ふくおかフィナンシャルグループ の歴史

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創業 1877年
母体 福岡銀行+熊本ファミリー銀行
創業地 福岡県福岡市
創業
1877年9月、福岡市に第十七国立銀行が創立され、福岡銀行はこの年を自らの創業年としている。1945年3月、政府の1県1行主義のもとで十七・筑邦・嘉穂・福岡貯蓄の4行が新立合併して福岡銀行が誕生し、資本金2500万円・店舗131カ店で発足した。合併の当日から九州最大であるだけでなく全国地方銀行の預金高でも第1位という、自ら望んで作ったのではない規模を負っていた。地盤の鉄鋼と石炭が戦後復興の主役だった間は預金も伸びたが、与えられた規模は産業が入れ替われば一転して重荷になる性質のものだった。
決断
単独では持てない規模と機能を、他行を統合することで手に入れてきた銀行である。1953年に石炭の斜陽化と銀行史上初とされるストライキで預金高首位を失うと、1955年に日本銀行出身者を頭取に迎え、戦時統合で受け継いだ過大な店舗網と人員を計画経営で削減した。それでも預金の9割超が福岡県内に偏る構図は変わらず、2007年に熊本・長崎の2行と持株会社を作り、本部機能とシステムを県境を越えて共有する形へ組み替えた。以後も2019年に十八銀行、2023年に福岡中央銀行を加え、国策が福岡県内に押し込んだ131カ店は、3県にまたがる4行の店舗網へ組み替えられた。
現況
福岡・熊本・長崎の3県に4つの対面銀行を置く、広域展開型の地域金融グループである。2026年3月期の連結経常収益は6,211億円、純利益は前期721億円から854億円へ伸びた。収益源は2007年以来の統合で広げた預金と貸出で、その外側に、店舗も勘定系も別のデジタルバンク「みんなの銀行」を2021年に開いた。同行の口座は2025年9月末で約140万、黒字化の目安に置く500万口座には遠い。2027年度に純利益1,000億円を掲げるなかで、期限を切られた投資はここだけだ。
競合
競争は、県内で誰に貸すかと、県外で誰の口座を取るかの二層に分かれる。十八銀行との統合は公正取引委員会の審査で2年余り止まり、長崎県内の中小企業向け貸出シェアが約7割に達すると指摘されて、約1,000億円弱の貸出債権を他行へ譲渡してようやく通った。1943年に3行合併で生まれた千葉銀行のように県内を押さえた地銀とは、預金量と収益力を常に並べて見られる。一方、九州の外で口座を増やす場面では店舗も渉外も効かない。みんなの銀行の口座は2027年度目標440万に対し2025年9月末で約140万、残る300万口座の3割をスマホ決済へ広げたメルカリのメルペイとの提携で埋める計画を置いている。
ふくおかフィナンシャルグループ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2009年3月期2026年3月期

設立ストーリー 1県1行主義で生まれた全国首位の巨艦地銀の光と影 (1877年〜)

4行合併で全国預金高首位に立った戦後直後の発足

福岡銀行の前身となる第十七国立銀行は1877年9月に福岡市で創立され[1]、同行はこの年を自らの創業年に定めている。合併4行の中で最大の十七銀行は本店を福岡に置き[2]、筑邦銀行の源流のひとつである柳河銀行は1878年11月に設立された第九十六国立銀行[3]に遡る歴史を持つ。石炭王・麻生太吉氏ら炭鉱事業家が1896年に設立[4]した嘉穂銀行は飯塚市など筑豊の炭田地帯に地盤を持ち、1941年には福岡県南部の農村銀行18行が合併新立して筑邦銀行となった[5]。同じ1941年2月には嘉穂貯蓄・筑豊貯蓄・三池貯蓄の3行が合併[6]し県下唯一の貯蓄銀行である福岡貯蓄銀行が誕生している。戦時統制下の金融再編は県内で先行しており、1県1行主義による合併の下地は早くから整っていた。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]第十七国立銀行は1877年9月に福岡市で創立、福岡銀行はこの年を創業年とする
    • [2]合併4行中最大の十七銀行は本店を福岡に置いた
    • [3]第九十六国立銀行は1878年11月に設立(柳河銀行=筑邦銀行源流)
    • [4]嘉穂銀行は石炭王・麻生太吉ら炭鉱事業家が1896年に設立、筑豊炭田地帯に地盤
    • [5]1941年に福岡県南部の農村銀行18行が合併新立して筑邦銀行となった
    • [6]1941年2月に嘉穂貯蓄・筑豊貯蓄・三池貯蓄の3行が合併し県下唯一の貯蓄銀行・福岡貯蓄銀行が誕生

1945年3月、政府の1県1行主義のもとで十七銀行[7]・筑邦銀行・嘉穂銀行・福岡貯蓄銀行の4行が新立合併し福岡銀行が誕生した。資本金2500万円・店舗131カ店で発足した新銀行は[8]、九州で最大であるだけでなく全国地方銀行の預金高でも第1位[9]につけるという異例の規模だった。福岡県が戦後復興の中核である鉄鋼・石炭の産地を抱えていたため業容は伸び、1948年11月に東京、1951年に下関と大阪、1952年に佐世保、1953年に熊本・人吉・宇部[10]、1954年に長崎と神田と相次いで県外拠点を開いた。1940年代後半を通じて地銀預金高トップの座を守り、戦後復興期の九州経済の成長をそのまま行内に取り込んだ時代だった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [7]1945年3月、1県1行主義のもと十七銀行・筑邦銀行・嘉穂銀行・福岡貯蓄銀行の4行が新立合併し福岡銀行が誕生
    • [8]発足時は資本金2500万円・店舗131カ店
    • [9]発足時、九州最大かつ全国地方銀行の預金高で第1位だった
    • [10]県外拠点開設: 1948年11月東京・1951年下関と大阪・1952年佐世保・1953年熊本/人吉/宇部・1954年長崎と神田
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [1]第十七国立銀行は1877年9月に福岡市で創立、福岡銀行はこの年を創業年とする
    • [2]合併4行中最大の十七銀行は本店を福岡に置いた
    • [3]第九十六国立銀行は1878年11月に設立(柳河銀行=筑邦銀行源流)
    • [4]嘉穂銀行は石炭王・麻生太吉ら炭鉱事業家が1896年に設立、筑豊炭田地帯に地盤
    • [5]1941年に福岡県南部の農村銀行18行が合併新立して筑邦銀行となった
    • [6]1941年2月に嘉穂貯蓄・筑豊貯蓄・三池貯蓄の3行が合併し県下唯一の貯蓄銀行・福岡貯蓄銀行が誕生
    • [7]1945年3月、1県1行主義のもと十七銀行・筑邦銀行・嘉穂銀行・福岡貯蓄銀行の4行が新立合併し福岡銀行が誕生
    • [8]発足時は資本金2500万円・店舗131カ店
    • [9]発足時、九州最大かつ全国地方銀行の預金高で第1位だった
    • [10]県外拠点開設: 1948年11月東京・1951年下関と大阪・1952年佐世保・1953年熊本/人吉/宇部・1954年長崎と神田

1953年の労使紛争と石炭斜陽化、日銀出身頭取の系譜

福岡銀行が曲がり角に立ったのは1953年である。同年7月、銀行史上初とされる従業員ストライキが発生し[11]、労使紛争が経営に動揺を与えた。さらに福岡県経済の中核だった石炭産業はエネルギー革命のなかで衰退に向かい、福岡銀行は地銀預金高首位の座からも退いた[12]。鉄鋼・石炭という戦後復興の主役を地盤とした強みが、エネルギー転換で採算上の負担に転じた局面だった。巨艦であるがゆえに産業構造の激変を受け、戦後地方金融再編の典型例を発足から10年足らずで自ら体現した。労使対立と地場産業の構造転換が同時に経営の根幹を揺さぶり、九州地銀の盟主が初めての構造調整期に入った時代だった。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [11]曲がり角は1953年。同年7月、銀行史上初とされる従業員ストライキが発生
    • [12]石炭産業の衰退とともに福岡銀行は地銀預金高首位の座を退いた

労使問題の解決と経営安定化のため、1955年5月に日本銀行考査役の蟻川五二郎氏が頭取[13]に迎えられた。以後、頭取の座は4代連続で日銀出身者が占め、1995年時点の佃亮二頭取[14]も元日銀理事・営業局長という経歴を持つ。1957年には労使協調が成立し、業績振興3カ年計画・第2次長期計画[15]・1967年からの第3次計画と日銀OBによる計画経営が1960年代まで続いた。並行して1952年には金融機関再建整備法に基づく9割切り捨てを経て資本金を5億5000万円まで引き上げ[16]、戦後整理の後始末も終えた。産業構造の転換に直面した地銀を中央銀行出身者が立て直すという戦後日本の地方金融の典型を、福岡銀行は早期に経験した。

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [13]1955年5月、日本銀行考査役の蟻川五二郎が頭取に就任
    • [14]頭取は4代連続で日銀出身者が占め、1995年時点の佃亮二頭取も元日銀理事・営業局長
    • [15]1957年に労使協調が成立、業績振興3カ年計画・第2次長期計画・1967年からの第3次計画が続いた
    • [16]1952年、金融機関再建整備法に基づく9割切り捨てを経て資本金を5億5000万円に引き上げ
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [11]曲がり角は1953年。同年7月、銀行史上初とされる従業員ストライキが発生
    • [12]石炭産業の衰退とともに福岡銀行は地銀預金高首位の座を退いた
    • [13]1955年5月、日本銀行考査役の蟻川五二郎が頭取に就任
    • [14]頭取は4代連続で日銀出身者が占め、1995年時点の佃亮二頭取も元日銀理事・営業局長
    • [15]1957年に労使協調が成立、業績振興3カ年計画・第2次長期計画・1967年からの第3次計画が続いた
    • [16]1952年、金融機関再建整備法に基づく9割切り捨てを経て資本金を5億5000万円に引き上げ

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ふくおかフィナンシャルグループの沿革1877〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1877〜1954年1県1行主義で生まれた全国首位の巨艦地銀の光と影第十七国立銀行が創立
第九十六国立銀行が設立
嘉穂銀行設立
福岡貯蓄銀行誕生
筑邦銀行新立合併
一県一行主義による県内4行の新立合併と福岡銀行の設立

1945年3月、福岡県下に本店を置いていた十七銀行・筑邦銀行・嘉穂銀行・福岡貯蓄銀行の4行が新立合併し、株式会社福岡銀行が発足した。政府の1県1行主義に沿った統合で、資本金2500万円・店舗131カ店を擁し、九州最大であるだけでなく全国の地方銀行で預金高第1位の規模を持つ銀行が生まれた。

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★★★
東京支店開設
福岡証券取引所に株式上場
外国為替業務取扱開始
増資により資本金5.5億円
従業員ストライキ
1955〜2006年九州面展開とアジアシフトで地銀の形を拡げた時代日本銀行考査役・蟻川五二郎氏の頭取招聘と、4代続く日銀出身頭取の体制

1953年7月の従業員ストライキと石炭産業の斜陽化で業容が足踏みした福岡銀行が、労使問題の解決と経営の安定を図るため、1955年5月に日本銀行考査役の蟻川五二郎氏を頭取に迎えた人事。以後4代にわたり、同行の頭取は日銀出身者が占めることになる。

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★★★
業績振興3カ年計画開始
県・福岡・北九州・久留米市等の指定金融機関に
第3次長期計画開始
久留米事務所開設
北九州本部新設
新本店ビルが竣工
総合オンラインシステム稼働
東京証券取引所・大阪証券取引所第2部に上場
東京証券取引所・大阪証券取引所第1部に指定替え
ロンドン駐在員事務所開設
香港駐在員事務所開設
ニューヨーク駐在員事務所開設
フランクフルト駐在員事務所開設
ソウル駐在員事務所開設
バンコク駐在員事務所開設
プレミアム金利付き定期預金「OH!ホークス」発売
上海駐在員事務所開設
福岡銀行と熊本ファミリー銀行が業務・資本提携の基本合意書を締結★★
2007〜2024年広域持株会社設立から日本初のデジタル銀行開業へ谷正明福岡銀行と熊本ファミリー銀行の共同株式移転による持株会社の設立と、親和銀行の完全子会社化

2007年4月2日、福岡銀行と熊本ファミリー銀行は共同株式移転により持株会社ふくおかフィナンシャルグループを設立し、普通株式を東京・大阪・福岡の3証券取引所に上場した。福岡銀行頭取から初代の取締役会長兼社長となった谷正明氏の主導で、同年10月には長崎県の親和銀行も完全子会社に加え、九州北部3県にまたがる3行体制となった。

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★★★
谷正明親和銀行を完全子会社化する経営統合を実施★★
谷正明親和銀行を完全子会社化
谷正明熊本ファミリー銀行と親和銀行の事業再生・不良債権処理事業を福岡銀行へ吸収分割
谷正明グループ3行のシステム統合が完了
柴戸隆成柴戸隆成氏が社長に就任
柴戸隆成十八銀行との間で、「経営統合に関する基本合意書」を締結★★
柴戸隆成純損失▲543億円に転落★★
柴戸隆成十八銀行との株式交換を行い、十八銀行を完全子会社化★★
柴戸隆成親和銀行と十八銀行の合併により十八親和銀行が発足★★
柴戸隆成みんなの銀行開業★★
五島久五島久氏が社長就任
五島久福岡中央銀行との株式交換を行い、福岡中央銀行を完全子会社化★★
出典・参考
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)

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