ブルドックソース の歴史

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創業 1902年
創業者 小島仲三郎
創業地 東京都中央区
創業
1902年、小島仲三郎氏が東京で食料品卸商の三澤屋商店を興し、1905年からウースターソースを範にした中濃ソースの製造販売を始めた。1926年9月21日には個人企業を母体としてブルドックソース食品を京橋区永島町に設立し、商標をブルドックのマークへ改めている。1935年6月に埼玉県へ新設した鳩ヶ谷工場は、以後60年余りにわたり唯一の生産拠点となった。商号は1940年10月にブルドック食品、外来語が禁じられた1944年3月に三澤工業、1945年12月に再びブルドック食品と替わり、1962年12月に主力商品と同じブルドックソースへ落ち着いた。
決断
一度の破綻で決めた無借金が、以後70年の判断を縛った。関西進出計画の失敗と創業家二代目の株式投資で経営が行き詰まり、1954年に会社更生法の適用を受けた。1959年に更生債務を一掃したのち長期・短期とも借入金は皆無になり、自己資本比率は1972年9月期の62.4%から2007年3月期末の75.75%へ上がる。同じ期の連結貸借対照表には現金及び預金18億円、土地27億円、投資有価証券84億円が並んだ。この厚い換金性資産が米系ファンドの目に留まり、2007年7月に新株予約権の無償割当で買収防衛策を発動した。借金をしないと決めたことが高い自己資本比率を作り、その資産価値が株価に映らない状態が、53年後の公開買付を誘発した。
現況
本業で稼ぐ利益より、営業外の収益のほうが大きい。2026年3月期の連結売上高は146億円で、営業利益6億1,300万円に対し営業外収益は7億8,300万円あり、経常利益は13億1,800万円になった。前期も営業利益2億2,300万円に対して営業外収益7億600万円である。生産の側では2023年9月に、1935年の操業開始から88年を経た鳩ケ谷工場を止めて館林へ集約した。1935年から創業地で続けた生産を終えた判断が、2025年5月の同工場の売却で特別利益21億5,300万円を生み、純利益を営業利益の4倍にあたる24億4,000万円へ押し上げた。
競合
同じ年に同じファンドへ狙われた会社が、別の防ぎ方を選んだ。スティール・パートナーズは2007年5月18日、保有比率10.25%から1株1,584円で全株式の取得をめざす公開買付を始めた。ブルドックソースは6月24日の定時株主総会で83.4%の賛成を得て新株予約権を無償で割り当て、8月7日に最高裁がこれを適法と認めている。同じ年に狙われたサッポロビールは、事前警告型の防衛策の是非を株主総会へ諮るにとどめた。防衛策を発動したブルドックソースは代償を負い、2008年3月期に特別損失38億円と当期純損失19億1,200万円を計上して、自己資本比率は75.75%から69.6%へ下がった。ソース単品で1972年9月期にカゴメへ次ぐ2位という規模の会社が、資本市場では制度をつくる側に回った。
ブルドックソース:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 三澤屋商店の創業と、関西進出の失敗が招いた会社更生法 (1902年〜)

食料品卸から家庭用ソース専業への分岐

ブルドックソースは1902年、小島仲三郎氏が東京で食料品卸商の三澤屋商店を興した[1]ことに始まる。三澤屋商店は1905年にソースの製造販売を開始[2]し、洋風調味料を扱う卸から製造へ踏み込んだ。1926年9月21日[3]には、個人企業であった三澤屋商店を母体としてブルドックソース食品を京橋区永島町に設立[4]し、商標をブルドックのマークに改めて営業を開始した[5]。本社は1931年12月に京橋区八丁堀へ、1934年5月に日本橋兜町へ移り[6]、1935年6月には埼玉県に鳩ヶ谷工場を新設した[7]。1940年10月には商号をブルドック食品へ[8]改めた。

  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1902年 小島仲三郎が東京で食料品卸商の三澤屋商店を創業
    • [2]1905年 ソースの製造販売を開始
    • [4]1926年9月 京橋区永島町にブルドックソース食品を設立(三澤屋商店の製造部門を分離)
    • [6]1931年12月 本社を京橋区八丁堀へ移転、1934年5月 本社を日本橋兜町へ移転
    • [7]1935年6月 埼玉県に鳩ヶ谷工場を新設
    • [8]1940年10月 ブルドック食品に商号変更
    • [3]設立は大正15年(1926年)9月21日
    • [5]個人企業であった三沢屋商店を母体としてブルドックソース食品として設立し、商標をブルドックのマークに改め営業を開始

1944年3月、外来語の使用が禁じられたため社名を三澤工業へ変え、1945年12月に再びブルドック食品へ戻した[9]。戦中および戦後の一時期は原料の入手難から生産を中止しており[10]、その時期を除けば業績は順調だった。1952年7月には本社を中央区日本橋兜町11番5号へ移し[11]、以後この地を本店としている。1935年6月に開いた鳩ヶ谷工場は、1998年4月に群馬県の館林工場が加わるまで、同社のソース生産を担う唯一の拠点[12]であり続けた。上場を申請した1973年の時点でも、事業所は本社と鳩ケ谷工場の二つ[13]にとどまった。

  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [9]1944年3月 外来語使用禁止により社名を三澤工業へ商号変更、1945年12月 再びブルドック食品へ商号変更
    • [11]1952年7月 本社を中央区日本橋兜町11番5号へ移転
    • [12]1998年4月 群馬県に館林工場を新設(それまで鳩ヶ谷工場が唯一の生産拠点)
    • [10]原料の入手難から生産を中止した戦中および戦後の一時期を除いて業績は順調
    • [13]おもな事業所は本社および鳩ケ谷工場
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1902年 小島仲三郎が東京で食料品卸商の三澤屋商店を創業
    • [2]1905年 ソースの製造販売を開始
    • [4]1926年9月 京橋区永島町にブルドックソース食品を設立(三澤屋商店の製造部門を分離)
    • [6]1931年12月 本社を京橋区八丁堀へ移転、1934年5月 本社を日本橋兜町へ移転
    • [7]1935年6月 埼玉県に鳩ヶ谷工場を新設
    • [8]1940年10月 ブルドック食品に商号変更
    • [9]1944年3月 外来語使用禁止により社名を三澤工業へ商号変更、1945年12月 再びブルドック食品へ商号変更
    • [11]1952年7月 本社を中央区日本橋兜町11番5号へ移転
    • [12]1998年4月 群馬県に館林工場を新設(それまで鳩ヶ谷工場が唯一の生産拠点)
    • [3]設立は大正15年(1926年)9月21日
    • [5]個人企業であった三沢屋商店を母体としてブルドックソース食品として設立し、商標をブルドックのマークに改め営業を開始
    • [10]原料の入手難から生産を中止した戦中および戦後の一時期を除いて業績は順調
    • [13]おもな事業所は本社および鳩ケ谷工場

関西進出の失敗と会社更生法による再建

関西進出計画の失敗などを原因として経営が行き詰まり[14]、1954年に会社更生法の適用を受けた[15]。後年に社長を務めた佐藤和雄氏は、この破綻を『会社更生法の適用を受けるに至ったのは、事業そのものの失敗ではなかった。創立者の二代目が株に興味を持って、そんな個人的な問題から会社更生法の適用を受けるようになったわけです』[引用元]と振り返っている。佐藤氏は自らを『その当時この会社に席を置いていなかった』[引用元]と断りつつ、更生法の適用を受けた社員が『非常にショックを受けたのではないか』[引用元]と述べ、商品そのものが調味料という地味なものであったため会社の性格も同様の傾向があった[16]と語った。

再建にあたった佐藤和雄氏は、破綻を『契機に堅実な、石橋を叩くような経営体制を取ってきました』[引用元]と述べている。人については『社員に働く意欲、生きがいを与えて、内部から盛り上がる力を養成しようと努めました』[引用元]と語った。更生の過程では更生債権が株式へ振り替えられた[17]。堅実な経営方針と、国民の食生活が洋風化して需要が増えたことが重なり、再建計画は当初の予定を上回って進み、1959年に更生債務を一掃した[18]。更生手続を抜けた同社は、鳩ヶ谷の一工場でソースを作る体制を保ったまま、関東・東北・北海道へ販売を築いた[19]

    • [17]資本の変遷に更生債権振替の記載
    • [18]堅実な経営方針と食生活の洋風化による需要増で再建計画は当初予定を上回って推移し、昭和34年(1959年)に更生債務を一掃
    • [19]その後は関東・東北・北海道に販売を築いた
    • [14]関西進出計画の失敗などを原因として経営が行き詰まった
    • [15]昭和29年(1954年)に会社更生法の適用を受けた
    • [17]資本の変遷に更生債権振替の記載
    • [18]堅実な経営方針と食生活の洋風化による需要増で再建計画は当初予定を上回って推移し、昭和34年(1959年)に更生債務を一掃
    • [19]その後は関東・東北・北海道に販売を築いた
    • [16]佐藤和雄・当時社長は更生法適用時に在籍しておらず、社員が非常にショックを受けたと述べ、商品が調味料という地味なもので会社の性格も同様の傾向があったと証言

商号の統一から東京証券取引所第二部への上場

1962年12月、社名をブルドックソースへ商号変更[20]し、主力商品の名を社名に重ねた。1968年には福岡事務所を建設して九州へ[21]進出した。1970年のチクロの全面使用禁止で製品の廃棄と砂糖への切り替えが生じ、原料費が高騰したが、1971年3月に実施した15%程度の製品値上げ[22]でこれを吸収した。1972年3月には三澤屋商店を吸収合併[23]し、卸と製造に分かれていた体制を一つにまとめた。1972年9月期の売上高は38億6,652万円で、カゴメの42億円に次ぐ業界第2位[24]に位置した。長期・短期の借入金は皆無で、同期の自己資本比率は62.4%[25]に達した。

  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1962年12月 社名をブルドックソースに商号変更
    • [23]1972年3月 三澤屋商店を吸収合併
    • [21]昭和43年(1968年)に福岡事務所を建設し九州へ進出
    • [22]昭和45年(1970年)のチクロ全面使用禁止による製品廃棄と砂糖への切り替えで原料費が高騰、昭和46年(1971年)3月の15%程度の製品値上げで吸収
    • [24]昭和47年度(1972年9月期)の売上高38億6,652万7千円はカゴメの42億円に次ぐ業界第2位
    • [25]長・短借入金は皆無で、昭和47年9月期の自己資本比率は62.4%

1973年5月16日、東京証券取引所市場第二部に株式を上場[26]した。銘柄コードは2804、資本金は3億6,000万円で、公募120万株を1株700円[27]で出した。上場時の取締役社長は丸山豊次郎氏、専務取締役は佐藤和雄氏[28]だった。会社の目的は『ソースの製造販売』[引用元]と記され、従業員は253名、取引金融機関は第一勧業銀行、決算期は9月30日に置かれていた[29]。1973年9月期の売上高は46億円、当期純利益は5.3億円[30]を計上した。1976年1月には本社社屋を新築[31]した。上場申請にあたっての公認会計士監査は、1971年9月期・1972年9月期とも適正の無限定意見[32]を受けた。

    • [26]1973年5月 東京証券取引所市場第二部に上場(上場年月日 昭和48年5月16日)
    • [27]銘柄コード2804・資本金360,000千円・公募120万株を1株700円で実施
    • [28]上場時の取締役社長は丸山豊次郎、専務取締役は佐藤和雄
    • [29]会社の目的はソースの製造販売・従業員数253名・取引金融機関は第一勧業銀行・決算期9月30日
    • [32]公認会計士監査意見は昭和46年9月期・昭和47年9月期とも適正(無限定)
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1974年9月期)
    • [30]1973年9月期 売上高46億円・当期純利益5.3億円
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [31]1976年1月 本社社屋新築
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]1962年12月 社名をブルドックソースに商号変更
    • [23]1972年3月 三澤屋商店を吸収合併
    • [31]1976年1月 本社社屋新築
    • [21]昭和43年(1968年)に福岡事務所を建設し九州へ進出
    • [22]昭和45年(1970年)のチクロ全面使用禁止による製品廃棄と砂糖への切り替えで原料費が高騰、昭和46年(1971年)3月の15%程度の製品値上げで吸収
    • [24]昭和47年度(1972年9月期)の売上高38億6,652万7千円はカゴメの42億円に次ぐ業界第2位
    • [25]長・短借入金は皆無で、昭和47年9月期の自己資本比率は62.4%
    • [26]1973年5月 東京証券取引所市場第二部に上場(上場年月日 昭和48年5月16日)
    • [27]銘柄コード2804・資本金360,000千円・公募120万株を1株700円で実施
    • [28]上場時の取締役社長は丸山豊次郎、専務取締役は佐藤和雄
    • [29]会社の目的はソースの製造販売・従業員数253名・取引金融機関は第一勧業銀行・決算期9月30日
    • [32]公認会計士監査意見は昭和46年9月期・昭和47年9月期とも適正(無限定)
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1974年9月期)
    • [30]1973年9月期 売上高46億円・当期純利益5.3億円

関東家庭用に偏っていた販売と製品の構成

上場時に示された製品別の売上構成比は、中濃ソース40.1%、とんかつソース36.2%、ウスターソース23.7%[33]で、濃厚ソースが主体だった。製品の大半は一般家庭向けで、地域別では東京を中心とした関東地方が売上高の69.1%を占め、東北地方を加えると87.2%に達した[34]。販売は全量を特約店経由で行い、主な販売先には国分・佐藤商店・明治屋・日本酒類販売[35]が並んだ。関東と関西の味に対する嗜好の相違が根強いため、この時点でも関西進出は図られて[36]いなかった。ブルドックソースはソース専業メーカーとして、関東と東北を主要な地盤に業績の拡大に努めて[37]いた。

    • [33]製品別販売実績はウスターソース23.7%・中濃ソース40.1%・とんかつソース36.2%
    • [34]製品の大半は一般家庭向け、地域別販売実績は関東地方で売上高の69.1%、東北を加えると87.2%
    • [35]販売ルートは全量特約店経由、主たる販売先は国分・佐藤商店・明治屋・日本酒類販売ほか
    • [36]関東と関西の味に対する嗜好の相違が根強いため、いまだに関西進出は図られていない
    • [37]ソース専業メーカーとして関東・東北を主要地盤に業績の拡大に努めている

高収益が現れたのは1970年代の後半で、1977年3月期の売上高は87億円・当期純利益8.0億円、1978年3月期は94億円・10億円と伸びた[38]。1979年3月期には売上高102億円・当期純利益10.3億円となり[39]、売上高純利益率は約1割に達した。1978年11月の時点で社長を務めていたのは佐藤和雄氏[40]だった。上場前の1972年9月期に38億円だった売上高[41]は、7年で2.6倍になっている。1974年9月期の売上高は60億円[42]で、上場直後の数年が伸びの中心にあたる。1972年9月期に4.5億円だった当期純利益も、1979年3月期には2.3倍[43]の10.3億円へ増えた。

  • ブルドックソース 有価証券報告書(1979年3月期)
    • [38]1977年3月期 売上高87億円・当期純利益8.0億円、1978年3月期 売上高94億円・当期純利益10億円
    • [39]1979年3月期 売上高102億円・当期純利益10.3億円(売上高純利益率約10%)
    • [43]1972年9月期 当期純利益4.5億円、1979年3月期 当期純利益10.3億円
    • [40]1978年11月時点のブルドックソース社長は佐藤和雄
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1974年9月期)
    • [41]1972年9月期 売上高38億円
    • [42]1974年9月期 売上高60億円
    • [33]製品別販売実績はウスターソース23.7%・中濃ソース40.1%・とんかつソース36.2%
    • [34]製品の大半は一般家庭向け、地域別販売実績は関東地方で売上高の69.1%、東北を加えると87.2%
    • [35]販売ルートは全量特約店経由、主たる販売先は国分・佐藤商店・明治屋・日本酒類販売ほか
    • [36]関東と関西の味に対する嗜好の相違が根強いため、いまだに関西進出は図られていない
    • [37]ソース専業メーカーとして関東・東北を主要地盤に業績の拡大に努めている
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1979年3月期)
    • [38]1977年3月期 売上高87億円・当期純利益8.0億円、1978年3月期 売上高94億円・当期純利益10億円
    • [39]1979年3月期 売上高102億円・当期純利益10.3億円(売上高純利益率約10%)
    • [43]1972年9月期 当期純利益4.5億円、1979年3月期 当期純利益10.3億円
    • [40]1978年11月時点のブルドックソース社長は佐藤和雄
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1974年9月期)
    • [41]1972年9月期 売上高38億円
    • [42]1974年9月期 売上高60億円

成長の頭打ちと群馬県館林工場の新設

1980年3月期は売上高115億円・当期純利益10.8億円、1981年3月期は117億円・9.9億円[44]、1982年3月期は123億円・10.9億円、1983年3月期は122億円・11.2億円、1984年3月期は123億円・11.9億円[45]と、売上高は115億円から123億円の幅を出なかった。1985年3月期は売上高116億円・当期純利益11.0億円で減収[46]に転じた。1998年4月に館林工場が加わるまで、生産は鳩ヶ谷の一工場に集まったまま[47]だった。1985年11月には子会社サンワフーズを設立[48]した。

  • ブルドックソース 有価証券報告書(1982年3月期)
    • [44]1980年3月期 売上高115億円・当期純利益10.8億円、1981年3月期 売上高117億円・当期純利益9.9億円
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1985年3月期)
    • [45]1982年3月期 売上高123億円・当期純利益10.9億円、1983年3月期 売上高122億円・当期純利益11.2億円、1984年3月期 売上高123億円・当期純利益11.9億円
    • [46]1985年3月期 売上高116億円・当期純利益11.0億円
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [47]1998年4月の館林工場新設まで鳩ヶ谷工場が唯一の生産拠点
    • [48]1985年11月 子会社サンワフーズを設立

1998年4月、群馬県に館林工場を新設[49]した(第1期工事)。1935年6月の開設から60年余りにわたり鳩ヶ谷工場だけがソースを作ってきた[50]体制は、ここで二工場に変わった。1999年度にあたる2000年3月期の単体売上高は142億円、当期純利益は3.5億円[51]を計上した。売上高は1985年3月期の116億円から22%増えた一方、当期純利益は11.0億円から3分の1以下に減り、売上高純利益率は9.5%から2.5%へ下がった[52]。1985年11月に設立していたサンワフーズは、2005年10月にイカリソースへ商号を変えた[53]

  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [49]1998年4月 群馬県に館林工場を新設(第1期工事)
    • [50]1935年6月 鳩ヶ谷工場を新設、1998年4月の館林工場新設まで唯一の生産拠点
    • [53]2005年10月 子会社サンワフーズをイカリソースに商号変更
  • ブルドックソース 有価証券報告書(2000年3月期)
    • [51]2000年3月期 売上高142億円・当期純利益3.5億円
    • [52]1985年3月期 売上高116億円・当期純利益11.0億円(売上高純利益率9.5%)に対し2000年3月期は142億円・3.5億円(同2.5%)
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1982年3月期)
    • [44]1980年3月期 売上高115億円・当期純利益10.8億円、1981年3月期 売上高117億円・当期純利益9.9億円
  • ブルドックソース 有価証券報告書(1985年3月期)
    • [45]1982年3月期 売上高123億円・当期純利益10.9億円、1983年3月期 売上高122億円・当期純利益11.2億円、1984年3月期 売上高123億円・当期純利益11.9億円
    • [46]1985年3月期 売上高116億円・当期純利益11.0億円
  • ブルドックソース 有価証券報告書 第100期(2025年3月期)【沿革】
    • [47]1998年4月の館林工場新設まで鳩ヶ谷工場が唯一の生産拠点
    • [48]1985年11月 子会社サンワフーズを設立
    • [49]1998年4月 群馬県に館林工場を新設(第1期工事)
    • [50]1935年6月 鳩ヶ谷工場を新設、1998年4月の館林工場新設まで唯一の生産拠点
    • [53]2005年10月 子会社サンワフーズをイカリソースに商号変更
  • ブルドックソース 有価証券報告書(2000年3月期)
    • [51]2000年3月期 売上高142億円・当期純利益3.5億円
    • [52]1985年3月期 売上高116億円・当期純利益11.0億円(売上高純利益率9.5%)に対し2000年3月期は142億円・3.5億円(同2.5%)

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ブルドックソースの沿革1902〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1902〜1959年三澤屋商店の創業と、関西進出の失敗が招いた会社更生法食料品卸商三澤屋商店として創業
ソースの製造販売を開始★★
京橋区永島町にブルドックソース食品を設立
本社を京橋区八丁堀に移転
本社を日本橋兜町に移転
鳩ヶ谷工場を新設
ブルドック食品に商号変更
社名を三澤工業に商号変更
再びブルドック食品に商号変更
本社を中央区日本橋兜町11番5号に移転
会社更生法による再建と、以後の無借金・手元流動性重視という財務体質の定着

1954年に会社更生法の適用を申請して経営破綻したブルドックソースが、大蔵省(現財務省)出身の佐藤和雄氏の主導で『石橋を叩く』堅実経営へ転換し、1959年に更生債務を一掃して再建を果たした経営判断。以後、無借金・換金性資産の温存という財務体質が同社の型として根づいた。

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★★★
1960〜1999年商号の統一と東証二部上場、関東家庭用に偏った事業社名をブルドックソースに商号変更
三澤屋商店を吸収合併
東京証券取引所市場第二部に上場
本社社屋新築
子会社サンワフーズを設立
館林工場を新設(第1期工事)
2000〜2007年池田章子社長の商品転換とイカリソース買収、買収防衛策の発動池田章子子会社サンワフーズをイカリソースに商号変更
池田章子イカリソースが更生会社イカリソースの営業を譲受★★
池田章子館林工場第2期増築工事竣工
池田章子Bullフーズを設立
池田章子スティール・パートナーズのTOBに対する新株予約権無償割当による買収防衛策の発動

2007年、米系投資ファンドのスティール・パートナーズによる全株式取得の公開買付に対し、池田章子社長と取締役会が、差別的行使条件付きの新株予約権無償割当という買収防衛策を発動した経営判断。株主総会の特別決議と最高裁の適法判断を経て、日本で初めて買収防衛策が現実に発動された事例となった。

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2008〜2025年防衛の代償と、石垣幸俊社長の下での生産再編池田章子富留得客(北京)商貿有限公司を設立
池田章子監査役設置会社から監査等委員会設置会社へ移行
石垣幸俊館林工場第3期増築工事竣工
石垣幸俊委任型執行役員制度を導入
石垣幸俊サンフーズを子会社化★★
石垣幸俊富留得客食品(上海)有限公司を設立
石垣幸俊鳩ケ谷工場生産終了★★
石垣幸俊TATEBAYASHIクリエイションセンター完工、稼働
石垣幸俊Bullフーズをブルドックソースに吸収合併
石垣幸俊鳩ケ谷工場売却
出典・参考

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