[8]。統制は乱立した中小の製紙業者を1社にまとめる政策[9]であり、四国の紙産地にはこの1社が残った。

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [1]商工省が発表した「製紙工業整備要項」に基づく企業整備によって設立された
    • [2]1940年4月に井川伊勢吉氏が丸菱製紙所の経営権を譲り受け、機械製紙工場の経営を開始した
    • [3]1943年5月5日に大王製紙を設立
    • [9]製紙工業経営の合理化を図る「製紙工業整備要項」に基づき14企業が合同した
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1942年9月4日付商工省通牒による「製紙工業企業整備要綱」に基づく企業整備によって設立された
    • [8]設立と同時に東京出張所・大阪出張所を設置
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [5]四国紙業ほか13事業所、計14の事業所が合同して設立された
    • [6]設立時の資本金は217万5,000円
  • 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
    • [7]丸網抄紙機で和紙を抄造する四国の14工場が合同したもので、当初の事業は和紙の製造販売

戦後の需要は和紙ではなく洋紙にあった[10]。同社は1945年12月に生産設備を伊予三島の三島工場へ集め[11]、1946年10月に洋紙とグラウンドパルプの製造設備を新設して翌年末から生産に入り[12]、1947年には新聞用紙の製造販売を始めた[13]。当時の紙市場は、統制の枠外にあった仙花紙が飛ぶように売れる異常な活況[14]にあり、その波に乗って大昭和製紙・中越パルプ・高崎製紙といった新興の中小メーカー[15]が相次いで規模を伸ばした。大王製紙もその一社であり、王子製紙が3社に分割された後の空白[16]へ入り込んだ新興勢力にあたる。

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [10]設立時は和紙の製造販売を目的としたが、戦後は洋紙に転換した
    • [12]1946年10月に洋紙及びグラウンドパルプの製造設備を新設し、翌年末から生産を開始した
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1945年12月に生産設備を三島工場に集約
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [13]1947年に新聞用紙の製造販売を開始
  • 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
    • [14]統制の枠外にあった仙花紙が新興中小メーカーの手で大量に作られ、プレミアム付きで売れた
    • [15]1949・1950年に大昭和製紙・中越パルプ・大王製紙・高崎製紙など新興中小メーカーが進出した
    • [16]王子製紙は1949年の集中排除法により苫小牧製紙・十条製紙・本州製紙の3社に分割された
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [1]商工省が発表した「製紙工業整備要項」に基づく企業整備によって設立された
    • [2]1940年4月に井川伊勢吉氏が丸菱製紙所の経営権を譲り受け、機械製紙工場の経営を開始した
    • [3]1943年5月5日に大王製紙を設立
    • [9]製紙工業経営の合理化を図る「製紙工業整備要項」に基づき14企業が合同した
    • [13]1947年に新聞用紙の製造販売を開始
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1942年9月4日付商工省通牒による「製紙工業企業整備要綱」に基づく企業整備によって設立された
    • [8]設立と同時に東京出張所・大阪出張所を設置
    • [11]1945年12月に生産設備を三島工場に集約
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [5]四国紙業ほか13事業所、計14の事業所が合同して設立された
    • [6]設立時の資本金は217万5,000円
    • [10]設立時は和紙の製造販売を目的としたが、戦後は洋紙に転換した
    • [12]1946年10月に洋紙及びグラウンドパルプの製造設備を新設し、翌年末から生産を開始した
  • 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
    • [7]丸網抄紙機で和紙を抄造する四国の14工場が合同したもので、当初の事業は和紙の製造販売
  • 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
    • [14]統制の枠外にあった仙花紙が新興中小メーカーの手で大量に作られ、プレミアム付きで売れた
    • [15]1949・1950年に大昭和製紙・中越パルプ・大王製紙・高崎製紙など新興中小メーカーが進出した
    • [16]王子製紙は1949年の集中排除法により苫小牧製紙・十条製紙・本州製紙の3社に分割された

パルプ自給への投資と証券取引所への上場

洋紙へ移った同社が次に抱えた課題は、原料パルプを外部から買っていた[17]ことにある。1950年11月に子会社の西日本パルプを設立してサルファイトパルプを確保[18]し、1954年4月に未晒クラフトパルプ、1955年11月に晒クラフトパルプの製造設備を三島工場へ新設[19]した。ここで原木からパルプ、紙までの一貫生産体制[20]ができた。四国では唯一の晒クラフトパルプ設備[21]であり、従来のサルファイトパルプをこれに切り替えて原価を下げた。1955年時点の本社は大阪市北区にあり[22]、生産の中心は愛媛県の三島工場にあった。

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [17]従来主要原料パルプを他社から購入していたため製紙界の不況期に打撃をこうむり赤字計上に至った
    • [18]1950年11月に子会社の西日本パルプを設立し、サルファイトパルプの確保を図った
    • [19]1954年4月に未晒クラフトパルプ製造設備、1955年11月に晒クラフトパルプ製造設備を三島工場に新設した
    • [20]原木からパルプ、紙までの一貫生産態勢を確立した
  • 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
    • [21]晒クラフトパルプ設備は四国で唯一であり、従来のサルファイトパルプをこれに転換して原価を低減した
    • [22]1955年時点の本社所在地は大阪市北区新川崎町6

パルプの自給は、損益を[23]はっきり動かした。パルプを外部に頼っていた1952年10月期から1954年4月期までの4期で、同社は7,936万円の赤字[24]を計上した。未晒クラフトパルプ設備が動いた1954年10月期に業績は好転[25]し、1955年4月期には純利益5,700万円をあげて繰越欠損を一掃[26]した。1957年4月期の売上高は12億82万円、純利益は1億6,036万円[27]で、売上高に対する純利益率は1955年10月期の10.9%から13.8%まで上がった[28]。原料を自ら作れるかどうかが製紙会社の採算を決める[29]という、この業種の基本がそのまま数字になった。

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [23]パルプ自給後は生産増加とともに原価に占める原材料費の割合が逓減し収益面が改善した
    • [24]1952年10月期から1954年4月期までに7,936万円の赤字を計上した
    • [25]1954年10月期は未晒クラフトパルプ製造設備の稼働によりパルプ購入が不要となり業績が好転した
    • [27]1957年4月期の売上高は1,200,821千円、当期純利益は160,358千円
    • [28]売上高純利益率は1955年10月期10.9%から1957年4月期13.8%へ上昇した
    • [29]製紙会社は原料パルプの完全自給ができて初めて製紙会社として存立できるといわれていた
  • 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
    • [26]1955年4月期に純利益5,700万円をあげて繰越赤字を解消した

生産能力と市場での地位も同じ時期に[30]固まった。1956年4月に銅山川製紙から工場設備を買い取って川之江工場とし[31]、三島工場と近接した2工場に生産を集めた。株式は1956年8月に大阪証券取引所へ、1957年7月に東京証券取引所へ上場[32]した。主力は洋紙で、なかでも新聞用紙は総生産量のおよそ半分を占め、その8割を朝日新聞社・毎日新聞社・読売新聞社の3社へ納めた[33]。上質紙と筋入クラフト紙は東南アジアやエジプトへ輸出[34]し、1956年4月期には売上高の25.4%を輸出が占めた[35]。主力の三島工場は88吋長網抄紙機ほか7台の抄紙機[36]とパルプ設備を備えて総生産量の約8割を作り、川之江工場は74吋と60吋の長網抄紙機でクラフトライナーと温床用紙を作った。

  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1956年4月の川之江工場取得と1956年8月・1957年7月の上場が同じ時期に重なった
    • [31]1956年4月に銅山川製紙から工場設備を買収して川之江工場とした
    • [32]1956年8月に大阪証券取引所、1957年7月に東京証券取引所へ株式を上場した
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [33]新聞用紙は洋紙総生産量の平均40〜50%を占め、朝日・毎日・読売の3社へ80%を納入していた
    • [34]上質紙・筋入クラフト紙を東南アジア、エジプト等へ輸出していた
    • [35]総売上高に対する輸出の割合は1956年4月期25.4%
    • [36]三島工場は88吋長網抄紙機外7台の抄紙機及びパルプ製造設備を有し総生産量の約8割を生産、川之江工場は74吋及び60吋長網抄紙機でクラフトライナー・温床用紙を生産していた
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [17]従来主要原料パルプを他社から購入していたため製紙界の不況期に打撃をこうむり赤字計上に至った
    • [18]1950年11月に子会社の西日本パルプを設立し、サルファイトパルプの確保を図った
    • [19]1954年4月に未晒クラフトパルプ製造設備、1955年11月に晒クラフトパルプ製造設備を三島工場に新設した
    • [20]原木からパルプ、紙までの一貫生産態勢を確立した
    • [23]パルプ自給後は生産増加とともに原価に占める原材料費の割合が逓減し収益面が改善した
    • [24]1952年10月期から1954年4月期までに7,936万円の赤字を計上した
    • [25]1954年10月期は未晒クラフトパルプ製造設備の稼働によりパルプ購入が不要となり業績が好転した
    • [27]1957年4月期の売上高は1,200,821千円、当期純利益は160,358千円
    • [28]売上高純利益率は1955年10月期10.9%から1957年4月期13.8%へ上昇した
    • [29]製紙会社は原料パルプの完全自給ができて初めて製紙会社として存立できるといわれていた
    • [33]新聞用紙は洋紙総生産量の平均40〜50%を占め、朝日・毎日・読売の3社へ80%を納入していた
    • [34]上質紙・筋入クラフト紙を東南アジア、エジプト等へ輸出していた
    • [35]総売上高に対する輸出の割合は1956年4月期25.4%
    • [36]三島工場は88吋長網抄紙機外7台の抄紙機及びパルプ製造設備を有し総生産量の約8割を生産、川之江工場は74吋及び60吋長網抄紙機でクラフトライナー・温床用紙を生産していた
  • 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
    • [21]晒クラフトパルプ設備は四国で唯一であり、従来のサルファイトパルプをこれに転換して原価を低減した
    • [22]1955年時点の本社所在地は大阪市北区新川崎町6
    • [26]1955年4月期に純利益5,700万円をあげて繰越赤字を解消した
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1956年4月の川之江工場取得と1956年8月・1957年7月の上場が同じ時期に重なった
    • [31]1956年4月に銅山川製紙から工場設備を買収して川之江工場とした
    • [32]1956年8月に大阪証券取引所、1957年7月に東京証券取引所へ株式を上場した

原木価格の高騰と製品市況の下落が招いた資金繰り難

一貫生産の完成後、同社は増産へ資金を振り向けた[37]。1957年10月期の末に新聞用紙の月産能力を250万封度から900万封度へ引き上げる大幅高速抄紙機[38]の完成を控えており、段ボール原紙の製造販売も同年10月に始めた[39]。1960年にはパルプ設備と段ボール原紙抄紙機の改造・新設を実施[40]した。紙の需要が急速に拡大した1955年からの数年間、紙パルプ各社はそろって設備を増強[41]しており、同社の投資もその流れの中にある。1961年10月[42]には大阪・東京両証券取引所の市場第一部へ移った。もっとも1957年4月期の固定比率は199.6%[43]と高く、設備投資に追われて増設資産の償却による内部蓄積が十分に進まない状態にあった。

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [37]1955年以降に紙の需要が急速に拡大し、紙パルプ業界各社がともに設備増強を行った
    • [39]1957年10月に段ボール原紙の製造販売を開始
    • [40]1960年にパルプ設備、段ボール原紙抄紙機の改造・新設を行った
    • [41]1955年以降に紙の需要が急速に拡大し、紙パルプ業界各社がともに設備増強を行った
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [38]期末完成予定の大幅高速抄紙機の稼働で新聞用紙の月産能力は250万封度から900万封度へ増大する見込みだった
    • [43]1957年4月期の固定比率は199.6%と高率で、建設期途上にあり設備投資に追われて増設資産の償却による内部蓄積が充分に行われなかった
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [42]1961年10月に大阪・東京両証券取引所の市場第一部へ上場

拡大の前提は3年で[44]崩れた。1960年秋から1962年春にかけて原木価格が異常な高騰を示し[45]、同時に過剰生産で製品価格が下落した。そこへ設備投資に伴う借入金の金利負担が重なり[46]、同社は資金繰りに行き詰まった。1962年5月に会社更生法の適用を申請し、翌6月に更生手続の開始が決定[47]した。上場から5年、市場第一部への昇格からは7か月[48]しか経っていなかった。1963年12月には大阪・東京両証券取引所で上場が廃止[49]され、翌1964年1月に日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄へ移された[50]。更生手続の下でも営業は続き、1962年10月には名古屋出張所を開いた[51]

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [44]1960年秋から1962年春までの原木価格高騰と製品価格下落、借入金金利の増大により資金繰りに窮した
    • [45]1960年秋から1962年春までの原木価格の異常高騰と過剰生産による製品価格の値下がりが起きた
    • [46]設備投資に伴う借入金金利が増大したことから資金繰りに窮した
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1962年5月に会社更生手続開始を申し立て、同年6月に開始決定を受けた
    • [48]1957年7月の東京証券取引所上場、1961年10月の市場第一部上場を経て1962年5月に会社更生法の適用を申請した
    • [49]1963年12月に大阪・東京両証券取引所で上場廃止となった
    • [50]1964年1月に日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄に指定された
    • [51]1962年10月に名古屋出張所を開設した
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [37]1955年以降に紙の需要が急速に拡大し、紙パルプ業界各社がともに設備増強を行った
    • [39]1957年10月に段ボール原紙の製造販売を開始
    • [40]1960年にパルプ設備、段ボール原紙抄紙機の改造・新設を行った
    • [41]1955年以降に紙の需要が急速に拡大し、紙パルプ業界各社がともに設備増強を行った
    • [44]1960年秋から1962年春までの原木価格高騰と製品価格下落、借入金金利の増大により資金繰りに窮した
    • [45]1960年秋から1962年春までの原木価格の異常高騰と過剰生産による製品価格の値下がりが起きた
    • [46]設備投資に伴う借入金金利が増大したことから資金繰りに窮した
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
    • [38]期末完成予定の大幅高速抄紙機の稼働で新聞用紙の月産能力は250万封度から900万封度へ増大する見込みだった
    • [43]1957年4月期の固定比率は199.6%と高率で、建設期途上にあり設備投資に追われて増設資産の償却による内部蓄積が充分に行われなかった
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [42]1961年10月に大阪・東京両証券取引所の市場第一部へ上場
    • [47]1962年5月に会社更生手続開始を申し立て、同年6月に開始決定を受けた
    • [48]1957年7月の東京証券取引所上場、1961年10月の市場第一部上場を経て1962年5月に会社更生法の適用を申請した
    • [49]1963年12月に大阪・東京両証券取引所で上場廃止となった
    • [50]1964年1月に日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄に指定された
    • [51]1962年10月に名古屋出張所を開設した

更生計画の認可と3年7か月の繰上弁済

更生手続の間に、経営を圧迫していた外部条件は反転した[52]。原木価格が沈静化し、製品価格も安定したため業績は回復[53]に向かった。1964年4月に更生計画が認可され[54]、1965年4月には更生手続の終結決定[55]を受けた。更生手続の開始から終結までは2年10か月[56]で、同社が申請に至った理由は販売力や製品の競争力ではなく、需要拡大期の設備投資と原料市況の急変が重なった点にあった。1965年7月には福岡出張所を開いて営業網の整備を再開し[57]、1973年10月には新1号・新2号ライナー抄紙機と新3号新聞用紙抄紙機の3台を同時に増設した[58]

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [52]原木価格が沈静化し製品価格が安定したことから業績は着実に回復した
    • [53]原木価格が沈静化し製品価格が安定したことから業績は着実に回復した
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1964年4月に更生計画案が認可された
    • [55]1965年4月に更生手続終結の決定を受けた
    • [56]1962年6月の更生手続開始決定から1965年4月の終結決定まで2年10か月
    • [57]1965年7月に福岡出張所を開設した
    • [58]1973年10月に新1号ライナー抄紙機・新2号ライナー抄紙機・新3号新聞用紙抄紙機を増設した

回復の速さは弁済にも[59]表れた。1970年4月、同社は更生債務を更生計画に基づく最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済[60]し、債務は予定より早く消えた[61]。以後の同社は新聞用紙と段ボール原紙を中心に事業を進め[62]、1974年には中質紙と出版用紙の製造販売を加えた[63]。1975年以降は印刷用紙を中心に品目の多様化[64]を進めた。1977年8月には新4号新聞用紙抄紙機を増設し[65]、1978年7月には東京紙パルプ交易を設立した[66]。1979年1月[67]には日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄へ再指定された。1978年に設立した東京紙パルプ交易は、現在も持分法適用の関連会社である[68]

  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [59]更生債務を更生計画に基づく最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済した
    • [60]1970年4月に更生債務を更生計画に基づく最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済した
    • [61]1970年4月に更生債務を最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済した
    • [62]更生手続終結後は新聞用紙、段ボール原紙を中心に事業展開を行った
    • [63]1974年に中質紙、出版用紙の製造販売を開始した
    • [64]1974年に中質紙・出版用紙の製造販売を開始し、1975年以降は印刷用紙等を中心に製品の多様化を図った
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [65]1977年8月に新4号新聞用紙抄紙機を増設した
    • [66]1978年7月に東京紙パルプ交易を設立した
    • [67]1979年1月に日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄に再指定された
    • [68]1978年7月に設立した東京紙パルプ交易は現在の持分法適用関連会社
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
    • [52]原木価格が沈静化し製品価格が安定したことから業績は着実に回復した
    • [53]原木価格が沈静化し製品価格が安定したことから業績は着実に回復した
    • [59]更生債務を更生計画に基づく最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済した
    • [60]1970年4月に更生債務を更生計画に基づく最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済した
    • [61]1970年4月に更生債務を最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済した
    • [62]更生手続終結後は新聞用紙、段ボール原紙を中心に事業展開を行った
    • [63]1974年に中質紙、出版用紙の製造販売を開始した
    • [64]1974年に中質紙・出版用紙の製造販売を開始し、1975年以降は印刷用紙等を中心に製品の多様化を図った
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1964年4月に更生計画案が認可された
    • [55]1965年4月に更生手続終結の決定を受けた
    • [56]1962年6月の更生手続開始決定から1965年4月の終結決定まで2年10か月
    • [57]1965年7月に福岡出張所を開設した
    • [58]1973年10月に新1号ライナー抄紙機・新2号ライナー抄紙機・新3号新聞用紙抄紙機を増設した
    • [65]1977年8月に新4号新聞用紙抄紙機を増設した
    • [66]1978年7月に東京紙パルプ交易を設立した
    • [67]1979年1月に日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄に再指定された
    • [68]1978年7月に設立した東京紙パルプ交易は現在の持分法適用関連会社

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大王製紙の沿革1943〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1940〜1957年和紙14事業所の合同から洋紙の一貫生産体制へ(1940〜1957)四国紙業など14企業の合同により大王製紙を設立★★★
生産設備を三島工場に集約★★
銅山川製紙から設備を買収し川之江工場を開設★★
大阪証券取引所に上場
東京証券取引所に上場
1957〜1974年設備拡大の反動と会社更生法の適用(1957〜1974)大阪・東京両証券取引所の市場第一部に上場
会社更生法の適用申請と、三島工場の操業を止めない更生手続

1962年5月、大王製紙が会社更生法の適用を申請し、翌6月に更生手続の開始決定を受けた経営判断。原木価格の高騰と製品価格の下落に設備投資の借入金利が重なって資金繰りに窮したもので、井川伊勢吉社長は取引先の伊藤忠商事による救済協議が決裂した3日後に法的整理へ切り替えた。

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★★★
名古屋出張所の開設
大阪・東京両証券取引所で上場廃止★★
日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄に指定
更生計画の認可★★
会社更生手続の終結★★
福岡出張所の開設
新1・2号ライナー抄紙機と新3号新聞用紙抄紙機を増設
1974〜2006年エリエールによる家庭紙参入と再上場後の拡大(1974〜2006)新4号新聞用紙抄紙機の増設
東京紙パルプ交易の設立
日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄に再指定
ティシューペーパー「エリエール」による家庭紙市場への参入と紙おむつ・ナプキンへの品目拡大

1979年4月、大王製紙がティシューペーパーの製造販売を開始し、ブランド『エリエール』で家庭紙市場へ参入した経営判断。新聞用紙と段ボール原紙の専業メーカーが、初めて一般消費者に選ばれる品目を持った。以後トイレットペーパー、紙おむつ、生理用ナプキンへ品目を広げ、参入は営業を統括していた井川高雄氏の発想によるものであった。

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★★★
大阪証券取引所市場第二部に再上場
丸紅から名古屋パルプを買収★★
大阪証券取引所市場第一部銘柄に指定
新5号新聞用紙抄紙機の増設
燃料転換のための大型石炭燃焼設備が完成
東京証券取引所市場第一部に再上場
新7号新聞用紙抄紙機の増設
東京支社を東京本社に昇格させ二本社制へ移行★★
新8号コート原紙抄紙機の増設
フォレスタル・アンチレの設立
新6号新聞用紙抄紙機の増設
いわき大王製紙の設立
2007〜2025年創業家支配の終わりと北越紀州製紙の資本参加(2007〜2025)二神勝利名古屋パルプを吸収合併し可児工場へ改組★★
井川意高米P&Gから大人用紙おむつ「アテント」事業を譲受★★
井川意高新10号塗工紙抄紙機の増設
井川意高エリエール・インターナショナル・タイランドの設立
佐光正義創業家との資本関係の解消と、北越紀州製紙を介した関連会社等株式の取得

2011年度の第2四半期に判明した元会長への貸付金問題を受け、大王製紙が創業家との資本関係を解消し、2012年6月26日の取締役会決議に基づいて同年8月15日付で北越紀州製紙から関連会社等株式を取得した経営判断。創業家に代わって北越紀州製紙が19.59%を持つ筆頭株主となった。

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★★★
佐光正義連結子会社を37社から8社に変更★★
佐光正義エリエール・インターナショナル・コリアの設立
佐光正義連結子会社を8社から19社に変更
佐光正義連結子会社を19社から43社に変更
佐光正義大王(南通)生活用品の設立
佐光正義エリエール・インターナショナル・トレーディング・インドネシアの設立
佐光正義同一事業の子会社間合併で連結子会社を35社に集約
佐光正義エリエール・インターナショナル・マニュファクチャリング・インドネシアの設立
佐光正義段ボール事業の子会社間合併で連結子会社を29社に集約
佐光正義東京本社と関連部門を千代田区富士見に移転・集約
佐光正義日清紡ホールディングスから日清紡ペーパープロダクツの全株式を取得★★
佐光正義三浦印刷の取得
佐光正義川之江工場で衛生用紙の新マシンが稼働
佐光正義千明社を設立しSMSから印刷事業等を譲受
佐光正義トルコの衛生用品メーカー、ウゼンの全株式を取得★★
佐光正義ブラジルの衛生用品メーカー、サンテルの株式51%を取得★★
若林賴房三島工場でペーパータオル専抄マシンが稼働
若林賴房川之江工場で2台目の衛生用紙マシンが稼働
若林賴房子会社5社の合併によりダイオーミウラを設立
若林賴房東京証券取引所プライム市場へ移行
若林賴房ペット用品製造の大貴の全株式を取得★★
若林賴房エリエール・インターナショナル・ベトナムの設立
若林賴房トルコの衛生用品子会社の全株式を譲渡★★
出典・参考
  • 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
  • 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
  • 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
  • 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)

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