資金を必要としない会社が選んだ2006年の株式公開
出店費用を加盟店が負担するフランチャイズで、創業者はなぜ上場を決めたのか
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- 概要
- 2006年6月、神戸物産が大阪証券取引所市場第二部へ株式を上場した経営判断。創業者の沼田昭二氏は後年、証券会社からの打診を当初はすべて断っていたと明かしたうえで、上場を選んだ理由として事業承継への備えと、加盟店オーナーへ株式で報いることの二つを挙げている。
- 背景
- 業務スーパーはフランチャイズ形式を採り、出店費用を加盟店オーナーが負担する仕組みであった。本部に大きな設備投資が要らないため、上場の最大の利点である市場からの資金調達を、同社はさほど必要としていなかった。上場前は関西を中心に年50〜60店舗のペースで店舗網が広がっていた。
- 内容
- 転機は2004年、沼田昭二氏が50歳で大病を患ったことであった。長男の沼田博和氏は当時研究の道を志しており、会社を継ぐ意思をまだ持っていなかった。創業者が株式をすべて保有する状態のまま万が一が起きる事態に備え、組織的な経営へ移す手立てとして株式公開が選ばれた。
- 含意
- 上場は資金の調達手段としてよりも、会社の続き方をめぐる判断として置かれていた。結果として得た資本市場との接続が、2008年以降の国内食品工場の買収連鎖と、2012年の沼田博和氏への承継を支える土台になっている。
資金以外の理由で市場に出るということ
上場は資金を集める手段である、という前提から見ると、この判断は順序が逆に見える。資金が要らない仕組みをわざわざ組んだ会社が、その仕組みゆえに調達の必要を持たないまま市場へ出た——動機として語られているのは、創業者の健康と、後継者の不在と、加盟店オーナーへの報い方である。いずれも財務ではなく、会社に関わる人をめぐる問題であった。上場という制度が、資金調達の装置としてよりも、所有と承継を扱う装置として使われた例とみることができる。
興味深いのは、要らないと言っていた調達手段が、結果として最も効いたことである。上場の2年後に始まる国内食品工場の買収連鎖は、市場と接続していなければ同じ速度では進まなかったであろう。備えとして開けた扉から、想定していなかったものが入ってきた形になる。創業者一人に集まっていた株式を市場へ差し出す判断が、会社の続き方と成長の仕方を同時に書き換えた——2006年の上場は、その両方が動き出した地点として読み直せるといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
資金を必要としないビジネスモデル
2000年に業務スーパーの1号店を兵庫県三木市に開いてから、店舗網は関西を中心に年50〜60店舗のペースで広がっていた。業容が広がるにつれ、証券会社から株式公開の打診が届くようになる。沼田昭二氏は後年、その打診を当初はすべて断っていたと明かしている。上場に踏み切る動機が、同社の側に見当たらなかったためであった[1]。
断り続けた理由は、業務スーパーの仕組みそのものにあった。同社はフランチャイズ形式を採り、加盟店オーナーを募って出店費用をオーナー側に拠出してもらう形をとっていた。少子高齢化の進む不安定な時代に、本部へ負担が偏りすぎないようにする設計である。売り場が増えても本部の投資は膨らまない。沼田昭二氏は、上場の最大の利点である市場からまとまった資金を調達できることについて、業務スーパーのビジネスモデルはそうした資金をさほど必要としていなかったと述べている[2]。
株式が一人に集まっていた会社
資金の面で上場を急ぐ理由がない一方、会社の持ち主の側には別の事情が積み上がっていた。1981年の個人創業から一代で築いた会社であり、株式は創業者の沼田昭二氏がすべて保有していた。事業の規模が増すほど、その一人に依存した所有の形が、事業の継続そのものに関わる問題へ変わっていく。2006年10月期の売上高は901億円、営業利益は18億円で、すでに個人商店の域を越えた規模に達していた[3][4]。
経営の形も、創業者一人にすべてが集まっていたわけではなかった。上場を挟む2004年10月期から2007年10月期にかけて、代表取締役社長の座には佐川観治氏があり、沼田昭二氏が代表取締役会長兼社長として指揮を執るのは2008年10月期からである。所有と執行の関係をどう組み替えるかという問いは、上場の前後にすでに動いていたとみることができる[5]。
決断
万が一への備えとしての上場
判断を動かしたのは、2004年の病であった。当時50歳の沼田昭二氏が大病を患う。長男の沼田博和氏は京都薬科大学大学院で学び、研究の道を志していて、会社を継ぐ意思をまだ持っていなかった。息子の人生を尊重するとすれば、後継者が決まらないまま創業者が全株式を抱えている状態が残る。沼田昭二氏は、万が一のときに備えておく必要がありましたと、この時期の心境を語っている[6]。
上場は、創業者個人に集まっていた所有と信用を、市場の制度に肩代わりさせる手段であった。株式が公開されれば、価格のつく資産として相続や譲渡の道筋が立ち、開示と監査を通じて経営が組織の側へ移っていく。沼田昭二氏はこれを、創業者の万が一に備えて組織的な経営へ移すためと整理している。資金の調達ではなく、会社が続く形を整えることが目的に置かれていた[7]。
加盟店オーナーへ報いる手立て
もう一つの理由は、会社の外に向いていた。業務スーパーは加盟店オーナーの資本で売り場を広げてきた仕組みであり、店舗網の拡大はオーナーの出資と経営努力の上に成り立っていた。本部が受け取るロイヤルティーは総仕入れ高の1%に抑えられ、オーナー側に利益が残るよう設計されている。それでも、成長の果実を本部だけが抱える形は残る。沼田昭二氏は上場のもう一つの理由として、志ある店舗オーナーに株式譲渡によって報いることを挙げている[8][9]。
非上場のままでは、株式を渡しても値のつかない紙にとどまる。公開市場に置いてはじめて、株式は加盟店側が受け取れる報酬の形になる。フランチャイズという、他人の資本を借りて広がる仕組みを選んだ会社が、その借りをどう返すかという問題に、資本市場を使って答えを出したことになる。二つの理由はいずれも、資金の使い道ではなく、会社をめぐる人の関係に向けられていた[10]。
結果
上場が用意した二つの道
上場の効果は、当初の理由とは別の場所にも現れた。翌2006年7月にパスポート倶楽部の出資持分を全て取得し、2008年3月からはターメルトフーズやウエボスをはじめとする国内食品メーカーの子会社化が連鎖的に始まる。資本市場と接続したことで、それまで自社の稼ぎの範囲でしか動かせなかった投資が、まとまった規模で打てるようになった。要らないはずであった調達手段が、製販一体を国内へ広げるときに効いた形であった[11]。
もう一つの道は、当初の目的どおりに開いた。研究職から大正製薬を経て2009年に神戸物産へ入った沼田博和氏が、2011年に取締役、2012年2月に代表取締役社長へ就いた。継ぐ意思がなかった長男への承継は、上場企業の社長交代という手続きのなかで行われている。市場区分もその後上がり続け、2012年12月に大阪証券取引所市場第一部、2013年7月の市場統合で東京証券取引所市場第一部、2022年4月にプライム市場へ移った[12][13]。
- 日経ビジネス電子版(2024年10月24日)「業務スーパー創業者「神戸物産がIPOを決めた2つの理由」」
- 神戸物産 有価証券報告書【沿革】
- 神戸物産 有価証券報告書【役員の状況】(2004年10月期〜2011年10月期)
- 神戸物産 有価証券報告書(2006年10月期・連結)
- 週刊東洋経済 2025年2月22日号「【特集 もうけの仕組み 2025】 SCMの達人に聞く 神戸物産 社長 沼田博和 「自社で製造するからこそ迅速に価格へ反映できる」」
- 週刊東洋経済 2021年9月4日号「トップに直撃 神戸物産 社長 沼田博和 「業務スーパーの出店はまだ5〜6合目だ」」