エバラ食品工業店頭登録を経てジャスダック証券取引所へ株式を上場
創業46年、無借金で通してきた同族会社が資本市場の評価軸に乗るまで
- 概要
- 2003年11月に日本証券業協会へ株式を店頭登録し、2004年12月に店頭登録を取り消してジャスダック証券取引所へ上場した経営判断。1958年の創業から46年、焼肉のたれで国内シェア6割を握る調味料メーカーが、非上場のまま通してきた資本のあり方を改めた。
- 背景
- 創業者の森村国夫氏は資本金2730万円のまま売上高がその400倍に達しても増資を急がず、借入も金融機関との付き合い程度にとどめた。実兄が率いたキンケイ食品が上場後に行き詰まった経緯を近くで見ていたことも、慎重な経営の背景として同時代の誌面に記されている。
- 内容
- 2000年3月にエバレイを設立して2001年4月に単位株制度の採用を目的とする合併を行い、2003年4月に同社を吸収合併して法人体制を整えた。同年11月に店頭登録、翌2004年12月にジャスダック証券取引所へ上場した。
- 含意
- 上場後は2013年11月に東証2部、2014年12月に東証1部、2022年4月にスタンダード市場と市場区分を移り、2024年策定の中期経営計画では総還元性向50%以上を目標に掲げている。創業家側の持株比率は2026年3月末で35.9%を占める。
46年遅れて乗った評価軸
焼肉のたれという市場を自ら作り、無借金と過小資本で走り続けた会社が、創業46年でようやく取引所へ上がった。急いで公開しなかったこと自体は、資金を必要としない事業の性格をよく表している。誌面が伝える実兄の会社の顛末は、公開すれば会社が強くなるとは限らないという実例を創業者に見せていた。上場が選ばれたのは、成長のための資金が要る時ではなく、むしろ本業の伸びが緩み、事業の構成を整理する時期であった点に、この判断の特徴があるとみることができる。
上場後の20年は、市場区分を上がっては下りる歩みでもあった。東証1部への指定から8年でスタンダード市場へ移り、成長の物語よりも還元の約束が中期計画の前面に出ている。一方で筆頭株主の持分は3分の1を超え、創業家が経営を担う体制は続いている。外部の評価軸に乗ることと、同族としての意思決定を保つこと——その二つをどう両立させるかという問いは、上場から20年を経た今も残されているようにみえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
増資を急がなかった会社
エバラ食品工業は長く、事業の規模に比べて資本の小さい会社であった。1979年の資本金は2730万円にとどまり、その年の売上高は資本金の400倍に達していた。名目だけの売上高が大きい商社ならともかく、製造まで担う食品メーカーとしては異例の過小資本にあたる。森村国夫社長は「売上高の伸びに対して、払い込み資本増加のテンポが追いつかないだけ」と述べ、剰余金を含めた実質的な資本は11億円程度あり、資金面に不安はないと説明していた。借入も「金融機関との付き合い程度で、実質的には無借金」であった[1]。
慎重な資本政策には、身近な前例があった。森村国夫氏は1936年にキンケイ食品工業へ入社し、1947年には同社の専務を務めている。実兄の森村武次郎氏が社長を務めたキンケイ食品とは経営方針などで対立し、国夫氏は独立してエバラ食品工業の前身である荏原食品へ移った。そのキンケイ食品は東証二部に株式を上場したものの、1976年には行き詰まってレストラン西武に吸収された。上場後の実兄の苦労を近くで見ていたことが、慎重な経営の背景にあるのかもしれないと、同時代の誌面は記している[2]。
成熟期に入った本業と、法人体制の整理
1990年代の終わりには、事業の伸びが緩んでいた。単体の売上高は2000年3月期に399億円、2001年3月期に401億円と横ばいで、当期純利益はそれぞれ2.7億円、0.8億円にとどまっている。1968年3月期の1.5億円から1981年3月期の171億円へ13年でおよそ114倍という急成長は遠く、以後の連結売上高は500億円前後で推移する成熟期に入っていた。1996年にはキッコーマンが焼肉のたれへ参入し、主力商品の競争も強まっていた[3][4]。
上場に先立って、法人の体制が整えられた。2000年3月にエバレイを横浜市都筑区に設立し、2001年4月には単位株制度の採用を目的として、形式上の存続会社であるエバレイの商号をエバラ食品工業へ改めたうえで合併している。2003年4月には改めてエバレイを吸収合併し、グループ内の法人を整理した。同じ2003年4月には神奈川県足柄上郡に中央研究所を開設しており、株式公開に向けた体制づくりと、本業の研究開発機能の強化が並行して進められていた[5]。
決断
店頭登録から取引所上場へ
2003年11月、エバラ食品工業は日本証券業協会に株式を店頭登録し[7]た。創業から45年を経て、株式に公開の市場価格がついたことになる。当時の社長は、1995年に創業者から経営を継いだ森村忠司氏であった。創業者から数えて2代目の体制で、非上場のまま通してきた資本のあり方が改められたことになる。店頭登録は、取引所への上場に比べて開示や上場審査の負担が軽い入口にあたり、公開企業としての運営を段階的に始める道筋が採られた[6]。
1年あまりのちの2004年12月、同社は日本証券業協会への店頭登録を取り消し、ジャスダック証券取引所へ株式を上場した。1958年5月の創業から46年後にあたる。店頭登録の銘柄から取引所の上場銘柄へ移ったことで、売買と情報開示の枠組みも取引所の規則に沿うものへ変わった。以後、株価と時価総額という外部の評価軸が、家庭用調味料の売れ行きと並んで経営を測る尺度に加わった[8][9]。
上場と同じ時期に動いたグループの組み替え
上場を挟む数年は、グループの構成が動いた時期でもあった。2004年9月に人材派遣業のサンリバティー横浜の株式を取得して子会社に加え、2005年4月には荏原食品(上海)有限公司を設立して中国市場に足場を作った。1996年の米国法人清算以来となる海外拠点であり、上場によって外部の目が入る体制のもとで、海外展開が再び始まったことになる[10][11]。
同時に、本業から離れた事業の整理も仕上げの段階に入っていた。2006年3月には日本冷食の全株式をサンマルコ食品へ譲渡し、1981年から続いた冷凍食品事業から退いている。上場によって連結の業績が四半期ごとに公表される体制へ移ったことと、収益貢献を確かめられない事業を手元に置き続けにくくなったこととは、時期の上で重なっている。連結売上高は2003年3月期481億円、2004年3月期469億円、2005年3月期466億円と横ばいで推移していた[12][13]。
結果
市場区分を移りながらの20年
上場後の同社は、市場区分の再編とともに所属する市場を移した。2010年4月にジャスダック証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴って大阪証券取引所JASDAQへ、2013年7月には東京証券取引所と大阪証券取引所の統合に伴って東京証券取引所JASDAQへ移っている。2013年11月に東証2部へ市場変更し、2014年12月には東証1部に指定された。2022年4月の市場区分見直しでは、市場第1部からスタンダード市場へ移行している。2013年10月には1単元の株式数を1000株から100株へ改め、個人が買いやすい取引単位に整えた[14][15]。
上場から20年を経ても、株主の構成には創業家の色が濃く残る。2026年3月末時点の発行済株式総数は9,868,626株、株主数は9,384名で、筆頭株主のKMSTHOLDINGSが35.9%を保有している。市場に株式を置きながら、支配的な持分は創業家側にとどまる形といえる。2024年4月に始まった中期経営計画「Ebara Reboot 2026」では、EBITDA40億円・海外売上高比率5%以上と並べて総還元性向50%以上が目標に置かれ、稼いだ資金を株主へ返す方針が明示された[16][17]。
- 日経ビジネス 1979年5月21日号「店頭の死角ついた『焼き肉のたれ』」
- エバラ食品工業 有価証券報告書【沿革】
- エバラ食品工業 有価証券報告書(連結)
- エバラ食品工業 公式サイト「沿革」
- エバラ食品工業 公式サイト「株式基本情報」
- エバラ食品工業 新中期経営計画「Ebara Reboot 2026」策定(2024年5月15日)