住友信託銀行とUFJの信託事業統合
2004年破談なぜ基本合意した信託事業の統合がUFJの白紙撤回で破談し、25億円の和解に至ったのか?
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- 概要
- 2004年5月、住友信託銀行とUFJが信託・財産管理事業の協働事業化で基本合意したが、約2か月後にUFJが白紙撤回して三菱東京との経営統合に転じ、破談した案件。
- 背景
- 不良債権処理で経営難に陥ったUFJが信託部門の切り出しを急ぎ、信託専業最大手の住友信託が受け皿となる構想だった。
- 内容
- 基本合意書の独占交渉条項を根拠に住友信託が交渉差止めの仮処分を申し立てたが、最高裁が必要性を否定。本訴の損害賠償請求も退けられ、最終的に25億円の和解金で決着した。
- 含意
- M&Aの基本合意書がもつ法的拘束力と独占交渉条項の限界を司法が示した、日本の企業法務史に残る事例である。
基本合意書の拘束力という論点
この破談が残した最大の遺産は、M&Aの基本合意書がもつ法的拘束力について、日本の最高裁が一定の指針を示した点にあるとみられる。独占交渉義務や誠実協議義務は債務として認められうるものの、最終契約を締結する義務までは当然には含まれず、その違反による履行利益の賠償も容易には認められない。司法は合意の存在と効力を否定こそしなかったが、当事者を最終合意へと強制する道具にはならないことを明らかにした。基本合意の段階で何をどこまで縛るのか、違反時の違約金や差止めの可否をいかに明記するか——M&Aの実務に重い教訓を残した事例といえる。
同時にこの一件は、合意の経済合理性が、当事者を取り巻くより大きな力学の前で覆りうることも示している。住友信託にとって合理的だった信託事業の統合は、経営難のUFJがより確実な救済を求めた瞬間に白紙化された。約束を反故にされた側が法廷で全面勝訴することの難しさと、それでもなお25億円という解決金を引き出した粘り強さの両面が、この破談には刻まれている。成立に至らなかった案件であっても、企業再編をめぐる契約と司法、そして当事者の合理的判断のせめぎ合いを読み解く手がかりは多く存在するのだろう。
統合の背景
マクロ環境——不良債権処理とUFJの経営難
2000年代前半の日本の銀行業界は、バブル崩壊後の不良債権処理という重い課題の最終局面にあった。金融庁は2002年に「金融再生プログラム」を打ち出し、主要行に不良債権比率の半減を強く求めていた。なかでもUFJホールディングスは、傘下のUFJ銀行が抱える巨額の不良債権の処理に追われ、自己資本の毀損が深刻化していた。検査をめぐる金融庁との対立も伝えられ、経営の自立性そのものが問われる状況に置かれていたとされる。再建を急ぐUFJにとって、収益部門を切り出して資本を確保し[1]、グループ全体の立て直しにつなげることは、現実的な選択肢の一つであった。
ミクロ環境——信託専業最大手という受け皿
その受け皿として浮上したのが、信託専業最大手の住友信託銀行であった[2]。住友信託にとって、UFJ信託銀行の信託・財産管理事業を取り込むことは、年金や証券代行、不動産といった信託本業の規模を一気に拡大する好機となる。メガバンクの傘下にある信託子会社と異なり、住友信託は独立系として独自の成長戦略を描く必要があり、業界再編の波のなかで規模を確保することは経営上の重要課題であった。経営難のUFJが信託部門を手放そうとする局面は、住友信託にとって規模拡大を実現する千載一遇の機会と映ったとみられる。
統合の発端
公表経緯——2004年5月21日の基本合意
合意は2004年5月21日に発表された。住友信託銀行とUFJ信託銀行は、経営統合によるUFJグループと住友信託銀行の「信託・財産管理事業等の協働事業化」について基本合意したと公表する[3]。枠組みは、UFJ信託銀行の信託・財産管理事業を住友信託の側へ移し、両者で協働して事業を展開するというものであった。経営難のUFJが収益部門を切り出し、信託専業最大手の住友信託がこれを受け継ぐ構図は、当時の業界再編の流れに沿ったものとして受け止められた。基本合意書には、最終契約に向けた協議を進める間、当事者が第三者と競合する協議を行わないとする独占交渉義務と、誠実に協議を進める誠実協議義務が盛り込まれていた[4]。
UFJの視点——より大きな救済への転換
ところが合意は長くは続かなかった。2004年7月14日、UFJホールディングスから住友信託に対し、協働事業化を白紙撤回したいとの申し入れがあり、同時にUFJは三菱東京フィナンシャル・グループへの経営統合を申し入れたと発表する[5]。信託部門だけを切り出す協働ではなく、グループ全体を三菱東京と統合する道へUFJが舵を切ったことを意味した。経営難のUFJにとって、信託事業の協働による部分的な資本確保よりも、三菱東京による全面的な救済のほうが再建の確実性が高いと判断されたものとみられる。約2か月前に基本合意した相手を一方的に白紙化する異例の展開に、金融界の注目が集まった。
追い込まれたUFJ——金融庁検査と自主再建の頓挫
UFJが約2か月前に結んだ合意をあえて反故にした背景には、当時のUFJが置かれた切迫した状況があった。合意に先立つ2004年2月、金融庁はUFJホールディングスへの特別検査に入っており、UFJは4大金融グループのなかで不良債権比率が最も高く[6]、経営再建中の大口融資先を多く抱えていた。2004年3月期決算に暗雲が立ち込めるなか、UFJ銀行は利益を確保するために、長年のメーンバンクとして付き合ってきた優良取引先にまで保有株式の売却を求めていた。ある取引先の社長は、UFJ側から「金融庁検査の件もあり、今期はどうしても3000億円程度の利益を確保しなければならない[7]。申し訳ありませんが、株式を売却させてください」と説明を受けたという。銀行が金融庁の検査や自らの台所事情まで口にして取引先に売却を求めるのは極めて異例であり[8]、UFJがいかに追い込まれていたかを物語っていた。
UFJの自主再建構想は、足元から崩れつつあった。2004年5月に寺西正司前頭取の後を継いでUFJ銀行頭取に就任した沖原隆宗[9]のもとで開かれた支店長会議は、例年なら頭取が経営方針を伝える場であるはずが、支店長たちが経営批判とも取れる質問を次々に浴びせる異例の展開となった[10]。大口融資先ダイエーの処理をめぐっては、産業再生機構の活用や売却など各所が対応を練るなかで、UFJ側からは「全く答えが返ってこない」と金融関係者が憤り[11]、米国大手銀行からの出資案など外資との提携話も詰め切れずに「時間切れで流れていった」。経営の迷走が現場を疲弊させ、自力での再建の芽は摘まれかけていた。沖原が頭取に就任してから三菱東京との統合会見までは、わずか53日であった[12]。
こうしたなかでUFJが住友信託との合意を反故にして三菱東京との統合へ転じたのは、金融庁による告発の可能性に脅えたためとされる[13]。沖原が頭取に就任して2か月もたたないうちに、UFJは検査を妨害したなどとして金融庁の行政処分を受けていた[14]。三菱東京との統合を発表する会見で、沖原は自主再建を断念したいきさつを詳しく語らず、住友信託との合意を破った理由については「事業戦略上、新たな対応をせざるを得なくなった」とだけ述べ、最後まで謝罪はなかった[15]。より大規模で確実な救済へ傾いたUFJにとって、信託事業の部分的な統合を約した相手との合意は、生き残りをかけた選択の前であっけなく覆されたのである。
統合の経過
仮処分——独占交渉条項をめぐる三審
住友信託は法廷闘争に踏み切った。基本合意書の独占交渉義務を根拠に、UFJ3社に対して第三者との協議と情報提供を禁止する交渉差止めの仮処分を東京地方裁判所に申し立てる。2004年7月27日、東京地裁は申し立てを認め、仮処分を決定した。UFJグループによる保全異議の申し立ても却下され[16]、いったんは住友信託の主張が通る形となる。基本合意書という統合前の文書が、相手方の交渉を法的に縛りうるかが正面から問われた点で、注目を集めた決定であった。
だが決着は覆る。2004年8月11日、東京高等裁判所は地裁の決定を取り消し、住友信託の申し立てを退ける決定を下した。住友信託はこれを不服として最高裁判所に特別抗告したが、最高裁は同年8月30日、抗告を棄却し、高裁の判断が確定する[17]。最高裁は、独占交渉権は最終的な合意を成立させるための手段として定められたものであり、合意成立の可能性がなくなれば条項に基づく債務も消滅するとの枠組みを示した。そのうえで、現時点では合意成立の可能性がなくなったとまではいえず債務は消滅していないとしつつ、住友信託の被る損害は事後の損害賠償で償えないものとまではいえないこと、最終合意に至る可能性が低いなかで長期間の差止めを認めればUFJ側の損害が大きいことを理由に、仮処分発令に必要な「著しい損害または急迫の危険」を避ける必要性が欠けると判断した[18]。
本訴——1,000億円の損害賠償請求
仮処分で差止めがかなわなかった住友信託は、本訴で争う道を選ぶ。東京地裁に差止めの本訴を提起するとともに、UFJの独占交渉義務および誠実協議義務の違反に基づき生じた損害として、1,000億円の支払いを求める損害賠償請求を追加した[19]。これはUFJの信託事業を統合していれば得られたであろう利益、すなわち履行利益の賠償を求めるものであった。2006年2月13日、東京地裁はこの請求を棄却する。基本合意書には最終契約を締結する義務までは含まれておらず、UFJの債務不履行と、住友信託が統合により得られたであろう利益との間に相当因果関係を認めることはできない[20]というのが理由であった。
統合の帰結
25億円の和解と三菱UFJの誕生
全面敗訴ではなかった。東京地裁は損害賠償こそ認めなかったものの、UFJが独占交渉義務および誠実協議義務に基づく債務不履行責任を負うこと自体は明確に判示していた。賠償が認められなかったのは、住友信託が独占交渉義務違反に基づく信頼利益のような、履行利益以外の損害の主張を行わなかったためであったとされる[22]。住友信託は控訴し、争いは東京高等裁判所に舞台を移す。そして2006年11月21日、東京高裁による和解勧告を受けて、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)が25億円の解決金を住友信託に支払うことを骨子とする訴訟上の和解が成立した[21]。MUFGはこれにより本件訴訟事件が円満かつ全面的に解決したと発表している。
統合の本筋は、住友信託の手を離れて進んだ。UFJは三菱東京フィナンシャル・グループとの経営統合に向かい、2005年10月に両グループが統合して三菱UFJフィナンシャル・グループが発足する。信託事業についても、三菱信託銀行がUFJ信託銀行を合併して三菱UFJ信託銀行となった[23]。一方の住友信託は、当初描いた規模拡大の機会こそ逃したものの、その後も独立系の信託グループとして歩みを続け、のちに中央三井トラスト・ホールディングスとの統合を経て三井住友トラストグループへと再編されていく。破談はUFJ争奪戦の幕開けとなり、結果として日本最大級の金融グループの誕生を後押しする形となった。
「奪い取った信託」——世紀の統合への冷めた視線
住友信託の手を離れて三菱東京へ渡った信託事業を、当時の金融界は必ずしも祝福していなかった。資産規模で世界最大の金融グループが誕生するという報道が続くさなか、三菱東京フィナンシャル・グループのある幹部は、UFJとの統合を「大きな賭け」と評し、UFJの側には統合に追い詰められた理由があると釘を刺した[24]。東京中心で大企業や海外に強い三菱東京と、関西・中京で中小企業に強いUFJは、店舗網や取引先で補完関係が成り立つ[25]。だが、効果が見えやすい銀行を除けば、証券や信託にまで統合の相乗効果が及ぶかは未知数と受け止められていた。
とりわけ信託事業について、本誌は「住友信託銀行から奪い取った形になった」と表現し、業界からは厳しい声が上がったと伝えている[26]。ある信託関係者は、信託銀行の機能やサービスには各社とも大差なく、企業は系列というしがらみのなかで信託を選んできただけであって、統合すれば年金など預かり資産が一気にはがれてしまう可能性もあると指摘した[27]。三菱東京自身、この春に商業銀行と信託銀行の垣根を越えた連結事業本部制を敷いたばかりで、東京三菱銀行と三菱信託を中心とするグループ内の連携すら十分な成果を上げているとは言い難い[28]段階にあった。トップ主導で決まった世紀の統合をめぐっては、三菱東京の内部からさえ「統合が決まって嬉々としている人もいるらしいけれど…」という冷ややかな声が漏れていた[29]。
- 三井住友トラストグループ100年史「住友信託銀行におけるUFJ信託銀行統合問題」
- 住友信託銀行 ニュースリリース(2004年5月21日)「UFJ信託銀行と住友信託銀行の経営統合による、UFJグループと住友信託銀行の信託・財産管理事業等の『協働事業』化について」
- 株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ プレスリリース(2006年11月21日)「住友信託銀行株式会社との訴訟上の和解成立について」
- RIETI コラム 鶴光太郎 2004年9月7日「『UFJ統合劇』をいかに見るか」
- アンダーソン・毛利・友常法律事務所 江崎滋恒「最近のM&A訴訟(住友信託対三菱・UFJ)」(asialaw Japan Review 2006年7月)
- 弁護士法人栄光 栄光綜合法律事務所 2004年9月1日「最高裁が住友信託の抗告棄却」
- 「日経ビジネス」2004年7月26日号 No.1252「紛糾した支店長会議が三菱東京に駆け込む引き金にUFJ新体制、53日の漂流記」(日経BP)
- 「日経ビジネス」2004年7月26日号 No.1252「世紀の統合は『大きな賭け』三菱東京、証券・信託の銀行ほど見えない効果」(日経BP)
- 「日経ビジネス」2004年2月16日号 No.1229「金融庁検査に対抗、保有株式の売却を加速UFJの優良取引先に激震」(日経BP)