「農業への原点回帰」による生鮮トマト事業への参入と自社菜園の全国展開

加工用トマトの契約栽培で育った会社は、なぜ自ら生食用トマトを栽培する道を選んだか

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時期 1998年
意思決定者 蟹江嘉信 社長
論点 農業への回帰と生鮮事業の新設
概要
1996年、社長の蟹江嘉信氏は1980年代の多角化路線を見直し、「農業への原点回帰」を掲げた。これを受けてカゴメは1998年、加工用トマトの契約栽培とは別に、自社の大型温室で生食用トマトを直接栽培する生鮮トマト事業へ参入した。約4.8億円を投じた美野里町の"野菜工場"から、全国各地へ自社菜園を広げていく新規事業の判断である。
背景
薬草飲料やパスタ、米国での現地生産へ広げた多角化と国際化が思うように実らず、カゴメは自らの強みが利く農産物へ立ち返る必要に迫られていた。加工用トマトを農家に作らせて買い取る契約栽培の会社が、生食用の野菜を自ら育てて食卓へ届ける事業へ踏み込む転機であった。
内容
1998年、茨城県美野里町の農家と農業法人を設立し、コンピューターで環境を管理する大型温室で生鮮トマトの生産を始めた。施設はカゴメが持ち、運営は農業法人が担う設計で、全国10カ所程度への展開を見込んだ。旬に縛られない品質と安定した供給を自ら握る狙いがあった。
含意
広島・福島・和歌山・福岡などの菜園子会社は累計約100億円を投じてもながく赤字が続き、2007年時点で「連結収益の足を引っ張る」事業とされた。生育管理を徹底した末に生鮮野菜セグメントは2013年3月期に黒字へ転じ、参入から「苦節10余年」を経て収穫期に入った。
筆者の見解

加工から農業へ、遠回りの意味

この判断の核心には、加工食品の会社が自らの立ち位置をどこに置くかという問いがあったとみることができる。カゴメは長く、農家に育てさせたトマトを工場で加工して売る会社であった。生鮮トマトの自社栽培は、その分業のうち最も他人任せにしてきた「栽培」そのものを引き受け直す試みであり、多角化や国際化で外へと広げてきた事業を、農産物という原点へ引き戻す動きでもあった。効率や規模ではなく、素材を作る力にこそ自社の強みがあるという確信が、遠回りに見える農業回帰を支えていたことがうかがえる。

もっとも、参入から黒字化までの十数年は、その確信が容易には報われないことも示している。工業的に管理された"野菜工場"を掲げて始めた事業が、最後に立ち返ったのは、葉や実を手に取って前日からの変化を見守る地道な生育管理であった。自然を相手にする農業は、資本と技術を投じれば計画どおりに実るとは限らない。生鮮への需要という追い風が吹くまで赤字に耐え続けた歳月は、食品メーカーが川上の農業まで自ら握ることの重さと可能性の両方を、今日のカゴメに問いかけているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

多角化の遠回りと「農業への原点回帰」

カゴメが生鮮トマトへ向かった背景には、1980年代に広げた多角化と国際化の行き詰まりがあった。1982年のトマトジュース不振を機に、同社は「脱トマト」を掲げ、リベラ社と組んだ薬草入りの自然飲料やIBP社と組んだパスタへ手を伸ばした。さらに1988年には、農産物の自由化で流れ込む米国産ケチャップに対抗しようと、米国での現地生産に踏み切り、本場の王者ハインツへ挑んだ。だが多角化も国際化も思うようには実らず、自らの強みが利く領域はどこかという問いが経営の内側で重くなっていた[1][2]

1996年、社長の蟹江嘉信氏はこの多角化路線を見直し、「農業への原点回帰」を掲げた。同氏は「食の原点は農業であるという発想に立ち返り、素材から土壌、種子の段階にまでさかのぼって高品質、安定供給を目指す」と語り、水産や畜産へやみくもに広げるのではなく、農産物の世界にこだわる方針を示した。「海外で作れば万事うまく行くといった安易な発想は捨てるべき」とも述べ、日本市場を足場とするカゴメにとって国内生産の強化こそ最優先の課題であると位置づけていた[3][4]

加工の会社が「生食用」へ踏み込む

この回帰は、カゴメの生い立ちと向き合う判断でもあった。同社は1899年の創業以来、加工用トマトを農家に作らせて買い取る契約栽培を背骨としてきた。原料を安く安定して確保する仕組みは強みであった一方、それはあくまで工場でジュースやケチャップへ姿を変える「加工用」の世界であった。生食用のトマトを自ら育てて食卓へ届ける事業は、原料調達の川上と、生鮮流通の川下の双方へ同時に踏み込むことを意味していた。同じトマトでも、契約栽培とは競争の土俵が異なっていた[5]

折しもカゴメは、トマト加工品の会社から野菜飲料の会社へと看板を広げる過渡期にあった。1995年には人参を主体にした「野菜生活100」を発売し、トマト以外の野菜へ商品の幅を伸ばしていた。方針を打ち出した蟹江嘉信氏は1996年に社長を退き、経営は初の非創業家社長となった伊藤正嗣氏へ引き継がれる。農業への回帰という構想は、この社長交代をまたいで生鮮トマト事業の立ち上げへとつながっていった[6][7]

決断

美野里町の農業法人と"野菜工場"

構想は、1998年に具体的な事業として形をとった。カゴメは茨城県美野里町の農家と協力して農業法人を設立し、カゴメブランドの生鮮トマトの生産を始めた。コンピューターを活用した合理的な農業を実現するため、約4.8億円を投じて生産設備を機械化し、あわせて全国各地に同様の農業法人を新設する方針を決めた。契約農家に委ねてきた栽培そのものを、自社の管理下に置き直す試みであった[8]

美野里町に建った施設は、当時の農業の常識から離れた姿をしていた。1999年の日経流通新聞は、総工費4億円をかけた大型施設が国内でも有数の規模であり、生産管理はコンピューターで行われ、現場の作業員は20人程度にとどまるとし、これを"野菜工場"と呼んだ。カゴメはこの施設を農業生産法人の美野里菜園にリースし、栽培指導や、加工食品で取引のあるスーパーの紹介まで併せて手がけていた。土に頼る旧来の農業とは異なる、工業的に管理された生産の仕組みであった[9]

通年供給を見すえた自社栽培という設計

この事業の眼目は、旬に縛られない安定した品質と供給を自ら握ることにあった。露地で夏に採れる加工用トマトと違い、環境を制御する大型温室であれば、季節を越えて生食用のトマトを計画的に育てられる。蟹江嘉信氏が語った「素材から土壌、種子の段階にまでさかのぼって高品質、安定供給を目指す」という言葉は、この自社栽培の設計思想と重なっていた。原料を買うのではなく、栽培の入り口から品質を作り込む発想であった[10]

大規模な施設への投資には、リスクを分け合う設計も添えられていた。日経流通新聞によれば、カゴメは大型温室を全国10カ所程度に建設して生鮮トマト事業を拡大する考えで、建設費用は行政からの補助金を含め、運営する農業法人に負担してもらう意向であった。カゴメが施設と技術を持ち込み、地域の農業法人が運営と資金の一部を担う——加工用の契約栽培とは違う、生鮮事業ならではの役割分担がここに組まれていた[11]

結果

「いまだ開花せず」——100億円と菜園子会社の赤字

参入からおよそ10年、生鮮トマトはなお実を結んでいなかった。2000年代のカゴメは「野菜一日これ一本」や植物性乳酸菌飲料「ラブレ」など年商100億円級のヒットを連発し、2007年3月期には過去最高益を更新していた。だがその牽引役は野菜飲料と乳酸菌飲料であり、週刊東洋経済は同社の弱点として、海外子会社の赤字とともに「連結収益の足を引っ張っているのが、生鮮トマトの菜園事業だ」と指摘していた。飲料の好調の陰で、農業への回帰は重荷として残っていた[12]

赤字は、全国へ広げた菜園子会社に集中していた。週刊東洋経済によれば、広島の世羅菜園、福島のいわき小名浜菜園、和歌山の加太菜園、福岡の響灘菜園という連結4子会社はいずれも赤字で、これら4菜園には累計で約100億円もの投資が積み上がっていた。喜岡浩二社長は「生産(栽培)面、販売面(価格、チャネル)両方に問題があったが、生産面での対応はほぼ終えた。だが、黒字化するのは09年度以降」と語り、黒字化の時期をなお数年先へ置いていた[13]

苦節10余年で収穫期へ

転機は、栽培の現場を見つめ直したところから訪れた。2014年の日経産業新聞は、カゴメが全国11カ所の自社菜園で生鮮トマトを直接手がけながら、想定外の気温変動や病害虫に悩まされてきた経緯を伝えている。そこで同社は、参入から十数年を経て、従業員が葉や実を手に取り前日からの変化を見守る生育確認を徹底させた。早さを優先して病気を見逃せば、かえって無駄な作業が増える。「トマトとの対話」という農業の原点に立ち返り、2013年3月期にようやく念願の黒字化に至った[14]

黒字化は、有価証券報告書のセグメント数値にも表れている。連結の生鮮野菜セグメントの売上高は、2011年3月期の約72億円から2013年3月期の約89億円へと伸び、セグメント損益は2012年3月期の赤字から2013年3月期に黒字へ転じた。折しも高齢化や健康志向を背景に、消費者の需要は加工飲料以上に生鮮野菜へ移りつつあった。参入時に見込んだ生鮮への追い風が、生育管理の立て直しと重なって、ようやく事業を収穫期へ押し上げたとみることができる[15][16]

出典・参考
  • カゴメ社史「カゴメの歴史」(2017年)
  • 日経流通新聞(1999年)
  • 週刊東洋経済 2007年7月28日号「大ヒット飲料連打の裏側 新しい市場創出に実る カゴメの『野戦型』改革」
  • 日経産業新聞(2014年)「苦節10余年で収穫期へ」
  • カゴメ 有価証券報告書(生鮮野菜セグメント・連結・JGAAP)
  • カゴメ 有価証券報告書【沿革】