2003年2月の合併交渉と2004年5月の統合発表は、同じ二社が同じ相手と組む話でありながら、進め方がまるで違っていた。最初の交渉は筆頭株主のCSKとサミーの間で決まり、セガの現場には決定として降りてきた。二度目は、里見治氏が453億円で議決権を握ったうえで、なお開発担当者と一人ずつ会って社名とブランドを残すと約束するところから始まった。資本の力だけを見れば後者の説得は必要なかったはずで、22.4%を押さえた側が頭を下げに行った点に、この統合の性格が表れている。
選ばれた持株会社という方法も、両社を一つに溶かさない選択であった。セガとサミーは別会社のまま並び、社名も社風も残った。里見治氏が交渉当初に掲げた売上高5,000億円・経常利益1,000億円は統合初年度に達成されたが、その1,044億円のうち大半はパチスロ機が稼いだものであり、ゲーム事業が自力で投資を回収する形にはならなかった。里見治氏がセガに求めた"決断できる経営"がたどり着いた先は、家庭用ゲームソフトの海外展開と、統合の象徴だったゲームセンター運営からの撤退という、2004年には想定されていなかった答えであった。