海外企業の買収
日本企業は長く、国内で生産した製品を輸出して外貨を獲得してきた。生産設備は国内に置き、海外には販売拠点だけを持った。設備資金は主力銀行が供給し、株式は取引先と相互に保有し合っていた。そのため、海外企業を買収して自社の決算に損益を合算する連結の対象に加える必要はなかった。為替と資本の移動が管理されていた時期には、対外投資に充てる外貨を確保する手続きも重かった。輸出が伸びるかぎり、国内に工場を建設して生産量を増やすほうが確実だった。
国内で生産して輸出するという前提を最初に崩したのは通商摩擦だった。日米貿易摩擦のもとで輸出自主規制が輸出量そのものに上限を置くと、価格を上げても販売量は増やせない。したがって増産の余地は規制の外、すなわち現地の工場にしか残らなかった。ただし工場を新設すれば操業までに年月を要するため、設備と販路をすでに持つ会社の取得が選択肢に上った。ブリヂストンが1988年に米ファイアストンを買収したのは、現地生産の拠点と世界首位の地位を一度に得るためだった。輸出の代替としての買収である。
次の数年で、買収の意味は変わった。円高は取得価額を押し下げ、地価と株価の上昇は担保余力を増やした。本業の外で収益を上げる資金運用が経営者の能力として語られた時期にあたり、買収も運用先の一つに数えられた。相手国では企業の支配権が日常的に売買され、仲介と資金調達の手続きも整っていた。日本企業は、円高で高まった購買力を背景にその市場へ参入した。ソニーのコロンビア映画、7,800億円を投じたパナソニックのMCA、三菱地所のロックフェラーグループ出資は、いずれも既存事業の延長ではなく資産の取得だった。これらの買収を支えたのは土地と株式の含み益であり、決算書に一度も載らないまま消える性質のものである。しかし資産価格が下落すると、資産の取得を目的とする買収は途絶えた。
三度目の波は国内市場が縮小し始めてから訪れ、動機は需要に移った。国内の販売量が増加しない以上、売上高を伸ばすには国外に市場を持つしかない。JTの米国外たばこ事業取得、自社の2倍近い売上高を持つ相手を買収した日本板硝子のピルキントン買収、武田薬品工業のシャイアー買収と、買収企業と被買収企業の規模の関係は逆転した。
三つの時期で変わったのは金額ではなく、買収後にどこで収益を上げるかである。1980年代の買収は輸出していた製品を現地で生産するためのもので、収益の源泉は国内にも残った。一方、2000年代以降の買収は、収益の源泉そのものを国外へ移している。
財務諸表のどこを見るか
最初に貸借対照表ののれんとその残高の推移を見る。取得原価のうち識別可能な資産へ配分しきれなかった差額がのれんで、買い手が相手の収益力をいくらと見積もったかが額そのものに出る。次に特別損失の減損損失と、注記に書かれた減損の経緯を読む。減損を計上した期は、買収時に置いた事業計画を下方修正した期でもある。のれんの償却は会計基準で分かれ、日本基準は定額償却して毎期の営業利益を圧迫し、IFRSは償却せず減損の年にまとめて計上する。在外子会社は決算のたびに円へ換算されるため、為替換算調整勘定とその他の包括利益も併せて確かめる。円安が進んだ期は、事業が伸びなくても円建ての売上高とのれんが増大する。
2020年代
2010年代
2000年代
1990年代
1980年代
1970年代
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買収によるグローバル経営55事例
買収による現地生産の獲得48事例
海外買収による隣接領域への展開45事例
海外での連続買収22事例
海外買収による垂直統合16事例
買収と統合のほかの論点
- 外資の傘下入り33
- 合併と経営統合237
- 買収・合併後の統合89
- 同意なき買収への対応32
- MBO による非公開化25
- 連続買収による成長110
- 救済型の買収76
- 破談と白紙撤回39