カゴメ の歴史

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創業 1899年
創業者 蟹江一太郎
創業地 愛知県知多郡東海町
創業
1899年、蟹江一太郎氏が愛知県知多郡で西洋野菜の栽培に着手し、最初のトマトの発芽を見た。ところが生のトマトは日本の食卓になじまず、作っても売れずに捨てるほかなかった。保存と輸送の利く加工品なら値が付くと見て、1903年にトマトソース、1908年にトマトケチャップとウスターソースの製造・販売を始めている。1914年12月に愛知トマトソース製造合資会社を設立し、1917年4月にカゴメ印を商標登録した。商号は1923年に愛知トマト製造、1949年に関係5社の合併で愛知トマト、1963年4月にカゴメへと改まる。1933年にはトマトジュースを発売し、畑から加工までを一社で抱える形が創業から三十年あまりで固まった。
決断
多角化で行き詰まるたび、農業と商品開発という自前の工程へ戻ってきた。1980年代に薬草飲料・パスタ・米国での現地生産へ広げた多角化は実らず、1991年に社長へ就任した蟹江嘉信氏は約1,000あった商品を600品目ほどへ絞った。1996年には『農業への原点回帰』を掲げ、1998年に茨城県美野里町の農家と農業法人を設立して自社の大型温室で生食用トマトの生産を始めた。加工用トマトを農家に作らせて買い取る会社が、生食用の野菜を自ら育てる側へ回った転換で、生鮮野菜が黒字を確保するまでに十年余りを要した。2002年10月には喜岡浩二氏が単発のヒットに依存しない開発の仕組みを入れ、売上高に占める新商品比率20%以上を数値目標に据えて全社員から提案を募った。『野菜一日これ一本』など年商100億円級の商品が続き、2007年3月期は売上高・経常利益とも過去最高を更新した。
現況
国内で売る野菜飲料と、米国で作る加工用トマトが現在の二つの収益源である。2025年12月期の連結売上高は2,942億円、営業利益は226億円で、いずれも前期を下回った。国内加工食品事業が売上1,573億円・利益155億円、国際事業が1,148億円・92億円で、米国売上は803億円にのぼる。国際事業は2024年1月のインゴマー社の子会社化で2023年12月期の631億円から翌期に1,295億円へ倍増したが、2025年12月期は1,148億円へ戻り、利益も139億円から92億円へ減った。2001年8月には金融機関の放出株を個人投資家へ振り向け、株主数は2025年12月末で24万1,577人、個人・その他が63.02%を占める。トマトジュースを飲む人が株主名簿に載る構造が、持ち合い解消後の安定株主を作った。
競合
外資に対して守ったのは商標ではなく、加工用トマトの畑だった。1960年、資本自由化を前に米デルモンテが三井物産を介して合弁を持ちかけると、蟹江一太郎氏はこれを断って契約栽培による国産・自主路線を選んだ。デルモンテはキッコーマン・三井物産との合弁で1963年に日本カルパックを設立して上陸し、ハインツも日魯漁業との合弁で参入した。カゴメは1916年から組織化してきた契約栽培で加工用トマト畑の74%を確保し、外資の進出から約10年後の1972年もケチャップ82%・トマトジュース64%のシェアを保った。ただし畑を握る競争優位は国内の作付面積に縛られ、気候変動で農業用水の制限が厳しくなると増産が利かない。2024年1月の米インゴマー社の子会社化は、外資の本拠地であるカリフォルニアの畑と一次加工を自らの側へ移した。
カゴメ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年3月期2025年12月期

創業ストーリー 売れなかったトマトを加工品に変え、契約栽培で原料を握るまでの創業期 (1899年〜)

軍隊で受けた助言から始まった西洋野菜の栽培と加工への転身

1899年、愛知県知多郡東海町(現・東海市)で農業を営んでいた蟹江一太郎氏[1]は、軍隊で上官から『これからは米や麦だけ作っているのでは駄目だ。西洋野菜をやれ』[引用元]と勧められ、除隊後に玉ネギ・キャベツ・トマトの栽培を始めた[2]。同年に最初のトマトの発芽を見た[3]ものの、トマトは日本人の食生活になじまず、さっぱり売れなかった[4]。蟹江一太郎氏は売れ残るトマトを加工へ回す道を選び、1903年にトマトソース(現在のトマトピューレー)の試作に成功した[5]。わが国で最初のトマトの加工品[6]であった。1908年にはトマトケチャップとウスターソースの製造・販売にも乗り出した[7]

  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [1]創業者 蟹江一太郎(知多半島で農業に従事)
    • [2]明治32年(1899年)除隊後に玉ネギ・キャベツ・トマトの栽培に着手
    • [4]トマトが日本人の食生活になじまず売れなかった当時の状況
    • [5]1903年 トマトソース(現トマトピューレー)の試作に成功
    • [6]トマトソースはわが国初のトマト加工品
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [3]1899年 最初のトマトの発芽
    • [7]1908年 トマトケチャップ・ウスターソースの製造・販売を開始

1914年12月、蟹江一太郎氏は愛知トマトソース製造合資会社を設立し[8]、個人経営から法人へ移った[9]。1917年4月には六角形の籠目模様による『カゴメ印』を商標登録した[10]。1919年6月に上野工場が竣工して製造設備が整い[11]、1923年4月には株式会社へ組織を変更して商号を愛知トマト製造株式会社とした[12]。1933年8月にはトマトジュースを発売し[13]、ケチャップ・ピューレー・ジュースという三つの製品群がそろった。創業者が唱えた社是は『和風協力』で、人と和し、協力して仕事をするという意味を込めたもの[14]であった。

  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [8]1914年12月 愛知トマトソース製造合資会社(現カゴメ)設立
    • [10]1917年4月 カゴメ印(六角形の籠目模様)を商標登録
    • [11]1919年6月 上野工場竣工
    • [12]1923年4月 愛知トマト製造株式会社へ改組
    • [13]1933年8月 トマトジュースを発売
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [9]大正3年 愛知トマトソース製造合資会社の設立(個人経営から法人へ)
    • [14]社是「和風協力」(人と和し、協力して仕事をする)
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [1]創業者 蟹江一太郎(知多半島で農業に従事)
    • [2]明治32年(1899年)除隊後に玉ネギ・キャベツ・トマトの栽培に着手
    • [4]トマトが日本人の食生活になじまず売れなかった当時の状況
    • [5]1903年 トマトソース(現トマトピューレー)の試作に成功
    • [6]トマトソースはわが国初のトマト加工品
    • [9]大正3年 愛知トマトソース製造合資会社の設立(個人経営から法人へ)
    • [14]社是「和風協力」(人と和し、協力して仕事をする)
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [3]1899年 最初のトマトの発芽
    • [7]1908年 トマトケチャップ・ウスターソースの製造・販売を開始
    • [8]1914年12月 愛知トマトソース製造合資会社(現カゴメ)設立
    • [10]1917年4月 カゴメ印(六角形の籠目模様)を商標登録
    • [11]1919年6月 上野工場竣工
    • [12]1923年4月 愛知トマト製造株式会社へ改組
    • [13]1933年8月 トマトジュースを発売

契約栽培の組織化と関係5社の合併による全国メーカー化

1916年、蟹江一太郎氏は原料調達を安定させるため愛知県の農業組織と契約し[15]、加工用トマトの栽培を組織化した。農家と毎年、面積・品種・価格を取り決め[16]、収穫したトマトを決められた価格で全量買い取り、その栽培については責任をもって指導にあたる方式[17]であった。品質を加工に合わせて作り込める原料を、安定した価格で確保するための仕組み[18]であった。この契約栽培は創業以来続き、1970年代末には農協および経済連を通じた農家との直接契約という形をとっていた[19]。加工用トマトは畑で真赤に完熟したものを収穫してすぐ工場へ運び、ジュースであれば搬入から缶詰になるまで6〜7分[20]しかかからない。青いうちに採って流通段階で赤くする生食用と比べ、栄養価には大きな差[21]が生まれた。

  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
    • [15]1916年 愛知県の農業組織と契約しトマト栽培を組織化
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [16]契約栽培の内容(面積・品種・価格を毎年契約)
    • [20]加工用トマトは完熟収穫で工場搬入から缶詰まで6〜7分
    • [21]生食用は青いうちに収穫し流通段階で赤くするため栄養価に大きな差
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [17]契約栽培の内容(全量買取と栽培指導)
    • [18]契約栽培の狙い(高品質で加工に適した原料を安定価格で調達)
    • [19]創業以来の契約栽培、農協・経済連を通した農家との直接契約(1978年時点)

第二次大戦から戦後にかけては極度の物資不足が続き[22]、愛知トマト製造株式会社の関係事業は5社に分かれていた[23]。1949年8月、同社は創業50周年を機に関連事業の集約を図り[24]、愛知商事・愛知罐詰興業・滋賀罐詰・愛知海産興業の関係4社を吸収合併して[25]、資本金1,500万円の愛知トマト株式会社となった[26]。本店は名古屋市[27]に置いた。同じ年の4月に東京連絡所(現・東京支店)[28]、7月に大阪出張所(現・大阪支店)[29]を開き、東京と大阪に販売拠点を設けた。1950年代を通じて化学肥料が普及し、日本の食卓にキャベツなどの西洋野菜が並ぶなかで、カゴメは乾物問屋を中心にケチャップの販路[30]を整えた。

  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [22]戦中戦後の極度の物資不足
    • [23]戦後まで関係事業が5社に分割されていた
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [24]1949年8月 創業50周年を機に関係4社を吸収合併し愛知トマト株式会社を設立
    • [25]合併した関係4社は愛知商事・愛知罐詰興業・滋賀罐詰・愛知海産興業
    • [26]設立時資本金 1,500万円
    • [27]本店は名古屋市
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [28]1949年4月 東京連絡所(現東京支店)開設
    • [29]1949年7月 大阪出張所(現大阪支店)開設
  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
    • [30]1950年代の化学肥料の普及と西洋野菜の家庭への浸透、乾物問屋を軸としたケチャップ販路の整備

生活水準の向上とともに食生活の洋風化が進み、ソースやトマトケチャップの需要が増えた[31]。これに応じて原料の契約栽培は愛知県から1952年に長野県、1961年に栃木県、1962年に茨城県へと産地を広げ、1970年代末には9県に及んだ[32]。主要な原料産地には工場を置き、1961年7月に栃木工場(現・那須工場)[33]、1962年6月に茨城工場が竣工した[34]。1961年4月にはカゴメビル株式会社(現・カゴメアクシス株式会社)を本社ビルの管理会社として設立し[35]、1962年7月に名古屋支店[36]、同年9月に研究所を開いた[37]。売上高は1955年の14億7,800万円から伸び[38]、1962年に蟹江一太郎氏は長男の蟹江一忠氏へ経営を譲った[39]

  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [31]食生活の洋風化によるソース・トマトケチャップの需要増
    • [32]契約栽培の産地拡大 長野県1952年・栃木県1961年・茨城県1962年、計9県
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [33]1961年7月 栃木工場(現那須工場)竣工
    • [34]1962年6月 茨城工場竣工
    • [35]1961年4月 カゴメビル(現カゴメアクシス)を本社ビル管理会社として設立
    • [36]1962年7月 名古屋支店開設
    • [37]1962年9月 研究所開設
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [38]1955年(昭和30年)売上高 14億7,800万円
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【役員の状況】
    • [39]1962年 蟹江一太郎から長男・蟹江一忠へ経営承継
  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
    • [15]1916年 愛知県の農業組織と契約しトマト栽培を組織化
    • [30]1950年代の化学肥料の普及と西洋野菜の家庭への浸透、乾物問屋を軸としたケチャップ販路の整備
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [16]契約栽培の内容(面積・品種・価格を毎年契約)
    • [20]加工用トマトは完熟収穫で工場搬入から缶詰まで6〜7分
    • [21]生食用は青いうちに収穫し流通段階で赤くするため栄養価に大きな差
    • [22]戦中戦後の極度の物資不足
    • [23]戦後まで関係事業が5社に分割されていた
    • [38]1955年(昭和30年)売上高 14億7,800万円
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [17]契約栽培の内容(全量買取と栽培指導)
    • [18]契約栽培の狙い(高品質で加工に適した原料を安定価格で調達)
    • [19]創業以来の契約栽培、農協・経済連を通した農家との直接契約(1978年時点)
    • [24]1949年8月 創業50周年を機に関係4社を吸収合併し愛知トマト株式会社を設立
    • [25]合併した関係4社は愛知商事・愛知罐詰興業・滋賀罐詰・愛知海産興業
    • [26]設立時資本金 1,500万円
    • [27]本店は名古屋市
    • [31]食生活の洋風化によるソース・トマトケチャップの需要増
    • [32]契約栽培の産地拡大 長野県1952年・栃木県1961年・茨城県1962年、計9県
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [28]1949年4月 東京連絡所(現東京支店)開設
    • [29]1949年7月 大阪出張所(現大阪支店)開設
    • [33]1961年7月 栃木工場(現那須工場)竣工
    • [34]1962年6月 茨城工場竣工
    • [35]1961年4月 カゴメビル(現カゴメアクシス)を本社ビル管理会社として設立
    • [36]1962年7月 名古屋支店開設
    • [37]1962年9月 研究所開設
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【役員の状況】
    • [39]1962年 蟹江一太郎から長男・蟹江一忠へ経営承継

デルモンテの合弁提案を断り単独で外資を迎え撃った判断

1960年、日本政府が資本自由化の方針を決め[40]、巨大外資の日本上陸が現実味を帯びた。この頃、対日進出をうかがった米デルモンテが三井物産を介して合弁会社の設立を持ちかけた[41]が、社長の蟹江一太郎氏はこれを断った[42]。断った理由について蟹江一太郎氏は、製品が全く同じでカゴメにとっての利点はなく、同じ国内での競争なら負けない自信があったからだ[43]と語った。カゴメは1916年から加工用トマトの契約栽培を組織してきており[44]、原料を押さえたまま単独で外資を迎え撃つ道を選んだ。トマト加工食品のパイオニアとして『トマトはカゴメ』というブランドイメージ[45]も浸透していた。

  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
    • [40]1960年 政府が資本自由化の方針を決定、外資の日本上陸が現実化
    • [41]1960年頃 米デルモンテが三井物産を通じて合弁会社設立を提案
    • [42]社長 蟹江一太郎が合弁提案を拒否
    • [43]拒否の理由(製品が全く同じで利点なし・国内競争なら負けない自信)
    • [44]1916年からの加工用トマト契約栽培の組織化
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [45]トマト加工食品のパイオニアとしての「トマトはカゴメ」のブランドイメージ

提携を断られたデルモンテは、キッコーマンおよび三井物産と組んで1963年に日本カルパックを設立し、両社の販路でケチャップを売り出した[46]。米ハインツも日魯漁業との合弁で参入したため[47]、カゴメはトマト分野で二つの外資連合を同時に相手取った[48]。1963年4月には商号をカゴメ株式会社に変更し、商品ブランドと社名を一致させた[49]。ブランド名と社名は同じほうがよいという考えから[50]であった。1962年に父から経営を継いだ[51]蟹江一忠氏がこの競争を引き受け、外資の側も原料は国内に求めるほかない以上[52]、競争はカゴメが長年耕してきた土俵の上で起きた。

  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
    • [46]1963年 デルモンテがキッコーマン・三井物産と日本カルパックを設立し上陸
    • [47]米ハインツが日魯漁業と合弁で日本市場に参入
    • [48]カゴメがハインツ・デルモンテ両外資と対峙
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [49]1963年4月 商号をカゴメ株式会社へ変更
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [50]商号変更の理由(ブランド名と社名を同じにする)
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【役員の状況】
    • [51]1962年 蟹江一忠が経営を継承(在任1962〜1979)
  • 日経ビジネス 1972年8月21日号
    • [52]外資も国内に原料を求める「自分の土俵」での戦い

1960年代を通じて、ハインツ・日魯連合とデルモンテ・キッコーマン連合はいずれも日本のトマト市場でカゴメに敗れた[53]。外資の進出から10年を経た1972年、カゴメのシェアはケチャップで82%、トマトジュースで64%を保っていた[54]。カゴメが早くから原料トマトの生産に契約栽培の制度を導入し、加工用トマト畑の74%を確保していたことが、その強さの最大の理由に数えられた[55]。原料の国内調達義務も、外資に対する守りとして[56]働いた。1965年以降は業界への新規参入が活発になり、キリンも1976年頃からトマトジュースと野菜ジュース[57]を手がけた。カゴメはこれをマイナスとは受け止めず、参入の増加がそれだけ市場を広げ、新規需要の開拓に役立ったと見ていた[58]

  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
    • [53]1960年代 両外資連合が日本のトマト市場でカゴメに敗北
    • [56]原料の国内調達義務が防衛に働いた
  • 日経ビジネス 1972年8月21日号
    • [54]1972年 シェア ケチャップ82%・トマトジュース64%
    • [55]加工用トマト畑の74%を契約栽培で確保
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [57]昭和40年(1965年)以降の新規参入の活発化とキリンのトマトジュース・野菜ジュース参入
    • [58]新規参入による市場拡大と新規需要開拓というカゴメの受け止め
  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
    • [40]1960年 政府が資本自由化の方針を決定、外資の日本上陸が現実化
    • [41]1960年頃 米デルモンテが三井物産を通じて合弁会社設立を提案
    • [42]社長 蟹江一太郎が合弁提案を拒否
    • [43]拒否の理由(製品が全く同じで利点なし・国内競争なら負けない自信)
    • [44]1916年からの加工用トマト契約栽培の組織化
    • [46]1963年 デルモンテがキッコーマン・三井物産と日本カルパックを設立し上陸
    • [47]米ハインツが日魯漁業と合弁で日本市場に参入
    • [48]カゴメがハインツ・デルモンテ両外資と対峙
    • [53]1960年代 両外資連合が日本のトマト市場でカゴメに敗北
    • [56]原料の国内調達義務が防衛に働いた
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [45]トマト加工食品のパイオニアとしての「トマトはカゴメ」のブランドイメージ
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [49]1963年4月 商号をカゴメ株式会社へ変更
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [50]商号変更の理由(ブランド名と社名を同じにする)
    • [57]昭和40年(1965年)以降の新規参入の活発化とキリンのトマトジュース・野菜ジュース参入
    • [58]新規参入による市場拡大と新規需要開拓というカゴメの受け止め
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【役員の状況】
    • [51]1962年 蟹江一忠が経営を継承(在任1962〜1979)
  • 日経ビジネス 1972年8月21日号
    • [52]外資も国内に原料を求める「自分の土俵」での戦い
    • [54]1972年 シェア ケチャップ82%・トマトジュース64%
    • [55]加工用トマト畑の74%を契約栽培で確保

台湾合弁と株式上場、圧倒的シェアで迎えた創業80年

1967年10月、カゴメは台湾に現地資本との合弁で台湾可果美股份有限公司を設立[59]した。出資比率は40%、工場は台南市[60]に置いた。設立の趣旨は日本への原料供給ではなく台湾全土での販売と東南アジア・中近東への輸出にあった[61]が、のちにカゴメは同社からトマトペーストを輸入し、原料調達の多様化にも使った[62]。1968年7月に富士見工場が竣工し[63]、1971年3月にはカゴメ興業株式会社(のちのカゴメ物流サービス株式会社)を物流子会社として設立[64]、1972年4月に東京本部を開いた[65]。台湾可果美は1970年代末までに軌道へ乗り、業績も伸び[66]ていた。

  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [59]1967年10月 台湾可果美股份有限公司を合弁で設立
    • [63]1968年7月 富士見工場竣工
    • [64]1971年3月 カゴメ興業(のちのカゴメ物流サービス)を物流子会社として設立
    • [65]1972年4月 東京本部(現東京本社)開設
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [60]台湾可果美への出資比率40%・工場は台南市
    • [61]設立趣旨は台湾全土での販売と東南アジア・中近東への輸出
    • [66]台湾可果美は1970年代末までに軌道に乗り業績が伸びた
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [62]原料調達の多様化のため台湾可果美からトマトペーストを輸入

1976年11月、カゴメは名古屋証券取引所市場第二部に株式を上場[67]した。公募増資で得た資金を借入金の返済にあて、自己資本比率は1976年3月期の16.8%から翌期には25.9%へ上がり[68]、固定比率も153.9%から95.1%へ改善した[69]。1978年9月に名古屋証券取引所市場第一部へ指定替となり[70]、同年11月1日には4,520千株を1株1,145円で公募して東京証券取引所市場第一部に上場した[71]。上場時の資本金は24億7,000万円、従業員数は1,345人[72]であった。事業所は名古屋本社と東京本部、栃木工場ほか7工場、東京支店ほか10支店、宇都宮営業所ほか2営業所、青森出張所ほか11出張所[73]に及んでいた。

  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [67]1976年11月 名古屋証券取引所市場第二部に上場
    • [70]1978年9月 名古屋証券取引所市場第一部へ指定替
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [68]公募増資資金による借入金返済で自己資本比率16.8%→25.9%
    • [69]固定比率 153.9%→95.1%
    • [71]1978年11月1日 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [72]上場時の資本金 24億7,000万円・従業員数 1,345人
    • [73]1978年時点の事業所(名古屋本社・東京本部・栃木工場ほか7工場・東京支店ほか10支店ほか)

上場時点のカゴメは、1978年3月期の売上高のうちトマトケチャップが263億円で38.9%、トマトジュースが196億円で28.9%、ソース製品が101億円で15.0%を占めていた[74]。同期の市場占有率はトマトケチャップ73.3%、トマトジュース50.9%、ソース製品27.6%、リンゴジュース26.2%、野菜ジュース23.4%で、いずれも第1位である[75]。契約栽培で確保する原料トマトは全国の加工用トマト生産量の52%にのぼり[76]、販売を受け持つ特約店は166社を数えた[77]。売上高は1955年の14億7,800万円から1978年3月期には675億4,900万円に達した[78]。ただし1977年3月期には大手ビールメーカーがトマトジュース分野へ新規参入し、これに応じた販売促進費と広告宣伝費の増加が営業利益率を下げた[79]

  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [74]1978年3月期 売上高構成 ケチャップ263億円38.9%・トマトジュース196億円28.9%・ソース101億円15.0%
    • [75]1978年3月期 市場占有率 ケチャップ73.3%・トマトジュース50.9%・ソース27.6%・リンゴジュース26.2%・野菜ジュース23.4%(いずれも1位)
    • [76]契約栽培による原料確保は全国の加工用トマト生産量の52%
    • [79]1977年3月期 大手ビールメーカーのトマトジュース分野への新規参入と販促費・広告費の増加
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [77]特約店 166社
    • [78]売上高 1955年14億7,800万円→1978年3月期675億4,900万円
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [59]1967年10月 台湾可果美股份有限公司を合弁で設立
    • [63]1968年7月 富士見工場竣工
    • [64]1971年3月 カゴメ興業(のちのカゴメ物流サービス)を物流子会社として設立
    • [65]1972年4月 東京本部(現東京本社)開設
    • [67]1976年11月 名古屋証券取引所市場第二部に上場
    • [70]1978年9月 名古屋証券取引所市場第一部へ指定替
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
    • [60]台湾可果美への出資比率40%・工場は台南市
    • [61]設立趣旨は台湾全土での販売と東南アジア・中近東への輸出
    • [66]台湾可果美は1970年代末までに軌道に乗り業績が伸びた
    • [77]特約店 166社
    • [78]売上高 1955年14億7,800万円→1978年3月期675億4,900万円
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
    • [62]原料調達の多様化のため台湾可果美からトマトペーストを輸入
    • [68]公募増資資金による借入金返済で自己資本比率16.8%→25.9%
    • [69]固定比率 153.9%→95.1%
    • [71]1978年11月1日 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [72]上場時の資本金 24億7,000万円・従業員数 1,345人
    • [73]1978年時点の事業所(名古屋本社・東京本部・栃木工場ほか7工場・東京支店ほか10支店ほか)
    • [74]1978年3月期 売上高構成 ケチャップ263億円38.9%・トマトジュース196億円28.9%・ソース101億円15.0%
    • [75]1978年3月期 市場占有率 ケチャップ73.3%・トマトジュース50.9%・ソース27.6%・リンゴジュース26.2%・野菜ジュース23.4%(いずれも1位)
    • [76]契約栽培による原料確保は全国の加工用トマト生産量の52%
    • [79]1977年3月期 大手ビールメーカーのトマトジュース分野への新規参入と販促費・広告費の増加

スカイ計画による原料の海外シフトと米国自社工場の決断

1983年、カゴメは経営体質を一新する5カ年計画『スカイ計画』を始めた[80]。輸入自由化への対応を急ぎ、それまで原料の8割近くを占めていた国産トマトの比率を1988年には3割まで下げた[81]。1982年からの2年間で世界中のトマト産地を回り、カゴメの製品に最も適したペーストを作る国を探した結果、トルコのタット社とチリのマヨワ社と原料供給の契約を結んだ[82]。台湾を加えた三つの産地で、ジュースを除くトマト関連製品に必要なペースト約13万トンを確保できるまでになった[83]。スカイ計画は1,000億円企業を目標に掲げ、1988年にこれを達成[84]した。1983年5月にはブランドマーク[85]も変更した。

  • 日経ビジネス 1988年6月6日号
    • [80]1983年(昭和58年)スカイ計画(経営体質を一新する5カ年計画)を開始
    • [81]国産トマト比率 8割近く→3割(1988年時点)
    • [82]1982年からの2年間で世界のトマト産地を調査しトルコ・タット社、チリ・マヨワ社と原料供給契約
    • [83]台湾を加えた3産地でペースト約13万トンを確保
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号 別冊付録(蟹江嘉信・カゴメ社長 講演要旨)
    • [84]スカイ計画の目標「1,000億円企業」を1988年に達成
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [85]1983年5月 ブランドマークを変更

1988年2月2日、ジュネーブで開かれたガット理事会で日本は農産物10品目の自由化勧告を受諾し[86]、トマトケチャップ・トマトジュース・トマトソースを含む8品目の輸入割当枠撤廃が決まった[87]。原料の加工用トマトの価格は国産が1キロ約50円、米国は約10円と5分の1で、缶のコストも米国は日本の半分程度であった[88]。1988年6月、カゴメは米国カリフォルニア州に現地法人を設立し[89]、2年後をめどに自社工場を建てて米国内で調達した原料から業務用トマトケチャップを生産する計画[90]を発表した。蟹江英吉社長は『食品業界も国境のないビジネスになったということです』[引用元]と語った。

  • 日経ビジネス 1988年6月6日号
    • [86]1988年2月2日 ガット理事会で農産物10品目の自由化勧告を受諾
    • [87]8品目(ケチャップ・ジュース・ソースを含む)の輸入割当枠撤廃
    • [88]加工用トマト価格 国産1キロ約50円・米国約10円、缶コストは米国が日本の半分程度
    • [89]1988年6月 米国カリフォルニア州に現地法人を設立、2年後をめどに自社工場を建設する計画を発表
    • [90]米国自社工場で業務用トマトケチャップを生産する計画

米国進出は、当時カゴメと契約していた加工用トマトの栽培農家の反発を招いた[91]。契約農家は全国に約3,700戸あり[92]、カゴメは国内生産量14万6千トンのうち約7万トンを買い取る最大のユーザー[93]であった。1978年をピークに国内のトマトジュース需要が減り[94]、ペーストの輸入が増えたため契約量は激減して、2万戸近くあった契約農家は半分に減り、副業として作っていた農家はすべて脱落した[95]蟹江英吉社長は米国進出が報じられた直後に『ジュースの国内生産はやめない』[引用元]と表明したが、日本最大のトマト産地である長野県の農家からは、実施時期も決まっていない自由化を理由に初の値下げに応じさせられた直後の工場進出だとして猛反発が起きた[96]

  • 日経ビジネス 1988年6月6日号
    • [91]米国進出に対する国内トマト契約栽培農家の不安と反発
    • [92]カゴメと契約する加工用トマト栽培農家 全国約3,700戸
    • [93]全国の加工用トマト生産量14万6千トン・カゴメの購入量約7万トン(最大のユーザー)
    • [94]1978年(昭和53年)をピークに国内トマトジュース需要が減少
    • [95]ペースト輸入増で契約量が激減、契約農家2万戸近くが半減し副業農家は全て脱落
    • [96]長野県産地の反発(自由化を理由とした初の値下げ直後の米国工場進出)
  • 日経ビジネス 1988年6月6日号
    • [80]1983年(昭和58年)スカイ計画(経営体質を一新する5カ年計画)を開始
    • [81]国産トマト比率 8割近く→3割(1988年時点)
    • [82]1982年からの2年間で世界のトマト産地を調査しトルコ・タット社、チリ・マヨワ社と原料供給契約
    • [83]台湾を加えた3産地でペースト約13万トンを確保
    • [86]1988年2月2日 ガット理事会で農産物10品目の自由化勧告を受諾
    • [87]8品目(ケチャップ・ジュース・ソースを含む)の輸入割当枠撤廃
    • [88]加工用トマト価格 国産1キロ約50円・米国約10円、缶コストは米国が日本の半分程度
    • [89]1988年6月 米国カリフォルニア州に現地法人を設立、2年後をめどに自社工場を建設する計画を発表
    • [90]米国自社工場で業務用トマトケチャップを生産する計画
    • [91]米国進出に対する国内トマト契約栽培農家の不安と反発
    • [92]カゴメと契約する加工用トマト栽培農家 全国約3,700戸
    • [93]全国の加工用トマト生産量14万6千トン・カゴメの購入量約7万トン(最大のユーザー)
    • [94]1978年(昭和53年)をピークに国内トマトジュース需要が減少
    • [95]ペースト輸入増で契約量が激減、契約農家2万戸近くが半減し副業農家は全て脱落
    • [96]長野県産地の反発(自由化を理由とした初の値下げ直後の米国工場進出)
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号 別冊付録(蟹江嘉信・カゴメ社長 講演要旨)
    • [84]スカイ計画の目標「1,000億円企業」を1988年に達成
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
    • [85]1983年5月 ブランドマークを変更

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カゴメの沿革1899〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1899〜1962年売れなかったトマトを加工品に変え、契約栽培で原料を握るまでの創業期創業者蟹江一太郎西洋野菜の栽培に着手、最初のトマトの発芽を見る
トマトソースの製造・販売を開始★★
トマトケチャップ・ウスターソースの製造・販売を開始
愛知トマトソース製造設立
カゴメ印 商標登録
上野工場竣工、製造設備を近代化
愛知トマト製造に改組
トマトジュースを発売★★
愛知トマト製造・愛知海産興業・滋賀罐詰・愛知商事・愛知罐詰興業の5社が合併★★
愛知トマトを設立
米デルモンテとの合弁提携の拒否と、契約栽培による国産・自主路線

1960年頃、資本自由化を背景に対日進出をうかがった米デルモンテが、三井物産を介してカゴメ(当時の商号は愛知トマト)に合弁会社の設立を持ちかけた。創業者で社長の蟹江一太郎氏はこれを断り、契約栽培による国産原料の囲い込みを軸に、単独で外資を迎え撃つ道を選んだ経営判断である。

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★★★
栃木工場竣工
研究所を新設
1963〜1990年資本自由化で上陸した外資を契約栽培で退け、農産物自由化への備えに転じた時代カゴメに商号変更
台湾可果美股份有限公司を合弁・設立、海外トマト原料調達に着手★★
富士見工場竣工
カゴメ興業(カゴメ物流サービス)を物流子会社として設立(2019年 F-LINEに統合)
東京本部開設
名古屋証券取引所市場第二部に株式上場
名古屋証券取引所市場第一部に指定替
東京証券取引所市場第一部に株式上場
蟹江英吉ブランドマークを に変更
1991〜2009年商品数の膨張と米国事業の失敗を経て、非創業家社長が立て直しに動いた時期蟹江嘉信東京本部を東京本社に商号変更し2本社制に移行
蟹江嘉信野菜飲料「野菜生活100」を発売★★
伊藤正嗣「農業への原点回帰」による生鮮トマト事業への参入と自社菜園の全国展開

1996年、社長の蟹江嘉信氏は1980年代の多角化路線を見直し、『農業への原点回帰』を掲げた。これを受けてカゴメは1998年、加工用トマトの契約栽培とは別に、自社の大型温室で生食用トマトを直接栽培する生鮮トマト事業へ参入した。約4.8億円を投じた美野里町の"野菜工場"から、全国各地へ自社菜園を広げていく新規事業の判断である。

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★★★
伊藤正嗣KAGOME INC.設立
伊藤正嗣現在地(日本橋浜町三丁目21番1号日本橋浜町Fタワー)に東京本社を移転
伊藤正嗣企業理念(「感謝」「自然」「開かれた企業」)を発表
伊藤正嗣株主を「ファン」に変える——個人株主10万人構想と安定株主基盤の構築

2001年8月、カゴメは株式持ち合いの解消で放出される金融機関保有株の受け皿を個人投資家に定め、株主優待や株主懇親会など個人向けIRとあわせて個人株主を大量に迎え入れた。株主数を約6,000人規模から数万人へ広げ、個人を最大の安定株主とする構造を築いた経営判断である。1999年に動き出し、2003年に対外的に確立した。

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★★★
喜岡浩二連続ヒットを生む「野戦型」商品開発改革

全社員から提案を募る仕組みと新商品比率の数値目標を導入し、野菜飲料を軸に年商100億円級のヒットを相次いで放った経営判断。

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★★★
喜岡浩二可果美(杭州)食品有限公司設立(2017年 清算結了)
2010〜2026年生鮮トマトの黒字化から「野菜の会社」へ、海外事業を膨らませていった時期西秀訓Kagome Australia Pty Ltd.と子会社2社を設立
寺田直行Kagome Senegal Sarl設立
寺田直行国内食品メーカー5社で物流会社F-LINEを設立★★
山口聡カゴメアグリフレッシュ設立
山口聡プライム市場に移行
山口聡DXAS Agricultural Technology Lda設立
山口聡Ingomar Packing Company, LLCの持分を追加取得し子会社化★★
出典・参考
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【沿革】
  • カゴメ 有価証券報告書 第81期(2024年12月期)【役員の状況】
  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
  • 日経ビジネス 1972年8月21日号
  • 証券 1978年11月号(30巻11号)
  • 証券アナリストジャーナル 1979年1月号(下浦静平・カゴメ専務取締役 講演要旨)
  • 日経ビジネス 1988年6月6日号
  • 証券アナリストジャーナル 1993年12月号 別冊付録(蟹江嘉信・カゴメ社長 講演要旨)

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