リース業は第二次世界大戦後の米国で生まれ、金融機能を営む会社としては1952年にUSリーシング社が設立された[1]。日本でリース会社が初めて設立されたのは1963年[2]で、オリエント・リースが設立準備のためリースの研究に着手したのは1962年[3]である。1964年4月17日、日綿実業・日商・岩井産業の三商社と、三和銀行・東洋信託銀行・日本勧業銀行・神戸銀行・日本興業銀行の五銀行[4]が資本金1億円を持ち寄り[5]、大阪市中央区高麗橋にオリエント・リース株式会社を設立した[6]。設立にあたっては米国のUSリーシング社と提携し[7]、リース業の実体と経営のノウハウについて資料と意見の提供を受けている。
初代社長は日綿実業社長の福井慶三氏が兼任し[8]、実務は専任副社長の乾恒雄氏が引っ張った[9]。乾氏は1933年3月に慶應義塾大学経済学部を卒業して三十四銀行(現・三和銀行)へ入行[10]し、1963年5月に取締役ニューヨーク支店長、1964年4月にオリエント・リース代表取締役副社長、1967年8月に社長へ昇格している[11]。創業時のメンバー13人は、出資者である三和銀行、日綿実業、日商、岩井産業[12]から集められた。乾氏は三和銀行出身という出自を自ら捨てて独立路線を採り、設立から22年後の1986年には従業員が約1150人まで増え、その3分の1を中途入社者が占めた[13]。
のちに社長となる宮内義彦氏は、設立前の提携先である米国のUSリーシングへ研修生として派遣されてリースの実務を学び、帰国と同時に設立準備委員会へ送り込まれた[14]。関西学院大学商学部を卒業したのち米国ワシントン大学の経営学部大学院に留学してMBAを取得しており、社内では32歳で取締役社長室長[15]に就いている。創立から3年目には出向社員をすべて親会社へ帰し[16]、プロパー社員だけの体制へ切り替えている。
1970年4月、オリエント・リースは大阪証券取引所市場第二部へ株式を上場した[17]。上場時の資本金は4億円で、その後5,000万円の公募と2割の無償交付を経て、1971年には5億4,000万円[18]へ積み増している。名古屋証券取引所の上場は2004年10月に廃止[19]している。
伸び方は急で、1964年9月期に500万円だった売上高は1970年9月期に92億9,000万円まで増え[20]、同期のリース契約高は252億9,000万円に達して、契約高の伸び率は低い年で約50%、高い年で85%を示した[21]。1968年後半からは後発のリース会社が相次いで生まれ、1969年4月に昭和リース、同年5月に芙蓉総合リースとセントラル・リース、同年7月にセンチュリー・リーシング・システムが発足[22]して、1971年初めの国内には20社近くのリース会社が並んだ[23]。宮内氏は当時、先発と後発の入り乱れる競争を見込みながら、業界全体は大きく伸びるとの見通しを述べている[24]。
貸与資産の法定償却が定率法で先行する日本基準では期間損益が実態を映さないためで、1970年9月期の税引利益3億600万円は、米国方式による試算では7億1,700万円になった[25]。1株当たり利益も34円から70円[26]へ開いた。連結の対象は出資比率50%以下の関連会社にも及び、監査は米国の会計事務所アーサー・アンダーセン[27]が担っている。創立4年目の1968年9月期から10年続けて増益を果たし、1977年9月期の経常利益は61億円と前年比57%増[28]だった。
海外へは、1971年9月に香港でOrient Leasing (Hong Kong) Ltd.を設立[29]したのを皮切りに、1973年9月にマレーシア、1975年4月にインドネシア、1981年8月に米国、1986年7月に豪州へ拠点を置いた[30]。
取扱物件も広げ、1973年6月にオリエント・オート・リース(現・オリックス自動車)、1976年9月にオリエント測器レンタル(現・オリックス・レンテック)、1979年6月にファミリー信販(現・オリックス・クレジット)を設けている[31]。飛行船事業は1974年に西ドイツから飛行船を買って全額出資で興し、4億〜5億円を投じたところで飛行船が事故に遭い、追加の20億円を投じる道を採らずに撤退している[32]。
海外関連会社は1977年9月期末で7社を数え、うち6社が経常損益で黒字を計上し、進出から7年で海外のリース収入はグループ全体の20%[33]を占めた。1977年3月末のリース資産残高は2,378億円で、日本リースの50%強[34]にあたる。1984年9月期のリース契約高は7,000億円を超えて業界首位[35]に立った。
1980年12月、45歳の宮内義彦氏が乾恒雄氏に代わって社長へ就き、乾氏は会長へ退いた[36]。1984年9月期のリース契約高は7,000億円を超えて業界首位だったが、地方銀行や信用金庫の新規参入による料率競争で売上高経常利益率は2%台まで落ちていた[37]。1984年度には金融と住宅ローンの契約高が本業のリースを上回り、リースの比率は4割[38]を切った。宮内氏はリースという社名はふさわしくないと述べ、リースを核とする金融サービス業への変身[39]を掲げている。連結経営、多角的な金融サービス企業への脱皮、収益と内容の重視という3点[40]が、1980年代の経営の基本目標だった。
1985年の新会社設立に続けて事業の拡張にはM&Aを使い、1986年3月に大阪市岡証券(のちのオリックス証券)へ資本参加して証券業へ入り、1987年にトーシキインテリア(現・オリックス・インテリア)、1988年10月にはプロ野球球団の阪急ブレーブスを買収している[41]。買収の物差しは規模の抑制だった。リスクを避ける手立ては同じ業態で相対的に上位にいることで、多角化した別の事業は浮袋[42]にあたると考えていた。
1989年4月、創立25周年に合わせてオリエント・リースはオリックス株式会社へ商号を変更し、グループ全体で新CIを導入した[43]。リース会社の一言では実態を語れなくなったためで、金融サービスを中心に据える[44]と社名そのもので示した。翌1990年7月には日本初の先物投資運用専門会社オリックス・コモディティーズを設立した[45]。1991年3月にはアイルランドでORIX Aviation Systems Limitedを設立して航空機リースの拠点を置き[46]、同年4月にオリックス・オマハ生命保険(現・オリックス生命保険)で生命保険業へ参入した[47]。
1997年の山一證券の破綻で経営難に陥った山一信託銀行を、1998年4月に買収して信託銀行業[48]へ入った。
1998年9月、オリックスはニューヨーク証券取引所(NYSE)へ株式を上場し[49]、日本の金融サービス会社として海外の資本市場に初めて加わった。上場前の事業構成は、各種リースから金融・証券・保険、自動車教習所やホテル経営まで抱える間口の広いものだった[50]。
上場は組織の作り替えと一体で、1998年6月に執行役員制度を導入し、1999年6月には社外取締役の選任と指名・報酬委員会の設置を実施している[51]。
https://the-shashi.com/api/companies.json https://the-shashi.com/api/8591/manifest.json https://the-shashi.com/api/8591/history.json https://the-shashi.com/api/8591/timeline.json https://the-shashi.com/api/8591/executives.json https://the-shashi.com/api/8591/shareholders.json https://the-shashi.com/api/8591/financials.json https://the-shashi.com/api/8591/financials-longterm.json https://the-shashi.com/api/8591/segments.json https://the-shashi.com/api/8591/regions.json https://the-shashi.com/api/8591/workforce.json | 時代 | 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|---|
| 1964〜1984年米国から輸入したリース業を根づかせ、独立経営の足場を固めるまで | オリエント・リース設立 | ★ | ||
| 東京支店を開設 | ★ | |||
| 乾恒雄 | 株式額面変更目的で同名会社に吸収合併 | ★ | ||
| 乾恒雄 | 大阪証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 乾恒雄 | Orient Leasing(Hong Kong)Ltd.設立 | ★ | ||
| 乾恒雄 | 日本企業初のアジアダラー債を発行 | ★ | ||
| 乾恒雄 | オリエント・オート・リース設立 | ★ | ||
| 乾恒雄 | ファミリー信販設立 | ★ | ||
| 宮内義彦 | 宮内義彦氏が社長に就任(第3代) | ★ | ||
| 1985〜1999年リース専業からの脱皮と、ニューヨーク上場という自己規律 | 宮内義彦 | バジェット・レンタカー設立 | ★ | |
| 宮内義彦 | 証券会社に資本参加 | ★ | ||
| 宮内義彦 | プロ野球球団・阪急ブレーブスを取得 | ★★ | ||
| 宮内義彦 | リース専業からの脱皮と金融サービス業への多角化 1985年から1989年にかけて、社長の宮内義彦氏がリース専業のオリエント・リースをM&Aで多角化し、1989年の商号変更で総合金融サービス企業へ主軸を移した経営判断。証券・不動産・インテリアからプロ野球球団まで、本業の周辺へ連続して参入した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 宮内義彦 | アイルランドにORIX Aviation Systems Limited設立 | ★★ | ||
| 宮内義彦 | オリックス・オマハ生命保険設立 | ★★ | ||
| 宮内義彦 | 山一信託銀行を買収 | ★★ | ||
| 宮内義彦 | NYSE上場で会社を「外から律する」 1998年9月、オリックスはニューヨーク証券取引所に株式を上場し、日本の金融サービス会社として海外の資本市場に初めて加わった。宮内義彦社長は、厳しい米国の会計基準と情報開示に自社を晒し、外部の目で経営を律する道具として上場を用いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 宮内義彦 | 社外取締役選任、指名・報酬委員会設置 | ★ | ||
| 藤木保彦 | 藤木保彦氏が社長に就任(第4代) | ★ | ||
| 藤木保彦 | 委員会等設置会社へ移行 | ★ | ||
| 藤木保彦 | 近鉄バファローズとの球団統合とプロ野球再編 2004年6月、オリックスはパ・リーグの傘下球団オリックス・ブルーウェーブに、経営難の大阪近鉄バファローズを統合することで合意した。統合は史上初の選手会ストと新規参入問題へ発展し、最終的にセ・パ12球団の二リーグ制が維持された。宣伝装置としての球団経営を事業として問い直した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤木保彦 | Houlihan Lokeyを買収 | ★★ | ||
| 梁瀬行雄 | 梁瀬行雄氏が社長に就任(第5代) | ★ | ||
| 梁瀬行雄 | 中国本社(欧力士投資有限公司)設立 | ★ | ||
| 2010〜2025年融資から事業投資への転換と、出入りを繰り返す事業構成 | 井上亮 | 井上亮氏が社長就任(第6代) | ★ | |
| 井上亮 | 蘭ロベコの2400億円買収による資産運用への本格進出 2013年2月19日、オリックスが、オランダの協同組合系金融大手ラボバンク傘下の資産運用会社ロベコ(Robeco Groep N.V.)の株式約90%を約19億3,500万ユーロ(約2,400億円)で取得する契約を締結したと発表した経営判断。同年7月1日に買収を完了し、買収額はオリックス史上最高、当時の日本企業による買収では最大級となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 井上亮 | リース・融資から自己資金の事業投資への業態転換 リーマンショック後、オリックスは借り入れで利益を膨らませる融資(デット)中心の商売から、自己資金を投じてリターンを狙うエクイティ型の事業投資へ大きく転じた。旅館やホテルの運営、中堅企業への出資まで幅を広げ、リースの草分けが『事業投資会社』へと業態そのものを組み替えた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 井上亮 | ハートフォード生命保険を買収 | ★★ | ||
| 井上亮 | 関西エアポートを仏VINCI Airportsと共同設立 | ★★ | ||
| 井上亮 | マンション大手・大京のTOBによる完全子会社化 2018年10月26日、オリックスが議決権の7割弱を握る上場子会社のマンション大手・大京に対し、完全子会社化を目的とするTOB(株式公開買付け)の実施を発表した経営判断。買付価格は前日終値に3割弱を上乗せした1株2970円、総投資額は約770億円で、同年12月にTOBが成立、大京は2019年1月に上場廃止となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 井上亮 | Elawan Energy S.L.を買収 | ★★ | ||
| 井上亮 | 通期当期純利益3,173億円を計上 | ★ | ||
| 井上亮 | オリックス・クレジット株式66%をNTTドコモに譲渡 | ★ | ||
| 髙橋英丈 | 髙橋英丈氏が社長兼COOに就任(第7代) | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(オリックス)