インドKansai Nerolac子会社化と新興国軸への転換
タイ進出に続き、関西ペイントはなぜボンベイ上場の現地企業を選んだか
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- 概要
- 1986年9月、関西ペイントが、1968年8月からボンベイ証券取引所に上場していたインドの塗料メーカー「Kansai Nerolac Paints Ltd.」の株式を取得し、連結子会社化した経営判断。1968年のタイ進出に続く、新興国市場への本格参入を印す転機となった。
- 背景
- 国内向けの生産拠点整備を終えて総合塗料メーカーとしての体制を固めていた関西ペイントは、1968年11月にタイで現地法人「Thai Kansai Paint Co.,Ltd.」を出資設立し、海外へ最初の資本を投じていた。
- 内容
- 1986年9月、既にボンベイ証券取引所に上場していたインドの塗料メーカー「Kansai Nerolac Paints Ltd.」の株式を取得して連結子会社とした。前年の台湾関西塗料設立に続くアジア展開の一環で、その後も5年おきに現地企業への出資・買収が続いた。
- 含意
- 取得後のネロラックは現地の経営陣を保ったまま運営され、自動車用・建築用塗料でインド市場に浸透した。2020年代にはインドの売上規模が国内事業に迫り、毛利訓士社長が掲げる「ONE KANSAI」戦略の中核市場に育った。
現地企業を取り込む型の海外進出が残したもの
1986年の判断で目を引くのは、白紙から現地法人を興したタイ方式と異なり、すでにボンベイ証券取引所に上場していた現地企業をそのまま取り込んだ点である。塗料は輸送コストの制約が大きく、現地生産・現地販売の性格が強い業種であり、ブランドと販売網を持つ既存企業を子会社化するほうが、市場への浸透は速かったとみられる。経営陣を入れ替えずに運営を委ねるやり方も、この時期から一貫して保たれてきたとうかがえる。
もっとも、この判断が海外事業全体の柱になるまでには、40年近い年月を要した。1985年から2007年にかけて5年おきに積み上げた現地企業との資本提携の連なりのなかで、インドは結果として最も成長した拠点になった。欧州のHelios買収が構造改革の対象になっている一方で、インドがアフリカと並ぶ成長市場として名指しされている現状は、新興国の現地企業を取り込む型の海外進出が、買収から数十年を経てようやく評価の定まる長期の賭けだったことを示している。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
国内拠点整備とタイ進出という最初の一歩
関西ペイントは、1949年の証券取引所上場を経て、平塚工場(1960年)、名古屋工場(1961年)、中央研究所(1965年)、鹿沼工場(1971年)と国内拠点を相次いで整備し、自動車・建築・船舶・工業の4分野を手がける総合塗料メーカーとしての体制を固めていた。単体の売上高は1976年3月期の604億円から1985年3月期には1,229億円まで伸び、経常利益21億円・当期純利益12億円の水準に達していた[1][2]。
海外へ最初に資本を投じたのは、1968年11月のタイ進出だった。「Thai Kansai Paint Co.,Ltd.」を現地で出資設立し、国内で積み上げた生産技術を海外市場でも試す足がかりとした。その後、1985年10月には台湾で「台湾関西塗料股份有限公司」を出資設立し、アジアでの拠点をもう一段広げる動きに入った[3][4]。
決断
ボンベイ上場企業ネロラックの取得
1986年9月、関西ペイントはインドの塗料メーカー「Kansai Nerolac Paints Ltd.」の株式を取得し、連結子会社とした。同社は1968年8月からボンベイ証券取引所に上場しており、タイのように現地法人を一から立ち上げる方式ではなく、インドで実績を積んだ上場企業をそのまま取り込む方式を選んだ点に特徴がある[5]。
ネロラックの取得は単発では終わらなかった。1995年12月にタイでKansai Resin、1996年10月にマレーシアでSime Kansai Paints、1999年10月にインドネシアでP.T.Kansai Paint Indonesiaと、5年おきに現地企業への出資・買収を重ね、2006年4月のマレーシア統括拠点、2007年10月のトルコ進出で中東方面にも広げた。この間に連結売上高はFY11(2012年3月期)時点で2,565億円に達し、国内総合塗料メーカーから新興国市場を軸とする塗料メーカーへと事業構造を組み替えていった[6]。
結果
インド事業の成長と現地経営の尊重
取得から30年近くを経た2015年3月期時点で、インドの連結売上高は695億円に達していた。その後も拡大が続き、2025年3月期には1,440億円まで伸び、国内事業の1,484億円に迫る規模になった。関西ペイントにとってインドは、海外事業の中でも国内と並ぶ収益の柱に育った[7][8]。
成長を支えたのは、現地の経営体制をそのまま生かす運営方針だった。関西ネロラックのハリシュチャンドラ・メグラージ・バルーカ社長は、2016年の取材に「本社がとにかく現地の経営を尊重してくれる」と成長の背景を語った。当時の石野博社長も「目指す山が同じなら、登り方が多少違っても問題ない」と述べ、経営陣を入れ替えずに運営を委ねた。乗用車シェア首位のスズキと足並みをそろえたインド事業の拡大も、この運営方針のもとで続いた[9][10][11]。
2019年に社長に就任した毛利訓士氏は、成長市場としてインドとアフリカを重視し、グループの一体運営を掲げる「ONE KANSAI」戦略を打ち出した。1986年のネロラック子会社化から数えて、インド事業は海外進出の一事例から、グループ戦略の中心に据えられる市場へと役割を広げていた[12]。
- 関西ペイント 有価証券報告書 第161期(2025年3月期)【沿革】
- 関西ペイント 会社年鑑(1985年3月期実績)
- 関西ペイント 有価証券報告書(2015年3月期)【セグメント情報】
- 日経ビジネス電子版(2016年12月16日、初出は日経ビジネス2016年10月17日号)「関西ペイントの『日本らしからぬ』国際戦略」
- 日本経済新聞(2015年10月19日)「実はインドに強い、関西ペイントの浸透力」
- 日経ヴェリタス(2026年5月26日)「トップに聞く 関西ペイント 毛利訓士社長」