PEファンドの出口として設計された2016年9月の東証マザーズ上場

公募5万株に売出1,168万株——会社に資金がほぼ入らない上場で、ファンドは去り創業者はなぜ残ったか

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時期 2016年9月
意思決定者 萩平和巳・Sunrise Capital ベイカレント・コンサルティング 社長
論点 上場の目的と上場後の資本構成
概要
2016年9月2日、ベイカレント・コンサルティングは東証マザーズに上場した。公募はわずか5万株で、売出1,168万400株とオーバーアロットメント175万9,500株が公開規模の大半を占め、2014年のMBOで過半を握った投資ファンド勢の売却機会として設計された上場であった。
背景
上場直前の株主構成は、Sunrise Capital系3ファンドが計43.13%、EHRS L.P.が10.75%と、ファンド勢が過半を占めていた。ファンドの保有目的は売却によるキャピタルゲインの獲得にあり、上場時の一部売却はⅠの部にも明記されていた。一方、創業者の江口新氏も32.12%を握る筆頭株主のまま残っていた。
内容
想定公開規模は約318億円で、その大半が既存株主の売出しであった。新株発行が5万株にとどまるため会社へ入る資金はごく僅かで、萩平和巳社長は上場の狙いを資金調達ではなく会社の認知度と信用度の向上に置いた。主幹事は野村證券が務めた。
含意
上場から半年後の2017年2月末、Sunrise Capital系の保有は計5%強まで下がり、ファンドの出口は実現した。他方、江口氏は保有を77万株から155万株へ積み増し、2018年2月末に保有比率10.06%の筆頭株主へ戻った。MBOと上場を経てなお、創業者が最大の株主であり続ける資本構成となった。
筆者の見解

出口の上場と、退場しなかった創業者

この上場の性格は、公募5万株という数字に集約されている。成長資金を市場から集める上場ではなく、MBOから2年で投資を回収したいファンドのために市場を開いた上場であった。それ自体は、PEファンドが関与した非公開化の標準的な出口であり、責められる筋のものではない。むしろ目を引くのは、出口の反対側で起きたことである。売る側に回ってもおかしくなかった創業者が、MBOでは25億円を入れ直し、上場後には買い増して筆頭株主へ戻った。

経営は外部の萩平氏から阿部氏へ渡り、江口氏が表舞台に立つことはなかった。それでも資本の上では、創業者が一貫して最大の個人株主であり続けた。経営と所有を切り離し、経営は手放しても所有は手放さない——この選択が、その後の急成長の果実を創業者にもたらしたことは、株価の推移が示すとおりである。創業者の退場とは何をもって完了するのか。ベイカレントの上場は、経営の承継と資本の承継が別々の時間で進むことを示した事例として読める。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

ファンドが過半、創業者が筆頭という資本構成

上場の前提には、2014年6月のMBOで作られた資本構成があった。上場直前の株主名簿では、Sunrise Capital Ⅱの3ファンドが合計43.13%、EHRS L.P.が10.75%を保有し、投資ファンド勢だけで過半を占めていた。単独の筆頭株主は創業者の江口新氏で、保有比率は32.12%にのぼった。2012年3月に社長を退いた創業者が、資本のうえでは依然として最大の個人株主として残る構図であった。経営を率いる萩平和巳社長の保有は2.40%にとどまった[1]

江口氏の残留は、成り行きではなく出資の結果であった。MBOの受け皿会社バイロン・ホールディングスが実施した第三者割当で、江口氏は25億7,000万円を投じて257,000株を引き受けている。創業者は旧会社の株式を手放す一方、新会社へ資金を入れ直して大株主の座を保った。他方、ファンドの側の性格は上場書類に明記されていた。ファンドによる株式の所有目的は売却によるキャピタルゲインの獲得にあり、上場時に一部を売却する予定であることが、リスク情報として投資家に示されていた[2][3]

決断

公募5万株、売出1,168万株の設計

2016年9月2日、ベイカレント・コンサルティングは東京証券取引所マザーズに上場した。公開の内訳は、公募すなわち新株の発行が5万株にとどまる一方、既存株主の売出しが1,168万400株、オーバーアロットメントによる売出しが175万9,500株と、放出株式の99%以上を売出しが占めた。想定発行価格2,360円で計算した公開規模は約318億円にのぼる。会社へ入る資金がごく僅かである以上、この上場の実質は、資金調達ではなく株主の交代であった。主幹事は野村證券が務めた[4][5]

経営側は、この上場を売却の場と割り切ってはいなかった。萩平社長は上場直前のインタビューで、上場の目的を「会社の認知度と信用度を向上させ、競争力を高める」ことに置き、「あらゆる業界から応えきれないほど案件をいただいている」と需要の強さを語った。コンサルティングは会社の信用がそのまま受注力になる商売であり、非上場のファンド傘下という立場を脱すること自体に、営業と採用の両面で意味があった。ファンドの出口と会社の信用獲得——二つの目的が、一つの上場に重ねられていた[6]

結果

ファンドは去り、創業者が筆頭へ戻った

売出しは、ファンドの退出をそのまま実現した。上場から半年後の2017年2月末の大株主名簿では、筆頭がEHRS L.P.の11.12%となり、上場前に計43.13%を握ったSunrise Capital Ⅱ系は2ファンド合わせて5.33%まで減っていた。江口氏の保有も4.98%(770,500株)へ下がり、第2位に退いた。ファンド勢が売出しで大半を手放し、機関投資家や信託銀行の名義が上位に入り始める、上場企業らしい株主名簿への入れ替わりが進んだ[7]

続く1年で、名簿の先頭は再び創業者になった。2018年2月末の大株主名簿では、江口氏が155万5,714株・保有比率10.06%で筆頭株主に立ち、EHRS L.P.とSunrise Capital Ⅱ系は上位10位から消えた。江口氏の株数は1年で77万株から155万株へ倍増しており、上場後に買い増して筆頭へ戻ったことを名簿の推移が示している。MBOで経営から退き、上場でファンドが去ったのちも、創業者は自らの意思で最大の株主であり続ける道を選んだとみられる[8]

上場そのものは業績を変えなかった

上場を挟んだ業績は振るわなかった。2017年2月期は売上高172億円と増収を確保したものの、営業利益は前期の27億円から23億円へ減り、MBOで計上したのれんの償却負担が利益を圧迫した。2016年12月には萩平氏に代わって阿部義之氏が社長に就き、採用への集中投資と単価引き上げの二軸で立て直しに入った。売上高は2025年2月期に1,161億円へ達し、上場時の約7倍となった。上場が信用と知名度を通じて採用力を支えた一方、成長そのものは上場後の経営の組み替えから生まれた[9][10]

出典・参考

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