上場企業の経営論点

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外資の傘下入り

日本の会社で、資本の移動によって経営権が他者へ渡る場面は長くまれだった。株式は取引先どうしが互いに保有する持ち合いの形をとり、最大の債権者である主力銀行が株主を兼ねていた。業績が悪化すれば銀行が役員を派遣して経営陣は入れ替わったが、会社の所有はほぼ同じ株主構成の内側にとどまった。資本の自由化で外国企業が日本の会社の株式を取得できるようになった後も、この構図は変わらなかった。市場に出回る株が少なく、買い集めても過半には届かない。外国企業にも、取引慣行と雇用の仕組みが異なる会社の経営を引き受ける用意はなかった。資本の受け入れは提携の証であって支配の移転ではないという理解を、双方が共有していた。

1979年のマツダは、住友銀行の主導でフォードの資本を受け入れた。ただし、この時点で経営権は移っていない。提携先を選んだのは銀行であり、フォードは資本を出したものの、経営の主導権は国内に残った。所有と支配が一致したのは17年後で、1996年にフォードが出資を引き上げ、経営権を掌握した。同じ相手との同じ関係が、出資比率の変更だけで提携から支配へ変わったのである。

1990年代末には、提携から支配へ至るまでの年月が二つの理由で短縮された。第一に、銀行は不良債権の処理に追われて保有株を売却し、持ち合いが解けた。第二に、自動車では開発と規制対応の費用が一社で賄える規模を超え、単独では車種を揃えられない会社が出た。資金と技術の双方を出せる相手は国外にしかいなかった。日産自動車とルノー、三菱自動車工業とダイムラーでは、資本の受け入れと経営陣の派遣が同時に決まった。資本を出す者が経営を決めるという原則が、外国企業に対しても例外なく働くようになった。

2000年代に入ると、会社全体を単位として経営権を渡す必然もなくなった。シャープは官民ファンドの案を退けて鴻海精密工業を選び、経営権の移転先を自ら決めた。東芝メモリはベイン連合の手でキオクシアとして切り出された。親会社の一部門だった事業が、別の資本構成を持つ会社として独立した事例である。

外資の傘下入りという言い方は、会社全体が外国企業の下に入る事態を指してきた。しかし実際に起きたのは、経営権の所在が提携から出資比率の引き上げへと段階を踏んで移り、その単位が会社から事業へ細分化する過程である。

財務諸表のどこを見るか

有報の大株主の状況で議決権比率の推移を追う。第三者割当増資なら発行済株式総数と資本剰余金の増加額から希薄化の程度が読め、公開買付けなら公開買付届出書に買付価格の算定根拠が載る。持分法適用会社から連結子会社へ移った期には、のれんの計上と会計方針の変更が同時に起きる。親会社が海外企業に替わると決算期や会計基準がその方針に合わせて変わることがあるため、連結の範囲と適用基準の注記も確かめる。

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