システナの源流は、逸見愛親氏の独立にさかのぼる。逸見氏は1979年に大学を卒業してコンピュータ・ソフトウェア会社へ就職したが[1]、本来は貿易会社に入りバイヤーになることを志していた。オイルショック後の不況で就職口が限られ、やむなく入った会社だった。その勤め先も、技術者を名古屋などの取引先へ次々に出向させる人材派遣に近い実態で、逸見氏は2年で退社した[2]。在職中から、普及し始めたマイクロコンピュータ(マイコン)に強く引かれていた。
退職前から少しずつマイコンソフトの仕事を個人で受注し、逸見氏は24歳でフリーのプログラマーとして独立した[3]。すでに結婚していたが不安はなく、『紙と鉛筆さえあればできる仕事』[引用元]と本人が語るほど身軽な出発で、設計だけを自宅で行い、実装は顧客先へ出張してこなした。1年ほどして夫人の弟と二人で組み、取引先から振込口座の開設には法人格が要ると求められたのを機に、1983年3月、横浜・上大岡にある義弟のアパート[4]にヘンミエンジニアリング株式会社を設立した。資本金は200万円、机を二つ置いただけの[5]事務所だった。
創業当時の日本のソフトウェア産業は、NEC・富士通・日立といったメインフレームベンダの下請け構造が支配的で、その周辺に専門領域へ特化した小規模な技術者集団が次々に生まれていた。世はオイルショック後の不況下にあったが、省力化・人減らしを背景に工業用ロボットなどの自動化が進み、組込み・通信のマイコンソフトはむしろ仕事に事欠かなかった。システムプロにも、営業をまったくしなくても注文が集まった。人手不足のソフト業界にあって、逸見氏は舞い込む受注の7割を断りながら、引き受ける仕事を自ら選べる立場にいた。
受注が殺到するなかで、逸見氏は会社の進路をめぐる選択を迫られた。社員を増やして舞い込む仕事をこなし規模を追えば会社は拡大できるが、それでは技術者を出向させるだけの前職と変わらなくなる。逸見氏は社員を増やさず、外注スタッフと二人で『やりたい仕事だけ』を選ぶ小人数経営をとった。ただし目標まで小さくしたわけではなく、『三十歳になるまでに、自分のやり方で売上げ1億円を達成してみせる』[引用元]と掲げていた。『今日は波がいいからサーフィンに行く』[引用元]と急に休む外注に泣かされながら受託で稼ぐ一方、逸見氏は『大衆に認知されるソフト』を自社で生み出すことへ資源を振り向けた。
最初に手がけた自社製品は、小学生向けの算数ドリルだった。計算の反復練習をコンピュータで行うソフトで、完成させて新聞発表まで漕ぎ着けながら、事情があって発売には届かなかった。続いて1987年、システムプロは電話回線を介して対戦できるオンライン麻雀『雀ネット』を発表した(同社の公式沿革は[6]、日本初の対戦型オンラインゲームの開発を1988[7]年と記している)。対戦を望む会員が四人そろえば自宅にいながらすぐ対局でき、人数が足りなければホストコンピュータが一人分を代わって打つ。パソコン通信の草創期にあって、雀ネットはコンピュータ通信で参加できる麻雀ゲームとして注目を集めた。
開発の最大の難所は、通信に明治時代の発明である電話線を使う点にあった。音声さえ伝わればよい電話回線は精度が低く、対局の途中で回線が途切れたり混線したりすれば、その後の勝負が続かない。キャッチホンにしていれば、外からの着信信号まで割り込んでくる。四人で囲む麻雀でこれらを乗り越えるため、システムプロは対局者の一人が脱落してもコンピュータが代わって入り、ゲームを止めずに続けられる仕組みを実装した。途切れやすい回線の上でリアルタイム処理を成立させる技術陣という同社の輪郭は、受託だけでなくこうした自社製品の開発を通じて形づくられた。
小人数の理想で会社を率いた逸見氏も、30歳を二年過ぎた時点で方針を改めた。売上げは目標の1億円に遠く及ばない3,500万円で、成長はしていても理想とは距離があった。[8]逸見氏はスタッフを増やす拡大路線へ転じ、資本金1,000万円・売上げ1億円に[9]届くまでは規模の拡大を優先すると決めた。結果は早く訪れ、1991年度の売上げは1億3,500万円と[10]、五年で五倍以上に伸びた。受託で得た余裕を自社開発部門の人員と資金へ振り向ける余力に変え、ISDNが家庭へ普及した先の通信式ゲームを見据えた技術投資の素地を整えた。
1990年代に入ると、システムプロは雀ネットなどで培った通信技術を移動体分野へ広げた。まずPHS向けソフトウェアで実績を積み、1996年には携帯電話のソフトウェア開発へ参入した[11]。NTTドコモ・KDDI・ジェイフォン(後のソフトバンク)などのキャリアと端末メーカーが市場を主導し、2G・3Gと世代が変わるたびに端末ソフトを丸ごと作り直す需要が生まれていた。技術者集団のシステムプロはこの世代交代ごとの再開発案件を重ね、社内には移動体通信のコア技術が蓄積された。四半世紀後に次世代モビリティ事業へ転用される技術基盤は、この時期に形づくられた。
1997年11月、システムプロは本社を横浜市神奈川区新浦島町へ移し[12]、エンジニア組織の拡大に合わせて体制を整えた。1990年代後半のソフトウェア業界はITバブル前夜の人月単価上昇のなかにあり、とりわけ組込み・通信領域では人材不足が慢性化していた。同社は汎用のシステムインテグレータをめざすのではなく、移動体通信に特化した技術者集団を組織的に育てる道を選んだ。2000年9月の社内体制再編[13]、2001年2月の経営体制整備を経て上場準備を進め[14]、技術系成長企業の主要な上場の場だったナスダックジャパンへ、2002年8月に株式を上場した[15]。これがシステナの株式市場での出発点である。
2002年8月、システムプロ(当時)はナスダックジャパンに株式を上場した。創業から19年で法人としての体裁を公開企業として整え、エンジニアの新規採用と研究開発投資の両方で資金調達手段を持つ立場に立った。ナスダックジャパン市場は上場銘柄数の伸び悩みから2005年に大証ヘラクレスへの統合が決まる流れにあり、同社はより流動性の高い市場への移行を選択した。2004年11月に東証二部上場[16]、翌2005年10月に東証一部へ昇格する[17]2段階の移行を1年で完了し、IT中堅として東証一部の上場銘柄となった。
上場直後の2002〜2008年は、携帯電話の2G→3G移行期と重なり、端末ソフトウェアの再開発案件が業界全体で多発した時期である。同社は2002〜2008年の世代交代期に売上を年率2桁で拡大させ、FY03期売上24.6億円から、FY06[18]期売上59.2億円・FY07期売上79.3億円・FY08期売上96.0億円と急成長軌道に乗った。リーマンショック直後のFY09期に売上36.4億円と一時減速したが[19]、これは決算期変更による短期決算の影響で、決算期統一後のFY10期売上391.8億円は前期比約10倍規模に拡大[20]している。
この急成長を牽引したのは、特定の携帯端末メーカーとキャリア向けソフトウェア開発だった。有価証券報告書の主要販売先には、総販売実績の10%以上を占める相手先が毎期2社前後並んでいる。第23期(2005年10月期)は日本電気が13.2%、ボーダフォンが11.7%を占め、続く時期はau端末を扱う株式会社KDDIテクノロジー(第25期17.3%)と、シャープ系のシャープビジネスコンピュータソフトウェア株式会社が上位に並んだ。[21][22]とりわけ後者への集中は深く、第26期22.6%・第27期23.7%・変則5か月決算の第28期27.5%と、売上の4分の1前後を1社に頼る状態が続いた。[23]携帯電話ソフト開発に偏った顧客構成は、2010年のカテナ合併で初めて崩れ、第29期(2011年3月期)には10%以上を占める相手先[24]が一社も無くなった。
2010年4月、同社はカテナ株式会社を合併[25]した。カテナはシステムインテグレータ大手の一角を担っていた企業で、合併によってシステムプロ社の組込み・通信領域の強みに、カテナのエンタープライズSI領域の強みが加わる構造になった。この合併は同社にとって最大級の組織再編で、技術者数・売上規模・取引顧客基盤を一挙に拡大する転換点となった。合併期日の同年4月1日には会社名を一旦『シスプロカテナ株式会社』へ改めたうえで、3か月後の7月に株式会社システナへ再度社名変更し[26]、組込み・通信系の専門会社から、ITソリューションの総合プレーヤーへとブランドを刷新した。
合併後の同社は、ITサービス事業・ソリューション営業・ソリューションデザイン事業・フレームワークデザイン事業・クラウド事業・コンシューマサービス事業・海外事業の6〜7事業セグメントを束ねる構造へと整理された。FY14期の事業別売上では、ソリューション営業が約151億円で最大、ソリューションデザイン事業が117億円、ITサービス[27]事業が50億円、フレームワークデザイン事業が42億円という構成で、エンタープライズ向けSI(旧カテナ系)と通信・組込み開発(旧システムプロ系)の二大領域に、クラウド・コンシューマサービス等の新規領域を加える形が出来上がった。
2002年の上場から数年のあいだ、創業者の逸見愛親氏が配当政策に掲げていた目標は配当性向30%であった。第20期から第23期までの実績も31.7%・30.4%・30.8%・32.2%[28]と、その水準に沿って推移している。40%へ引き上げたのは2006年10月期の第24期からで、同期の1株当たり配当額は1,000円、配当性向は43.8%[29]となった。この水準は2010年代の事業拡大期も2010年代後半の利益急伸期も維持され、20年連続非減配という株主還元実績を築いた。[30]創業者が定めた比率を、合併・社名変更・社長交代を経ても守り続けた点は、IT中堅企業の中でも例外的に保守的・株主重視の経営文化として評価された。
配当性向40%という制度的制約は、利益剰余金の社内留保によるM&A余地を狭める一方で、株主にとっての予見可能性を高め、長期保有株主の層を厚くする効果を生んだ。逸見愛親氏が絶対額ではなく利益に対する性向(比率)で約束を置いたことは、業態転換のたびに利益水準が10倍規模で動いた40年間を通じて、20年連続非減配を維持できた理由の一つでもある。
https://the-shashi.com/api/companies.json https://the-shashi.com/api/2317/manifest.json https://the-shashi.com/api/2317/history.json https://the-shashi.com/api/2317/timeline.json https://the-shashi.com/api/2317/executives.json https://the-shashi.com/api/2317/shareholders.json https://the-shashi.com/api/2317/financials.json https://the-shashi.com/api/2317/financials-longterm.json https://the-shashi.com/api/2317/segments.json https://the-shashi.com/api/2317/regions.json https://the-shashi.com/api/2317/workforce.json | 時代 | 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|---|
| 1983〜2001年ヘンミエンジニアリング創業と通信系ソフトウェア開発への特化 | 逸見愛親 | ヘンミエンジニアリングを設立 | ★ | |
| 逸見愛親 | システムプロに商号変更 | ★ | ||
| 逸見愛親 | 対戦型オンラインゲーム「麻雀クラブ」を開発 | ★ | ||
| 逸見愛親 | パソコン、ワークステーションの業務用アプリケーションソフト受託開発を開始 | ★ | ||
| 逸見愛親 | 移動体通信端末ソフトの受託開発を開始 | ★★ | ||
| 逸見愛親 | インターネット上のオンラインゲームサイトを構築 | ★ | ||
| 逸見愛親 | オンラインゲームのサービスを開始 | ★ | ||
| 逸見愛親 | 本社を移転 | ★ | ||
| 逸見愛親 | 移動体通信端末向けコンテンツの開発を開始 | ★ | ||
| 2002〜2015年上場と東証移行、社名変更で固めた中堅IT企業の輪郭 | 逸見愛親 | システムプロのナスダック・ジャパン市場への株式上場 2002年8月、株式会社システムプロ(現システナ)が大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ株式を上場した。同月27日の有償一般募集で800株を発行し、資本金と資本準備金を合わせて2億2,400万円を調達した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 逸見愛親 | 配当性向目標の30%から40%への引き上げ 2006年10月期(第24期)から、株式会社システムプロ(現システナ)は配当政策の目標を配当性向30%から40%へ引き上げた。同期の1株当たり配当額は1,000円、配当性向は43.8%であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 逸見愛親 | カテナと資本・業務提携 | ★ | ||
| 三浦賢治 | カテナの吸収合併と「株式会社システナ」への商号変更 2009年12月14日、株式会社システムプロは持分法適用関連会社であったカテナ株式会社との合併契約を締結し、2010年4月1日に同社を吸収合併した。商号をいったんシスプロカテナへ改め、同年7月に株式会社システナへ変更した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 逸見愛親 | カテナを吸収合併、シスプロカテナに商号変更 | ★★ | ||
| 逸見愛親 | 本社を移転、システナに商号変更 | ★ | ||
| 逸見愛親 | 日本初の『TIZEN™』を搭載した10.1インチ タブレットの開発に成功 | ★ | ||
| 2016〜2026年三浦在任中のモビリティ事業躍進と利益率35% | 三浦賢治 | 子会社Systena America Inc.がStrongAuth,Inc.の株式を取得 | ★ | |
| 三浦賢治 | Plasma Business Intelligence,Inc.との合弁でONE Tech,Inc.をテキサス州に設立 | ★ | ||
| 三浦賢治 | 川崎デザインスタジオを設置 | ★ | ||
| 三浦賢治 | 子会社のProVisionが、ProVision VN Co.,Ltd.を設立 | ★ | ||
| 三浦賢治 | シンクロジックの株式取得 | ★ | ||
| 三浦賢治 | シンクロジックの株式追加取得 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(システナ)