{"spec_version":"3","endpoint":"history","stock_code":"3880","company_name":"大王製紙","content_lang":"ja","meta_lang":"en","canonical_url":"https://the-shashi.com/tse/3880/","api_url":"/api/3880/history.json","updated":"2026-08-09","license":"© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.","attribution":"The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/3880/","title":"大王製紙の歴史概略","sections":[{"start_year":1940,"end_year":1957,"main_title":"和紙14事業所の合同から洋紙の一貫生産体制へ（1940〜1957）","subsections":[{"title":"商工省の企業整備が生んだ和紙メーカー","text":"大王製紙の設立は戦時下の産業統制によるものである。1940年4月、井川伊勢吉氏が丸菱製紙所の経営権を譲り受け、機械による製紙を始めた。3年後の1943年5月5日、商工省の示した製紙工業整備要項に基づいて井川伊勢吉氏の経営する企業を主体に四国の14事業所が合同し、資本金217万5,000円で大王製紙が発足した。当初の事業は丸網抄紙機による和紙の製造販売で、設立と同時に東京と大阪へ出張所を置いた。統制は乱立した中小の製紙業者を1社にまとめる政策であり、四国の紙産地にはこの1社が残った。\n\n戦後の需要は和紙ではなく洋紙にあった。同社は1945年12月に生産設備を伊予三島の三島工場へ集め、1946年10月に洋紙とグラウンドパルプの製造設備を新設して翌年末から生産に入り、1947年には新聞用紙の製造販売を始めた。当時の紙市場は、統制の枠外にあった仙花紙が飛ぶように売れる異常な活況にあり、その波に乗って大昭和製紙・中越パルプ・高崎製紙といった新興の中小メーカーが相次いで規模を伸ばしている。大王製紙もその一社であり、王子製紙が3社に分割された後の空白へ入り込んだ新興勢力にあたる。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1957年8号・第99号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1988年40巻4号・第469号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙（会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"紙・パルプ－急追する新進企業（日本産業史 第2巻、日本経済新聞社）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"パルプ自給への投資と証券取引所への上場","text":"洋紙へ移った同社が次に抱えた課題は、原料パルプを外部から買っていたことにある。1950年11月に子会社の西日本パルプを設立してサルファイトパルプを確保し、1954年4月に未晒クラフトパルプ、1955年11月に晒クラフトパルプの製造設備を三島工場へ新設した。ここで原木からパルプ、紙までの一貫生産体制ができた。四国では唯一の晒クラフトパルプ設備であり、従来のサルファイトパルプをこれに切り替えて原価を下げている。1955年時点の本社は大阪市北区にあり、生産の中心は愛媛県の三島工場にあった。\n\n投資の効果は損益にはっきり表れた。パルプを外部に頼っていた1952年10月期から1954年4月期までの3期で、同社は7,936万円の赤字を計上している。未晒クラフトパルプ設備が動いた1954年10月期に業績は好転し、1955年4月期には純利益5,700万円をあげて繰越欠損を一掃した。1957年4月期の売上高は12億83万円、純利益は1億6,036万円で、売上高に対する純利益率は1955年10月期の10.9％から13.8％まで上がった。原料を自ら作れるかどうかが製紙会社の採算を決めるという、この業種の基本がそのまま数字になった。\n\n生産能力と市場での地位も同じ時期に固まった。1956年4月に銅山川製紙から工場設備を買い取って川之江工場とし、三島工場と近接した2工場に生産を集めた。株式は1956年8月に大阪証券取引所へ、1957年7月に東京証券取引所へ上場している。主力は洋紙で、なかでも新聞用紙は総生産量のおよそ半分を占め、その8割を朝日新聞社・毎日新聞社・読売新聞社の3社へ納めた。上質紙と筋入クラフト紙は東南アジアやエジプトへ輸出し、1956年4月期には売上高の25.4％を輸出が占めている。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1957年8号・第99号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1988年40巻4号・第469号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙（会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"紙・パルプ－急追する新進企業（日本産業史 第2巻、日本経済新聞社）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1957,"end_year":1974,"main_title":"設備拡大の反動と会社更生法の適用（1957〜1974）","subsections":[{"title":"原木価格の高騰と製品市況の下落が招いた資金繰り難","text":"一貫生産の完成後、同社は増産へ資金を振り向けた。1957年4月期の末には新聞用紙の月産能力を250万封度から900万封度へ引き上げる大幅高速抄紙機の完成を控え、同年10月には段ボール原紙の製造販売も始めている。1960年にはパルプ設備と段ボール原紙抄紙機の改造・新設を実施した。紙の需要が急速に拡大した1955年からの数年間、紙パルプ各社はそろって設備を増強しており、同社の投資もその流れの中にある。1961年10月には大阪・東京両証券取引所の市場第一部へ移った。\n\n拡大の前提は3年で崩れた。1960年秋から1962年春にかけて原木価格が異常な高騰を示し、同時に過剰生産で製品価格が下落した。そこへ設備投資に伴う借入金の金利負担が重なり、同社は資金繰りに行き詰まる。1962年5月に会社更生法の適用を申請し、翌6月に更生手続の開始が決定した。上場から5年、市場第一部への昇格からは1年半しか経っていなかった。1963年12月には大阪・東京両証券取引所で上場が廃止され、翌1964年1月に日本証券業協会大阪地区協会の店頭登録銘柄へ移された。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1957年8号・第99号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1988年40巻4号・第469号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"紙・パルプ－急追する新進企業（日本産業史 第2巻、日本経済新聞社）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"更生計画の認可と3年7か月の繰上弁済","text":"更生手続の間に、経営を圧迫していた外部条件は反転した。原木価格が沈静化し、製品価格も安定したため業績は回復に向かう。1964年4月に更生計画が認可され、1965年4月には更生手続の終結決定を受けた。申立てから3年に満たない期間である。同社が抱えた問題は販売力や製品の競争力ではなく、需要拡大期の設備投資と原料市況の急変が同時に重なったところにあり、市況が戻れば採算も戻る構造にあった。\n\n回復の速さは弁済にも表れた。1970年4月、同社は更生債務を更生計画に基づく最終弁済期日より3年7か月繰り上げて弁済している。更生手続を経た会社にとって、繰上弁済は金融機関と取引先に対する信用の回復そのものにあたる。以後の同社は新聞用紙と段ボール原紙を中心に事業を進め、1974年には中質紙と出版用紙の製造販売を加えた。製品を増やす方向は、この時期から明確になった。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1957年8号・第99号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1988年40巻4号・第469号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"紙・パルプ－急追する新進企業（日本産業史 第2巻、日本経済新聞社）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1974,"end_year":2006,"main_title":"エリエールによる家庭紙参入と再上場後の拡大（1974〜2006）","subsections":[{"title":"ティシューペーパーから広げた家庭紙事業","text":"1979年4月、同社はティシューペーパー「エリエール」の製造販売を始め、家庭紙の市場へ入った。それまでの製品は新聞用紙・印刷用紙・段ボール原紙といった、商社と代理店を経て企業へ渡る紙である。家庭紙は小売店の棚で消費者が選ぶ商品であり、売り方が根本から異なる。参入後はトイレットペーパー、紙おむつ、生理用ナプキンへと品目を広げた。全国に営業所と営業出張所を置いて直接ユーザーへ販売する活動を強めたのも、既存の流通機構だけでは新しい製品を運べなかったためである。\n\n家庭紙は売上構成を変えた。家庭用薄葉紙の売上高は1985年3月期の149億8,800万円から1987年3月期には230億9,700万円へ伸び、売上高構成比は11.1％に達した。同じ3期の間に段ボール原紙は442億6,500万円から221億3,200万円へ半減し、新聞用紙も610億8,700万円から551億3,500万円へ減っている。市況に振られる産業用の紙が縮む一方で、消費者向けの紙が伸びた。1987年3月期の売上高2,078億9,900万円のうち、紙が93.1％、紙加工品が4.0％、パルプが2.9％を占め、紙・板紙の生産高では業界第5位にあった。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1988年40巻4号・第469号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2006年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"大阪証券取引所と東京証券取引所への再上場","text":"株式市場への復帰は段階を追って進んだ。1982年11月に大阪証券取引所市場第二部へ再上場し、1984年9月に同市場第一部の銘柄へ指定され、1988年2月17日に東京証券取引所市場第一部へ再上場した。東証の上場廃止から24年が経っていた。再上場に際しては500万株を公募し、発行済株式総数は8,154万9,628株となっている。1987年3月期の売上高は2,078億9,900万円、経常利益は124億2,900万円で、円高と原油安による輸入木材チップ・重油価格の下落が利益を押し上げた。\n\n生産と組織の形も、この時期に定まった。他の大手が全国各地に工場を置いたのに対し、同社は三島工場と近接する川之江工場に生産を集めており、三島工場は紙・板紙・パルプの生産工場として当時の国内で最大の規模を持っていた。原料面では海外メーカーと輸入チップの長期契約を結び、米国にチップの生産工場を子会社として設けている。1983年6月には丸紅から名古屋パルプを買収した。1987年6月に井川高雄氏が社長へ就き、1989年1月には東京支社を東京本社へ昇格させて二本社制に移った。1987年5月末の従業員は2,926人だった。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1988年40巻4号・第469号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2006年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"原料の海外調達と有利子負債の削減","text":"原料と生産の拠点は、国外と国内の双方へ広がった。1989年6月、同社はチリのオソルノ市にフォレスタル・アンチレLTDAを設立し、この会社からパルプ材を輸入する経路をつくった。持株比率は90.0％である。設備の増設も続き、1989年4月に新8号コート原紙抄紙機、1990年3月に新6号新聞用紙抄紙機を据えた。1996年4月には福島県いわき市にいわき大王製紙を設立し、三島・川之江の2工場に集めていた生産を東日本にも置いた。原料をどこから運び、どこで抄くのかという製紙業の基本条件を、この時期に組み替えている。\n\n2000年代前半の経営は、規模の拡大よりも財務の立て直しへ向かった。売上高は2002年3月期の3,715億2,900万円から2006年3月期の4,022億7,300万円へ伸びたが、同じ5期で総資産は6,792億3,500万円から6,461億5,100万円へ減っている。財務活動によるキャッシュ・フローは5期とも流出で、2003年3月期には365億6,300万円が出た。自己資本比率は8.5％から17.6％へ上がり、従業員数は8,052人から7,831人へ減った。有利子負債の削減による財務体質の強化を、この期間の方針として掲げている。\n\n2000年代半ばの同社は、紙パルプ製品を主力としながら加工品を伸ばす形にあった。2006年3月期の売上高は4,022億7,300万円、営業利益は301億2,300万円で、うち紙パルプ製品事業が3,206億5,100万円を占める。衛生用紙は市況の軟化で販売価格が下落したため、「エリエール」ブランドの価値向上を最優先に掲げ、ティシューとトイレットの紙質を改良し、鼻かみ用の「エリエールウィルスブロック」など高付加価値品を新たに売り出した。価格競争から逃れる先を、商品そのものの差に求めている。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"新規上場会社紹介 大王製紙株式会社（証券 1988年40巻4号・第469号）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2006年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2007,"end_year":2025,"main_title":"創業家支配の終わりと北越紀州製紙の資本参加（2007〜2025）","subsections":[{"title":"加工品分野への傾斜とアテント事業の譲受","text":"2007年は事業の構成が動いた年にあたる。4月に名古屋パルプを吸収合併して可児工場とし、5月に大阪証券取引所の上場を廃止した。9月には米国のプロクター・アンド・ギャンブル社が日本で展開していた大人用紙おむつ「アテント」事業を譲り受けている。譲受の対象は商標権と生産設備で、既存の大人用紙おむつと合わせて市場シェア2位となることを目的に掲げた。同月には新10号塗工紙抄紙機も増設しており、紙と加工品の両方へ同時に投資した年になった。\n\n譲受の効果は翌期の販売に表れた。2008年3月期、大人用紙おむつは新商品とリニューアル品の投入により販売数量・金額とも前期を上回り、新規顧客の獲得と配荷の拡大が進んだ。ベビー用紙おむつでは「ＧＯＯ．Ｎ（グ〜ン）」の5周年を記念した企画商品を投入し、生理用ナプキンでは「新・素肌感」「ウルトラガード」の品質を高めたリニューアル品に加え、肌触りにこだわった新ブランド「Ｍｅｇａｍｉ（メガミ）」を新たに配荷した。原紙を抄く会社が、消費者向けの商品を毎年入れ替える会社にもなった。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2006年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2008年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2012年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2013年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2025年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"元会長への貸付金問題と連結範囲の激変","text":"2011年度の第2四半期、同社の代表取締役会長（当時）への貸付金問題が判明した。貸付を行っていたのは連結子会社7社である。2012年3月期末の貸付金残高は53億3,700万円で、うち元会長に対するものが49億7,700万円、エリエール商工に対するものが3億6,000万円を占め、これに対する貸倒引当金は37億2,000万円だった。同社は社外の専門家を含む企業統治改革委員会を設置し、東京証券取引所へ改善報告書を提出している。過年度の有価証券報告書と四半期報告書の訂正も同時に必要になった。\n\n問題は連結の範囲そのものを変えた。第3四半期に、元会長・元顧問とその親族の一部、およびこれらの者が株式を保有する会社が、財務諸表等規則の定める「緊密な者」および「同意している者」の要件を満たさなくなった。これにより従来37社あった連結子会社は8社となり、23社が持分法適用関連会社へ、5社が連結の範囲から外れた。持株を通じて創業家が押さえていた会社群が、決算の外へ出たことになる。2012年3月期の売上高は4,089億8,500万円で前期比0.3％減にとどまったものの、連結範囲の変更が響いて営業利益は104億8,300万円と21.6％減り、当期純損失53億2,100万円を計上した。\n\n再発防止策は8項目にわたった。貸倒引当金の計上に係る決算手続の改善と関連当事者との取引の見直し、連結子会社から親会社への業務報告の徹底、モニタリングの改善、連結子会社の株主構成の再編、社外取締役の招聘による取締役間の相互監視機能の強化、内部通報制度の報告経路の改善などである。創業家の関連会社については、原則として資本関係を解消し役員派遣も中止して非関連会社とする方針を決め、順次実行した。役員人事も動き、2011年6月に佐光正義氏が代表取締役社長へ就いている。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2006年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2008年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2012年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2013年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2025年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"北越紀州製紙の資本参加と海外への展開","text":"創業家に代わって株主として現れたのが北越紀州製紙である。同社は2012年6月26日の取締役会決議に基づき、同年8月15日付で北越紀州製紙から関係会社等の株式を取得した。北越紀州製紙は2013年3月期末に持株比率19.59％の主要株主となり、2016年3月期には21.23％を保有する筆頭株主となっている。2013年2月には北越紀州製紙から、関連会社による同社株式の買付けなど3点について特別調査委員会の設置を求める要請が公表された。大王製紙は自らの調査で問題がないと判断していたが、企業価値の毀損を避けるため2つの外部委員会による検証を実施し、株式の買付けに違法性がないことが確認された。\n\n統治の立て直しを終えた同社は、買収によって事業の幅を広げた。2017年4月に日清紡ホールディングスから日清紡ペーパープロダクツの全株式を取得し、同月に三浦印刷を取得した。2020年5月にトルコの衛生用品メーカーであるウゼン、翌6月にブラジルのサンテルの株式51％を取得し、2022年10月にはペット用品を製造する大貴を子会社にしている。業績は原燃料価格の変動に振られ、2023年3月期は売上高6,462億円に対し営業損失214億円・当期純損失347億円を計上した。翌2024年3月期は営業利益144億円へ戻したが、2025年3月期は売上高6,689億円・営業利益98億円で当期純損失112億円となった。","references":[{"title":"大王製紙 有価証券報告書【沿革】","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 有価証券報告書（2006年3月期）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"大王製紙 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