救済型の買収
会社が支払不能に陥ったとき、その損失を誰が引き受けるかは時代によって違う。高度成長期以降の日本では、損失を引き受ける役割を主力銀行が担った。融資先の業績は銀行の貸出資産に直結し、取引先も互いの株式を保有し合う持ち合いの関係にあった。破綻させて回収不能を確定させるより、資金を追加して事業を続けさせるほうが、集団全体で見た損失は小さい。したがって損失は系列の内側で分配された。系列の内側での分配を成り立たせていたのは、銀行が融資、株式の保有、役員の派遣を兼ねていた点である。銀行は決算書に現れる前に融資先の悪化を把握し、追加融資か打ち切りかを単独で決められた。金融行政も銀行そのものの破綻を想定しておらず、余力のある銀行が経営不振の融資先を支える体制は制度面からも支持されていた。
1977年、経営破綻した安宅産業を伊藤忠商事が合併で引き受けたとき、住友銀行は1,132億円を先送りせず一度に償却している。事業と従業員は同業の商社が引き取り、回収不能となった債権は銀行が自らの決算で処理した。この分担が可能だったのは、銀行に一括償却へ耐える収益力があったからである。1979年にマツダが住友銀行の主導でフォードの資本を受け入れたのも、銀行が負担の枠組みを設計できた時期の措置だった。
しかし資産価格が下落すると、銀行は損失を負担する力を失った。銀行自身が不良債権を抱え、土地の含み益を裏付けとした支払能力は帳簿に載らないまま消えた。自行の健全性を保つだけで手一杯となり、融資先の損失まで引き受ける余力は残らなかった。代わって公的な枠組みが負担を担った。
ダイエーは産業再生機構に、ルネサスエレクトロニクスは産業革新機構と主要顧客の連合に委ねられた。ルネサスの救済では、公的資金と並んで、製品の供給を受ける顧客企業が出資している。つまり負担する者は、貸し手から納税者と取引先へ移った。
公的な枠組みの次に損失を引き受けたのは、国外の企業である。エルピーダメモリは米マイクロンへ事業を譲渡し、シャープは官民ファンドの案を退けて鴻海精密工業を選んだ。追加の資金を出す者が国内に見つからないとき、負担と引き換えに差し出すものは事業そのものになる。
銀行が償却で負担した時代、公的資金が負担した時代、国外の企業が対価と引き換えに引き受ける時代。負担の主体が変わるごとに、救済を受けた会社が再建後に払う代償も変わっている。
財務諸表のどこを見るか
救われる会社は、まず自己資本比率と債務超過の有無を確かめる。第三者割当増資や優先株の発行で資本を入れ直していれば、資本金・資本剰余金の増加と新株予約権付社債の条件が有報に載る。債権放棄を受けた期には債務免除益が特別利益に立つ。救う側では、取得原価が純資産を下回れば負ののれん発生益が特別利益として計上される。引き受けた損失の総額は、貸倒引当金繰入額と関係会社株式評価損で追える。
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買収と統合のほかの論点
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