業務スーパーによる製販一体(食のSPA)モデルの確立

大手に勝てない地方スーパーが、「流通」ではなく「製造」を競争の軸に選んだのはなぜか

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時期 2000年3月
意思決定者 沼田昭二 社長
論点 業態転換と競争軸
概要
2000年、沼田昭二氏が率いる神戸物産の前身フレッシュ石守が、自社で作った冷凍食品PBをフランチャイズ加盟店へ供給する「業務スーパー」を兵庫県三木市に開いた。1992年に中国・大連へ建てた自社工場で作った商品を、本部の卸を通してFC店で売る、製造から販売までを一社で貫く製販一体の食品卸へ業態を作り替えた経営判断。
背景
ダイエーやイトーヨーカ堂といった大手チェーンが全国へ寡占を広げるなか、仕入れ値でも店舗の知名度でも大手に及ばないと見た沼田昭二氏は、品揃えや売り方で競うのをやめ、食品の製造そのものを自社へ取り込む道を選んだ。
内容
1992年、地方スーパーには異例のことに中国・遼寧省へ自社工場の大連福来休食品有限公司を建て、冷凍食品の現地生産から日本への輸入までを一社で抱えた。2000年3月、この安いPBをFC加盟店へ供給する業務スーパー1号店を三木市に開き、翌2001年に旧・神戸物産を吸収合併して商号を神戸物産へ改めた。
含意
問屋を介さない直接調達が店頭価格を業界平均より下げ、自社で値を決める力が粗利を生む収益構造を築いた。業務スーパーは2021年に47都道府県、2022年に国内のFC食品スーパー最大の1,000店へ広がった。
筆者の見解

「流通」を捨てて「製造」を選んだこと

この判断の核心は、地方の一食品スーパーが、大手と同じ土俵である「流通」から降り、食品の製造という別の土俵を自ら作った点にある。仕入れの規模がものを言う流通業では、後発で小さい店ほど不利になる。沼田昭二氏は勝てない土俵で工夫を重ねるより、原材料から製造、卸、販売までを一社で握り、価格を自分で決められる仕組みへ会社を作り替えた。中国・大連の自社工場を、まだ小売店主だった1992年に建てた先行の一手が、その後の業務スーパーを支えた。

もっとも、製造を自前で抱えることは、工場の稼働や在庫、品質の責任をすべて自社で負うことでもある。売れなければ製造設備がそのまま重荷になる構造を、神戸物産は安さと回転の速さで乗り越えてきた。同じ従業員で売上を伸ばせばコストは薄まるという沼田昭二氏の計算が、FC方式による店舗網の拡大と噛み合ったといえる。流通に頼らず製造を競争の中心へ据えるという選択が、どこまで規模の壁を越えられるか——この問いは、後を継いだ2代目の経営にも引き継がれていく。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

大手寡占のなかに生まれた地方スーパー

神戸物産の前身は、沼田昭二氏が1981年4月に兵庫県加古川市で個人創業した食品スーパー「フレッシュ石守」にさかのぼる。ダイエーやイトーヨーカ堂といった大手チェーンが全国へ寡占を広げていた時期で、地方の一店主が仕入れの規模でも店舗の知名度でも大手にかなうはずもなかった。沼田氏は品揃えや接客の巧拙で競うことをあきらめ、大手が持たない武器を探した。行き着いたのが、食品の製造そのものを自社に抱えるという考え方だった[1][2]

「流通」ではなく「製造」で戦う

沼田昭二氏の見立ては、当時の日本の小売業への異議でもあった。多くのスーパーは問屋やメーカーから商品を仕入れ、売買差益を上乗せして売る「流通」を生業とする。仕入れ値が規模で決まる以上、その土俵では大手に勝てない。沼田氏が範としたのは、原材料の調達から製造、販売までを一つの企業が握る海外の製販一体型の企業だった。売る技術を磨くのではなく、売る商品を自ら作り、自ら知ることに競争の根を置いた[3][4]

決断

中国・大連に建てた自社工場(1992)

製造を自前で持つという構想を、沼田昭二氏はまず海外の工場で形にした。1992年7月、地方の食品スーパーには異例のことに、中国・遼寧省へ自社グループ工場の大連福来休食品有限公司を建てた。冷凍食品を現地で生産し、日本へ輸入するまでを一社で抱える体制で、これがのちの業務スーパーへ安いPB商品を供給する製造基盤となった。国内の問屋網に頼らず原価から自社で管理する調達の仕組みを、まだ小売店主だった段階で先に用意した[5]

業務スーパー業態の確立(2000-2001)

自社工場という製造を握ったうえで、沼田昭二氏は2000年3月、安いPB商品をフランチャイズ加盟店へ供給する「業務スーパー」の1号店を兵庫県三木市に開いた。製造を担う中国の工場、卸を担う本部、販売を担うFC店の三つを一体で動かす設計で、地方の一食品スーパーは、製造から販売までを貫く食品卸のFC本部へ業態を作り替えた。翌2001年10月には旧・神戸物産を吸収合併し、商号を株式会社神戸物産へ改めて、業務用食品卸としての立場を明確にした[6][7]

結果

直接調達が生んだ安さと収益

問屋を介さず原価から握る直接調達は、業務スーパーの店頭価格を業界平均より低く保つ原資となり、自社で値を決められることがそのまま粗利へつながった。業務スーパー事業の売上高営業利益率は、2015年10月期の約3.9%から2019年10月期の約8.0%へ上がり、店舗網の拡大とともに収益力も厚みを増した。売り方ではなく売る商品を自社で作るという1981年以来の考え方が、数字として現れた[8][9]

業務スーパーは2000年の1号店から広がり、2021年2月に宮崎県への出店で47都道府県すべてをそろえ、2022年10月には国内のFC食品スーパーとして最大規模の1,000店舗へ達した。売上高は、上場した2006年10月期の901億円(単体)から2025年10月期の5,517億円(連結)へ伸びた。中国の一工場から始めた製販一体の設計は、全国チェーンを支える収益構造として定着した[10][11]

出典・参考