東京センチュリーリーマン破綻の2週間後に決めた東京リースとの合併

総資産1兆1,580億円の相手を、総資産8,459億円の会社が存続会社として迎えた

時期 2008年9月
意思決定者(推定) 新居尊夫(センチュリー・リーシング・システム社長)・浅田俊一 東京リース社長
論点 業界再編と事業規模
概要
2008年9月29日、センチュリー・リーシング・システムと東京リースが2009年4月1日付で合併する基本合意を発表した。リーマン・ブラザーズの破綻から2週間後の発表であった。2009年1月23日に合併契約を締結し、同年4月1日に東京センチュリーリースが発足した。
背景
2009年3月期からリース取引の資産計上が義務づけられ、リース市場は縮小に向かっていた。国際的な金融・資本市場の混乱と設備投資意欲の後退も重なり、業態を超えた競合が激しくなっていた。
内容
合併比率は東京リース1株に対しセンチュリー・リーシング・システム0.85株。存続会社はセンチュリー・リーシング・システムだが、発行株式54,498,620株の割当により合併後の議決権比率は東京リース側51.0%・存続会社側49.0%となり、会計処理は持分プーリング法が適用された。
含意
引き継いだ資産合計1兆1,580億円は、存続会社の総資産8,459億円を上回った。合併後の連結総資産は2012年3月期に2兆2,603億円、経常利益は463億円へ拡大し、2016年10月には社名から「リース」を外して東京センチュリーへ改称した。
筆者の見解

比率を空けたまま握手した2週間

この合併で目を引くのは、順番の妙にある。リーマン・ブラザーズが破綻したのが2008年9月15日、基本合意の発表が9月29日。株式交換比率は未定のままで、合意したのは統合するという事実と、存続会社と新社名だけであった。比率を先に固めていれば、10月に最低480円まで売られた株価のもとで交渉はほぼ確実にもつれた。決めるべきことを絞り、決められないことを後へ回した進め方が、危機のさなかに枠組みだけを残した。

もう一つは、存続会社が議決権の49.0%しか持たなかったという事実である。引き継いだ資産1兆1,580億円は自社の総資産8,459億円より大きく、規模では飲み込まれる側にあった。それでも法形式の存続会社の座と、社名の後半を取っている。社長には相手側の浅田俊一氏が就き、会長には自社の新居尊夫氏が回った。合併から13年後、浅田俊一会長は、2009年春に全社員へ配った置き時計がいまも執務室の机にあると書いている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

会計基準の変更で縮み始めた国内リース市場

リース会計は2009年3月期に基準が変わり、リース取引の資産計上が義務づけられた。借り手が資産と負債を貸借対照表に載せることになれば、設備を持たずに使うというリースの利点は薄れる。金融緩和で企業の資金調達コストも下がり、借入で設備資金を賄える環境が続いていた。リース取扱高はピーク時の8兆円規模から10年でほぼ4割減り、設備投資に占めるリースの利用率も10%程度から6%程度へ落ちた[1]

会社側の環境認識も同じであった。2009年3月期の有価証券報告書は、業態を超えた競合が激しくなるなかで米国に端を発する国際的な金融・資本市場の混乱、景況感の後退による設備投資意欲の減退、新リース会計基準の適用開始が重なり、リース業界が大きな変革期を迎えていると記している。一方で導入から廃棄までの「モノ」のライフサイクルに関する外部委託需要と、中堅・中小企業の底堅い資金需要は残るとも見ていた[2]

単独では届かない規模と、株主が送り込んだ2人の社長

センチュリー・リーシング・システムの2009年3月期の連結売上高は2,667億円、経常利益98億円、総資産8,459億円で、いずれも前期から縮んでいた。契約実行高は6.2%減の3,129億円、営業資産残高も0.5%減の7,270億円である。自己資本比率は7.2%まで改善していたが、業界の上位はメガバンクの系列を背に兆円単位の資産を抱える会社が占めており、単独で規模を追う道は細かった[3]

両社の社長は、いずれも大株主から送り込まれた経営者であった。センチュリー・リーシング・システムの新居尊夫社長は日本生命保険で代表取締役副社長を務めた後、2007年6月に同社社長へ就いた。東京リースの浅田俊一社長は第一勧業銀行に入り、みずほフィナンシャルグループ取締役副社長を経て2007年6月に東京リース代表取締役副社長、2008年4月に社長となっている。浅田氏が社長に就いて5カ月後に、基本合意が発表された[4]

決断

2008年9月29日、比率を決めないままの基本合意

リーマン・ブラザーズが破綻したのは2008年9月15日であった。その2週間後の9月29日、センチュリー・リーシング・システムと東京リースは2009年4月に合併する基本合意を発表した。存続会社はセンチュリー・リーシング・システム、新会社名は東京センチュリーリースとする予定とされ、株式交換比率はこの時点で未定であった。世界の金融市場が最も荒れた週に、比率を空欄にしたまま統合の枠組みだけを先に公表した発表であった[5][6]

相場はその後さらに崩れた。センチュリー・リーシング・システムの株価は2008年10月に最高936円・最低480円をつけ、月内で半値近くまで振れている。2009年2月には最低502円、3月には最低504円で、基本合意の前後を通じて公募価格800円を下回る水準に沈んだままであった。株価がここまで動くなかで比率を先に決めていれば、どちらかの株主が納得しない交渉になっていた可能性が高い[7]

0.85という比率と、49.0%という議決権

合併比率が決まったのは2009年1月23日の取締役会であった。東京リースの普通株式1株に対してセンチュリー・リーシング・システム株0.85株を割り当てる。算定の公正を期すため、センチュリー側はPwCアドバイザリー、東京リース側はKPMG FASを第三者評価機関に任命し、それぞれ受け取った算定結果を参考に交渉して合意している。合併契約は同日締結され、2009年2月25日の臨時株主総会で両社の承認を得た[8]

割り当てた新株は54,498,620株にのぼり、合併後の議決権比率は東京リース側51.0%、存続会社側49.0%となった。法形式では吸収する側でありながら、議決権では半分を割る。引き継いだ資産合計は1兆1,580億円、負債合計1兆1,048億円、純資産531億円で、資産規模では消滅会社のほうが存続会社の8,459億円を上回っていた。会計処理は対価要件・議決権比率要件などを検討したうえで持分の結合と判断され、持分プーリング法が適用された[9][10]

結果

総資産2兆円と、経常利益463億円

合併後の会社は、みずほフィナンシャルグループ・伊藤忠商事・日本生命保険・朝日生命保険を大株主に持つ業界上位のリース会社となった。2009年4月に定めた2009年度の連結目標は営業利益245億円・経常利益270億円・当期純利益150億円で、合併前の2009年3月期に経常利益98億円だった会社の目標としては3倍に近い水準であった。人事は旧東京リースの浅田俊一氏が社長、旧センチュリー側の新居尊夫氏が会長に就いた[11]

数字は3年で目標を追い抜いた。2012年3月期の連結売上高は7,163億円、営業利益419億円、経常利益463億円、親会社株主に帰属する当期純利益262億円で、連結総資産は2兆2,603億円に達した。合併前と比べれば売上は2.7倍、経常利益は4.7倍、総資産は2.7倍である。基幹システムの一本化は2011年3月に終わり、合併発表から2年半で旧2社の重なりが解かれた[12][13]

みずほの連結対象外という立ち位置

合併で得た規模は、そのまま国内リースの積み増しには向かわなかった。2016年10月、同社は商号から「リース」の3文字を外して東京センチュリーとした。船舶・航空機・エネルギーなど専門知識を要するスペシャルティ分野の経常利益は、2011年3月期には全体の1割にすぎなかったものが2017年3月期には3割まで上がっている。浅田俊一社長は、金融だけでなくサービスと事業のほうへ仕事の重みを移す必要を語った[14]

この転回を可能にしたのは、みずほとの距離であった。三菱UFJリースがMUFGの持分法適用関連会社、三井住友ファイナンス&リースが三井住友フィナンシャルグループの連結子会社であるのに対し、東京センチュリーに対するみずほ銀行の出資比率は4.3%にとどまり、みずほの連結対象外であった。銀行グループの連結対象なら銀行法の業務規制がかかるが、同社は同法の対象外で原則としてどんな業務も営める。合併で作ったのは、規模と自由度の両方であった[15]

出典・参考

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