クレディセゾン の歴史

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創業 1951年
創業者 岡本虎二郎
創業地 東京都世田谷区
創業
1951年5月、岡本虎二郎氏が東京都世田谷区で月賦百貨店の株式会社緑屋を設立した。家電・家具・洋服を月賦で売り、毎月の返済を店頭で受け取る、小売と消費者金融が一体の業態である。1963年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、1968年6月には第一部へ指定された。1955年から1965年ごろまでは丸井を上回る日本一の月賦百貨店だったが、関東一円へ小型店を配る出店とホテル内装やボウリングへの多角化で読みを外し、焦付き債権は丸井の2倍に膨らむ。1976年3月に西武百貨店と資本提携してセゾングループの金融中核となり、1980年8月に西武クレジット、1989年10月にクレディセゾンへ商号を改めた。
決断
系列に属さない位置を、そのつど選び直してきた。西武流通グループの金融中核となった一方、カードの品揃えでは特定の国際ブランドに寄らなかった。1988年7月にVISAとMasterCardを載せ、1997年10月にはアメリカン・エキスプレスの発行を担い、4大国際ブランドを揃えている。2004年4月には髙島屋とカード事業で提携し、旧西武の競合であった百貨店とも会員基盤を共有した。2006年1月にはみずほ系UCカードの会員事業会社を吸収合併し、流通系が銀行系を取り込む逆向きの統合で発行枚数を一段引き上げた。
現況
売上の過半はカードだが、利益の半分近くは金融事業が生んでいる。2026年3月期の売上収益5,462億円のうちペイメント事業が2,772億円で過半を占める。一方セグメント利益は、個人向け融資と信用保証のファイナンス事業473億円がペイメント事業306億円を上回った。不動産関連192億円を加えると、カード以外が利益の3分の2にあたる。この構成は2009年3月期の連結純損失555億円を境に定まった。貸金業法改正にともなう過払金返還とリーマンショックが重なり、国内カードの量的成長に限界が見えたためである。以後は海外で加盟店網ではなく現地融資そのものを収益源に選び、2018年6月にインドで設立したKisetsu Saison Financeを含むグローバル事業へ広げている。
競合
同じ月賦百貨店から出た丸井とは、系列との距離で道が分かれた。丸井は中央線沿線へ大型店を密に置き、自前のカードで小売から金融へ収益源を移したのに対し、緑屋は西武の傘下で流通系カードの基幹会社となった。ただしセゾンは系列の内側にとどまらず、2004年8月にはみずほとの提携を資本非関与に留め、連結子会社化の打診も受け入れていない。銀行系の三井住友カード・JCB・三菱UFJニコスが会員数で先行するなか、どの資本にも属さない位置が、系列の異なる百貨店・家電量販店と提携カードを重ねる条件を作った。
クレディセゾン:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 月賦百貨店「緑屋」から流通系カード会社セゾンへの転換 (1951年〜)

小売と消費者金融が一体だった月賦百貨店時代

1951年5月、岡本虎二郎が東京で月賦百貨店『株式会社緑屋』を設立[1]した[2]。月賦百貨店は戦後の耐久消費財普及を下支えする業態で、月賦で家電・家具・洋服などを販売し、丸井・丸興・緑屋・キング商会が全国各地で店を構えた。顧客は手形・月賦契約で商品を受け取り、毎月の返済を店頭で支払う仕組みで、小売と消費者金融が一体化した業態である。岡本は1963年に『当社がここまで伸びたのも、いろいろ批判してくれたお客様に育てられたと思っています』[引用元](マネービル 1963/07)と30歳前後以下の若年層中心の顧客基盤を説明した。緑屋は1963年7月に東京証券取引所市場第二部に上場[3]、1968年6月には市場第一部に指定され[4]、高度成長期の消費者信用ビジネスの担い手として規模を拡大した。1970年9月には株式会社西武情報センター[5](現・セゾンテクノロジー)を設立し、カード処理システムを内製化する体制を整えた。

  • クレディセゾン 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1951年5月 岡本虎二郎が月賦百貨店「株式会社緑屋」を東京で設立
    • [3]1963年7月 緑屋が東京証券取引所市場第二部に上場
    • [4]1968年6月 緑屋が東京証券取引所市場第一部に指定
    • [5]1970年9月 株式会社西武情報センター(現・セゾンテクノロジー)を設立
  • マネービル(1963年7月)
    • [2]緑屋の設立者は岡本虎二郎

月賦販売そのものは、緑屋の創業より前から戦後の消費を支えていた。1949年10月には、インフレが物々交換を生み金詰まりが月賦を生んだとして、ミシンやラジオといった家庭がぜひ欲しい器具の月賦販売が再び増えている実情が紙面で取り上げられ、必需品以外に手を出すのは避けたほうがよいという注意も添えられた[6]。信用の裏付けが乏しい時代の割賦は、売る側にとっても買う側にとっても危うい取引だった。1957年には、渋谷駅前の月賦販売店で洋服三点の契約を結んだ翌日、自宅の周辺一帯が支払不良の地域にあたるという理由だけで契約を取り消され、払った代金を返された女性の憤りが投書欄に載っている[7]。個人の返済能力ではなく居住地で与信を切る運用がまかり通っていたわけで、緑屋が広げていったのはこうした荒削りな消費者信用の市場である。

  • 読売新聞(1949年10月13日)
    • [6]1949年10月時点でミシン・ラジオなど家庭用器具の月賦販売が再び増加し、必需品以外は避けるよう注意が添えられた
  • 読売新聞(1957年)
    • [7]1957年、渋谷駅前の月賦販売店で洋服三点の契約が翌日に取り消され、近所一帯が支払不良地域であることを理由に代金が返された(読者投書)

1970年代半ば、月賦百貨店という業態はショッピングセンター・総合量販店の台頭に押されて頭打ちに近づいた。1976年3月、緑屋は株式会社西武百貨店と資本提携し[8]、セゾングループの傘下に組み込まれた。丸井が月賦百貨店から独自にクレジットカード会社へ転身したのとは対照的に、緑屋は堤清二が率いる西武セゾングループのクレジット・ファイナンス基幹会社という役割を担った。1979年11月にはミドリヤファイナンス株式会社(旧アトリウム)を設立し[9]、不動産ファイナンス事業の源流が形づくられた。月賦百貨店を母体にセゾン流通グループの金融中核という性格の輪郭が見えた。

  • クレディセゾン 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
    • [8]1976年3月 緑屋が株式会社西武百貨店と資本提携しセゾングループ傘下に組み込まれた
    • [9]1979年11月 ミドリヤファイナンス株式会社(旧アトリウム)を設立
  • クレディセゾン 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1951年5月 岡本虎二郎が月賦百貨店「株式会社緑屋」を東京で設立
    • [3]1963年7月 緑屋が東京証券取引所市場第二部に上場
    • [4]1968年6月 緑屋が東京証券取引所市場第一部に指定
    • [5]1970年9月 株式会社西武情報センター(現・セゾンテクノロジー)を設立
    • [8]1976年3月 緑屋が株式会社西武百貨店と資本提携しセゾングループ傘下に組み込まれた
    • [9]1979年11月 ミドリヤファイナンス株式会社(旧アトリウム)を設立
  • マネービル(1963年7月)
    • [2]緑屋の設立者は岡本虎二郎
  • 読売新聞(1949年10月13日)
    • [6]1949年10月時点でミシン・ラジオなど家庭用器具の月賦販売が再び増加し、必需品以外は避けるよう注意が添えられた
  • 読売新聞(1957年)
    • [7]1957年、渋谷駅前の月賦販売店で洋服三点の契約が翌日に取り消され、近所一帯が支払不良地域であることを理由に代金が返された(読者投書)

丸井に追い抜かれた緑屋と西武流通グループ入り

1955年から1965年ごろにかけて、緑屋は丸井を上回る日本一の月賦百貨店だった[10]。両社を分けたのは店舗の打ち方である。丸井が大型店による総合月賦百貨店化を掲げて中央線沿線に密度の高い網を敷いたのに対し、緑屋は全国チェーン化を目指して関東一円へ小型店を配置した[11]。扱う商品でも差がついた。丸井は1970年から貴金属やスポーツ用品など利益率の高い品目を増やして若年層向けの路線を打ち出したが、緑屋はホテルの室内装飾工事、ボウリング、住宅の仲介斡旋へと多角化を進めた[12]。出店と品揃えの両方で読みを外し、さらに焦付き債権が丸井の二倍に膨らんで財務を圧迫した[13]

  • Decide(1987年)
    • [10]1955年から1965年ごろまで緑屋は丸井を上回る日本一の月賦百貨店だった
    • [11]丸井は大型店による総合月賦百貨店化で中央線沿線に密度の高い店舗網を敷き、緑屋はナショナルチェーン化を目指して関東一円に小型店を配置した
    • [12]丸井は1970年から貴金属・スポーツ用品など高利益率商品でヤング路線を打ち出したのに対し、緑屋は室内装飾工事・ボウリング・住宅仲介へ多角化した
    • [13]緑屋は店舗展開と扱い商品の失敗に加え、丸井の2倍という焦付き債権が財務を圧迫した

1969年に42店舗まで広げた店舗網は、不採算店の閉鎖によって1976年には30店舗まで絞られ、衣笠や茂原を畳む一方で八戸や千葉には投じるという入れ替えが続いていた[14]。西武百貨店との資本提携が伝えられた当時、丸井は長く競ってきた緑屋の地盤沈下を惜しみつつ、西武流通グループの総合力で立ち直ってくれればこちらの励みにもなると余裕をもって受け止めている[15]。月賦販売は傍目に見えるほど容易な商売ではなく、西武といえども簡単に扱えるものではないという見方も強かった[16]

  • 日経ビジネス 1976年5月24日号
    • [14]緑屋は1969年の最高時42店舗から衣笠・茂原・志村などを閉鎖して1976年時点で30店舗に減らし、八戸・千葉は拡大した
    • [15]丸井は緑屋の地盤沈下を残念としつつ、西武流通グループの総合力で立ち直れば自社の励みにもなると受け止めていた
    • [16]月賦販売は端で見るほど楽な商売ではなく、西武といえども簡単には取り組めないとの見方が強かった
  • Decide(1987年)
    • [10]1955年から1965年ごろまで緑屋は丸井を上回る日本一の月賦百貨店だった
    • [11]丸井は大型店による総合月賦百貨店化で中央線沿線に密度の高い店舗網を敷き、緑屋はナショナルチェーン化を目指して関東一円に小型店を配置した
    • [12]丸井は1970年から貴金属・スポーツ用品など高利益率商品でヤング路線を打ち出したのに対し、緑屋は室内装飾工事・ボウリング・住宅仲介へ多角化した
    • [13]緑屋は店舗展開と扱い商品の失敗に加え、丸井の2倍という焦付き債権が財務を圧迫した
  • 日経ビジネス 1976年5月24日号
    • [14]緑屋は1969年の最高時42店舗から衣笠・茂原・志村などを閉鎖して1976年時点で30店舗に減らし、八戸・千葉は拡大した
    • [15]丸井は緑屋の地盤沈下を残念としつつ、西武流通グループの総合力で立ち直れば自社の励みにもなると受け止めていた
    • [16]月賦販売は端で見るほど楽な商売ではなく、西武といえども簡単には取り組めないとの見方が強かった

セゾンカウンターで業界常識を覆した店頭即時発行

1980年8月、緑屋は株式会社西武クレジットへと商号変更[17]し、同時に株式会社志澤と合併した。月賦百貨店時代の看板を外し、1981年6月にセゾングループのクレジット・ファイナンス基幹会社として再スタートしたことで、会社の主戦場は月賦販売からクレジットカードへと移った。[18]1982年8月には西武カード(現・セゾンカード)の発行[19]を始め、西武百貨店・PARCO・LIBRO・ロフトといったセゾン流通グループの店舗に併設したセゾンカウンターで即時発行するモデルを全国へ広げた。当時のカード会員募集は郵送による審査・郵送による発行が一般的で、申込から手元に届くまで数週間を要するのが業界の常識であり、百貨店・流通各社の発行するハウスカードもおおむね同じ運用だった。

  • クレディセゾン 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1980年8月 緑屋が株式会社西武クレジットへ商号変更し株式会社志澤と合併
    • [18]1981年6月 セゾングループのクレジット・ファイナンス基幹会社としてスタート
    • [19]1982年8月 西武カード(現・セゾンカード)の発行を開始

セゾンカウンターはこの常識を覆した。駅や店舗に併設した拠点でその場で審査し、カードを即時発行するモデルは業界で異例の手法であり、流通系カードとしての会員基盤を短期で広げる仕組みとして働いた。西武百貨店・PARCOといったセゾングループ店舗の来店客を、その流れのままカード会員へ取り込む導線が定着し、1984年2月には株式会社西武抵当証券(現・セゾンファンデックス)を設立して不動産担保ローン事業にも進出した。[20]月賦百貨店から始まった会社は、この数年で流通密着型カード会社という独自のポジションを自前の仕組みで築いた。ハウスカードを配るだけの流通系の立ち位置を抜け出し、発行スピードと店頭導線を武器にする新しい型のカード会社の輪郭が、ここで固まった。

  • クレディセゾン 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1984年2月 株式会社西武抵当証券(現・セゾンファンデックス)を設立し不動産担保ローン事業に進出
  • クレディセゾン 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
    • [17]1980年8月 緑屋が株式会社西武クレジットへ商号変更し株式会社志澤と合併
    • [18]1981年6月 セゾングループのクレジット・ファイナンス基幹会社としてスタート
    • [19]1982年8月 西武カード(現・セゾンカード)の発行を開始
    • [20]1984年2月 株式会社西武抵当証券(現・セゾンファンデックス)を設立し不動産担保ローン事業に進出

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クレディセゾンの沿革1951〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1951〜1987年月賦百貨店「緑屋」から流通系カード会社セゾンへの転換緑屋を設立
東京証券取引所市場第二部に上場
東京証券取引所市場第一部に指定
西武情報センターを設立
緑屋の西武百貨店との資本提携と西武流通グループ入り

1976年、月賦百貨店業界2位の緑屋が西武百貨店と資本提携し、堤清二氏が率いる西武流通グループ(後のセゾングループ)の傘下に入った経営判断。同年4月28日の株主総会・取締役会で創業者の岡本虎二郎氏が代表権のない会長へ退き、西武百貨店副社長の坂倉芳明氏が新社長に就いた。

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★★★
ミドリヤファイナンスを設立
西武クレジットに商号変更、志澤と合併★★
セゾングループのクレジット・ファイナンス基幹会社として発足
西武カード発行、セゾンカウンターの全国展開を開始★★
1988〜2013年国際ブランド搭載とUCカード統合による業界再編の主導セゾンVISA・MasterCardインターナショナルカード発行★★
クレディセゾンに商号変更
アフィニティ(提携)カード事業に参入
セゾンJCBインターナショナルカード発行
セゾン・アメリカン・エキスプレス・カードの発行と4大国際ブランド体制の完成

1997年秋、クレディセゾンがアメリカン・エキスプレス(アメックス)と提携し、『セゾン・アメリカン・エキスプレス・カード』を発行した経営判断。すでにVISA・MasterCard・JCBと提携済みだったクレディセゾンは、アメックスを加えて4大国際ブランドをすべて自社会員に提供する体制を整えた。

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★★★
林野宏髙島屋とのカード事業提携と「系列を超えた等距離政策」

2004年、流通系カード首位のクレディセゾンと百貨店最大手の髙島屋がカード事業で資本・業務提携した経営判断。クレディセゾンは髙島屋の全額出資カード子会社・髙島屋クレジットの株式10%を取得し、髙島屋はクレディセゾン株の一部を保有した。旧西武百貨店のライバルと組む『脱セゾン』の一手であった。

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★★★
林野宏みずほとの提携を資本非関与に留めた独立路線の堅持

2004年8月、クレディセゾンはみずほフィナンシャルグループおよびUCカードとカード分野で戦略的業務提携を結んだ。ただし資本関係を一切含めず、後年のみずほによる連結子会社化の打診も林野宏社長は固辞した。メガバンク傘下入りを避け、独立系カード会社として自らの意思で進む路線を堅持した経営判断。

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★★★
林野宏ユーシーカード(UC会員事業会社)を吸収合併★★
林野宏セゾン投信を設立
林野宏連結純損失▲555億円に転落★★
林野宏セブンCSカードサービスを設立
2014〜2022年海外レンディング事業と独自経済圏戦略への軸足移動林野宏Credit Saison Asia Pacific Pte. Ltd.を設立
林野宏HD Financeに資本参加
林野宏Kisetsu Saison Finance (India) Pvt. Ltd.(Credit Saison India)を設立
山下昌宏林野宏社長から山下昌宏COO体制へ移行
水野克己水野克己が代表取締役社長執行役員COOに就任
水野克己スルガ銀行に資本参加(持分法適用会社化)★★
水野克己新中期経営計画(FY24-26)を発表、連結事業利益FY26目標1,000億円
水野克己連結事業利益936億円・過去最高益を更新
出典・参考
  • クレディセゾン 有価証券報告書 第75期(2025年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1976年5月24日号
  • 読売新聞(1949年10月13日)
  • 読売新聞(1957年)
  • マネービル(1963年7月)
  • Decide(1987年)

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