KIKKOMAN INTERNATIONAL, INC. を設立(米国)
国内市場の成熟と北米における醤油普及の余地
1930年代に国内トップシェアを確保した後、キッコーマンの事業環境は次の局面に入っていた。国内醤油市場では需要成長が緩やかになり、シェア拡大の余地は限定的となりつつあった。一方、戦後の北米では人口増加とスーパーマーケットの普及が進み、家庭用調味料市場そのものが拡大していた。ただし醤油は日系人向け食材という認識にとどまり、一般家庭への浸透はほとんど進んでいなかった。
この非対称性がキッコーマンにとっての課題であった。醤油の輸出自体は戦前から行われていたが、北米市場では販路・棚・消費文脈のいずれも不足していた。米国では卸売・小売の力が強く、日本からの輸出だけでは全国展開は困難であった。現地での販売実績と流通関係を持つパートナーの存在が、海外展開の成否を左右する条件となっていた。
合弁会社設立とテレビ広告による北米市場開拓
1957年6月、キッコーマンは米国にKIKKOMAN INTERNATIONAL, INC.を設立した。単独進出ではなく、日本食を扱う貿易会社・太平洋貿易との合弁方式が採用された。太平洋貿易は米国西海岸で大手スーパーを開拓した実績を持ち、販路と現地理解を備えていた。キッコーマンは製品とブランドを提供し、販売力はパートナーに委ねる分業を選択した。
販促面では棚確保を最優先課題とし、食品ブローカーの開拓と試食デモを積極的に展開した。照り焼きなど肉料理を通じて醤油を日本料理専用ではなく汎用調味料として訴求した点が特徴であった。1958年にはテレビドラマ番組のスポンサーとなり、売上14万ドルに対して広告費11万ドルという高い比率を投下した。放映後には年間20~30%の売上成長を記録した。
北米での認知獲得と現地生産への移行を準備した販売基盤
テレビ広告を契機として北米市場での認知は急速に拡大し、スーパーマーケットにおける棚確保が進んだ。醤油を肉料理やバーベキューの調味料として提案したマーケティングは、日本食に馴染みのない消費者層への浸透に有効に機能した。合弁方式による現地パートナーの販路と、キッコーマンのブランド力の組み合わせが、北米市場開拓の基盤を形成した。
この時期に構築された販売網と消費者認知は、1970年代の北米現地生産への移行を判断する際の前提条件となった。輸出モデルでは為替変動や輸送費の影響を受けやすく、販売量の拡大とともに収益構造の限界が意識されるようになる。KII設立は、北米市場における醤油の定着と、その後の現地生産という次の段階への橋渡しとなった。