焼肉のたれという商品は、日本の家庭に"肉を焼いてたれで食べる"という食べ方を根づかせることで市場そのものを作った。その成功の型をそのまま持ち出せば、米国でも店舗でも同じことが起きる——1988年の二つの設立には、そうした見立てがあったように読める。ただ、家庭の食卓に食べ方を広げる仕事と、店を構えて客に食事を出す仕事、あるいは食習慣の異なる国で棚を取る仕事は、必要になる能力が重なりにくい。精肉店を一軒ずつ回って試食を重ねた売り方は、国内の肉売場という具体的な場所と結びついていた。
二つの撤退から20年を経て、同社は再び海外へ出ている。今度は現地生産を伴わず、国内の工場で作った商品を現地の販売拠点から外食と小売へ流す形が採られ、中期経営計画では海外売上高比率5%以上という控えめな目標が置かれている。1988年の判断は、規模の大きさではなく、進み方の設計に課題を残したとみることもできる。自社が作った食文化をどこまで外へ持ち出せるかという問いは、東南アジアの市場で改めて確かめられている段階にある。