キッコーマンの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

売る商品より先に、その商品を使う料理のほうを現地へ持ち込んできた。北米での進め方は、まず輸出で用途を開き、需要を見極めたうえで設備を置くというものだった。1971年の役員会は三点を根拠に挙げた。最小経済単位の工場を維持できるだけの需要が育ったこと、現地で作れば製品と原料の運賃が浮くこと、日米の人件費の開きが小さくなったことである。これを受けて翌1972年に会社の資本金を上回る資金を米国の醤油工場へ投じた。ただ役員の間では、蔵ごとに固有の菌が棲むと考えられてきた醤油を海の外で同じ味に仕上げられるのか、という懸念が消えなかった。ウィスコンシン州ウォルワースの工場は1973年6月に動き出し、出荷量は製造初年度の30倍まで伸びる。国内では1995年2月に米国帰りの茂木友三郎氏が社長に就任し、同族色の濃かった意思決定の仕組みを、情報を集めて商品ごとに責任を負わせる形へ切り替えた。

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