武富士 の歴史

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創業 1966年
創業者 武井保雄
創業地 東京都板橋区
創業
1966年1月、武井保雄氏が東京都板橋区で個人向け金融の貸出業務を始めた。1930年に埼玉県深谷で生まれ、家業の酒屋兼雑貨商を継いだのち手形割引の会社に勤めた末の独立である。1968年6月に有限会社武富士商事を設立し、1974年11月に株式会社へ組織変更、翌12月に商号を武富士へ改めた。首都圏5店舗と札幌の6店舗から始めた商売は、担保も保証人も取らない小口の融資という一点に絞られていた。銀行が相手にしない勤め人の急な出費を引き受ける生活密着産業だと、武井氏は自社を位置づけている。
決断
銀行が貸さない層へ無担保で貸すという設計を、回収の側から縛って守ってきた。1978年ごろ消費者金融が集中砲火を浴びると、返済不能な借り手への請求を最低1年止める『凍結管理法』を米国の同業にならって敷き、上限金利も日歩28銭から1981年に13銭へ下げた。1998年には他社が1件あたりの枠を300万円へ広げるなかで1口座50万円の上限を据え置いた。2004年10月、武井保雄前会長は盗聴を指示した罪の判決を翌月に控えながらゴールドマン・サックスの買い取り提示を退けた。翌11月に有罪判決が下る。この規律が守ったのは貸倒れまでで、金利そのものが否定される事態は想定になかった。
現況
武富士の名で貸す会社は、もう営業していない。2006年の最高裁判断で過去に受け取った利息が返す債務へ変わり、2007年3月期は利息返還損失引当金繰入額2720億円を特別損失へ立てて4813億円の当期純損失を計上した。営業収益は2006年3月期の3513億円から2010年3月期の1203億円へ4年で3分の1に縮み、同期は当期純利益46億円の黒字だったが、遡って発生した返還債務は返せる額を超えて2010年9月に会社更生法の適用を申請した。翌10月に上場は廃止され、2012年3月に消費者金融事業はJトラストのもとへ移り、本体は商号をTFKへ改めた。
競合
競争は機械化の速さで争われた。1993年にアコムが無人契約機『むじんくん』を出したのに対し、武富士の『¥enむすび』は1995年10月と後発である。それでも1981年6月末に貸出残高1000億円を超えて以来の首位を守り、1983年の全国支店網オンライン、1985年のATM48台と、機械化ではむしろ先行していた。ただし1997年、東京地裁は現金自動貸付返済機での返済に利息の一部返還を命じた。返済は機械経由が武富士で62%、アコムで76%を占めており、機械化で取った速さは、そのまま返還債務の側へ回った。
武富士:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2010年3月期

創業ストーリー 板橋の一室から全国網へ——「サラ金地獄」批判と規制立法が営業の型を決めるまで (1966年〜)

板橋の一室から全国網へ——「サラ金地獄」批判と規制立法が営業の型を決めるまで

銀行が貸さない層に小口を貸すという一点

武井保雄氏は1930年1月に埼玉県深谷で生まれ[1]、1948年に深谷商業高校を卒業したのち[2]、父と兄を早く亡くして家業の酒屋兼雑貨商を継ぎ、その後は手形割引の会社に勤めた。1966年1月、東京都板橋区で個人向け金融の貸出業務[3]を始めた。1968年6月に有限会社武富士商事を設立し[4]、1974年11月にこれを組織変更して株式会社武富士商事とした。板橋・京橋・新橋・新宿・神田の首都圏5店舗と札幌支店[5]、あわせて6店舗での営業開始で、翌12月に商号を株式会社武富士に[6]改めた。武井保雄社長は1981年の取材で、不時の出費をまかなう生活密着の産業だと自社を位置づけた[7]

  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [1]昭和5年1月、深谷市生まれ。51歳。
    • [2]23年、深谷商業高校を卒業、父と兄を早く亡くして家業の酒屋兼雑貨商を引き継ぐ。その後、手形割引の会社に勤めて41年、富士クレジットを創業、社長。
    • [7]「不時の出費をまかなう生活密着産業なんです」と、企業を位置づけてみせる。
  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [3]当社の創業者である武井保雄は昭和41年1月、東京都板橋区において個人向け金融貸出業務を開始いたしました。
    • [4]昭和43年6月に有限会社武富士商事を設立、その後業容の拡大に伴い、昭和49年11月に株式会社武富士商事に組織変更を行いました。
    • [5]首都圏5店舗(板橋支店、京橋支店、新橋支店、新宿支店、神田支店)、北海道1店舗(札幌支店)で営業開始
    • [6]昭和49年12月 株式会社武富士に社名変更

独立した当初、客に丁寧に頭を下げて礼を言う[8]武井保雄社長は、同業者からなめられて踏み倒されると馬鹿にされたという。それでも、この商売は人情がなくてはできないという信念[9]を守ったと1981年の取材で語った。1960年代後半の団地金融時代には、子の卒業が近い客にもう少し借りずに頑張るよう助言した[10]こと、夫の借金で泣きついた妻と返済計画[11]を作ったことを、この商売の喜びとしてあげた。

  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [8]独立した当初、丁寧にお客に頭を下げて「有難うございました」という武井氏は、同業者から馬鹿にされたという。
    • [9]「この商売は人情がなくてはできない」という信念を守って地盤を固めた。
    • [10]40年代前半の団地金融時代のこと。「すぐに子供さんも(高校を)卒業でしょ。もう少し借りないで頑張りなさいとアドバイス、感謝された」
    • [11]「(ご主人の借金で)泣きつかれた奥さんとは真剣に話し合って返済計画を作成、後でお礼を言われたこともある」

店舗の展開は速く、1975年3月に仙台・名古屋、7月に新潟[12]、10月に福岡を開き、1976年2月に広島、4月に大阪・神戸、1977年2月に高松へと店を出した。創業から11年で東北・中部・北陸・九州・中国・関西・四国[13]を一巡した。1976年1月には店内業務の効率化のためコンピュータ[14]を導入した。1977年12月には株式の額面変更と組織の一元化を目的とする吸収合併でユタカ・ヤマトローンサービス[15]・東宝ローンサービスを統合し、西荻・船橋・赤羽・横浜の4店舗[16]を取得した。1978年2月からは店舗の呼称に『¥en shop[17] 武富士』を用いた。同年5月には本社を東池袋のサンシャイン60に移し[18]、東京・大阪の2支社を置いて支店を統轄させた。1981年6月末には貸出残高が1000億円を超え[19]、2位以下を引き離した。

  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [12]昭和50年3月 仙台・名古屋支店開店(東北・中部地方に進出)/昭和50年7月 新潟支店開店(北陸地方に進出)
    • [13]昭和50年10月 福岡支店開店(九州地方に進出)/昭和51年2月 広島支店開店(中国地方に進出)/昭和52年2月 高松支店開店(四国地方に進出)
    • [14]昭和51年1月 店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入
    • [15]昭和52年12月 株式の額面変更と組織の一元化、営業の効率化を図るため、株式会社武富士と株式会社ユタカ、株式会社ヤマトローンサービス、株式会社東宝ローンサービスを株式会社武富士(形式上の存続会社)に吸収合併
    • [16]この合併により、4店舗(西荻支店、船橋支店、赤羽支店、横浜支店)を取得
    • [17]昭和53年2月 呼称に「¥en shop 武富士」を採用
    • [18]昭和53年5月 本社を東京都豊島区東池袋3丁目1番1号 サンシャイン60 18階に移転/営業店舗の拡大に伴い、支店統轄を目的に、東京・大阪の2支社を設置
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [19]そして6月末、貸出残高が1000億円を突破、2位以下に水をあけた。
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [1]昭和5年1月、深谷市生まれ。51歳。
    • [2]23年、深谷商業高校を卒業、父と兄を早く亡くして家業の酒屋兼雑貨商を引き継ぐ。その後、手形割引の会社に勤めて41年、富士クレジットを創業、社長。
    • [7]「不時の出費をまかなう生活密着産業なんです」と、企業を位置づけてみせる。
    • [8]独立した当初、丁寧にお客に頭を下げて「有難うございました」という武井氏は、同業者から馬鹿にされたという。
    • [9]「この商売は人情がなくてはできない」という信念を守って地盤を固めた。
    • [10]40年代前半の団地金融時代のこと。「すぐに子供さんも(高校を)卒業でしょ。もう少し借りないで頑張りなさいとアドバイス、感謝された」
    • [11]「(ご主人の借金で)泣きつかれた奥さんとは真剣に話し合って返済計画を作成、後でお礼を言われたこともある」
    • [19]そして6月末、貸出残高が1000億円を突破、2位以下に水をあけた。
  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [3]当社の創業者である武井保雄は昭和41年1月、東京都板橋区において個人向け金融貸出業務を開始いたしました。
    • [4]昭和43年6月に有限会社武富士商事を設立、その後業容の拡大に伴い、昭和49年11月に株式会社武富士商事に組織変更を行いました。
    • [5]首都圏5店舗(板橋支店、京橋支店、新橋支店、新宿支店、神田支店)、北海道1店舗(札幌支店)で営業開始
    • [6]昭和49年12月 株式会社武富士に社名変更
    • [12]昭和50年3月 仙台・名古屋支店開店(東北・中部地方に進出)/昭和50年7月 新潟支店開店(北陸地方に進出)
    • [13]昭和50年10月 福岡支店開店(九州地方に進出)/昭和51年2月 広島支店開店(中国地方に進出)/昭和52年2月 高松支店開店(四国地方に進出)
    • [14]昭和51年1月 店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入
    • [15]昭和52年12月 株式の額面変更と組織の一元化、営業の効率化を図るため、株式会社武富士と株式会社ユタカ、株式会社ヤマトローンサービス、株式会社東宝ローンサービスを株式会社武富士(形式上の存続会社)に吸収合併
    • [16]この合併により、4店舗(西荻支店、船橋支店、赤羽支店、横浜支店)を取得
    • [17]昭和53年2月 呼称に「¥en shop 武富士」を採用
    • [18]昭和53年5月 本社を東京都豊島区東池袋3丁目1番1号 サンシャイン60 18階に移転/営業店舗の拡大に伴い、支店統轄を目的に、東京・大阪の2支社を設置

サラ金地獄批判のあとに残った、費用の四指標という規律

1978年ごろ、マスコミが消費者金融業界に集中砲火[20]を浴びせたとき、武井保雄社長は最もつらい思いをしたと1981年の取材でふり返った。無茶な取り立てを防ぐため、借り手に生命保険をかけて[21]死亡後に遺族へ返済を求めない仕組みを作り、米国の同業にならって『凍結管理法』[22]も導入した。返済不能な人には最低1年間、請求業務[23]をしないという扱いである。それで事故率が上がったわけではなく、1981年の時点で1カ月以上の遅れは1.74%だった[24]。貸出の上限金利も、1978年初めの日歩28銭を1979年初めに19銭[25]、1981年に13銭へと段階的に下げてきた。

  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [20]半面、53年頃、マスコミから業界が集中砲火をあびたとき、最もつらい思いをした。
    • [21]無茶な取り立て防止に、借り手に生命保険をかける手を考えた。死亡しても遺族に返済要求をしないためにである。
    • [22]さらに、米国の業界を見習って、“凍結管理法”を導入した。
    • [23]これは、返済不能な人には、最低1年間は請求業務をしないというものである。
    • [24]それで事故率が増えたかといえば、そうでもない。「いま1カ月以上の遅れは1.74%に過ぎない」
    • [25]上限で、53年初めの日歩28銭を54年初めに19銭に、いま13銭にと段階的にしてきた。今後も引き下げていく。

1981年の時点で武井保雄社長は、貸金業法案が成立すれば上場するつもり[26]だと述べ、監査法人による監査もすでに受け始めていた。武富士は1983年12月、貸金業の規制等に関する法律により貸金業者[27]として登録した。

  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [26]そのためには、企業体質の強化が不可欠で、「貸金業法案が成立すれば上場するつもり。すでに監査法人による監査も受け始めた」。
  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [27]昭和58年12月 「貸金業の規制等に関する法律」により貸金業者として登録(登録番号 関東財務局長 (1)第00020号)

批判のさなかでも武富士は拠点を増やし、1979年2月に札幌・名古屋・福岡、1980年8月に仙台、1983年9月に大宮[28]・広島の各支社を置いた。1976年1月のコンピュータ導入から[29][30]始まった機械化はこの時期に一段と進み、1983年11月に全国支店網オンラインシステムが稼働[31]し、1985年8月にはATMシステムが48台で動き出し[32]、1988年1月には第2次オンラインシステムへ切り替え[33]た。1984年7月には外資系消費者金融のジャパン・ハワイ・ファイナンスの全株式[34]を取得し、同年9月には本社ビルを東京都中央区八重洲に建てて移った。1989年5月に大宮・広島の2支社を閉じて6支社とし、同年8月には年利13.5%から17.5%の低金利無担保[35]の目的ローンを7種類発売した。武井保雄社長は1981年の取材で、いずれ住宅金融やクレジットに進出して総合信販業者に脱皮したいと語っており[36]、目的ローンの品ぞろえはこの方向にあたる。

  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [28]昭和54年2月 札幌・名古屋・福岡の3支社を設置/昭和55年8月 仙台支社を設置/昭和58年9月 大宮・広島の2支社を設置
    • [29]昭和51年1月 店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入
    • [30]昭和51年1月 店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入
    • [31]昭和58年11月 全国支店網オンラインシステム稼働
    • [32]昭和60年8月 ATMシステム稼働(設置台数48台)
    • [33]昭和63年1月 第2次オンラインシステム稼働
    • [34]昭和59年7月 ジャパン・ハワイ・ファイナンス株式会社(外資系消費者金融会社)の全株式を取得/昭和59年9月 本社ビルを東京都中央区八重洲2丁目1番4号に竣工、移転
    • [35]1989年5月 大宮・広島の2支社を閉鎖し、6支社とする/1989年8月 低金利無担保の目的ローンを7種類(年利13.5%~17.5%)発売
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [36]「いずれは住宅金融やクレジットに進出、総合信販業者に脱皮したい」という夢を描く。
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
    • [20]半面、53年頃、マスコミから業界が集中砲火をあびたとき、最もつらい思いをした。
    • [21]無茶な取り立て防止に、借り手に生命保険をかける手を考えた。死亡しても遺族に返済要求をしないためにである。
    • [22]さらに、米国の業界を見習って、“凍結管理法”を導入した。
    • [23]これは、返済不能な人には、最低1年間は請求業務をしないというものである。
    • [24]それで事故率が増えたかといえば、そうでもない。「いま1カ月以上の遅れは1.74%に過ぎない」
    • [25]上限で、53年初めの日歩28銭を54年初めに19銭に、いま13銭にと段階的にしてきた。今後も引き下げていく。
    • [26]そのためには、企業体質の強化が不可欠で、「貸金業法案が成立すれば上場するつもり。すでに監査法人による監査も受け始めた」。
    • [36]「いずれは住宅金融やクレジットに進出、総合信販業者に脱皮したい」という夢を描く。
  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [27]昭和58年12月 「貸金業の規制等に関する法律」により貸金業者として登録(登録番号 関東財務局長 (1)第00020号)
    • [28]昭和54年2月 札幌・名古屋・福岡の3支社を設置/昭和55年8月 仙台支社を設置/昭和58年9月 大宮・広島の2支社を設置
    • [29]昭和51年1月 店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入
    • [30]昭和51年1月 店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入
    • [31]昭和58年11月 全国支店網オンラインシステム稼働
    • [32]昭和60年8月 ATMシステム稼働(設置台数48台)
    • [33]昭和63年1月 第2次オンラインシステム稼働
    • [34]昭和59年7月 ジャパン・ハワイ・ファイナンス株式会社(外資系消費者金融会社)の全株式を取得/昭和59年9月 本社ビルを東京都中央区八重洲2丁目1番4号に竣工、移転
    • [35]1989年5月 大宮・広島の2支社を閉鎖し、6支社とする/1989年8月 低金利無担保の目的ローンを7種類(年利13.5%~17.5%)発売

無人契約機と株式公開——銀行が貸さない層への融資が最高益を生んだ10年

対面をやめた契約と、提携で広がった入出金の窓口

1992年5月、武富士は本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目に[37]竣工して移転した。武富士が『¥enむすび』を導入したのは1995年10月[38]で、後発だった。1995年12月には金融機関・信販会社とのCD・ATM提携も始まり[39]、入出金の窓口は自社の店舗の外へ広がった。機械化は別の問題も招き、1997年2月下旬、東京地裁は現金自動貸付返済機での返済について[40]、債務者が約定の利息に納得して支払ったとはみなせないと指摘して、武富士に利息の一部返還を命じた。機械を使った返済は当時、武富士で62%、アコムで76%を占めており[41]、同社はただちに控訴した。

  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [37]平成4年5月、本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目15番1号に竣工、移転
    • [38]平成7年10月、「無人契約機¥enむすび」を導入
    • [39]平成7年12月、金融機関・信販会社とCD・ATM提携を開始
  • 日経ビジネス 1997年4月14日号
    • [40]2月下旬、東京地裁が最大手、武富士に出したもので、現金自動貸付返済機での返済について、債務者(顧客)が支払った利息の一部を返金するよう命じた。判決は「店頭での返済と異なり、機械では債務者が約定による利息を納得して支払ったとみる余地はない」と指摘した
    • [41]今回問題を指摘された機械での返済が、大手では7割近くを占める。アコムは76%、武富士も62%だ。武富士はすぐに控訴する一方、返済金を振り込む前に元金や利息の内訳を画面に表示できる新システムを前倒しで導入する方針を決めた
  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [37]平成4年5月、本社ビルを東京都新宿区西新宿八丁目15番1号に竣工、移転
    • [38]平成7年10月、「無人契約機¥enむすび」を導入
    • [39]平成7年12月、金融機関・信販会社とCD・ATM提携を開始
  • 日経ビジネス 1997年4月14日号
    • [40]2月下旬、東京地裁が最大手、武富士に出したもので、現金自動貸付返済機での返済について、債務者(顧客)が支払った利息の一部を返金するよう命じた。判決は「店頭での返済と異なり、機械では債務者が約定による利息を納得して支払ったとみる余地はない」と指摘した
    • [41]今回問題を指摘された機械での返済が、大手では7割近くを占める。アコムは76%、武富士も62%だ。武富士はすぐに控訴する一方、返済金を振り込む前に元金や利息の内訳を画面に表示できる新システムを前倒しで導入する方針を決めた

店頭公開から東証一部へ、そして外資からの調達

1996年8月、武富士は株式を店頭売買有価証券として[42]日本証券業協会に登録した。1998年12月に東京証券取引所市場第一部へ[43]、2000年3月にはロンドン証券取引所に上場した。

  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [42]平成8年8月、株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録
    • [43]平成10年12月、株式を東京証券取引所市場第1部に上場。平成12年3月、株式をロンドン証券取引所に上場

1998年9月にはアイルランドに再保険業のTSR CO.,LTD.[44]を設立した。1999年6月には金融業者の貸付業務のための社債の発行等に関する法律で特定金融会社等として登録し[45]、使途を限定されない社債の発行にも道が開いた。

  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [44]平成10年9月、アイルランドにTSR CO.,LTD.を設立(再保険業、当社100%出資)
    • [45]平成11年6月、「金融業者の貸付業務のための社債の発行等に関する法律」により、特定金融会社等として登録(登録番号関東財務局長第3号)
  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
    • [42]平成8年8月、株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録
    • [43]平成10年12月、株式を東京証券取引所市場第1部に上場。平成12年3月、株式をロンドン証券取引所に上場
    • [44]平成10年9月、アイルランドにTSR CO.,LTD.を設立(再保険業、当社100%出資)
    • [45]平成11年6月、「金融業者の貸付業務のための社債の発行等に関する法律」により、特定金融会社等として登録(登録番号関東財務局長第3号)

過払い金という遡及債務——過去に受け取った利息が返済義務に変わるまで

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武富士の沿革1966〜2017年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1966〜1989年板橋の一室から全国網へ——「サラ金地獄」批判と規制立法が営業の型を決めるまで武井保雄氏が個人向け金融の貸出業務を開始
武富士商事を設立
武富士商事を株式会社に組織変更
武富士に社名を変更
店内業務の効率化を図るためコンピュータを導入
創業から11年で全国の主要地方を一巡
ユタカ・ヤマトローンサービス・東宝ローンサービスを吸収合併
全国支店網オンラインシステムが稼働
貸金業の規制等に関する法律により貸金業者として登録
ATMシステムが稼働(設置台数48台)
第2次オンラインシステムが稼働
低金利無担保の目的ローンを7種類(年利13.5%〜17.5%)発売
1990〜1999年無人契約機と株式公開——銀行が貸さない層への融資が最高益を生んだ10年無人契約機「¥enむすび」を導入★★
金融機関・信販会社とのCD・ATM提携を開始
株式を店頭売買有価証券として日本証券業協会に登録
無人契約機での1口座50万円上限の維持と、一人あたり貸付上限170万円の設定

1998年、消費者金融各社が1件あたりの貸付枠を100万円から300万円へ引き上げるなかで、武富士は無人契約機による貸付を1口座50万円に据え置いた。同年8月末には一人あたりの貸付上限を170万円(過去に実績のある優良顧客は230万円)と定め、社内からの緩和要求を武井保雄会長が退けた。

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★★★
株式を東京証券取引所市場第一部に上場
株価が連日ストップ安
武井保雄氏が電気通信事業法違反の疑いで逮捕★★
ゴールドマン・サックスによる一族保有株買い取り提示の拒否

2004年秋、武富士の創業者・武井保雄前会長は、ゴールドマン・サックスによる一族保有株の買い取り提示を拒み、売却交渉は決裂した。提示価格は1株1万1500円から1万500円、8000円、そして市場価格を下回る6500円以下へと段階的に引き下げられていた。

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★★★
2006〜2012年過払い金という遡及債務——過去に受け取った利息が返済義務に変わるまで最高裁第二小法廷が期限の利益喪失特約下の支払いの任意性を否定し原判決を破棄・差戻★★
2007年3月期に4813億円の当期純損失を計上★★
会社更生法の適用申請と、消費者金融事業のJトラストへの譲渡

2010年9月28日、武富士は東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請し、受理された。負債総額は4336億円、発行していた926億円の社債は債務不履行となった。消費者金融の大手が経営破綻に至った初めての例となる。

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★★★
東京地方裁判所が更生計画を認可★★
スポンサーのA&Pファイナンシャルが資金不足で撤退しJトラストが新スポンサーに選定
会社分割によりJトラストへ消費者金融事業を譲渡★★
TFKの清算が結了し法人格が消滅
出典・参考
  • 有価証券報告書(第43期・2010年6月30日提出)
  • 日経ビジネス 1981年8月24日号
  • 日経ビジネス 1997年4月14日号

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