1万1500円から6500円以下までの三度の値下げは、買い手が売り手の期限を握っていることを承知したうえでの交渉術であった。武井保雄前会長がこれを拒んだのは、経営者としてまっとうな反応であったのだろう。しかも一族の株は83%が担保に入っており、安値で売れば返済にも足りない恐れがあった。信託して議決権だけを放棄する案を並行して探っていたことからも、売らずに登録抹消を避ける方策を最後まで探していたことがうかがえる。値段の問題として拒否したのであって、支配への執着だけで突っぱねたとは言い切れない。
ただし、この判断が守ったものと失わせたものは同じ株式であった。拒否から2年で最高裁と改正貸金業法が収益の前提を消し、6年後の100%減資で一族の保有株も一般株主の株も同時に無価値になっている。6500円で58%を売っていれば、少なくとも一族の手元には現金が残り、会社には新たな資本の出し手がついた可能性がある。もっとも、ゴールドマンの計画は8000億円の剰余金を特別配当で抜くというもので、売却後の武富士が過払い金の波を渡り切れたかは分からない。どちらの道でも会社が助かったとは言えず、この判断は、失敗というより選択肢のすべてが痩せていた場面であったといえる。