日本製紙の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

原料の技術は自前で育てたが、設備の資金は経営権と引き換えに得た会社である。1879年に大川平三郎氏を米国へ送り、1880年に藁パルプ、1889年に気田工場の亜硫酸パルプを実用化して、ボロに頼らない原料を手にした。ところが1896年の中部工場の建設に要る増資を大株主の三井に仰ぐと、1898年には大川平三郎氏と渋沢栄一氏がともに経営を退いた。その後に専務となった鈴木梅四郎氏は水害の続く天竜川の工場を見切り、1904年に苫小牧を建設地に選んだ。

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