ヒューリック旧富士銀系の上場不動産会社・昭栄の吸収合併

助けを求めた側が存続会社になる——1対3の比率と「逆取得」が示した2012年の統合の形

時期 2011年12月
意思決定者(推定) 西浦三郎 社長
論点 上場不動産会社どうしの統合による規模の拡大
概要
2012年7月1日、ヒューリックは旧富士銀行系の上場不動産会社である昭栄と合併した。法形式では昭栄が存続会社、ヒューリックが消滅会社となり、会計上は逆取得としてヒューリックが取得企業と扱われた判断。
背景
昭栄は1931年に安田銀行の全額出資で設立された製糸会社を源流とし、工場跡地の商業施設化を経て不動産会社へ移った。2000年には村上ファンドによる公開買付の対象となり、2011年12月期には純資産維持条項への抵触に至った。
内容
2011年12月20日に統合基本契約、2012年2月2日に合併契約を締結し、同年3月23日の両社株主総会で承認された。合併比率は旧ヒューリック株1株に対し昭栄株3株で、合併後の商号はヒューリックとされた。
含意
2000年のフォワードビルディング合併から続いた旧富士銀行系不動産の集約が、上場会社どうしの統合で区切りを迎えた。登記上の設立年が1931年3月となり、資本金は219億51百万円へ増えた。
筆者の見解

助けを求めた側の名義で、助けた側が残る

この合併の面白さは、救済の向きと法形式の向きが食い違っている点にある。財務制限条項に触れて存続の見通しを立てにくくなったのは昭栄であり、申し入れも昭栄の側からであった。それにもかかわらず、合併後に残る法人は昭栄で、消えるのはヒューリックである。会計は逆取得としてこのねじれを整理し、数字はヒューリックの連続として記録された。上場の歴史が長い会社の名義を残したまま中身を入れ替える手法は、同じ系列で長く並存してきた2社であるがゆえに選べた形だったとみることができる。

2000年のフォワードビルディング合併から数えれば、旧富士銀行系の不動産の集約は12年をかけて一区切りに達した。ただ、2012年の統合は集約の完了というより、相手の資産を株式で買える会社になったことの確認に近い。以後のヒューリックはホテル、教育、アセットマネジメントと、系列の外にある会社を次々に取り込んでいく。銀行の都合で寄せ集められた不動産を出発点にした会社が、自らの判断で会社を買う側へ回った転換点として、この合併を置くことができる。登記簿に1931年という年が残り続けることは、その来歴を思い出させる注記としても読める。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

安田銀行が興した製糸会社の変転

昭栄の出発点は不動産ではなかった。1931年3月、生糸の製造販売を目的として資本金50万円で昭栄製絲が設立され、安田銀行の全額出資により製糸8工場で操業を始めている。安田銀行はのちの富士銀行、さらにみずほコーポレート銀行にあたるから、ヒューリックの前身である日本橋興業と出自を同じくする会社であった。1943年11月には商号を昭栄興業へ改め、事業目的に不動産と有価証券の保有利用を加えている。1945年には明和不動産・釧路土地・丸ノ内興業を合併し、1949年5月に東京証券取引所市場第二部へ上場した[1]

戦後の昭栄は、本業を替えながら不動産へ寄っていった会社であった。1960年4月に製糸事業の合理化再編を実施して電機部品の製造を始め、1971年4月に商号を昭栄株式会社へ改めている。1977年9月には諏訪工場の跡地に昭栄諏訪ショッピング・センターを建ててジャスコへ賃貸し、上田・福島・本庄の各工場跡地でも同様に商業施設を建てて小売各社へ貸した。1995年10月に小山工場の生糸生産を休止し、同年12月の閉鎖で製糸業から撤退している。2003年6月に東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなった時点では、工場を持つ製造業から、賃貸と有価証券運用で稼ぐ会社へ形を変えていた[2]

アクティビストの標的から、財務制限条項の抵触へ

2000年、昭栄は村上ファンドによる株式の公開買付を受けた。村上世彰氏がアクティビストとして最初に選んだ相手であり、昭栄が反対したことで日本勢どうしでは初の敵対的TOBとなった。株価純資産倍率が0.5倍を下回る一方で現金を厚く持つ財務が、標的になった理由であった。株式を持ち合う富士銀行など芙蓉系の各社は村上氏の主張に一定の理解を示しながらも応募せず、買付は不成立に終わっている。資産を抱えたまま株価が上がらない構造は、この時点で外部から名指しされていた[3]

決定的な打撃は2011年に来た。2005年以降に進めた開発案件の賃料が当初計画を下回り、西新井駅前の商業施設パサージオでは99億42百万円の減損損失を計上した。不動産投資有価証券の評価損73億79百万円などが重なり、2011年12月期の当期純損失は97億68百万円に達している。純資産は417億90百万円から241億53百万円へ42.2%減り、借入残高311億50百万円のシンジケートローンについて、財務制限条項のうち純資産維持条項に抵触した。昭栄自身が有価証券報告書で、金融機関の支援を得られなければ単独での企業存続に疑義が生じる恐れがあると記すまでの状況であった[4][5]

決断

存続するのは昭栄、取得するのはヒューリック

2011年12月20日、両社は統合基本契約の締結を発表した。手続きは翌2012年2月2日の合併契約締結、3月23日の両社株主総会での承認を経て、7月1日を効力発生日と定めている。合併比率は旧ヒューリック株1株に対して昭栄株3株の割当で、合併後の商号はヒューリック、社長には西浦三郎氏が就いた。申し入れは昭栄の側からで、藤岡正男社長は合併の経緯を、我々からヒューリックにお願いしたと説明している。財務の限界に達した上場会社が、同じ系列の非上場時代を知る会社に助けを求めた形であった[6][7]

法形式と実態は逆を向いていた。合併は昭栄を吸収合併存続会社、ヒューリックを吸収合併消滅会社とする方式で組まれたが、企業結合会計の上では逆取得に該当し、取得企業は消滅する側の旧ヒューリックとされた。存続会社の側が事実上買われる構図であり、合併後の有価証券報告書は2011年12月期以前の財務数値を旧ヒューリックのもので記載している。昭栄が1949年から続けてきた上場会社としての法人格を残しつつ、経営と会計の中身はヒューリックに入れ替わった。合併により有利子負債は両社合計で4000億円前後になる見通しとされ、西浦社長は成長にプラスになると述べている[8][9]

結果

登記簿の設立年が1931年になった会社

合併の年である2012年12月期の連結売上高は943億円、営業利益226億円、経常利益200億円、当期純利益115億円となった。合併に伴う新株の発行で資本金は219億51百万円へ増えている。もっともこの期は、旧ヒューリックの1月から6月までと合併後の7月から12月までを合算した変則的な期であり、前後の期と単純には比べられない。同じ年の10月には日本橋大伝馬町のヒューリック本社ビルが竣工し、本社が移転した。銀行の店舗ビルを預かる会社として始まった歴史のうえに、自社名を冠した本社が建った年にあたる[10]

合併が残した痕跡は登記にも表れている。ヒューリックは会社の設立を1957年3月と説明する一方で、登記簿上の設立年月は旧昭栄の1931年3月であると注記している。上場についても、現在の上場は2008年11月11日、旧昭栄の上場は1949年5月16日と併記される。統合後の同社は保有物件と資本を厚くし、2013年11月にはヒューリックリート投資法人を設けて、開発した物件をREITへ移す資金の循環を組んだ。2022年には経常利益で三井・三菱・住友の3社に次ぐ位置をうかがう規模に達し、旧富士銀行系の不動産会社の集約は、業界の順位を動かすところまで届いた[11][12]

出典・参考

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