ベイカレントの前身は、1998年3月に神奈川県藤沢市で設立された有限会社ピーシーワークス[1]である。創業者の江口新氏は、経営・業務とITに関するコンサルティング、システムインテグレーション、アウトソーシングを事業目的に掲げた[2]。実際に請け負ったのは大企業の情報システム構築で、独立系のSIerとして出発した[3]。2000年6月に有限会社から株式会社ピーシーワークスへ組織を変更し[4]、2002年3月には本社を東京都新宿区へ移した[5]。顧客となる大企業の本社は東京都心に集まっており、案件を取るには営業の拠点を都心へ置く必要があった。売上高は2005年2月期に33億5,000万円[6]へ達し、設立から9期連続の増収増益を無借金で続けた[7]。
江口氏は1963年に大阪で生まれ、早稲田大学を卒業して経営コンサルタント会社に勤めたのち、1998年にピーシーワークスを設立した[8]。会社は年を追って事務所を移し、そのたびに年商が増えた[9]。1999年に初台へ移って年商4億円、2000年に笹塚で7億円、2001年に代々木で13億円である[10]。2002年に新宿NSビルへ入って17億円、2003年には同じビルの17階へフロアを広げて25億円、2006年には5階へさらに広げて55億円に届いた[11]。創業から2007年の社名変更までの歩みは、移転先と年商だけを並べた8行の年表として掲げられた[12]。
システム構築の受託を積み上げる伸ばし方には、単価の上限がある。経営戦略の立案や業務プロセスの再設計といった上流の仕事は単価が高いが、そこで稼ぐには、戦略を語れるだけでなく顧客の課題を見つけて案件そのものを作れる人材が要る。そうした人材は外資系のコンサルティングファームに集まっており、知名度のない独立系の中堅が引き抜くには、報酬と裁量の両方を示さなければならなかった。2007年1月の中途採用広告は、ビジネスコンサルタントに年俸500万円から1,500万円[13]、ITコンサルタントに500万円から1,300万円[14]という幅の広い条件を示した。同じ広告にはアプリケーション開発エンジニアやインフラ系エンジニアの月給25万円から70万円[15]も併記され、構築の技術者と上流のコンサルタントを同時に募っていた[16]。
人の集め方は、この時期の経営の中心にあった。江口新氏は2007年1月の取材で、優秀な人材との出会いと人を大切にしてきたことが成長の鍵になっている[17]と述べ、めざす組織像として、やりたい人がやりたいことをやる会社にしたい[18]と語った。採用でも、知識や経験より素養を重視する方針[19]を掲げた。翌月の転職情報誌の取材では、言語能力を軸にした行動力と思考力を備えたコンサルタントを採用し育てる[20]ことを重んじると述べた。既存のコンサルティングファーム出身者を経歴で選ぶのではなく、案件を自分で作れる素質のある者を採って中で育てる採り方[21]であった。江口氏が人材の基準として挙げた言葉はハイブリッドで、育成の目標は技術力とビジネス・コンサルティング力の両面を備えることに置かれた[22]。
採用の間口は業界の外へ広げた。中途採用者のうちビジネス系コンサルタントは、総合商社や広告代理店、外資系金融機関などの異業種出身が半数を占め、IT系はコンサルティングファーム出身が4割、SIer出身が6割であった[23]。業界未経験で採るのは第2新卒から28歳程度までに限り[24]、コミュニケーション能力、問題解決能力、論理的思考力、協調性の4つで資質を測った[25]。採用責任者の南部光良氏は、『この業界は狭いので、異業種から人材を入れないと業界は広がりません』[引用元]と述べ、コンサルタント道場としての素地を作る考えを示した[26]。未経験の新入社員にはコンサルタントとは何かという段階から教え、過去の事例を共有する研修と、その事例から別の解決策を考える訓練を重ねた[27]。
現場の運営は、職位の序列より発案を優先した[28]。2007年5月の企業レポートは、発案者がマネージャーとなってプロジェクトを立ち上げるのがベイカレント流[29]だと記し、若手社員が会社の成長に沿って自由に活躍できる[30]と伝えた。早くから経営側の視点を身につけられる環境を求めて、将来の起業を志す者が集まる[31]とも書かれた。同じ記事には、すでに同社を巣立って数十億円の企業を継いだ社員がいる[32]と記した。人を引きつける自由裁量の運営は、育った人材が外へ出ることも含んだ仕組みであった。2007年1月時点の社員数は618名[33]であった。
2006年12月、株式会社ピーシーワークスは株式会社ベイカレント・コンサルティングへ商号を変更し[34]、2007年1月1日から新しい社名で営業を始めた[35]。社名には、社員の叡智が結集するBay(湾)から、クライアントを成功へ導くCurrent(流れ)を生み出す[36]という意味を持たせた。掲げ直した事業内容は、経営戦略の立案からBPR、ITシステムの導入、保守運用までを一貫して手がけるコンサルティングサービス[37]である。構築の下請けではなく経営課題の解決から入る会社であることを、社名で対外的に示した[38]。
Bayが指すのは一流の知恵が集う湾である[39]。そこへ流れ込む3本の川は、Strategy、Business Process、ITの3つのサービスである。Currentはクライアントを成功へ導く流れを指す[40]。江口氏が掲げた方針はClient First、Be Excellent、Flexibleの3つで[41]、競争優位の説明は、問題解決に向けた戦略の立案から、それを具現化するITシステムの構築・運用・保守などのアウトソーシング領域まで一貫して担えることに置かれた[42]。品質の裏づけには、2005年7月に取得したISMS・BS7799と、2006年7月に取得したISO/IEC 27001:2005の認証を並べた[43]。
看板を掛け替えた時点のベイカレント・コンサルティングは、2006年2月期の売上高が37億7,800万円[44]、社員数が618名の会社[45]であった。同社は自らを独立系ITコンサルティングファームと称し、設立以来の連続増収増益と無借金経営を信用の裏づけとして掲げた[46]。単価を上げるには上流の案件を取れる人材を増やすほかなく、人の集め方がそのまま稼ぎ方を決める関係は、このあとも続いた。
商号を変えて上流を掲げた矢先に、2008年秋のリーマンショックが来た[47]。企業がコンサルティングの発注を絞ったため、ベイカレント・コンサルティングの売上の伸びは2011年2月期にかけて止まった[48]。規模そのものは戻り、2012年2月期の売上高は101億円[49]に達したが、経常利益は4億8,000万円で、利益率は5%に届かなかった[50]。売上高だけを見れば、上流を掲げた2006年2月期の37億7,800万円から6年で2.7倍[51]になった。人を増やせば売上は増えるが、増えた人件費を単価が吸収できていない[52]。商号は変えても、稼ぎ方は工数を売るSIerの構造から抜け出せていなかった[53]。この間の従業員数は2010年2月の960名[54]を頂に、2011年2月888名[55]、2012年2月856名[56]へ減っている。
江口新氏は2011年5月、マッキンゼー・アンド・カンパニーでITと業務を扱うBTO部門の日本共同代表を務めた萩平和巳氏を迎え入れ[57]、10か月後の2012年3月に社長を譲った[58]。萩平氏は京都大学で情報工学を修め、三菱商事のIT部門で戦略IT事業会社の立ち上げに関わった[59]。三菱商事からマッキンゼーへ移った経歴[60]を持ち、外資系の戦略ファームで上流の案件を仕切ってきた人物である。創業から14年、オーナーが自ら率いてきた会社が、外部から招いたコンサルタント出身の経営者に運営を委ねた[61]交代であった。萩平氏は2013年2月のインタビューで、顧客業種ごとに縦割りに細分化された組織を持たず、プロジェクトごとに社内のコンサルタント全員から本人の意思と能力を踏まえてメンバーを選ぶ仕組み[62]を、同社の特徴として説明した。
対外的に見せるものは、この時期に入れ替わった。沿革の年表からは2010年3月までに年商の記載が落ち[63]、同年10月には売上グラフも外れた[64]。会社概要の欄には2009年度実績8,900,662千円[65]、2010年度実績9,751,264千円[66]という売上高が残った。2011年10月には沿革のページ自体がグローバルコンサルティングNWに差し替わり、2011年8月24日時点として、東京本社のほかロンドンの欧州拠点、ボストンの米国拠点、開設準備中のシンガポールと上海を示す世界地図が置かれた[67]。組織図にも欧州拠点・米国拠点とアジア拠点(準備中)・中国拠点(準備中)の4行が加わった[68]。同じ2011年8月、江口氏の代表挨拶からは、ITシステムの構築・運用・保守などのアウトソーシング領域までという一節が消えた[69]。
萩平和巳社長は2012年6月に世界初の日系グローバルトップファームをめざすと掲げた[70]が、11月には日本初のグローバルトップファームへ書き改め[71]、同月の組織図からは海外拠点の4行が消えた[72]。経営者を替えても収益は立て直せず、2014年2月期は経常赤字に沈んだ[73]。オーナー創業者が株式の多くを握ったままでは、外部からの資金調達も経営の刷新も進まない。2014年4月、受け皿としてバイロン・ホールディングス株式会社を東京都港区に設立し[74]、Sunrise Capitalを中心に江口新氏と萩平和巳社長も加わる第三者割当増資で88億4,000万円[75]を集めた。創業者が自ら出資する側に回りながら、支配の比率を下げる組み立て[76]である。ファンドが過半を持ち、専門の経営者が運営する会社へ資本構成を組み替えた[77]うえで、2年後の株式公開までを一続きの計画として進めた。
同年6月、バイロン・ホールディングスは旧株式会社ベイカレント・コンサルティングの全株式を取得して完全子会社とした[78]。買収価格は210億円[79]で、増資で集めた分を超える差額は金融機関からの長期借入でまかない、のれん188億円を計上した[80]。8月に本社を東京都港区へ移し[81]、10月にはバイロン・ホールディングスが旧ベイカレント・コンサルティングを吸収合併して、同日付で商号を株式会社ベイカレント・コンサルティングへ変更した[82]。買収のために作った持株会社と事業会社という二重の法人を、半年で一つに畳んだ手順[83]である。
MBOの代償は財務に残り、2015年2月末の自己資本比率は37.7%[84]まで下がって、資産の側にはのれんを中心とする無形固定資産が積み上がった。毎期の償却が利益を削るため、これを吸収するには単価の高い上流の案件で稼ぐほかない。本社は2014年6月時点の新宿NSビル5階[85]から2015年4月時点の虎ノ門ヒルズ森タワー9階へ移り、主要取引銀行も三菱東京UFJ銀行から三井住友銀行へ替わった[86]。1966年4月生まれの阿部義之氏は、1989年に電気通信大学を卒業して野村総合研究所に入り[87]、2008年9月にベイカレント・コンサルティングへ移って同年11月に執行役員となっていた[88]。その阿部氏が2015年5月、主力案件の収益を預かる取締役コンサルティング&IT事業本部長に就いた[89]。2016年2月期の売上高は158億円、営業利益は27億円[90]である。
2015年4月まで社長と執行役員だけだった役員欄には、同年8月に非常勤の社外取締役4名と社外監査役1名が加わった[91]。2016年9月2日、ベイカレント・コンサルティングは東京証券取引所マザーズに上場[92]した。公募は5万株にとどまり、売出1,168万400株とオーバーアロットメント175万9,500株[93]が公開規模の大半を占めた。想定公開規模は約318億円[94]で、その大半が既存株主の売却であり、主幹事は野村證券が務めた。上場直前の株主構成はSunrise Capital系3ファンドが計43.13%、EHRS L.P.が10.75%[95]と、2014年のMBOで過半を握ったファンド勢が並んでおり、この上場はその売却機会として設計されていた。
上場から半年後の2017年2月末には、Sunrise Capital系の保有は計5%強まで下がり[96]、ファンドの出口は実現した。一方で江口新氏は保有を77万株から155万株へ積み増し、2018年2月末には保有比率10.06%の筆頭株主へ戻った[97]。だが上場を挟む2017年2月期は、売上高が172億円へ伸びる一方で営業利益は23億円へ減り[98]、増収減益となった。
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|---|---|---|---|---|
| 1998〜2006年藤沢のシステム受託から上流コンサルタントへ(1998〜2006) | 江口新 | ピーシーワークスを設立 | ★★ | |
| 江口新 | ピーシーワークスに組織変更 | ★ | ||
| 江口新 | 本社を移転 | ★ | ||
| 江口新 | 発案者が事業を立ち上げる社内独立の風土づくりと、SIerから上流コンサルへの転換 2000年代半ば、独立系SIerのピーシーワークスが、発案者自らプロジェクトを立ち上げる自由裁量の風土で起業志向の人材を集め、2006年12月の商号変更でベイカレント・コンサルティングとして上流コンサルへ転じた経営判断である。この人材モデルは20年後、出身者が創業した『ベイカレクローン』4社を生む土壌にもなった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2007〜2016年リーマンショック後の停滞からMBOと上場まで(2007〜2016) | 萩平和巳 | 創業者・江口新氏の退任とマッキンゼー出身・萩平和巳氏への承継 2012年3月、ベイカレント・コンサルティングの創業者・江口新氏が社長を退き、マッキンゼー・アンド・カンパニーでBTO日本共同代表を務めた萩平和巳氏(2011年5月入社)へ経営を引き継いだ経営判断である。オーナー創業の会社が外部のプロ経営者を迎えた承継で、2年後のMBOと2016年の上場への橋渡しとなった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 萩平和巳 | バイロン・HDを設立 | ★ | ||
| 萩平和巳 | ベイカレント創業者の退場とSunrise Capital主導のMBO 2012年に創業者の江口新氏が退いて萩平和巳氏へ承継し、2014年にはSunrise Capital中心のMBOを買収価格210億円で実施した経営判断。創業者の資本影響を引き下げてファンド主導で再出発し、2016年の東証マザーズ上場につなげた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 萩平和巳 | 本社を移転 | ★ | ||
| 萩平和巳 | 旧子会社を吸収合併しベイカレント・コンサルティングに商号変更 | ★ | ||
| 萩平和巳 | PEファンドの出口として設計された2016年9月の東証マザーズ上場 2016年9月2日、ベイカレント・コンサルティングは東証マザーズに上場した。公募はわずか5万株で、売出1,168万400株とオーバーアロットメント175万9,500株が公開規模の大半を占め、2014年のMBOで過半を握った投資ファンド勢の売却機会として設計された上場であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 阿部義之 | 上場直後の減益を受けた社長交代と、採用数と単価を同時に上げる成長モデルへの転換 2016年12月、東証マザーズ上場から3カ月で業績が振るわなかったベイカレント・コンサルティングが、阿部義之氏を代表取締役社長に据え、採用費への集中投資とコンサルタント単価の引き上げを同時に進める体制へ切り替えた経営判断である。以後10年の高成長は、この交代から始まった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2017〜2023年人を増やしながら単価も上げる成長モデルの確立(2017〜2023) | 阿部義之 | 競合フューチャーからの人材引き抜きと営業秘密領得への関与 2016年から2019年にかけて、ベイカレント・コンサルティングの中途採用をめぐり、競合のフューチャーが営業秘密の不正取得を主張して民事で提訴し、二重雇用されたフューチャーの元執行役員が刑事で有罪となった事案。刑事判決は、ベイカレントの採用担当が引き抜き目的で人材リストの作成を依頼し、元従業員がフューチャーの全従業員名簿を不正に領得したと認定した。刑事で有罪となったのは元従業員のみで、ベイカレントは刑事被告ではない。民事はフューチャーがベイカレントと元従業員に計1億6,500万円の損害賠償を求め、ベイカレントは請求棄却を主張して本稿の時点でも係争が続く。 詳細を読む | ★★★ | |
| 阿部義之 | 東京証券取引所一部に指定替え | ★ | ||
| 阿部義之 | プライム市場へ移行 | ★ | ||
| 2024〜2026年提案と実装を分けた持株会社体制への移行(2024〜2026) | 阿部義之 | 本社を麻布台に移転 | ★ | |
| 阿部義之 | 持株会社化の分割準備会社2社を設立 | ★★ | ||
| 阿部義之 | 持株会社体制への移行とテクノロジー事業会社の分離 2024年9月1日、ベイカレント・コンサルティングが持株会社体制へ移行し、商号を株式会社ベイカレントへ変更した。コンサルティング事業を新会社へ承継し、持株会社の傘下にコンサルティング事業会社とテクノロジー事業会社を並べる組織再編である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 北風大輔 | 北風大輔が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 北風大輔 | 阿部義之が代表取締役会長兼社長に就任 | ★ | ||
| 顧客ごとに決めていた人月単価の役職別一律化 2026年4月から、コンサルタントの人月単価を役職別に定め、全クライアントで一律とする方針である。従来は顧客ごとに単価を決めていた。2025年8月にダイヤモンド編集部が独自に報じた。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(ベイカレント)