横浜フィナンシャルグループ の歴史

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創業 2016年
母体 横浜銀行+東日本銀行
創業地 横浜
創業
1920年5月、横浜最大の普通銀行であった七十四銀行が反動恐慌で休業し、同年内に横浜貯蓄銀行も破綻した。地元財界は同年12月、政府・日本銀行の特別融資1,600万円を原資に、役員無報酬・株式無配当という条件で横浜興信銀行を開業させ、破綻両行の不良債権整理を主業に据えた。両替商や旧国立銀行を母体とする多くの地方銀行と違い、危機処理のために設けられた出自である。1927年に左右田銀行、1928年に第二銀行を合併し、1941年の一県一行主義で県内6行を統合して県内唯一の本店銀行となり、1957年に横浜銀行へ改称した。
決断
県外や海外へ広げるより、神奈川一県の中でどれだけ深く貸すかへ戻り続けてきた銀行である。1991年3月末の資金量は10兆1,598億円で地方銀行首位、「すべての面で都銀なみに」を掲げて国際・証券部門を広げていた。だが英ギネス・マーンの不良債権と相場低迷が収益を圧迫し、同年4月に国際・証券部門を国内営業の支援部門へ置き直し、田中敬頭取自らリテール推進本部長に就任した。県内店舗170に対し都銀の支店は約2倍という劣勢は数では覆せず、1996年に県内の全支店を26のエリアへ集約し、地理情報システムで顧客の分布を地図化した。集中は以後も一貫し、2023年には中小企業向け融資に強い神奈川銀行を完全子会社化し、大中堅企業から小規模事業者までを県内で受け持つ3行体制にした。
現況
横浜銀行・東日本銀行・神奈川銀行の3行を中核に、銀行業の単一セグメントで営むグループである。2026年3月期の連結経常収益は4,907億円、純利益は1,065億円だった。収益源は1991年に引き返した神奈川県内の預貸金で、横浜・神奈川2行の県内預金シェアは2024年3月末で36.2%と首位にある。2024年に東日本銀行が横浜銀行とシステムの共同利用を始め、2025年10月にはコンコルディア・フィナンシャルグループから「横浜」を冠する商号へ改めた。2027年度はROE9.0%超・純利益1,200億円超を掲げる。
競合
どこで戦っても相手はメガバンクである。神奈川県内の貸出金シェアは横浜・神奈川2行合算で26.9%にとどまり、メガバンク等が49.9%を握る。預金では首位に立ちながら貸出では半分を都銀に押さえられる構図は、1991年の地元回帰から変わっていない。横浜・東日本2行の貸出金シェアが2.1%どまりの東京都ではメガバンク等が74.4%を占め、1943年の3行合併で千葉県を固めた千葉銀行と2019年に「千葉・横浜パートナーシップ」を結んで補い合う。常陽銀行と足利ホールディングスが統合しためぶきフィナンシャルグループのように県境を越えて規模を作る動きとは別に、神奈川県内で中小企業に誰が貸すかを競争の焦点に置く。
横浜フィナンシャルグループ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 破綻銀行の整理から始まった神奈川の地方銀行 (1920年〜)

七十四銀行破綻と横浜興信銀行の設立

1920年5月、第一次世界大戦後の反動恐慌のさなかに、横浜最大の普通銀行であった七十四銀行が休業した[1]。七十四銀行は1878年に第七十四国立銀行として設立され、生糸売込商を中心に横浜商人の金融機関として40年余り営業した行である。戦後不況による取り付けに耐えられず休業に追い込まれた。同年内には横浜貯蓄銀行も破綻し[2]、横浜の金融秩序は崩壊の危機に直面した。横浜の商業と貿易を支える銀行網が戦後不況の波に飲み込まれ、預金者と地元経済の将来をめぐる不安が広がった。地域金融の再建は地元財界にとって最大の課題となり、政府・日本銀行と地元有力者が連携して新銀行の設立に動いた。

  • 横浜銀行公式サイト
    • [1]1920年5月、戦後反動恐慌のさなかに七十四銀行が休業
    • [2]同年内に横浜貯蓄銀行も破綻

地元財界は預金者救済と地域経済の安定を目的として新銀行の設立に動き、1920年12月16日に横浜興信銀行が開業した。[3]原資は政府・日本銀行による特別融資1,600万円で[4]、役員は無報酬、株式は無配当という異例の条件が付された。通常の銀行業務に加え、破綻した両行の不良債権・不良資産の回収と整理を主業とするサービサー[5]的な銀行として出発した。全国の地方銀行の多くが有力両替商や旧国立銀行を母体とするのに対し、横浜銀行の前身は危機対応のために設けられた銀行で、出自として異色の位置にある。預金者保護と不良債権処理を同時に担う運営は通常の営業収益だけでは成立せず、特別融資の存在が前提となる仕組みだった。

  • 横浜銀行公式サイト
    • [3]1920年12月16日に横浜興信銀行が開業
    • [4]政府・日本銀行による特別融資1,600万円が原資
    • [5]破綻両行の不良債権・不良資産の回収整理を主業とするサービサー的銀行として出発
  • 横浜銀行公式サイト
    • [1]1920年5月、戦後反動恐慌のさなかに七十四銀行が休業
    • [2]同年内に横浜貯蓄銀行も破綻
    • [3]1920年12月16日に横浜興信銀行が開業
    • [4]政府・日本銀行による特別融資1,600万円が原資
    • [5]破綻両行の不良債権・不良資産の回収整理を主業とするサービサー的銀行として出発

昭和期の県内合併と一県一行化の完成

横浜興信銀行は設立後、神奈川県内の銀行を次々と吸収した。1927年に左右田銀行[6]、1928年に第二銀行、1932年に関東興信銀行を合併した。[7]第二銀行は1874年に横浜為替会社を母体として設立された旧・横浜第二国立銀行の後継行で[8]、横浜の金融史における最古の系譜を横浜興信銀行に持ち込んだ。横浜為替会社は1869年設立の日本初の会社組織による金融機関とされ[9]、横浜銀行はこの系譜から『創業151年』と数える場合もある。破綻銀行の整理という出自を抱えながら、横浜の金融史全体を継承する側面を併せ持った。設立から10年余りで県内主要行を束ねる地位に立ったことは、サービサー的な出発点とは異なる通常銀行としての基盤が固まった経緯を示す。

  • 有価証券報告書
    • [6]1927年に左右田銀行を合併
    • [7]1928年4月に第二銀行を合併。横浜貿易銀行・元町銀行は資産に存在せず削除
    • [8]第二銀行の前身は明治7年(1874年)設立の第二国立銀行
  • 横浜銀行公式サイト
    • [9]横浜為替会社は1869年設立の日本初の会社組織による金融機関

1941年には戦時下の一県一行主義政策に基づき[10]、鎌倉銀行・秦野銀行・足柄農商銀行・相模銀行・平塚江陽銀行・明和銀行の県内6行を合併した。[11]1945年に都南貯蓄銀行を合併し、特殊銀行であった横浜正金銀行を除いて神奈川県内唯一の本店銀行となった。[12]25年間で10行以上を合併し、県内金融の一元化を完成させた経緯にあたる。戦時動員期を通じて地方銀行の統合が全国で進むなか、横浜興信銀行は神奈川県金融の中心に位置した。破綻処理機関として生まれた銀行が、名実ともに県内唯一の本店銀行へ転換した。一県一行主義は戦時統制経済の柱の一つで、預金集積と国債消化の効率化を目的とする政策だった。

  • 有価証券報告書
    • [10]1941年に一県一行主義政策で県内6行を合併
    • [11]1941年の県内6行は鎌倉・明和・平塚江陽・相模・秦野・足柄農商
    • [12]横浜正金銀行を除いて神奈川県内唯一の本店銀行となった
  • 有価証券報告書
    • [6]1927年に左右田銀行を合併
    • [7]1928年4月に第二銀行を合併。横浜貿易銀行・元町銀行は資産に存在せず削除
    • [8]第二銀行の前身は明治7年(1874年)設立の第二国立銀行
    • [10]1941年に一県一行主義政策で県内6行を合併
    • [11]1941年の県内6行は鎌倉・明和・平塚江陽・相模・秦野・足柄農商
    • [12]横浜正金銀行を除いて神奈川県内唯一の本店銀行となった
  • 横浜銀行公式サイト
    • [9]横浜為替会社は1869年設立の日本初の会社組織による金融機関

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横浜フィナンシャルグループの沿革1869〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月頭取出来事重要度
横浜為替会社設立
1920〜1956年破綻銀行の整理から始まった神奈川の地方銀行横浜興信銀行設立
左右田銀行と合同★★
第二銀行と合同
県内6行と一挙に合同★★
1957〜2015年高度成長期の地銀トップ到達と公的資金時代横浜銀行に行名変更
東京証券取引所に上場
地方銀行の預金量で全国首位に
第1次オンラインシステム操業開始
第2次オンラインシステム操業開始
横浜ファイナンスを設立
第3次オンラインシステム操業開始
国際・証券部門の不振を受けたリテール重視・地元回帰への転換

1991年、地方銀行で資金量首位の横浜銀行が、バブル期に拡大した国際・証券部門の不振を受け、県内のリテール(小口取引)を軸とする地元回帰へ経営方針を大転換した判断。国内営業と並ぶ収益部門としてきた国際・証券部門を国内営業の支援部門へ位置づけ直し、田中敬頭取が自らリテール推進本部長に就いた。

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★★★
みなとみらいに本社移転
都銀に対抗する26エリア戦略と地理情報システムの導入

1996年、都市銀行のリテール攻勢に対して、横浜銀行が神奈川県内の全支店を26の『エリア』に分け、地理情報システムで顧客の分布を地図に可視化してエリア単位の営業に束ねた戦略。1991年に打ち出した地元重視を、データにもとづく地域密着の仕組みへ組み替えた。

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★★★
優先株式1000億円を発行★★
公的資金2200億円を完済★★
小川是ほくほくFG・NTTデータとシステム共同利用に関する基本契約締結
小川是浜銀ファイナンスを子会社化
小川是浜銀TT証券を子会社化
小川是ほくほくFG・NTTデータとのシステム共同利用を開始
寺澤辰麿横浜銀行と東日本銀行が経営統合に基本合意
2016〜2026年経営統合とグループ再編による横浜フィナンシャルグループ化寺澤辰麿横浜銀行が東京証券取引所上場廃止
寺澤辰麿コンコルディア・フィナンシャルグループ設立★★
川村健一横浜銀行がインドネシアPT Bank Resona Perdaniaの株式30%を取得
片岡達也横浜銀行が神奈川銀行を子会社化★★
片岡達也L&Fアセットファイナンスを子会社化
片岡達也横浜フィナンシャルグループに商号変更
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 横浜銀行公式サイト

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