発案者が事業を立ち上げる社内独立の風土づくりと、SIerから上流コンサルへの転換

巣立つ社員を許す会社は弱くなるのか——起業志向の人材で成長し、のちに「ベイカレクローン」を生んだ人材モデルの原点

更新:

時期 2006年12月
意思決定者 江口新 ピーシーワークス(現ベイカレント) 創業者・社長
論点 業態転換と人材モデル
概要
2000年代半ば、独立系SIerのピーシーワークスが、発案者自らプロジェクトを立ち上げる自由裁量の風土で起業志向の人材を集め、2006年12月の商号変更でベイカレント・コンサルティングとして上流コンサルへ転じた経営判断である。この人材モデルは20年後、出身者が創業した「ベイカレクローン」4社を生む土壌にもなった。
背景
1998年に神奈川県藤沢市で創業した同社は、システム構築の受託で設立以来9期連続の増収増益を続け、2006年2月期の売上高は37億7,800万円に達した。だがSIerがコンサルティングで稼ぐ会社になるには、戦略・業務を語れて案件を自ら作れる人材を外から引き込む必要があった。
内容
創業者の江口新氏は「やりたい人がやりたいことをやる、やりたいから仕事に加わる」会社を掲げ、採用では知識や経験より素養を重視した。現場では発案者がマネージャーとなってプロジェクトを立ち上げる運営が定着し、2007年の広報記事は、将来の起業を志す社員が集まる会社の姿を伝えている。
含意
2007年時点で、すでに同社を巣立って数十億円の企業を継いだ社員の存在が記録されていた。2020年代にはDirbatoなど出身者創業の独立系コンサル4社が「ベイカレクローン」と呼ばれて台頭し、人を引きつける風土が人を送り出す装置でもあったことが、20年越しに業界地図として現れた。
筆者の見解

人が辞めて増える会社

この判断の面白さは、SIerからコンサルへの転換という目的に対し、選ばれた手段が組織図でも買収でもなく、風土であった点にある。発案した者に事業を立ち上げさせ、起業を志す人材をあえて集める。囲い込みを前提にした日本企業の人事とは逆向きの設計で、辞める自由を掲げることが、優秀な人材を引き込む最大の誘因になっていた。2007年の広報記事と2025年の経済誌が同じ現象——巣立つ社員——を書いている符合は、この風土が一貫して会社の中核であり続けたことを示している。

ただし、制度の細部は資料に残っていない。社内独立を支えた仕組みの開始時期や報酬の条件は、同時代の一次資料では確認できず、確かめられるのは風土の実態と、その帰結だけである。それでも、ベイカレクローン4社の台頭は、この会社の競争力の源泉が単価や営業の仕組みだけでなく、再現可能な人材モデルにあったことをうかがわせる。模倣者を生む設計は強さの証明でもあり、脅威の芽でもある。人が辞めて増える会社という逆説を、ベイカレントは20年かけて業界標準に変えたとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

受託で伸びたSIerの限界

ベイカレントの前身、ピーシーワークスは1998年3月に江口新氏が神奈川県藤沢市で設立した。経営・業務とITに関するコンサルティング、システムインテグレーション、アウトソーシングを事業目的に掲げ、2000年6月に株式会社へ改組、2002年3月には本社を東京都新宿区へ移して、大企業の情報システム案件を受託する独立系SIerとして規模を広げた。売上高は2005年2月期の33億5,000万円から2006年2月期には37億7,800万円へ伸び、設立以来9期連続の増収増益を無借金で続けていた[1][2]

だが、システム構築の受託を積み上げる成長には天井が見えていた。単価の高い上流の仕事——経営戦略の立案や業務プロセスの再設計——で稼ぐ会社になるには、戦略を語れるだけでなく、顧客の懐へ入って案件そのものを作り出せる人材が要る。そうした人材は外資系コンサルティングファームに集まっており、知名度のない独立系の中堅が引き抜くには、報酬と裁量の両方で誘因を示す必要があった。2007年1月の中途採用広告は、ビジネスコンサルタントに年俸500万円から1,500万円という幅の広い条件を提示している[3]

決断

商号変更——上流で稼ぐ会社への看板の掛け替え

転換の対外的な区切りが、2006年12月の商号変更である。株式会社ピーシーワークスは株式会社ベイカレント・コンサルティングへ社名を改め、2007年1月1日から新社名での営業を始めた。新しい社名には、社員の叡智が結集するBay(湾)から、クライアントを成功へ導くCurrent(流れ)を生み出すという意味が込められ、事業内容も経営戦略立案からBPR、ITシステム導入、保守運用までの一貫したコンサルティングサービスと掲げ直された。構築の下請けではなく、経営課題の解決から入る会社であることを、社名で宣言した転換であった[4][5]

やりたい人がやる——発案者が立ち上げる運営

看板を支えたのは、人の集め方と使い方であった。江口氏は2007年1月の導入事例記事で、「優秀な人材との出会いが多くあったことと、会社として人を大切にしてきたことが、現在の成長の鍵になっている」と語り、めざす組織像を「やりたい人がやりたいことをやる、やりたいから仕事に加わる、そんな会社にしたい」と表現した。採用の基準も独特で、同年2月の転職情報誌のインタビューでは、知識や経験よりも素養を重視する方針を掲げ、言語能力を軸にした行動力と思考力のあるコンサルタントの採用と育成を大事にすると述べている[6][7]

現場の運営は、部門と職位の序列より発案を優先した。2007年5月の企業レポート記事は、同社を「やりたいことが実現できる」風土と紹介し、発案者がマネージャーとなってプロジェクトを立ち上げていくのがベイカレント流だと記している。実際に、入社2年目のマネージャーが大手メーカーのプロジェクトで自ら提案活動を主導する例が語られ、早くから経営側の視点を身につけられる環境を求めて、将来の起業を志す者が集まってくるとも書かれた。社内で事業を立ち上げる自由を与えて起業家気質の人材を引き込む——制度の名称こそ資料に残っていないが、社内独立に近い運営の実態が、同時代の記事に記録されている[8]

結果

巣立つ社員は、2007年にはもう現れていた

この人材モデルの帰結は、早くも同時代の記事に顔を出している。2007年5月の同じ記事は、「実際にベイカレントを巣立ち、数十億円の企業を継いだ社員も存在する」と書き添えた。人を引きつける自由裁量の風土は、育った人材が外へ出ていくことも織り込んだ設計であった。会社の側は流出を抑え込むのではなく、起業家気質の人材が集まり続けることで穴を埋め、2007年2月期まで9期連続の増収増益と2桁成長を保った[9][10]

部門の縦割りを作らず、案件ごとに人を割り当てる運営は、創業者が去ったのちも会社の型として残った。2013年2月に公開された萩平和巳社長のインタビューは、顧客業種ごとに縦割り・細分化された組織を持たず、プロジェクトごとに社内のコンサルタント全員を対象にメンバーを選ぶ仕組みを同社の特徴として伝えている。この型は後年「ワンプール制」と呼ばれ、2016年の上場後に採用と単価の二軸で急成長する経営の土台になった[11]

20年後の帰結——ベイカレクローンの台頭

巣立つ社員の系譜は、2020年代に業界地図を書き換える規模へ育った。週刊東洋経済は2025年、Dirbato、ノースサンド、ビジョン・コンサルティング、ライズ・コンサルティング・グループの4社を「ベイカレクローン」と紹介した。創業者のほとんどがベイカレント出身で、ワンプール制など似た仕組みで伸びていることから、ベイカレントの再来と話題を集めているという。最大手のDirbatoは、ベイカレントで営業の統括責任者を務めた金山泰英氏が設立し、売上高を2020年3月期の17億円から2024年3月期には282億円へ伸ばした[12]

送り出した側のベイカレント自身も、同じ期間に独立系日本コンサルの最大手へ育っている。2025年2月期の売上高は1,150億円(前期比22.5%増)、営業利益率は36%と見込まれ、模倣者を生みながらなお先頭を走った。人を引きつける風土と人を送り出す風土が同じものである以上、出身者の起業は避けられない副産物であったが、市場そのものが拡大するなかでは、本家と分家がともに伸びる並走が成り立っていた[13]

出典・参考

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