リボ払い金利を業界最低の16.8%へ——利息制限法を自ら割った先回りの値下げ
1998年実施高い金利で稼げた1990年代に、なぜジャックスは自ら利ざやを削って業界最低の金利へ下げたのか
- 概要
- 1997年2月と1998年2月の二度にわたり、ジャックスは主力カードのリボ払い金利を24.36%から18%、さらに16.8%へ引き下げ、利息制限法の上限18%を下回る業界最低の水準に置いた経営判断。小島賢蔵社長が調達コストの低い時期を選び、銀行系カードへの分割払い解禁を先読みして踏み切った。
- 背景
- バブル崩壊後の信販業界は、出資法の上限40.004%と利息制限法の上限18%のあいだのグレーゾーン金利で利ざやを稼ぐ慣行を保っていた。規制緩和で銀行系カードに分割払いが解禁されれば、信販系カードの独自性が薄れ、価格で競うほかなくなると読んだ。
- 内容
- リボ払い金利を二段で16.8%まで下げ、1997年の約35億円の減収はコマーシャルペーパー(CP)の発行で調達コストを削って相殺した。バブル期に不動産投資や事業融資を避けて蓄えた財務の余力が、値下げの原資になった。
- 含意
- 2006年の改正貸金業法でグレーゾーン金利が撤廃され、過払い金の返還請求が信販各社を直撃した。先回りで法定金利の枠内へ下げていたジャックスは返還の負担が限られ、武富士の破綻や日本信販・オリコの苦境のなかを相対的に軽い傷で通り抜けた。
高い金利で稼げるうちに、利ざやを削る
この判断の芯は、最も稼げる時期に、自ら稼ぎを細らせた点にある。グレーゾーン金利は当時のクレジット会社に厚い利ざやをもたらし、下げる理由は目先には乏しかった。小島賢蔵社長は、その好業績を「不労所得で水膨れしているようなもの」と見て、金利の上昇や規制の変化に耐える体質へ作り替える手として値下げを使った。銀行系カードの分割払い解禁という近い脅威と、調達コストが底にある好機を重ね合わせ、余力のあるうちに動いた。
もっとも、この一手だけが同社を救ったわけではない。バブル期に不動産へ資金を回さなかった蓄えがCPへの振り替えを可能にし、値下げの減収を吸収した。財務の堅さと金利戦略が結び付いて初めて、10年後の過払い金危機を軽い傷で通り抜けられた。高い金利で得た利益を守るか、その利益を手放して先の変化に備えるか——ジャックスは後者を選び、目先の減収と引き換えに生き残りの余地を買った。信用を売る会社にとって、どの金利で貸すかは、10年先の存続を左右する選択でもある。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
グレーゾーン金利と、崩れかけた信販カードの独自性
バブル崩壊後の1990年代後半、信販各社の収益はクレジットカードのキャッシング(リボ払い)の利息に多くを頼っていた。出資法の上限40.004%と利息制限法の上限18%のあいだには、借り手が任意に払えば適法とされるグレーゾーンが広がり、多くのクレジット会社はこの帯のなかに金利を置いて利ざやを確保していた。ジャックスはこの慣行のなかで、バブル期に不動産投資や事業融資を避け、カード取扱高は業界3位ながら、取扱高が2倍を超える日本信販とオリエントコーポレーションに迫る経常利益を上げていた[1][2]。
クレジットカードの支払いには、リボ払いのほか一括払いと分割払いがある。このうち分割払いは銀行系カード会社に認められておらず、信販系カードの独自性を支える機能だった。ところが規制緩和の流れのなかで、政府は銀行系にも分割払いを解禁する方針を示し、実施が近づいていた。解禁されれば、資金調達で信販系より有利な銀行系が会員獲得に動き、信販系は価格でしか対抗できなくなる。ジャックスはこの先行きを読み、キャッシングの金利を下げて銀行系と同じ土俵に立とうとした[3]。
決断
利息制限法を割った16.8%への二段引き下げ
ジャックスは1997年2月、主力の「ジャックスカード」のリボ払い金利を24.36%から18%へ引き下げ、利息制限法の上限に並べた。翌1998年2月にはさらに16.8%まで下げ、上限18%を自ら割り込む業界最低の水準に置いた。信販系クレジット大手でこの金利まで下げた会社はほかになかった。小島賢蔵社長は、値下げは前から考えていたもので、調達コストが最も低いこの時期を逃せば実行できないと判断したと述べる[4][5]。
低金利という追い風は各社に共通していたが、大手信販でこの引き下げに続いた会社はなかった。バブル期の事業融資や不動産投資で不良債権を抱えた会社にとって、金利の引き下げはそのまま減益に直結する。大和総研の岡本光正氏は、そうした同業他社に追随は難しいと見たうえで、金利で先手を打った意味は大きいと評価した。ジャックスは低金利を差別化の武器として握った[6]。
減収をCP発行で相殺した財務の裏づけ
金利を下げれば利息収入は細る。1997年の引き下げでは約35億円の減収が見込まれた。ジャックスはこれを、資金調達の組み替えで補った。折からの低金利で銀行借入の金利はすでに下がり切っており、より安く調達できるコマーシャルペーパー(CP)の発行を増やし、調達コストの削減で減収分を埋めた。金融機関からの借入残高は約8,600億円に達しており、その一部をCPへ振り替える余地が、不動産に資金を寝かせなかった財務の堅さから生まれていた[7][8]。
結果
改正貸金業法後に分かれた明暗
金利を下げてから8年後、業界の前提が崩れた。2006年12月に改正貸金業法が成立し、グレーゾーン金利は撤廃され、過去に払い過ぎた利息の返還を求める過払い金返還請求が信販各社を襲った。高い金利で貸してきた会社ほど返還の負担は重く、2010年9月には消費者金融最大手の武富士が会社更生法の適用を申請する。日本信販とオリエントコーポレーションも巨額の返還に直面し、経営の立て直しをメガバンクに頼った[9]。
ジャックスは、10年近く前に金利を法定の枠内へ収めていたため、返還請求の対象となる高金利の貸付が乏しく、過払い金の負担は限られた。競合が返済原資の確保に追われるなか、2008年3月には三菱東京UFJ銀行が第三者割当増資を引き受けて出資比率20%を取得し、ジャックスを持分法適用関連会社とする。翌4月、ジャックスは三菱UFJニコス(旧日本信販)の個品割賦事業を承継し、かつての業界1位の顧客基盤を引き受けた。倒産の波を生き延びた会社が、追い込まれた首位企業の事業を受け取る側に回った[10]。
- 日経ビジネス 1998年4月13日号「ジャックス業界最低の貸出金利で『喝』競争力強化、体質改善狙う」
- ジャックス 有価証券報告書【沿革】
- 日本経済新聞(2010年9月28日)「武富士、会社更生法の適用きょう申請 過払い金の扱い、焦点に」