この上場の性格は、公募5万株という数字に集約されている。成長資金を市場から集める上場ではなく、MBOから2年で投資を回収したいファンドのために市場を開いた上場であった。それ自体は、PEファンドが関与した非公開化の標準的な出口であり、責められる筋のものではない。むしろ目を引くのは、出口の反対側で起きたことである。売る側に回ってもおかしくなかった創業者が、MBOでは25億円を入れ直し、上場後には買い増して筆頭株主へ戻った。
経営は外部の萩平氏から阿部氏へ渡り、江口氏が表舞台に立つことはなかった。それでも資本の上では、創業者が一貫して最大の個人株主であり続けた。経営と所有を切り離し、経営は手放しても所有は手放さない——この選択が、その後の急成長の果実を創業者にもたらしたことは、株価の推移が示すとおりである。創業者の退場とは何をもって完了するのか。ベイカレントの上場は、経営の承継と資本の承継が別々の時間で進むことを示した事例として読める。