月々2万1000円と12万6000円という二つの数字を社内会議で並べたとき、武井保雄会長が見ていたのは残高ではなく、借り手の家計であった。300万円を貸せる相手は、300万円を返せる相手ではない——この区別を、成長の只中で、しかも社内の本部長が緩和を求めるなかで保ったことに、この判断の価値がある。同業が枠を広げて残高を積んだ1998年に、武富士は1件50万円を動かさず、一人あたり170万円という総額の線まで引いた。伸びを自ら抑える選択であり、他社と同じ土俵に乗らないという宣言でもあった。
ただ、この規律が守ったのは貸倒れまでであって、会社ではなかった。与信を厳しくしても、グレーゾーン金利で貸していた事実は変わらない。慎重に貸してきた会社ほど残高が積み上がり、返還債務も拡大する関係にあっただろう。回収可能性を突き詰める規律と、金利の合法性という前提とは、別の層にあったといえる。