ベイカレント の歴史

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創業 1998年
創業者 江口新
創業地 神奈川県藤沢市
創業
1998年3月、江口新氏が神奈川県藤沢市に有限会社ピーシーワークスを設立した。経営・業務とITのコンサルティング、システムインテグレーション、アウトソーシングを事業目的に掲げたが、実際に売れたのは構築の受託である。2000年6月に株式会社へ組織変更し、2002年3月に本社を東京都新宿区へ移した。同じ2002年には大手企業向けITコンサルの専任部署を設けて主力を上流の工程へ移し、2006年12月に商号をベイカレント・コンサルティングへ改め、上流志向を対外的に掲げた。ただし看板を替えた2006年2月期の売上高は37億7,800万円、社員数は618名にすぎず、単価が上がらないまま人を増やす構造は残ったままだった。
決断
創業者の経営と所有を、二段に分けて外へ渡してきた。2008年秋のリーマンショックで発注が細り、2012年2月期は売上高101億円に対して経常利益が4億8,000万円、利益率は5%に達しなかった。人を増やせば売上は伸びるが、増えた人件費を単価が吸収できていない。2012年3月に創業者の江口新氏が退任し、マッキンゼー出身の萩平和巳氏へ承継して、経営の側を先に入れ替えた。続く2014年4月にはSunrise Capital主導のMBOを実施し、買収価格210億円で創業者の資本影響を引き下げている。2016年9月にはファンドの出口として東証マザーズへ上場し、公募を抑えて売出し中心で設計した。ファンドが降りたあとに残ったのは、MBOで積んだのれんの償却を毎期の単価で吸収しなければならない財務であった。
現況
売っているのは人の時間で、売上高は人数と単価の積で決まる。2026年2月期の売上高は1,483億円、営業利益509億円、営業利益率は34.3%である。連結従業員は6,788名、平均年齢31.3歳、平均年収1,331万円で、単一の事業に社員のほぼ全員が乗る。2016年12月に採用数と単価を同時に上げる成長モデルへ転換し、コンサルタント数は2017年2月期末の1,194名から2024年2月期末の4,321名へ増え、1人当たり売上高は1,440万円台から2,170万円台へ上がった。2024年9月には持株会社体制へ移行してテクノロジー事業会社を分離し、提案と実装を別々の採算に載せている。2026年4月には顧客ごとに決めていた人月単価を役職別の一律単価へ統一した。人を増やすほど稼働率が下がる関係を単価の引き上げで打ち消してきたことが、34%の営業利益率を生んでいる。
競合
競争は提案の中身ではなく、外資系ファームからの中途採用で起きている。上流の案件を取れる人材は外資系のコンサルティングファームに集まり、知名度で劣る独立系が引き抜くには報酬と裁量の両方を示すほかない。2007年1月の中途採用広告は、ビジネスコンサルタントに年俸500万円から1,500万円という幅の広い条件を掲げていた。2017年8月には競合フューチャーからの引き抜きが営業秘密の不正領得として争われ、二重雇用された元従業員の刑事責任が確定し、フューチャーが求める1億6,500万円をめぐる民事は係争が続いている。相手方のフューチャーが連続買収で総合コンサルティンググループへ広げたのように買収で人員を得る道もあるなかで、ベイカレントは新卒と中途の採用だけで6,788名まで積み上げた。採用の速さがそのまま売上の伸びになる以上、競争劣位は案件ではなく採用市場で先に現れる。

創業ストーリー 藤沢のシステム受託から上流コンサルタントへ(1998〜2006) (1998年〜)

神奈川県藤沢市での創業と新宿への本社移転

ベイカレントの前身は、1998年3月に神奈川県藤沢市で設立された有限会社ピーシーワークス[1]である。創業者の江口新氏は、経営・業務とITに関するコンサルティング、システムインテグレーション、アウトソーシングを事業目的に掲げた[2]。実際に請け負ったのは大企業の情報システム構築で、独立系のSIerとして出発した[3]。2000年6月に有限会社から株式会社ピーシーワークスへ組織を変更し[4]、2002年3月には本社を東京都新宿区へ移した[5]。顧客となる大企業の本社は東京都心に集まっており、案件を取るには営業の拠点を都心へ置く必要があった。売上高は2005年2月期に33億5,000万円[6]へ達し、設立から9期連続の増収増益を無借金で続けた[7]

  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)【沿革】
    • [1]1998年3月に有限会社ピーシーワークスとして神奈川県藤沢市で設立された
    • [2]設立時の事業目的は経営・業務とITに関するコンサルティング、システムインテグレーション及びアウトソーシングであった
    • [4]2000年6月に有限会社ピーシーワークスが株式会社ピーシーワークスへ組織変更した
    • [5]2002年3月に本社を東京都新宿区へ移転した
  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [3]ピーシーワークスは独立系ITコンサルティングファームを称し、大企業の情報システム構築を受託していた
    • [6]2005年2月期の売上高は33億5,000万円で前年比141%であった
    • [7]設立以来9期連続の増収増益を無借金経営で続けていた

江口氏は1963年に大阪で生まれ、早稲田大学を卒業して経営コンサルタント会社に勤めたのち、1998年にピーシーワークスを設立した[8]。会社は年を追って事務所を移し、そのたびに年商が増えた[9]。1999年に初台へ移って年商4億円、2000年に笹塚で7億円、2001年に代々木で13億円である[10]。2002年に新宿NSビルへ入って17億円、2003年には同じビルの17階へフロアを広げて25億円、2006年には5階へさらに広げて55億円に届いた[11]。創業から2007年の社名変更までの歩みは、移転先と年商だけを並べた8行の年表として掲げられた[12]

システム構築の受託を積み上げる伸ばし方には、単価の上限がある。経営戦略の立案や業務プロセスの再設計といった上流の仕事は単価が高いが、そこで稼ぐには、戦略を語れるだけでなく顧客の課題を見つけて案件そのものを作れる人材が要る。そうした人材は外資系のコンサルティングファームに集まっており、知名度のない独立系の中堅が引き抜くには、報酬と裁量の両方を示さなければならなかった。2007年1月の中途採用広告は、ビジネスコンサルタントに年俸500万円から1,500万円[13]、ITコンサルタントに500万円から1,300万円[14]という幅の広い条件を示した。同じ広告にはアプリケーション開発エンジニアやインフラ系エンジニアの月給25万円から70万円[15]も併記され、構築の技術者と上流のコンサルタントを同時に募っていた[16]

  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [13]2007年1月の中途採用広告はビジネスコンサルタントの年俸を500万円から1,500万円と提示していた
    • [14]同広告はITコンサルタントの年俸を500万円から1,300万円と提示していた
    • [15]同広告はアプリケーション開発エンジニアとインフラ系エンジニアを月給25万円から70万円で募集していた
    • [16]同広告は6職種を同時に募集し、構築を担うエンジニアと上流を担うコンサルタントが併存していた
  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)【沿革】
    • [1]1998年3月に有限会社ピーシーワークスとして神奈川県藤沢市で設立された
    • [2]設立時の事業目的は経営・業務とITに関するコンサルティング、システムインテグレーション及びアウトソーシングであった
    • [4]2000年6月に有限会社ピーシーワークスが株式会社ピーシーワークスへ組織変更した
    • [5]2002年3月に本社を東京都新宿区へ移転した
  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [3]ピーシーワークスは独立系ITコンサルティングファームを称し、大企業の情報システム構築を受託していた
    • [6]2005年2月期の売上高は33億5,000万円で前年比141%であった
    • [7]設立以来9期連続の増収増益を無借金経営で続けていた
    • [13]2007年1月の中途採用広告はビジネスコンサルタントの年俸を500万円から1,500万円と提示していた
    • [14]同広告はITコンサルタントの年俸を500万円から1,300万円と提示していた
    • [15]同広告はアプリケーション開発エンジニアとインフラ系エンジニアを月給25万円から70万円で募集していた
    • [16]同広告は6職種を同時に募集し、構築を担うエンジニアと上流を担うコンサルタントが併存していた
    • [8]江口新氏は1963年に大阪で生まれ、早稲田大学卒業後に経営コンサルタント会社を経て1998年にピーシーワークスを設立した
    • [9]1999年に初台へ移転して年商4億円、2000年に笹塚へ移転して7億円、2001年に代々木へ移転して13億円となった
    • [10]1999年に初台へ移転して年商4億円、2000年に笹塚へ移転して7億円、2001年に代々木へ移転して13億円となった
    • [11]2002年に新宿NSビルへ移転して年商17億円、2003年に同ビル17階へフロアを拡大して25億円、2006年に5階へ拡大して55億円となった
    • [12]沿革は1998年の藤沢での創業から2007年の社名変更までを、移転先と年商を並べた8行の年表で示していた

知識や経験より素養を基準にした人材の集め方

人の集め方は、この時期の経営の中心にあった。江口新氏は2007年1月の取材で、優秀な人材との出会いと人を大切にしてきたことが成長の鍵になっている[17]と述べ、めざす組織像として、やりたい人がやりたいことをやる会社にしたい[18]と語った。採用でも、知識や経験より素養を重視する方針[19]を掲げた。翌月の転職情報誌の取材では、言語能力を軸にした行動力と思考力を備えたコンサルタントを採用し育てる[20]ことを重んじると述べた。既存のコンサルティングファーム出身者を経歴で選ぶのではなく、案件を自分で作れる素質のある者を採って中で育てる採り方[21]であった。江口氏が人材の基準として挙げた言葉はハイブリッドで、育成の目標は技術力とビジネス・コンサルティング力の両面を備えることに置かれた[22]

  • 日本オラクル ORACLE MASTER 取得事例(2007年1月)
    • [17]江口社長は2007年1月の記事で、優秀な人材との出会いと人を大切にする経営が成長の鍵になっていると語った
    • [18]江口社長は同記事で、やりたい人がやりたいことをやる、やりたいから仕事に加わる会社にしたいと語った
  • type 2007年2月号「顧客との良好なリレーションには個々のコンサルタントの素養が重要」
    • [19]江口社長は社員の採用に際し知識や経験よりも素養を重視する方針を取ると述べた
    • [20]江口社長は言語能力を軸とした行動力と思考力のあるコンサルタントの採用と育成を重視すると述べた
    • [21]江口社長は知識や経験より素養を重視し、採用後に育てる方針を取ると述べた
    • [22]江口社長は人材に対するキーワードをハイブリッドとし、技術力とビジネス・コンサルティング力の両面を兼ね備える人材を育成の目標に置いた

採用の間口は業界の外へ広げた。中途採用者のうちビジネス系コンサルタントは、総合商社や広告代理店、外資系金融機関などの異業種出身が半数を占め、IT系はコンサルティングファーム出身が4割、SIer出身が6割であった[23]。業界未経験で採るのは第2新卒から28歳程度までに限り[24]、コミュニケーション能力、問題解決能力、論理的思考力、協調性の4つで資質を測った[25]。採用責任者の南部光良氏は、『この業界は狭いので、異業種から人材を入れないと業界は広がりません』[引用元]と述べ、コンサルタント道場としての素地を作る考えを示した[26]。未経験の新入社員にはコンサルタントとは何かという段階から教え、過去の事例を共有する研修と、その事例から別の解決策を考える訓練を重ねた[27]

    • [23]中途採用のビジネス系コンサルタントは異業種出身が半数を占め、IT系コンサルタントはコンサルティングファーム出身が4割、SIer出身が6割であった
    • [24]業界未経験者を採用する場合は第2新卒から28歳くらいまでの若手であることを条件とした
    • [25]コンサルタントとしての資質はコミュニケーション能力、問題解決能力、論理的思考力、協調性の4つで判断された
    • [26]採用責任者の南部光良氏は異業種から人材を入れなければ業界は広がらないとして、コンサルタント道場としての素地を作る考えを示した
    • [27]未経験の新入社員にはコンサルタントとは何かという段階から教え、過去の事例を共有する研修と過去の事例から別の解決策を考えるトレーニングを行った

現場の運営は、職位の序列より発案を優先した[28]。2007年5月の企業レポートは、発案者がマネージャーとなってプロジェクトを立ち上げるのがベイカレント流[29]だと記し、若手社員が会社の成長に沿って自由に活躍できる[30]と伝えた。早くから経営側の視点を身につけられる環境を求めて、将来の起業を志す者が集まる[31]とも書かれた。同じ記事には、すでに同社を巣立って数十億円の企業を継いだ社員がいる[32]と記した。人を引きつける自由裁量の運営は、育った人材が外へ出ることも含んだ仕組みであった。2007年1月時点の社員数は618名[33]であった。

  • コンサルタント 活躍の条件(掲載記事、2007年5月)
    • [28]発案者がマネージャーとなってプロジェクトを立ち上げる運営が定着していた
    • [29]2007年5月の記事は、発案者がマネージャーとなりプロジェクトを立ち上げる運営をベイカレント流と記録している
    • [30]同記事は、会社の成長ベクトルに沿って若手社員が自由に活躍できると記している
    • [31]同記事は、早くから経営側の視点を身につける環境を求めて将来の起業を志す社員が集まると記している
    • [32]2007年時点で、同社を巣立って数十億円の企業を継いだ社員の存在が記録されていた
  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [33]2007年1月時点の社員数は618名であった
  • 日本オラクル ORACLE MASTER 取得事例(2007年1月)
    • [17]江口社長は2007年1月の記事で、優秀な人材との出会いと人を大切にする経営が成長の鍵になっていると語った
    • [18]江口社長は同記事で、やりたい人がやりたいことをやる、やりたいから仕事に加わる会社にしたいと語った
  • type 2007年2月号「顧客との良好なリレーションには個々のコンサルタントの素養が重要」
    • [19]江口社長は社員の採用に際し知識や経験よりも素養を重視する方針を取ると述べた
    • [20]江口社長は言語能力を軸とした行動力と思考力のあるコンサルタントの採用と育成を重視すると述べた
    • [21]江口社長は知識や経験より素養を重視し、採用後に育てる方針を取ると述べた
    • [22]江口社長は人材に対するキーワードをハイブリッドとし、技術力とビジネス・コンサルティング力の両面を兼ね備える人材を育成の目標に置いた
    • [23]中途採用のビジネス系コンサルタントは異業種出身が半数を占め、IT系コンサルタントはコンサルティングファーム出身が4割、SIer出身が6割であった
    • [24]業界未経験者を採用する場合は第2新卒から28歳くらいまでの若手であることを条件とした
    • [25]コンサルタントとしての資質はコミュニケーション能力、問題解決能力、論理的思考力、協調性の4つで判断された
    • [26]採用責任者の南部光良氏は異業種から人材を入れなければ業界は広がらないとして、コンサルタント道場としての素地を作る考えを示した
    • [27]未経験の新入社員にはコンサルタントとは何かという段階から教え、過去の事例を共有する研修と過去の事例から別の解決策を考えるトレーニングを行った
  • コンサルタント 活躍の条件(掲載記事、2007年5月)
    • [28]発案者がマネージャーとなってプロジェクトを立ち上げる運営が定着していた
    • [29]2007年5月の記事は、発案者がマネージャーとなりプロジェクトを立ち上げる運営をベイカレント流と記録している
    • [30]同記事は、会社の成長ベクトルに沿って若手社員が自由に活躍できると記している
    • [31]同記事は、早くから経営側の視点を身につける環境を求めて将来の起業を志す社員が集まると記している
    • [32]2007年時点で、同社を巣立って数十億円の企業を継いだ社員の存在が記録されていた
  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [33]2007年1月時点の社員数は618名であった

ベイカレント・コンサルティングへの商号変更

2006年12月、株式会社ピーシーワークスは株式会社ベイカレント・コンサルティングへ商号を変更し[34]、2007年1月1日から新しい社名で営業を始めた[35]。社名には、社員の叡智が結集するBay(湾)から、クライアントを成功へ導くCurrent(流れ)を生み出す[36]という意味を持たせた。掲げ直した事業内容は、経営戦略の立案からBPR、ITシステムの導入、保守運用までを一貫して手がけるコンサルティングサービス[37]である。構築の下請けではなく経営課題の解決から入る会社であることを、社名で対外的に示した[38]

  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)【沿革】
    • [34]2006年12月に株式会社ピーシーワークスから株式会社ベイカレント・コンサルティングへ商号変更した
  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [35]新社名の運用は2007年1月1日から始まった
    • [36]社名は社員の叡智が結集するBay(湾)から、クライアントを成功へと導くCurrent(流れ)を生み出すことに由来する
    • [37]事業内容は経営戦略立案からBPR、ITシステム導入、保守運用までの一貫したコンサルティングサービスと掲げられた
    • [38]商号変更にあわせ、経営課題の解決から一貫して手がけるコンサルティングサービスを掲げた

Bayが指すのは一流の知恵が集う湾である[39]。そこへ流れ込む3本の川は、Strategy、Business Process、ITの3つのサービスである。Currentはクライアントを成功へ導く流れを指す[40]。江口氏が掲げた方針はClient First、Be Excellent、Flexibleの3つで[41]、競争優位の説明は、問題解決に向けた戦略の立案から、それを具現化するITシステムの構築・運用・保守などのアウトソーシング領域まで一貫して担えることに置かれた[42]。品質の裏づけには、2005年7月に取得したISMS・BS7799と、2006年7月に取得したISO/IEC 27001:2005の認証を並べた[43]

看板を掛け替えた時点のベイカレント・コンサルティングは、2006年2月期の売上高が37億7,800万円[44]、社員数が618名の会社[45]であった。同社は自らを独立系ITコンサルティングファームと称し、設立以来の連続増収増益と無借金経営を信用の裏づけとして掲げた[46]。単価を上げるには上流の案件を取れる人材を増やすほかなく、人の集め方がそのまま稼ぎ方を決める関係は、このあとも続いた。

  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [44]2006年2月期の売上高は37億7,800万円で前年比113%であった
    • [45]2007年1月時点の社員数は618名であった
    • [46]同社は独立系ITコンサルティングファームとして9期連続増収増益・無借金経営を掲げていた
  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)【沿革】
    • [34]2006年12月に株式会社ピーシーワークスから株式会社ベイカレント・コンサルティングへ商号変更した
  • ベイカレント・コンサルティング 求人情報(@type 掲載、2007年1月)
    • [35]新社名の運用は2007年1月1日から始まった
    • [36]社名は社員の叡智が結集するBay(湾)から、クライアントを成功へと導くCurrent(流れ)を生み出すことに由来する
    • [37]事業内容は経営戦略立案からBPR、ITシステム導入、保守運用までの一貫したコンサルティングサービスと掲げられた
    • [38]商号変更にあわせ、経営課題の解決から一貫して手がけるコンサルティングサービスを掲げた
    • [44]2006年2月期の売上高は37億7,800万円で前年比113%であった
    • [45]2007年1月時点の社員数は618名であった
    • [46]同社は独立系ITコンサルティングファームとして9期連続増収増益・無借金経営を掲げていた
    • [39]社名のBayは一流の知恵が集う湾を指し、Strategy・Business Process・ITの3つのサービスを湾に流れ込む3本の川に見立て、Currentはクライアントを成功へ導く流れを意味した
    • [40]社名のBayは一流の知恵が集う湾を指し、Strategy・Business Process・ITの3つのサービスを湾に流れ込む3本の川に見立て、Currentはクライアントを成功へ導く流れを意味した
    • [41]江口社長は当社の方針としてClient First、Be Excellent、Flexibleの3つを掲げた
    • [42]江口社長は競争優位を、戦略の立案からITシステムの構築・運用・保守などのアウトソーシング領域まで一貫して提供できることに置いた
    • [43]2005年7月にISMS・BS7799認証を、2006年7月にISO/IEC 27001:2005認証を取得した

収益の停滞と外部から招いた社長への交代

商号を変えて上流を掲げた矢先に、2008年秋のリーマンショックが来た[47]。企業がコンサルティングの発注を絞ったため、ベイカレント・コンサルティングの売上の伸びは2011年2月期にかけて止まった[48]。規模そのものは戻り、2012年2月期の売上高は101億円[49]に達したが、経常利益は4億8,000万円で、利益率は5%に届かなかった[50]。売上高だけを見れば、上流を掲げた2006年2月期の37億7,800万円から6年で2.7倍[51]になった。人を増やせば売上は増えるが、増えた人件費を単価が吸収できていない[52]。商号は変えても、稼ぎ方は工数を売るSIerの構造から抜け出せていなかった[53]。この間の従業員数は2010年2月の960名[54]を頂に、2011年2月888名[55]、2012年2月856名[56]へ減っている。

江口新氏は2011年5月、マッキンゼー・アンド・カンパニーでITと業務を扱うBTO部門の日本共同代表を務めた萩平和巳氏を迎え入れ[57]、10か月後の2012年3月に社長を譲った[58]。萩平氏は京都大学で情報工学を修め、三菱商事のIT部門で戦略IT事業会社の立ち上げに関わった[59]。三菱商事からマッキンゼーへ移った経歴[60]を持ち、外資系の戦略ファームで上流の案件を仕切ってきた人物である。創業から14年、オーナーが自ら率いてきた会社が、外部から招いたコンサルタント出身の経営者に運営を委ねた[61]交代であった。萩平氏は2013年2月のインタビューで、顧客業種ごとに縦割りに細分化された組織を持たず、プロジェクトごとに社内のコンサルタント全員から本人の意思と能力を踏まえてメンバーを選ぶ仕組み[62]を、同社の特徴として説明した。

  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)
    • [57]萩平和巳氏は2011年5月にベイカレント・コンサルティングへ入社した
    • [58]2012年3月に創業者の江口新氏が社長を退任し、萩平和巳氏が社長に就任した
    • [61]1998年の創業から2012年の社長交代まで14年、創業者が経営を率いた
    • [59]萩平和巳氏は京都大学で情報工学を修了し、三菱商事のIT部門で戦略IT事業会社の立ち上げに携わった
  • キャリアインキュベーション「コンサルティングファーム パートナーインタビュー 株式会社ベイカレント・コンサルティング 代表取締役社長 萩平和巳氏」(2013年2月)
    • [60]萩平氏は三菱商事を経てマッキンゼー・アンド・カンパニーへ移り、BTO部門の日本共同代表を務めた
    • [62]同社には顧客業種ごとに縦割り・細分化された組織がなく、プロジェクトごとに社内のコンサルタント全員を対象にメンバーが選ばれた

対外的に見せるものは、この時期に入れ替わった。沿革の年表からは2010年3月までに年商の記載が落ち[63]、同年10月には売上グラフも外れた[64]。会社概要の欄には2009年度実績8,900,662千円[65]、2010年度実績9,751,264千円[66]という売上高が残った。2011年10月には沿革のページ自体がグローバルコンサルティングNWに差し替わり、2011年8月24日時点として、東京本社のほかロンドンの欧州拠点、ボストンの米国拠点、開設準備中のシンガポールと上海を示す世界地図が置かれた[67]。組織図にも欧州拠点・米国拠点とアジア拠点(準備中)・中国拠点(準備中)の4行が加わった[68]。同じ2011年8月、江口氏の代表挨拶からは、ITシステムの構築・運用・保守などのアウトソーシング領域までという一節が消えた[69]

210億円のMBOと二重になった法人の整理

萩平和巳社長は2012年6月に世界初の日系グローバルトップファームをめざすと掲げた[70]が、11月には日本初のグローバルトップファームへ書き改め[71]、同月の組織図からは海外拠点の4行が消えた[72]。経営者を替えても収益は立て直せず、2014年2月期は経常赤字に沈んだ[73]。オーナー創業者が株式の多くを握ったままでは、外部からの資金調達も経営の刷新も進まない。2014年4月、受け皿としてバイロン・ホールディングス株式会社を東京都港区に設立し[74]、Sunrise Capitalを中心に江口新氏と萩平和巳社長も加わる第三者割当増資で88億4,000万円[75]を集めた。創業者が自ら出資する側に回りながら、支配の比率を下げる組み立て[76]である。ファンドが過半を持ち、専門の経営者が運営する会社へ資本構成を組み替えた[77]うえで、2年後の株式公開までを一続きの計画として進めた。

同年6月、バイロン・ホールディングスは旧株式会社ベイカレント・コンサルティングの全株式を取得して完全子会社とした[78]。買収価格は210億円[79]で、増資で集めた分を超える差額は金融機関からの長期借入でまかない、のれん188億円を計上した[80]。8月に本社を東京都港区へ移し[81]、10月にはバイロン・ホールディングスが旧ベイカレント・コンサルティングを吸収合併して、同日付で商号を株式会社ベイカレント・コンサルティングへ変更した[82]。買収のために作った持株会社と事業会社という二重の法人を、半年で一つに畳んだ手順[83]である。

  • ベイカレント 有価証券報告書【沿革】
    • [78]2014年6月にバイロン・ホールディングスが旧ベイカレント・コンサルティングの全株式を取得し完全子会社とした
    • [81]2014年8月に本社を東京都港区へ移転した
    • [82]2014年10月にバイロン・ホールディングスが旧ベイカレント・コンサルティングを吸収合併し、同日付で株式会社ベイカレント・コンサルティングへ商号変更した
    • [83]2014年6月の完全子会社化から同年10月の吸収合併まで4か月で法人を一つに統合した
  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)
    • [79]買収価格は210億円で、のれん188億円を計上した
    • [80]第三者割当増資88億4,000万円を超える取得資金は金融機関からの長期借入でまかなわれた

MBOの代償は財務に残り、2015年2月末の自己資本比率は37.7%[84]まで下がって、資産の側にはのれんを中心とする無形固定資産が積み上がった。毎期の償却が利益を削るため、これを吸収するには単価の高い上流の案件で稼ぐほかない。本社は2014年6月時点の新宿NSビル5階[85]から2015年4月時点の虎ノ門ヒルズ森タワー9階へ移り、主要取引銀行も三菱東京UFJ銀行から三井住友銀行へ替わった[86]。1966年4月生まれの阿部義之氏は、1989年に電気通信大学を卒業して野村総合研究所に入り[87]、2008年9月にベイカレント・コンサルティングへ移って同年11月に執行役員となっていた[88]。その阿部氏が2015年5月、主力案件の収益を預かる取締役コンサルティング&IT事業本部長に就いた[89]。2016年2月期の売上高は158億円、営業利益は27億円[90]である。

  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)
    • [84]2015年2月末の自己資本比率は37.7%であった
    • [85]2014年6月時点の会社概要は所在地を東京都新宿区西新宿の新宿NSビル5F、主要取引銀行を三菱東京UFJ銀行としていた
    • [86]2015年4月時点の会社概要は所在地を東京都港区虎ノ門1丁目23-1 虎ノ門ヒルズ森タワー9階、主要取引銀行を三井住友銀行としていた
  • ベイカレント 有価証券報告書
    • [87]阿部義之氏は1966年4月生まれで、1989年に電気通信大学を卒業して野村総合研究所へ入社した
    • [88]阿部義之氏は2008年9月にベイカレント・コンサルティングへ入社し、同年11月に執行役員となった
    • [89]阿部義之氏は2015年5月に取締役コンサルティング&IT事業本部長へ就任した
  • ベイカレント 有価証券報告書(2016年2月期・IFRS)
    • [90]2016年2月期の売上高は158億円、営業利益は27億円であった
    • [70]2012年6月時点の代表挨拶は、世界初の日系グローバルトップファームとなって日本企業の世界での成功を支援したいと掲げていた
    • [71]2012年11月時点の代表挨拶では、同じ一節が日本初のグローバルトップファームへと書き改められた
    • [72]2012年11月時点の組織図には欧州拠点・米国拠点・アジア拠点・中国拠点の行が無い
  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)
    • [73]2014年2月期は経常赤字となった
    • [75]Sunrise Capitalを中心とする第三者割当増資で88億4,000万円を調達し、江口氏と萩平氏も出資した
    • [76]創業者の江口新氏は第三者割当増資に出資しつつ、MBOにより保有比率を下げた
    • [77]MBOはファンドが過半を保有し専門経営者が運営する体制への移行であり、2016年の株式公開まで続いた
    • [79]買収価格は210億円で、のれん188億円を計上した
    • [80]第三者割当増資88億4,000万円を超える取得資金は金融機関からの長期借入でまかなわれた
    • [84]2015年2月末の自己資本比率は37.7%であった
  • ベイカレント 有価証券報告書【沿革】
    • [74]2014年4月にバイロン・ホールディングス株式会社を東京都港区に設立した
    • [78]2014年6月にバイロン・ホールディングスが旧ベイカレント・コンサルティングの全株式を取得し完全子会社とした
    • [81]2014年8月に本社を東京都港区へ移転した
    • [82]2014年10月にバイロン・ホールディングスが旧ベイカレント・コンサルティングを吸収合併し、同日付で株式会社ベイカレント・コンサルティングへ商号変更した
    • [83]2014年6月の完全子会社化から同年10月の吸収合併まで4か月で法人を一つに統合した
    • [85]2014年6月時点の会社概要は所在地を東京都新宿区西新宿の新宿NSビル5F、主要取引銀行を三菱東京UFJ銀行としていた
    • [86]2015年4月時点の会社概要は所在地を東京都港区虎ノ門1丁目23-1 虎ノ門ヒルズ森タワー9階、主要取引銀行を三井住友銀行としていた
  • ベイカレント 有価証券報告書
    • [87]阿部義之氏は1966年4月生まれで、1989年に電気通信大学を卒業して野村総合研究所へ入社した
    • [88]阿部義之氏は2008年9月にベイカレント・コンサルティングへ入社し、同年11月に執行役員となった
    • [89]阿部義之氏は2015年5月に取締役コンサルティング&IT事業本部長へ就任した
  • ベイカレント 有価証券報告書(2016年2月期・IFRS)
    • [90]2016年2月期の売上高は158億円、営業利益は27億円であった

会社に資金がほとんど入らない上場

2015年4月まで社長と執行役員だけだった役員欄には、同年8月に非常勤の社外取締役4名と社外監査役1名が加わった[91]。2016年9月2日、ベイカレント・コンサルティングは東京証券取引所マザーズに上場[92]した。公募は5万株にとどまり、売出1,168万400株とオーバーアロットメント175万9,500株[93]が公開規模の大半を占めた。想定公開規模は約318億円[94]で、その大半が既存株主の売却であり、主幹事は野村證券が務めた。上場直前の株主構成はSunrise Capital系3ファンドが計43.13%、EHRS L.P.が10.75%[95]と、2014年のMBOで過半を握ったファンド勢が並んでおり、この上場はその売却機会として設計されていた。

    • [91]2015年8月時点の会社概要には非常勤の社外役員として社外取締役4名と社外監査役1名が掲げられ、同年4月時点は代表取締役社長と執行役員8名のみであった
  • ベイカレント 有価証券報告書【沿革】
    • [92]2016年9月2日に東京証券取引所マザーズへ上場した
  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)
    • [93]公募5万株に対し売出は1,168万400株、オーバーアロットメントは175万9,500株であった
    • [94]想定公開規模は約318億円で、その大半が既存株主の売出しであった
    • [95]上場直前の株主構成はSunrise Capital系3ファンドが計43.13%、EHRS L.P.が10.75%であった

上場から半年後の2017年2月末には、Sunrise Capital系の保有は計5%強まで下がり[96]、ファンドの出口は実現した。一方で江口新氏は保有を77万株から155万株へ積み増し、2018年2月末には保有比率10.06%の筆頭株主へ戻った[97]。だが上場を挟む2017年2月期は、売上高が172億円へ伸びる一方で営業利益は23億円へ減り[98]、増収減益となった。

  • ベイカレント 有価証券報告書【大株主の状況】
    • [96]2017年2月末にSunrise Capital系の保有比率は計5%強まで低下した
    • [97]江口新氏は保有を77万株から155万株へ増やし、2018年2月末に保有比率10.06%の筆頭株主となった
  • ベイカレント 有価証券報告書(2017年2月期・IFRS)
    • [98]2017年2月期の売上高は172億円、営業利益は23億円で増収減益となった
    • [91]2015年8月時点の会社概要には非常勤の社外役員として社外取締役4名と社外監査役1名が掲げられ、同年4月時点は代表取締役社長と執行役員8名のみであった
  • ベイカレント 有価証券報告書【沿革】
    • [92]2016年9月2日に東京証券取引所マザーズへ上場した
  • 株式会社ベイカレント・コンサルティング 新規上場申請のための有価証券報告書(Ⅰの部)
    • [93]公募5万株に対し売出は1,168万400株、オーバーアロットメントは175万9,500株であった
    • [94]想定公開規模は約318億円で、その大半が既存株主の売出しであった
    • [95]上場直前の株主構成はSunrise Capital系3ファンドが計43.13%、EHRS L.P.が10.75%であった
  • ベイカレント 有価証券報告書【大株主の状況】
    • [96]2017年2月末にSunrise Capital系の保有比率は計5%強まで低下した
    • [97]江口新氏は保有を77万株から155万株へ増やし、2018年2月末に保有比率10.06%の筆頭株主となった
  • ベイカレント 有価証券報告書(2017年2月期・IFRS)
    • [98]2017年2月期の売上高は172億円、営業利益は23億円で増収減益となった

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ベイカレントの沿革1998〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1998〜2006年藤沢のシステム受託から上流コンサルタントへ(1998〜2006)江口新ピーシーワークスを設立★★
江口新ピーシーワークスに組織変更
江口新本社を移転
江口新発案者が事業を立ち上げる社内独立の風土づくりと、SIerから上流コンサルへの転換

2000年代半ば、独立系SIerのピーシーワークスが、発案者自らプロジェクトを立ち上げる自由裁量の風土で起業志向の人材を集め、2006年12月の商号変更でベイカレント・コンサルティングとして上流コンサルへ転じた経営判断である。この人材モデルは20年後、出身者が創業した『ベイカレクローン』4社を生む土壌にもなった。

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★★★
2007〜2016年リーマンショック後の停滞からMBOと上場まで(2007〜2016)萩平和巳創業者・江口新氏の退任とマッキンゼー出身・萩平和巳氏への承継

2012年3月、ベイカレント・コンサルティングの創業者・江口新氏が社長を退き、マッキンゼー・アンド・カンパニーでBTO日本共同代表を務めた萩平和巳氏(2011年5月入社)へ経営を引き継いだ経営判断である。オーナー創業の会社が外部のプロ経営者を迎えた承継で、2年後のMBOと2016年の上場への橋渡しとなった。

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★★★
萩平和巳バイロン・HDを設立
萩平和巳ベイカレント創業者の退場とSunrise Capital主導のMBO

2012年に創業者の江口新氏が退いて萩平和巳氏へ承継し、2014年にはSunrise Capital中心のMBOを買収価格210億円で実施した経営判断。創業者の資本影響を引き下げてファンド主導で再出発し、2016年の東証マザーズ上場につなげた。

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★★★
萩平和巳本社を移転
萩平和巳旧子会社を吸収合併しベイカレント・コンサルティングに商号変更
萩平和巳PEファンドの出口として設計された2016年9月の東証マザーズ上場

2016年9月2日、ベイカレント・コンサルティングは東証マザーズに上場した。公募はわずか5万株で、売出1,168万400株とオーバーアロットメント175万9,500株が公開規模の大半を占め、2014年のMBOで過半を握った投資ファンド勢の売却機会として設計された上場であった。

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★★★
阿部義之上場直後の減益を受けた社長交代と、採用数と単価を同時に上げる成長モデルへの転換

2016年12月、東証マザーズ上場から3カ月で業績が振るわなかったベイカレント・コンサルティングが、阿部義之氏を代表取締役社長に据え、採用費への集中投資とコンサルタント単価の引き上げを同時に進める体制へ切り替えた経営判断である。以後10年の高成長は、この交代から始まった。

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★★★
2017〜2023年人を増やしながら単価も上げる成長モデルの確立(2017〜2023)阿部義之競合フューチャーからの人材引き抜きと営業秘密領得への関与

2016年から2019年にかけて、ベイカレント・コンサルティングの中途採用をめぐり、競合のフューチャーが営業秘密の不正取得を主張して民事で提訴し、二重雇用されたフューチャーの元執行役員が刑事で有罪となった事案。刑事判決は、ベイカレントの採用担当が引き抜き目的で人材リストの作成を依頼し、元従業員がフューチャーの全従業員名簿を不正に領得したと認定した。刑事で有罪となったのは元従業員のみで、ベイカレントは刑事被告ではない。民事はフューチャーがベイカレントと元従業員に計1億6,500万円の損害賠償を求め、ベイカレントは請求棄却を主張して本稿の時点でも係争が続く。

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★★★
阿部義之東京証券取引所一部に指定替え
阿部義之プライム市場へ移行
2024〜2026年提案と実装を分けた持株会社体制への移行(2024〜2026)阿部義之本社を麻布台に移転
阿部義之持株会社化の分割準備会社2社を設立★★
阿部義之持株会社体制への移行とテクノロジー事業会社の分離

2024年9月1日、ベイカレント・コンサルティングが持株会社体制へ移行し、商号を株式会社ベイカレントへ変更した。コンサルティング事業を新会社へ承継し、持株会社の傘下にコンサルティング事業会社とテクノロジー事業会社を並べる組織再編である。

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★★★
北風大輔北風大輔が代表取締役社長に就任
北風大輔阿部義之が代表取締役会長兼社長に就任
顧客ごとに決めていた人月単価の役職別一律化

2026年4月から、コンサルタントの人月単価を役職別に定め、全クライアントで一律とする方針である。従来は顧客ごとに単価を決めていた。2025年8月にダイヤモンド編集部が独自に報じた。

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出典・参考

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