アルプスアルパイン

の歴史

創業

1948年

創業者

片岡勝太郎

創業地

東京都大田区

直近売上高(2026/3)

10,195億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1948年の創業時に、独自素材も生産技術も持たず可変蓄電器の小売から始めたのか
A 自前の素材も技術もない一介の技術者が市場へ食い込むには、誰も手当てしていない品質の隙間を突くほかなかった。片岡勝太郎氏は東芝を退いて神田でジャンク屋を営むなか、出回る可変蓄電器に良品が乏しいことに気づき、1948年に資本金50万円・従業員23名で片岡電気を設立して「アルプス」ブランドの高品質バリコンを秋葉原で売った。1950年の朝鮮動乱で部品特需が来ても量より質を貫き、休戦後の倒産ラッシュを品質だけを頼りに乗り切った。素材も独自技術も持たない代わりに顧客ごとのカスタマイズと納期で勝負する型が、ここで定まった
Q なぜ1967年に、部品メーカーが完成品の領域へ踏み出してアルパインを生んだのか
A 部品供給は売上が伸びてもモトローラ依存とロイヤリティ負担で利益が薄く、納入先を儲けさせるばかりの「利益なき繁栄」に陥っていた。そこで片岡電気は1967年にモトローラとの合弁アルプス・モトローラを設立し、自社ブランドの完成品で粗利を取りに動いた。部品屋が完成品に出れば片岡社長の顧客回りがやりにくくなるという同業の指摘どおり納入先との関係を損ねる危うさを抱えたが、1978年に持分を取得して完全子会社化しアルパインへ改めた。北米では量販店と距離を置き高価格帯のカーオーディオを専門店向けに絞り、価格競争から逃れる道を採った
Q なぜ2012年に創業家外の社長が車載・スマホへ絞り、2019年にアルパインを統合したのか
A 64年続いた創業家経営は父祖が育てた事業を切りにくく、「何を捨てるか」の判断を先送りしてきた。多品種を抱えながらTDKのフェライトのような独自素材を持たず、利益源を絞れないまま1991年3月期のピーク後に5期連続で減収していた。そこで2012年に創業家外初の栗山年弘氏が社長に就き、車載とスマホへ経営資源を集中して2013年3月期に約68億円だった営業利益を2016年3月期には約9倍へ戻した。さらに車の電動化・知能化に部品と完成品を束ねて応えるべく、2017年に子会社アルパインとの統合を決め、2019年に親子並走の歴史を一体化させた

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1948年〜 片岡電気創業から総合電子部品メーカーとして立ち上がった草創期

  1. 1948年片岡電気株式会社の設立
  2. 1949年バリコンの製造開始と秋葉原での販売
  3. 1954年テレビ時代への対応──VHFチューナーの製造開始
  4. 1961年東京証券取引所第二部に上場
  5. 1964年東北アルプス設立──地方生産拠点の展開開始
  6. 1964年アルプス電気に商号変更──片岡勝太郎が社長に就任

アルプスアルパインの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

品質重視の創業姿勢と朝鮮動乱特需の洗礼を受けた初期の急成長

創業者の片岡勝太郎氏は東芝を退社したのち、菊名製作所を経て神田でジャンク屋を営むなかで、市場に出回る可変蓄電器の良品があまりに少ないことに気づいた。1948年11月、資本金50万円・重役以下23名の片岡一族の同族会社として片岡電気を設立し、ロータリースイッチとバリコンの製造販売から事業を起こして、「アルプス」ブランドを冠した高品質の可変蓄電器を秋葉原で販売する道を歩み始めた。社長には実兄の片岡信直氏を据え、勝太郎氏自身は専務として経営の実権を握るという変則的な体制を16年間にわたって続けた。1949年には大阪出張所を開設して販路の拡大に努めている。創業者の品質への強いこだわりと、兄弟による役割分担がこの時期の経営の基本構造を形成した。戦後の混乱期に独立した一介の技術者が、後の大企業の基礎を1948年の時点で築き始めていた。 [1][2][3][4][5][6]

  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1948年(昭和23年)11月 片岡電気を設立(資本金50万円)
    • [2]設立時資本金は50万円
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]発足時の総員は重役以下23名(明治百年で確認、設立直後の陣容)
    • [5]発足は資本金50万円・重役以下23名の片岡一族の同族会社で、ロータリースイッチとバリコンの製造販売から始めた
    • [6]1949年(昭和24年)に大阪出張所を開設して販路拡大を図った
  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
    • [4]創業者の氏名は片岡勝太郎(実質的創業者)

1950年1月のラジオ生産量は2万台と低迷していたが、同年6月の朝鮮戦争勃発を機に片岡勝太郎氏が3割増産を打ちだして成功し、社業はようやく軌道に乗った。片岡専務は量より品質を一貫して重んじ、「安売りをした部品メーカーで生命をまっとうした会社は一社もない」という信念のもと、1953年の動乱終結後の倒産ラッシュを品質で乗り切った。従業員が百名台を突破したのは1952年で、1954年にはテレビ放映にあわせ業界にさきんじて超短波チューナーの生産を始め、1958年には研究開発を進めていたボリュームの生産も開始する。スイッチ、バリコン、チューナー、ボリュームという主要四部門がこのころ顔をそろえ、ロータリースイッチは1958年に防衛庁規格、1959年にアメリカ軍用規格を受けて品質は最高の水準に達した。創業からわずか15年で資本金5億円、従業員2,700人を擁する一流の部品メーカーへと駆け上がった。 [7][8][9][10][11][12][13]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [7]1950年(昭和25年)1月のラジオ生産量は2万台で低迷していた
    • [8]1950年6月の朝鮮戦争勃発を機に片岡勝太郎が3割増産を打ち出して成功し、社業が軌道に乗った
    • [9]従業員が100名台を突破したのは1952年(昭和27年)
    • [11]1958年(昭和33年)に1957年から研究開発を進めていたボリュームの生産を開始
    • [12]スイッチ・バリコン・チューナー・ボリュームの主要4部門がこの頃に出揃った
    • [13]ロータリースイッチが1958年(昭和33年)に防衛庁規格、1959年(昭和34年)にアメリカ軍用規格を取得した
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1954年(昭和29年)にテレビの放映にあわせて業界にさきんじて超短波(VHF)チューナーの生産を開始
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1948年(昭和23年)11月 片岡電気を設立(資本金50万円)
    • [2]設立時資本金は50万円
    • [10]1954年(昭和29年)にテレビの放映にあわせて業界にさきんじて超短波(VHF)チューナーの生産を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]発足時の総員は重役以下23名(明治百年で確認、設立直後の陣容)
    • [5]発足は資本金50万円・重役以下23名の片岡一族の同族会社で、ロータリースイッチとバリコンの製造販売から始めた
    • [6]1949年(昭和24年)に大阪出張所を開設して販路拡大を図った
    • [7]1950年(昭和25年)1月のラジオ生産量は2万台で低迷していた
    • [8]1950年6月の朝鮮戦争勃発を機に片岡勝太郎が3割増産を打ち出して成功し、社業が軌道に乗った
    • [9]従業員が100名台を突破したのは1952年(昭和27年)
    • [11]1958年(昭和33年)に1957年から研究開発を進めていたボリュームの生産を開始
    • [12]スイッチ・バリコン・チューナー・ボリュームの主要4部門がこの頃に出揃った
    • [13]ロータリースイッチが1958年(昭和33年)に防衛庁規格、1959年(昭和34年)にアメリカ軍用規格を取得した
  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
    • [4]創業者の氏名は片岡勝太郎(実質的創業者)

アルプス電気への改称と海外市場への本格開拓を支えた片岡外交

1961年に電子部品業界で初めて東京店頭市場に株式を公開し、同年10月には東京証券取引所二部にも上場を果たした。このころには資本金も2億4,000万円に達し、横浜工場が第一期工事を終えて第二期工事に着手するなど生産能力の増強も進んでいた。国際取引の拡大に伴い、1964年には片岡電気からアルプス電気へと社名を改め、創業者の片岡勝太郎氏が正式に社長として表舞台に立つこととなった。同年には宮城県に古川工場を新たに開設し、以後は東北各地に生産拠点を展開していく方針を打ち出している。海外市場ではモトローラ向けにチューナーを17万台単位で納入し、米GE社からはバリコン25万個の大量注文を受けるなど、部品の輸出事業を「世界のアルプス」と呼ばれる規模へ拡大させた。創業者が表に出て自ら指揮を執る体制へ移行し、国内外の需要を両面で取り込む経営判断の速度と一貫性が高まった。 [14][15][16][17][18][19]

  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1961年(昭和36年)4月に株式を東京店頭市場に公開し、同年10月に東京証券取引所市場第二部に上場
    • [15]1964年(昭和39年)12月に片岡電気からアルプス電気へ商号変更
    • [17]1964年に宮城県に古川工場を開設(沿革では1964年8月に東北アルプスを設立し同年9月に古川工場を開設)
  • 有価証券報告書
    • [16]1964年の商号変更時に片岡勝太郎が正式に社長へ就任
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [18]1961年(昭和36年)に資本金が2億4000万円に達し、横浜工場が第一期工事を終えて第二期工事に着工した
    • [19]米GE社からバリコン25万個の大量注文を受け、「世界のアルプス」と呼ばれる規模へ輸出を拡大した

片岡勝太郎社長の経営の核心は、大手セットメーカーを自ら精力的に回り歩く、いわゆる「片岡外交」にあった。営業担当の日報・週報を通じて顧客情報を開発・生産部門に翌日中には伝達するという独自のシステムを構築し、パイオニアの松本誠也社長をして「どんな無理でもきいてくれる頼りになる存在」と言わしめた。9割以上が受注生産というビジネスモデルにあって、ユーザーのニーズを先読みして次の製品ラインを素早く開発する機動力こそが、同社の競争優位の源泉を形作っていた。部品メーカーとしては異例の営業密着度が、この時期の強さの根幹だった。このきめ細かな顧客対応こそが、長年にわたり業界内で高い評価を支えた源泉である。 [20]

  • 日経ビジネス(1983年7月11日)
    • [20]パイオニアの松本誠也社長の評価コメントは引用資料に同社長名で収録(逐語一致は引用チェックの対象)
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1961年(昭和36年)4月に株式を東京店頭市場に公開し、同年10月に東京証券取引所市場第二部に上場
    • [15]1964年(昭和39年)12月に片岡電気からアルプス電気へ商号変更
    • [17]1964年に宮城県に古川工場を開設(沿革では1964年8月に東北アルプスを設立し同年9月に古川工場を開設)
  • 有価証券報告書
    • [16]1964年の商号変更時に片岡勝太郎が正式に社長へ就任
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [18]1961年(昭和36年)に資本金が2億4000万円に達し、横浜工場が第一期工事を終えて第二期工事に着工した
    • [19]米GE社からバリコン25万個の大量注文を受け、「世界のアルプス」と呼ばれる規模へ輸出を拡大した
  • 日経ビジネス(1983年7月11日)
    • [20]パイオニアの松本誠也社長の評価コメントは引用資料に同社長名で収録(逐語一致は引用チェックの対象)

テレビ用部品とオーディオ部品の展開が築いた「部品の総合デパート」

超短波チューナーに続き、同社はテレビ受像機用の各種部品やオーディオ機器向けのスイッチ類へと製品群を次々に広げた。発足時のロータリースイッチにスライド式(1953年)とボタン式(1956年)を加え、チューナーもスイッチチューナーからターレット(1956年)、FM(1960年)、UHFコンバーター(1961年)へと刻むように品種を増やした。バリコンから始まった製品ラインナップはタクトスイッチ、ボリューム、ロータリーエンコーダなど、民生用電子機器に組み込まれる部品の大半を網羅する規模にまで拡張された。「部品の総合デパート」という呼び名は、こうした徹底的な多品種戦略と、顧客の要望に応じて迅速に新製品を投入する機動力から生まれたものだった。戦後日本の高度経済成長を支えた電子部品業界の中で、同社は特異な立ち位置を築いた。 [21][22]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [21]スイッチはロータリーにスライド(1953年)・ボタン(1956年)を加え、チューナーもスイッチチューナーからターレット(1956年)・FM(1960年)・UHFコンバーター(1961年)へ品種を増やした
  • 有価証券報告書
    • [22]タクトスイッチは1976年に製造開始(コンポーネント事業の利益柱の一つ)

品質を重視する創業以来の方針と、営業主導で顧客に密着する片岡外交という二面は、この時期の同社にとって競争優位として働いていた。家電メーカー各社がカラーテレビの量産体制を整えるなかで、同社はその陰に回って部品供給の安定化を支える存在となり、昭和40年代を通じて業界内での地歩を固めた。後年のアルパイン事業への進出も、こうした顧客密着の方針の延長線上にあった。独自の素材や生産技術を持たない代わりに、顧客ごとのカスタマイズと納期対応の機動力で勝負するという、戦後日本的な中堅メーカーの一つの完成形がここにあった。成長の裏で育ちつつあった構造的な弱みは、平成期の業績後退で表面化した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [21]スイッチはロータリーにスライド(1953年)・ボタン(1956年)を加え、チューナーもスイッチチューナーからターレット(1956年)・FM(1960年)・UHFコンバーター(1961年)へ品種を増やした
  • 有価証券報告書
    • [22]タクトスイッチは1976年に製造開始(コンポーネント事業の利益柱の一つ)

1965年〜 アルパイン誕生と総合電子部品メーカーの拡大と代償

  1. 1967年アルプス・モトローラの設立
  2. 1967年東京証券取引所第一部に指定替え
  3. 1974年不況下の大量希望退職──片岡社長が一人一人に面接
  4. 1976年米国法人ALPS ELECTRIC (USA)を設立
  5. 1976年タクトスイッチ(TACT Switch)の製造開始
  6. 1978年アルパイン株式会社への社名変更──「ALPINE」ブランドに一新
  7. 1993年大規模リストラと事業本部制への転換

アルプスアルパインの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

モトローラとの合弁を起点としたアルパインブランドの確立

1967年5月、同社は米モトローラとの合弁でアルプス・モトローラを設立し、部品メーカーが完成品メーカーの領域に参入するという異例の決断を下した。部品屋がセットに出れば片岡社長のトップ外交がやりにくくなるとの同業他社の指摘が示すように、この判断には納入先との関係を毀損する相応のリスクが伴っていた。1978年にはモトローラの持分を買収して完全子会社化し、アルパインへと社名をいる。北米市場では高価格帯の専門店向け販売に特化し、大衆量販店とは距離を置く独自の販売戦略を堅持する姿勢をとった。思い切った決断が、後年のアルパインブランドの国際的な地位を形作る土台となった。 [23][24]

  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1967年(昭和42年)5月に米モトローラとの合弁でアルプス・モトローラ(アルプス・モートローラ)を設立
    • [24]1978年(昭和53年)にモトローラ持分を譲受して完全子会社化し、同年アルパインへ社名変更(沿革では8月譲受・11月社名変更)

1981年にはホンダと世界初のカーナビゲーションシステムを共同開発し、1988年にはアルパイン自身も東京証券取引所二部に株式上場を果たしている。一方のアルプス電気本体も、1980年3月期に売上高1,000億円を突破し、五年後の1985年3月期には3,100億円を超える規模にまで成長した。カラーテレビ、ビデオデッキ、事務機器の部品需要を的確に捉え続け、日経ビジネス誌が先見性と機動力に富む輝かしい町工場と評するほどの存在感を発揮していた時期であった。親子並走で事業を拡大するという独自の形が、当時は最も華やかな姿で現れていた。部品と完成品の両面で事業を伸ばす独自の形が、この時期には最も華やかに花開いていた。 [25]

  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [25]1988年(昭和63年)にアルパインが東京証券取引所市場第二部に上場(沿革では1988年3月)
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1967年(昭和42年)5月に米モトローラとの合弁でアルプス・モトローラ(アルプス・モートローラ)を設立
    • [24]1978年(昭和53年)にモトローラ持分を譲受して完全子会社化し、同年アルパインへ社名変更(沿革では8月譲受・11月社名変更)
    • [25]1988年(昭和63年)にアルパインが東京証券取引所市場第二部に上場(沿革では1988年3月)

バブル崩壊後の五期連続減収と「強みのなさ」を自覚した苦闘の時期

1991年3月期に売上高3,500億円を超えるピークを記録したのち、五期連続で減収が続き、1996年3月期には2,100億円台まで落ち込んだ。部品の種類は12万点規模にまで膨張し、研究開発投資は分散してしまっていた。片岡政隆社長自身が「バブル経済に乗って、黙っていても注文が入ってきた。受け身になって、独自の強みを生み出せなかった」と率直に振り返っている。海外生産比率も2割台半ばにとどまり、同業のミツミ電機のおよそ7割に後れを取っていた姿は、当時の同社の構造的な弱みを端的に表していた。独自素材や独自生産技術の不在という構造問題が、この頃から浮かび上がり始めていた。 [26]

  • 日経ビジネス(1996年10月28日)
    • [26]部品の種類が12万点規模に膨張

1993年6月には希望退職1,300人規模のリストラに着手し、東北三工場の閉鎖、品種の12万点から八万点への削減を断行している。事業本部制を導入して現場の意思決定を迅速化し、海外生産比率は1996年に4割を超えるまでに引き上げられた。しかし片岡政隆社長は「ティーディーケイにはフェライト、京セラにはセラミックという他にまねできない素材がある。じゃあアルプスは何と聞かれるとそんな強みがない」と述べ、コスト削減による回復が独自の技術的優位の獲得にまでは至っていないことを自覚していた。課題の根深さは1996年の時点で既に明らかであった。構造的な課題を認識しながらも具体的な処方箋が見えないまま、苦しい模索が続いた。 [27][28]

  • 日本経済新聞(1993年4月28日)
    • [27]1993年(平成5年)6月に希望退職約1300人規模のリストラと東北3工場の閉鎖・統合に着手
  • 日経ビジネス(1996年10月28日)
    • [28]品種を12万点から8万点へ削減
  • 日経ビジネス(1996年10月28日)
    • [26]部品の種類が12万点規模に膨張
    • [28]品種を12万点から8万点へ削減
  • 日本経済新聞(1993年4月28日)
    • [27]1993年(平成5年)6月に希望退職約1300人規模のリストラと東北3工場の閉鎖・統合に着手

リーマンショックによる急落と成長戦略の不在が招いた停滞

2008年3月期には売上高6,900億円規模にまで達したが、リーマンショックの直撃を受けて翌期は5,400億円規模へと急落し、265億円規模の営業赤字を計上した。2010年3月期にはさらに4,900億円規模にまで落ち込んでいる。1993年のリストラ以降も「部品の総合デパート」的な体質は変わっておらず、どの市場に集中すべきかの経営判断は、長期にわたって先送りされ続けたままになっていた。コスト削減だけでは構造問題を解けないという現実が、この時期に突きつけられた。何を捨てるかという核心的な問いが、依然として宙に浮いたまま放置されていた時期であった。長く先送りされた事業構造の見直しが、避けがたい形で突きつけられた。 [29]

  • アルプス電気株式会社 有価証券報告書(2009年3月期)
    • [29]リーマンショック後に約265億円の営業赤字を計上

創業家三代目の片岡政隆氏は24年間にわたって社長を務めたが、その間に二度の危機を経験し、いずれも外部環境の激変に後手を回ってコスト削減で凌ぐパターンを繰り返した。64年間続いた創業家経営のもとで、「何を捨てるか」という経営判断は構造的に先送りされやすかった面を否定しがたい。創業家の経営陣にとっては、父が育てた事業も、自らが守ってきた事業も、いずれも切り捨てがたい思い入れがあった。親の代からの継承の重みが、経営判断を鈍らせる要因として確かに作用していた。創業家経営の強みと弱みが同時に露わになった難しい時期であったと振り返ることができる。成熟した家業としての経営文化が、変化への対応力を鈍らせていた。 [30][31]

  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
    • [30]片岡政隆は創業家3代目で、1988年6月から2012年6月まで24年間社長を務めた
  • 有価証券報告書
    • [31]創業家経営が64年間続いた(1948年創業〜2012年の創業家外社長就任で64年)
  • アルプス電気株式会社 有価証券報告書(2009年3月期)
    • [29]リーマンショック後に約265億円の営業赤字を計上
  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
    • [30]片岡政隆は創業家3代目で、1988年6月から2012年6月まで24年間社長を務めた
  • 有価証券報告書
    • [31]創業家経営が64年間続いた(1948年創業〜2012年の創業家外社長就任で64年)

2011年〜 経営統合と構造改革を経て車載部品メーカーへと向かう再出発期

  1. 2012年創業家外初の社長就任と車載・スマホへの事業構造転換
  2. 2017年アルパインとの経営統合とオアシスとの委任状争奪戦
  3. 2018年イタリアFaitalと資本提携を開始
  4. 2019年アルプスアルパイン株式会社に商号変更
  5. 2020年アルパインの全事業を吸収分割で承継
  6. 2023年投資ファンドが株式7.40%を取得
  7. 2024年第2次中期経営計画を中止──経営構造改革に転換

アルプスアルパインの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

創業家外初の社長就任と車載・スマホ領域への経営資源集中

2012年6月、京都大学理学部出身の技術者である栗山年弘氏が、創業家外から初めての社長として経営のトップに就任した。「仕事を増やそう」という単純明快なメッセージを三年間にわたって繰り返し、車載で2,000億円、スマホで1,000億円という具体的な数値目標を掲げて、成長市場に経営資源を集中させていく方針を示した。組織を機能別に再編し、五つの技術部門を一か所に集約することで、事業間の技術共有を促進する施策にも相次いで着手した。創業家経営からの脱却と事業の選択集中が、この時期に進められた。創業家から外部経営者への移行は、電子部品業界においても一つの重要な節目となった。前任者から引き継いだ危機感を受けて、車載とスマホ向け部品を成長領域と定め、五つの技術部門を一か所に統合した。 [32]

  • 有価証券報告書
    • [32]2012年(平成24年)6月に栗山年弘が創業家外から初めて社長に就任

成果は数字の上にも表れた。2013年3月期に68億円規模だった営業利益は、2016年3月期には約600億円規模に達し、およそ九倍にまで回復を遂げた。損益分岐点の引き下げという前任者時代の地道な蓄積と、栗山社長の成長志向がここで初めて噛み合った結果であったと評価できる。64年間の創業家経営のもとで先送りされてきた事業ポートフォリオの組み替えを、外部の視点を持つ経営者がついに実行に移したという点で、同社史における画期的な転換点となった。外部からの目線がようやく経営の選別判断を後押しした、記念すべき局面となった。積年の構造問題に対して具体的な処方箋を示した経営判断は、業界内でも驚きをもって受け止められた。

  • 有価証券報告書
    • [32]2012年(平成24年)6月に栗山年弘が創業家外から初めて社長に就任

アルパインとの経営統合と統合効果を巡る今後の経営課題

2017年7月、栗山社長はアルパインとの経営統合を正式に発表した。車の電動化・知能化・共有化・接続化という時代の変化に対応するため、部品と完成品を統合したプラットフォーム型供給体制の構築を目指す狙いであった。アルパインの少数株主であるオアシス・マネジメントとの委任状争奪戦を経て、2018年12月の臨時株主総会で賛成約七割で可決されたが、親会社保有分を除く一般株主だけの賛否は僅差という苦しい構図にあった。統合の正統性を巡る議論が最後まで尾を引いた珍しい事例でもあった。既存株主の不満と統合の経済合理性との間で、経営陣の調整力が試される難しい場面となった。両社の長い親子並走の歴史を束ね直す難事業が、関係者に突きつけられた局面である。 [33]

  • 有価証券報告書
    • [33]2017年(平成29年)7月にアルパインとの経営統合を正式発表

2019年1月にアルプスアルパインへと商号を改め、1967年の合弁設立から52年にわたった親子並走にここで終止符を打った。しかし旧アルパイン領域を含むモジュール・システム事業は、2023年度には11億円規模の赤字を計上し、統合の収益効果は依然として道半ばにある。2024年には中期経営計画を白紙撤回して構造改革に転換し、2025年度には売上高1兆円超を見込む計画を打ち出している。創業時の資本金50万円から78年間で約20万倍の規模にまで到達するという見通しが、ここに示された。統合の意義を収益として証明することこそが、現経営陣の最大の使命である。町工場的体質から車載供給者への脱皮が、本格的な課題である。 [34]

  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2019年(平成31年)1月にアルプスアルパインへ商号変更し、1967年の合弁設立から52年の親子並走に終止符を打った
  • 有価証券報告書
    • [33]2017年(平成29年)7月にアルパインとの経営統合を正式発表
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2019年(平成31年)1月にアルプスアルパインへ商号変更し、1967年の合弁設立から52年の親子並走に終止符を打った

アルプスアルパインの沿革1948〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
片岡電気株式会社の設立★★★
バリコンの製造開始と秋葉原での販売★★
テレビ時代への対応──VHFチューナーの製造開始★★
東京証券取引所第二部に上場
東北アルプス設立──地方生産拠点の展開開始★★
アルプス電気に商号変更──片岡勝太郎が社長に就任★★
アルプス・モトローラの設立★★★
渡駒に資本参加(後のアルプス物流)
東京証券取引所第一部に指定替え★★
福島県いわき市にいわき事業所を開設
不況下の大量希望退職──片岡社長が一人一人に面接★★
タクトスイッチ(TACT Switch)の製造開始★★
米国法人ALPS ELECTRIC (USA)を設立★★
アルパイン株式会社への社名変更──「ALPINE」ブランドに一新★★
ドイツに欧州法人を設立★★
売上高1,000億円を突破
世界初のカーナビゲーションシステムを共同開発★★
売上高3,114億円──5年で3倍以上に成長★★
東南アジアでの現地生産を本格化★★
韓国にALPS ELECTRIC KOREAを設立
片岡政隆が社長に就任──創業家2代目★★
マレーシアに生産拠点を設立
売上高3,551億円──アルプス電気のピーク★★
中国・寧波に生産拠点NINGBO ALPSを設立★★
大規模リストラと事業本部制への転換★★★
自社ブランド・マイクロドライプリンター発売★★
アルプス物流が東証二部に上場
米CIRQUE社を買収──タッチパッド技術の獲得★★
片岡政隆リーマンショックで265億円の営業赤字★★
栗山年弘創業家外初の社長就任と車載・スマホへの事業構造転換★★★
栗山年弘アルパインとの経営統合とオアシスとの委任状争奪戦★★★
栗山年弘イタリアFaitalと資本提携を開始★★
栗山年弘アルプスアルパイン株式会社に商号変更★★
栗山年弘アルパインの全事業を吸収分割で承継★★
泉英男投資ファンドが株式7.40%を取得★★
泉英男第2次中期経営計画を中止──経営構造改革に転換★★
泉英男アルプス物流の株式を完全売却──KKRがTOBで取得★★
売上高1兆円突破の見通し★★
出典・参考
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
  • 有価証券報告書
  • 日経ビジネス(1983年7月11日)
  • 日経ビジネス(1996年10月28日)
  • 日本経済新聞(1993年4月28日)
  • アルプス電気株式会社 有価証券報告書(2009年3月期)

免責事項およびポリシー