システナシステムプロのナスダック・ジャパン市場への株式上場
受注を選べる技術者集団は、なぜ公開市場での資金調達に踏み切ったか
- 概要
- 2002年8月、株式会社システムプロ(現システナ)が大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ株式を上場した。同月27日の有償一般募集で800株を発行し、資本金と資本準備金を合わせて2億2,400万円を調達した。
- 背景
- 創業者・逸見愛親氏は受注の七割を断る小人数経営から拡大路線へ転じ、1996年には移動体通信端末ソフトの受託開発へ入っていた。技術者の増員が売上の伸びを決める事業で、上場前にはベンチャーキャピタルからの第三者割当も重ねていた。
- 内容
- 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場を選び、ブックビルディング方式で発行価格30万円・引受価額28万円の公募増資を実施した。第20期の1株当たり配当額7,500円には上場記念配当2,500円が含まれた。
- 含意
- 上場は一度きりの調達に終わらなかった。1年半後の2004年3月には引受価額94万6,400円で2,500株の公募を行い、23億6,600万円を調達している。2004年11月に東証二部、2005年10月に東証一部へ移った。
資金を得た会社が、次に迫られたもの
この上場を、成長した会社が節目に選ぶ通過儀礼として読むと、見落とすものがあるように思われる。逸見愛親氏がかつて選んだのは、受注の七割を断って身軽さを保つ経営であった。上場はその反対側にある選択で、外部の株主に業績を説明し続ける代わりに、増員のための資金を市場から継続して引ける立場を買うものであった。2004年の二度目の公募が上場時の10倍規模だった事実は、この会社にとって上場が一回の資金調達ではなく、資金の蛇口そのものであったことを示している。
ただし、資金を得たことと、その資金の投じ先を自分で決められることは同じではない。上場後の売上は携帯電話端末ソフトの受託に集中し、総販売実績の1割を超える相手先が毎期並ぶ状態が続いた。増員した技術者をどの市場へ向けるかという問いは、上場によって解けたのではなく、むしろ資金が潤沢になったことで先鋭化したとみることができる。その問いに対する答えが、8年後のカテナ合併であった。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
受注を断る経営から、人を増やす経営へ
1983年3月に横浜市で設立されたヘンミエンジニアリング(翌1984年2月に株式会社システムプロへ商号変更)は、創業から十年ほど、社員を増やさない経営をとっていた。マイクロコンピュータのソフト開発には人手が足りず、営業をしなくても注文が集まる。創業者の逸見愛親氏は舞い込む受注の七割を断り、外注スタッフと二人で引き受ける仕事を選んだ。技術者を取引先へ次々に出向させる前職の実態を見ていた逸見氏にとって、規模を追うことは前職と同じ会社になることを意味していた[1]。
その方針は、逸見氏が32歳になった時点で改められた。売上は目標に掲げた1億円に遠く及ばない3,500万円で、成長はしていても掲げた水準とは開きがあった。逸見氏はスタッフを増やす拡大路線へ転じ、資本金1,000万円・売上1億円に届くまでは規模の拡大を優先すると決めた。1991年度の売上は1億3,500万円と5年で5倍以上に伸び、受託で得た余力を自社開発部門の人員と資金へ回せるようになった。人を増やすことが売上を決める事業へ、会社の性格が変わった[2]。
移動体通信への集中と、上場前の資本の組み替え
1990年代のシステムプロは、通信系ファームウェアで蓄えた知識を移動体通信へ向けた。1996年4月に移動体通信端末ソフトの受託開発を始め、1997年6月にはインターネット上のオンラインゲームサイトを構築してサービスを開始、2000年9月には移動体通信端末向けコンテンツの開発へ入った。2001年2月には品質保証の国際規格ISO9001の認証を取得している。2001年10月期の売上は15億2,484万円、経常利益は1億7,578万円で、受託開発の中堅として業績を伸ばしていた[3][4]。
上場の前に、株主の顔ぶれも組み替えられていた。2001年2月に社員持株会へ発行価格20万円で100株を割り当て、同年5月には三井海上C4号投資事業組合、あさひ銀2号投資事業組合、国際ファイナンス株式会社ほか11件へ、発行価格40万円で186株を割り当てている。2002年1月には逸見氏をはじめとする役員が新株引受権を行使し、同年3月には普通株式1株を2株に分割した。創業者と身内で保有していた株式に、投資組合と社員が並ぶ構成へ移っていた[5]。
決断
2002年8月、ナスダック・ジャパンへ
2002年8月、システムプロは大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ株式を上場した。同月27日、ブックビルディング方式による有償一般募集で800株を発行し、発行価格は30万円、引受価額は28万円、資本組入額は10万2,000円とされた。この募集で資本金は8,160万円、資本準備金は1億4,240万円それぞれ増え、調達額は合わせて2億2,400万円となった。前期の売上15億円規模の会社にとって、一度の増資としては大きな額であった[6][7]。
選んだ市場は、開設から日の浅い新興市場であった。ナスダック・ジャパンはその後まもなく名称を変え、有価証券報告書は上場先を「株式会社大阪証券取引所ナスダック・ジャパン(現ニッポン・ニュー・マーケット−「ヘラクレス」)市場」と記している。上場を果たした第20期の1株当たり配当額7,500円には、上場記念配当2,500円が含まれた。同期の単体売上は19億4,027万円、経常利益は3億8,036万円で、配当性向は31.7%であった[8][9]。
結果
一度で終わらなかった調達
上場の意味は、一年半後にはっきりした。2004年3月25日、システムプロは二度目の有償一般募集を実施し、2,500株を発行した。発行価格は100万8,000円、引受価額は94万6,400円で、資本金と資本準備金がそれぞれ11億8,300万円増え、調達額は23億6,600万円に達した。上場時の2億2,400万円のおよそ10倍にあたる。この増資で資本金は15億1,375万円となり、2001年10月期に1億4,760万円だった資本金は3年で10倍を超えた[10]。
市場も移った。2004年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、翌2005年10月には市場第一部へ指定替えされている。この間、2003年4月に1株を2株、2004年6月に1株を4株、2005年2月に1株を3株と、3度の株式分割を重ねて売買単位あたりの価格を下げた。第23期の1株当たり配当額800円には、市場第一部指定の記念配当200円が加えられた[11][12]。
調達した資金が向かった先
集めた資金の使い道について、同社は有価証券報告書で「今後の事業拡大による従業員等の増加及び開発環境の強化に備えるために有効に利用してまいりたい」と述べている。設備を大きく抱えない受託開発では、増員そのものが投資にあたる。従業員数は2003年10月期の262名から2004年10月期に351名、2005年10月期には440名へ増え、単体売上も24億3,805万円、30億60万円、39億4,205万円と伸びた[13][14]。
財務の姿も変わった。自己資本比率は第19期の52.9%から第22期85.9%、第23期82.2%へ上がり、借入に頼らずに人を増やせる体質となった。もっとも、この時期の売上は携帯電話端末ソフトの受託に大きく傾いており、第23期には日本電気が総販売実績の13.2%、ボーダフォンが11.7%を占めていた。公開市場から資金を得る立場は整った一方で、その資金を投じる先は少数の顧客に握られたままであった[15][16]。
- 株式会社システムプロ 有価証券報告書(第23期・2005年10月期)
- 株式会社システナ 公式サイト「システナのあゆみ(沿革)」(https://www.systena.co.jp/about/history.html)
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)