1936年4月、創業者の木下政雄氏は神戸三宮に丸糸呉服店[1]を開いた[2]。明石市出身で神戸の呉服店に奉公した経験を踏まえ、呉服反物の卸小売を生業とする個人企業として出発した。屋号の『丸糸』は呉服の縦糸と横糸の和合から取ったもので、『人を信頼し、人から信頼される』[引用元]という相互信頼の理念がこの命名に込められた。創業から12年が経った1948年7月、神戸・灘の支店を質屋に転換した[3]。当時の神戸は戦災で物資が逼迫し、現金需要が膨らむ一方で銀行融資の対象は法人と富裕層に限られていた。質屋は庶民の現金調達の主要な手段であり、丸糸は呉服の小売から質草を担保とする小口金融へ主力を移した。1951年3月に社名を丸糸商店株式会社[4]へ改めた。
戦前の物販業者が戦後の混乱期に質屋へ転じる例は珍しくなかったが、丸糸商店は質屋業を地盤にしたうえで、もう一段の業態転換を行った。1960年3月、神戸元町店の一画で『サラリーマン金融』[5]の試験営業を開始した。物(質草)を取らずに、勤め人の給与所得という将来収入を信用の基礎として小口資金を貸し付ける手法で、当時の銀行業務とも質屋業務とも違う。1961年には大阪梅田と淀屋橋に専業店舗[6]を独立させて開店し、関西の都市部で勤め人を主な顧客とする無担保ローン事業を始めた。呉服商で扱った『反物』と質屋で扱った『質草』は形のある商品だったが、サラリーマン金融が扱うのは形のない『信用』そのものという点で、木下政雄氏の経営は商品の抽象化を一段進めた。
質屋業からサラリーマン金融への重心移行は1960年代から1970年代の20年近くをかけて進んだ。給与振込口座が銀行へ普及する以前の時期で、現金で給与を受け取り、給料日前に現金が不足する勤め人は都市部に多数存在した。丸糸商店は質屋ネットワークを活用して関西を中心に店舗を増やし、無担保小口融資の取扱高を伸ばした。創業者の木下政雄氏は1970年代に長男の木下恭輔氏(当時マルイト社長)を経営に呼び戻して事業承継の準備に入り、業態としての分離・法人化を視野に動いた。質屋業と金融業を別法人として運営する構造が、後のアコム独立につながった。
1978年10月、東京都中央区日本橋で資本金5[7]億円の『アコム株式会社』が設立された[8]。社名は Affection(愛情)、Confidence(信頼)、Moderation(節度)の頭文字を取ったとされ、創業者の木下政雄氏が掲げた『お客さま第一義』の理念を英語表現で再定義した。同年12月、丸糸商店の関連会社マルイトおよびジョイから消費者金融事業の営業権を譲り受け、69店舗の営業網[9]と貸付債権を一括承継した[10]。神戸・大阪を起点に成長した質屋系の小口金融事業者が、本店を東京日本橋に置く全国規模の消費者金融会社として再出発した瞬間である。創業者の木下政雄氏は会長に退き、長男の木下恭輔氏が初代社長となった。
設立翌年の1979年12月、銀座店に業界初の年中無休・24時間稼働ATM[11](現金自動入出金機)を設置した。当時の銀行のATMは平日昼間に稼働時間が限られ、土日祝日や夜間は使えなかった。サラリーマン金融の主たる顧客である勤め人にとって、平日昼間に店舗で借入をすることは時間的に難しい。アコムは銀行が手当てしない時間帯を埋める形で24時間稼働ATMを導入し、給与日前の急な資金需要に応える運用体制を整えた。物理的な店舗網だけでなく、稼働時間という時間軸の差別化を商品化した点で、後の『むじんくん』(自動契約機)に通じる無人化の発想がここに芽生えた。
1983年12月、『貸金業の規制等に関する法律』[引用元](貸金業規制法)の施行に伴い、アコムは貸金業者として関東財務局に登録した[12]。同法はサラ金苦の社会問題化を受けて成立した業法であり、誇大広告の禁止・取立行為の規制・契約書の交付義務などを定めた。業界の自由放任から監督官庁の管理下へ移る最初の法整備であり、アコムは1983年時点で全国規模の消費者金融としての地位を固めていた。質屋業から分離されたアコムが、貸金業規制法という業法体系の中で正式に登録業者として認められたことで、創業期から続く『丸糸ブランド』とは独立した一個の消費者金融会社が成立した。
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|---|---|---|---|---|
| 1936〜1978年呉服商から質屋、そしてサラリーマン金融へ ── 三度の業態転換 | アコムを設立 | ★ | ||
| 1979〜2005年「むじんくん」の発明と東証一部 ── 全国大手化と海外進出の20年 | 貸金業者として関東財務局に登録 | ★ | ||
| 業界初の自動契約機「むじんくん」を新宿と博多に設置 | ★★ | |||
| 日本証券業協会に株式を店頭登録 | ★ | |||
| バンコクにハイヤーパーチェス事業の合弁会社「SIAM A&C CO., LTD.」を設立 | ★ | |||
| MasterCard®の発行を開始 | ★ | |||
| クレジットカード事業に参入 | ★★ | |||
| 木下盛好 | サービサー事業に参入 | ★ | ||
| 木下盛好 | 三菱系銀行・信託・カード会社との共同出資で東京三菱キャッシュワンを設立 | ★ | ||
| 木下盛好 | 三菱東京フィナンシャル・グループと戦略的業務・資本提携 | ★★ | ||
| 2006〜2025年グレーゾーン金利問題とMUFG子会社化 ── 信用保証と海外金融への構造転換 | 木下盛好 | グレーゾーン金利の消滅と過払金返還への対応——崩れた収益モデルの再建 2006年、最高裁がグレーゾーン金利の受け取りを事実上認めないと判じ、改正貸金業法が過払金の返還と総量規制を定めた。アコムは2007年3月期に利息返還損失引当金を一括で積み増して連結純損失▲4,380億円を計上し、2007年6月に約定上限金利を年27.35%から年18.0%へ引き下げる。あわせて約700名の人員削減と有人店約135店の閉鎖で、無人チャネル中心の体制へ収益基盤を作り替えた。 詳細を読む | ★★★ | |
| 木下盛好 | PT.Bank Nusantara Parahyangan Tbk.を買収 | ★★ | ||
| 木下盛好 | 三菱UFJによる連結子会社化——独立系アコムが手放さなかった上場 2008年9月8日、アコムは三菱UFJフィナンシャル・グループとの業務・資本提携を一段強化し、MUFGによる1株4,000円のTOBを受け入れた。MUFGはアコムへの議決権比率を15.77%から40.04%へ引き上げ、同年12月にアコムを連結子会社とした。完全子会社化ではなく、東証一部への上場と独自性は残した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 木下盛好 | アイ・アール債権回収を存続会社としてエイビーパートナーを吸収合併 | ★ | ||
| 木下盛好 | 信用保証事業のエム・ユー信用保証を設立 | ★ | ||
| 木下盛好 | エム・ユー信用保証の全株式を取得 | ★ | ||
| 木下盛好 | 合弁会社ACOM CONSUMER FINANCE CORPORATIONを設立 | ★ | ||
| 木下盛好 | PT. Bank Nusantara Parahyangan Tbk.がPT Bank Danamon Indonesia Tbk.と合併 | ★ | ||
| 木下政孝 | 無担保ローン事業の「ACOM (M) SDN. BHD.」を設立 | ★ | ||
| 木下政孝 | エンベデッド・ファイナンスを推進する無担保ローン事業の「GeNiE」を設立 | ★ | ||
| 木下政孝 | 東京証券取引所のスタンダード市場へ移行 | ★ | ||
| 木下政孝 | 本店所在地を変更 | ★ |
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事実根拠:出所(アコム)