ローツェが最初に決めたのは、何を作るかではなく何を作らないかだった。他社が販売している同等品は製品にしない。崎谷文雄氏が1985年に置いたこの禁止則は、技術力でも営業力でも資金力でも大手に及ばない会社が、同じ土俵へ上がらずに済ませるための条件である。既にある製品の改良版を出せば、値段で比べられ、量で競争劣位に置かれる。比べる相手のいない製品だけを選べば、価格の決め方も納期の決め方も自分の側に残る。40歳での創業にあたって崎谷文雄氏が掲げたのは、売り方の工夫ではなく、参入する市場そのものを絞る規則だった。
その規則は、製品の並びにそのまま残っている。1985年末の超小型ステッピングモータドライバから、1987年の半導体装置用スーパークリーンロボット、1989年の真空用、1992年のデュアルアーム、1993年の大型ガラス基板搬送へ。どれも前の製品が届かなかった環境へ一段ずつ入っていく順序で、品目を横へ並べてはいない。人が入れない場所で動く部品という括りを崩さないかぎり、半導体にも液晶にも同じ技術を当てられる。集積地からも首都圏からも離れた広島県福山市で資本金1,000万円から始まった会社が、1996年2月期に売上50億円へ達したのは、作らないものを先に決めた順序の帰結だと思われる。
ローツェ創業者の崎谷文雄氏は、1945年4月に岡山県井原市の農家の長男として生まれ、中学時代のラジオ修理をきっかけに電気回路の技術一筋で歩んだ。近畿大学工学部電気工学科を中退したのち東京の太洋無線に入り、船舶用の高精度なロラン受信機を開発して特許も取得した。28歳で郷里へ戻ってからは半導体の前工程と後工程を担う地元企業を渡り歩き、自ら開発した2,500分の1の分解能を持つ電子天秤の事業を手がけ、液晶製造のスピン塗布技術で知られるタツモでは取締役開発課長を務めた。転職は合わせて8回に及んだ。ローツェを設立したのは40歳のときで、装置を使う側と作る側の双方から半導体製造を一通り見た経歴が、のちの製品設計の下地になった。
1985年3月、崎谷文雄氏は広島県福山市に資本金1,000万円のローツェを設立し、モータ制御機器の開発を開始した。社名のローツェは、世界最高峰エベレストに連なるヒマラヤの高峰ローツェに由来する。8,848メートルのエベレストを脇で支える8,516メートルの峰の姿が、顧客を支えるという会社の哲学に重なるという理由だった。目立たないが最高峰を引き立てる山のように、世界の先端企業を支える縁の下の力持ちでありたいという命名で、崎谷文雄氏は『技術に自信をもって、楽しみながら仕事のできる集団』を会社の理念に掲げた。半導体の集積地からも首都圏のベンチャー密集地からも離れた備後の地で、支える側に回ることを社名で先に宣言したことになる。
設立当初に手がけた事業はモータ制御機器の開発である。崎谷文雄氏が創業の時に社内の合い言葉に据えたのは、よそが既に売っている品と同じものは出さず、これまでより優れ、世界のニュースになるような品だけを商品にする、という言葉だった。基準は自分の好みではなく外部の評価に置き、新聞・雑誌に記事として載るような新製品を目指すと心に決めたという。商品が売れて利益が出始めればほかの会社も入ってくるが、技術・営業・資金のどれを取っても大手には劣るため、崎谷文雄氏は、世界のニュースになる製品を次々に生み出すことにやりがいを覚える人材を集めることを答えとした。何を作るかより前に何を作らないかを定めたので、入る市場はあとから決まった。
設立の年の暮れ、ローツェは自動化システムに対する考え方を発表し、あわせて超小型のステッピングモータドライバおよびコントローラを発表した。世界的にニュースとなる製品だけを商品化するという方針に基づく第一弾である。最初に作ったのはこのドライバとコントローラで、開発に置いた条件は、いかに小さくするかと、悪環境で動くかの二つだった。翌1986年12月にはクリーンロボットの製造販売を開始し、1987年には自社製品を使用した無人化システムと、その応用製品である半導体装置用スーパークリーンロボットを発表した。部品を売る会社から装置を売る会社へ二年で移ったが、小ささと耐環境性という条件の立て方は変えていない。
1989年11月、ローツェは真空用クリーンロボットの製造販売を開始し、大気にさらせない工程まで扱う範囲を広げた。1992年11月にはデュアルアームクリーンロボットの製造販売を開始している。翌1993年12月には大型ガラス基板クリーン搬送ロボットの製造販売を開始し、液晶工場向けに大気用・真空用のガラス基板搬送ロボットと大型液晶ガラス基板搬送装置を揃えた。崎谷文雄氏が事業の輪郭に置いたのは、半導体と液晶の工場を無人化し無塵化するために必要な製品を開発して販売することだった。運ぶ対象がウエハからガラス基板へ替わっても、超清浄環境で正確に位置決めするという要件は変わらず、市場を一つ増やす費用は小さかったとみられる。
入社試験は設立のときから一貫して厳しく、性格テストに3時間、専門テストに1時間をかけてきた。性格テストで何より見たのは空間力、つまり何もないところから考えを生み出す力である。崎谷文雄氏の見るところ、ヨーロッパには社員5、6人で世界的な製品を生む企業があり、そこでは一人ひとりが世界に目を向け、世界で通じる製品を作っていた。個人が生きてこそ会社が伸びると考え、社員が自らの技術を仕事の場で存分に使い、その腕を磨いて将来の望みをかなえられる場所であることを会社に求めた。こうして採った人員は、1995年2月期の114人が1996年2月には175人となった。
ローツェは専任の営業担当をわずか3人しか置いていなかった。装置メーカーの購買部を相手にしても値を下げさせられるだけだとみて、技術水準の高い人間を、製品の採用を決めて購買部へ発注を頼む立場の技術者のもとへ向かわせたからである。それでも2月末決算の売上高は、1993年2月期12.1億円、1994年2月期16.1億円、1995年2月期24.7億円と増え、1996年2月期には50億円を超えて経常利益も10億円程度となり、そのうち約50%は製品に組み込まれて出ていく分も含めた輸出で、米国向けだけで売上の4分の1を占めた。売り込む先を装置メーカーの技術部門に絞ったことで、少ない営業人員でも輸出の半分を運ぶことができた。
韓国のICデバイスメーカーが米国の装置メーカーに対し、ローツェのロボットを付けたら購入すると言ったことがある。米国の装置メーカーは来社して商談に入ったが、製品は素晴らしいがコストが50から100%高いという評価になり、当時は円高でもあったため話は流れた。装置メーカーで世界一の米アプライド・マテリアルズは、この時期にシリコンバレーからテキサス州オースチンへ工場を移せばさらに30%安く作れるとして移転している。顧客の側でも、日本のIC製造メーカーが国内では採算が取れないとして海外へ出るようになり、装置メーカーは稼働率のよい装置をそのまま現地へ持ち出していた。顧客に指名されながら価格で退けられるという結末は、製品の優位が価格の劣位に打ち消される構造を示していた。
1995年10月、広島県神辺町道上に工場が新設された。顧客からは、国外で使うロボットが壊れた場合の修理を求める声が上がっていたが、修理だけを国外で請け負っても収支は合わない。崎谷文雄氏の出した手は、安いロボットをベトナムで作って売ると同時に、ロボットを組み込んだ自動化装置を顧客のそばで開発し製造する海外子会社を設けることで、1996年2月にはシンガポールに海外持株会社RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.を、3月には台湾の新竹科学工業園区にRORZE TECHNOLOGY,INC.を置いた。同年10月にはベトナムのハイフォン市にRORZE ROBOTECH INC.を、11月には米国カリフォルニア州ミルピタス市にRORZE AUTOMATION,INC.を設立している。保守だけの拠点は費用の増分に終わるが、量産と現地仕上げを兼ねさせれば、拠点を増やすほど費用が下がる。
日本製が高いのは人件費のせいではなかった。米国の装置メーカーに製品を認められながら50から100%高いと言われた崎谷文雄氏が理由を分解すると、ロボットの主材料であるアルミが日本では米国の2倍し、加工部品を買う段階で既に米国が日本の半値だった。材料を安いところから買えば済む話だが、加工用アルミの輸入を通産省は認めなかった。安く買えないなら安いところで作るほかない。1997年のローツェをベトナムへ動かしたのは、賃金の比較よりも、材料をめぐる制度の壁のほうである。
もっとも、移したのは量産だけだった。ベトナムでロボットとドライバとコントローラを作り、装置が入っている国へ持ち込んで、フレームとカバーとソフトを顧客に合わせて現地で付ける。数の出ない特注品は日本に残す。崎谷文雄氏は、付加価値のつく工程は日本に置くと整理していた。標準品を世界で一番安く作れる場所で作り、各地で融通するという構想は、費用の話であると同時に、どこまでを自社の仕事と呼ぶかの線引きでもある。1997年12月に店頭登録を果たしたローツェが次に問われたのは、その線引きが量産の立ち上がりに耐えるかどうかだった。
日本製が高い理由を米国製と比較すると、ロボットの主材料であるアルミが日本では米国の2倍していた。加工費も、量をまとめて加工するなら米国のほうが安い。結果としてアルミ加工部品を購入する段階で、米国は日本の半値であった。装置が入っている国へロボットを持ち込み、現地でフレームとカバーとソフトを付けて自動化まで引き受けるという売り方を採る以上、部材の価格差はそのまま受注の可否に響く。輸出は売上の約50%を占め、米国だけで売上の4分の1に当たっていた。組み立ての巧拙や人件費ではなく、買ってくる材料の値段で競争劣位が決まっていた。
当時、アルミ・インゴットの相場はキロ1.50ドルから1.70ドルほどで、これを加工用にしたアルミは米国なら300円以下で手に入るのに、日本では600円かかった。米国の企業と張り合うため、ローツェはロボットの材料となる加工用アルミを海外から入れようとしたが、通産省は最終的にそれを許さなかった。国を越えるだけで同じ材料の値段が倍になり、価格で優位に立つことはできなかった。崎谷文雄氏はこのとき、ベトナムで世界一安いアルミを加工してロボットを作り、米国・日本・台湾・韓国へ売るという構想を語っている。国内で安く買えないのなら、安く買える国で作るしかない。
崎谷文雄氏は中国も見て回ったうえで1995年2月にベトナムを訪れ、国家協力投資委員会から説明を受けて進出先をベトナムと定めた。決め手は教育制度と人々の勤勉さにあり、納期を守って製品を仕上げられるのは日本人とベトナム人だけだと見ていた。通産省の許可が下りなかったため、ベトナムで最も安いアルミを買って自ら加工し、ロボットの組立に至るまで全部を社内でこなす道を選んだ。加工工場はハイフォンに建て、1998年1月に完成、4月に稼働させる予定とした。場所は野村証券グループが造成した野村ハイフォン工業団地で、1万平方メートルの用地に床面積7,000平方メートルの工場を建てた。標準型搬送ロボットを大量に作り、輸出の主力を担う拠点と位置づけられ、ベトナム製のロボットは日本・米国・台湾へ運んで、利用者の要望に応じたフレームとカバーとソフトをそれぞれの地で取り付ける計画であった。材料の調達から加工、組立までを一つの国に集めれば、内外価格差そのものが原価から消える。
ローツェの海外持株会社RORZE INTERNATIONAL PTE.LTD.はシンガポールにある。米国のRORZE AUTOMATION,INC.とベトナムのRORZE ROBOTECH INC.は、この持株会社の出資で設立された。台湾のRORZE TECHNOLOGY,INC.だけは本体からの出資である。1997年11月には韓国の京畿道にRORZE SYSTEMS CORPORATIONを設立し、東アジアの主要な半導体・液晶の生産地をひととおり押さえた。1996年以降、国内外に多くのFAセンターと海外子会社を設けている。台湾の新竹科学工業園区への進出は、半導体関連で信越半導体・三菱電機・アドバンテストに次ぐ4社目、ベンチャー企業としては初であった。1996年2月には崎谷文雄氏と社員110人が台湾を旅行し、新竹を視察している。本体が各国の子会社を直接抱えるのではなく、資本を一段挟んだところに置いたことで、拠点を増減させる敷居が下がった。
日本のIC製造メーカーは国内では採算が合わないとして海外へ移り、装置メーカーも稼働率のよい装置をそのまま現地へ運び出しており、ローツェはその流れの先に拠点を置いた。崎谷文雄氏の構想は、標準品は世界で最も安く作れる土地で生産し、それを各地で回し合うというもので、具体的にはロボット・ドライバ・コントローラをベトナムで作り、たとえば米国へ持ち込んでフレームとカバーとソフトを顧客向けに合わせて自動化する計画だった。装置の置かれた国へロボットを運び、自動化まで現地で請け負うこの売り方は、顧客が海外へ移るのに歩調を合わせたものである。工程を国境で割るとは、どこで原価を作り、どこで値段をつけるかを分けることでもある。
国内各地のFAセンターには、電気・機械・ソフトの設計を担う人員が約10人ずつそろえられた。センターの役目は修理に加え、顧客が抱える問題を解き、要望にかなう自動化装置をクリーンな仕様で仕上げることにあり、購買部を飛ばして装置メーカーの技術者と話をする営業も、この設計の力があって初めて通用する。部品はベトナムで安く加工して日本へ運び、数の少ないロボットや特注品は日本で仕上げ、付加価値を生む工程を国内に残すことで、国内の生産も続けられる形にした。量産を海外へ移しても設計を国内にとどめたのは、値段を決める工程を手放さないためだった。
1997年12月、ローツェは株式を日本証券業協会に店頭銘柄として登録した。直前の11月には韓国の京畿道へRORZE SYSTEMS CORPORATIONを設けたばかりであった。1998年2月期の業績計画は売上高7,441百万円、経常利益1,069百万円、当期利益482百万円。工場内でモニターウエハを量産用と仕分けたり、特定のウエハを抜き出して検査に回したりするウエハソータが、この時期の売れ筋になっていた。8月の中間決算は売上高3,199百万円、経常利益549百万円、中間利益225百万円で、11月末時点でも売上高は予算をほぼ100%達成する水準で推移し、利益は予算より20から25%多かった。この上振れを生んだのは、計画を超えたウエハ搬送機の売れ行きである。拠点網の整備と資本市場への登場が同じ年に重なり、量産移管に充てる資金の目処が先についた。
ハイフォンの本格運転は1998年6月ごろから始める予定とされた。崎谷文雄氏が示した量産計画は、売上で翌期5億円、その次の期に25億円程度。人員は指導役となる10名ほどを研修中で、作業者は翌期末に100名超、その次の期末に200名超へ増やすとした。ベトナムへの投資は1996年からの3年で20億円を見込んでいる。1996年2月期に50億円だった会社が、単一の海外拠点へこの規模を割く判断である。材料の内外価格差を埋めるために選んだ道は、量産を一国へ託す体制を同時に作っており、それが投資循環の振れにどこまで耐えるかはまだ試されていない。
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|---|---|---|---|---|
| 1985〜1996年製品差別化による参入 | 崎谷文雄 | ローツェ(資本金10000千円)を設立しモータ制御機器の開発を開始 | ★ | |
| 崎谷文雄 | クリーンロボットの製造販売を開始 | ★★ | ||
| 崎谷文雄 | 真空用クリーンロボットの製造販売を開始 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | デュアルアームクリーンロボットの製造販売を開始 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | 大型ガラス基板クリーン搬送ロボットの製造販売を開始 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | 開発と量産を国境で分ける国際分業体制の構築 1996年10月、ローツェがベトナムのハイフォン市に子会社RORZE ROBOTECH INC.(現RORZE ROBOTECH CO.,LTD.)を設立し、標準型搬送ロボットの量産を移した経営判断。崎谷文雄社長は中国とベトナムを比べたうえでハイフォンを選び、設計と特注品の仕上げを日本に残す国際分業を組んだ。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 1997〜2004年国際分業体制の構築 | 崎谷文雄 | 韓国京畿道に子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONを設立 | ★ | |
| 崎谷文雄 | 株式を日本証券業協会に店頭銘柄として登録 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | 300mmウエハ対応キャリアストックステーションを開発 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | 九州工場を新設し九州FAセンターを移転統合 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | 子会社RORZE TECHNOLOGY SINGAPORE PTE.LTD.を設立 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | 子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONが韓国店頭株式市場(KOSDAQ)に上場 | ★ | ||
| 崎谷文雄 | ジャスダック証券取引所に上場 | ★ | ||
| 2005〜2016年300mmウエハ対応搬送装置と九州工場、韓国子会社のKOSDAQ上場とジャスダック上場 | 崎谷文雄 | ロボット・ロードポート・アライナ・ウエハ搬送システムを発表 | ★ | |
| 藤代祥之 | 自動培地交換機能搭載細胞培養装置「CellKeeper」を発表 | ★★ | ||
| 2017〜2026年ベトナム生産拠点の設立とイアス・Nanoverseの買収 | 藤代祥之 | アイエス・テクノロジー・ジャパンを完全子会社化 | ★ | |
| 藤代祥之 | ローツェライフサイエンスに商号変更 | ★ | ||
| 藤代祥之 | バクニン省に子会社RORZE SYSTEMS VINA CO.,LTD.を設立 | ★ | ||
| 藤代祥之 | 子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONが京畿道龍仁市に新工場を新設 | ★ | ||
| 藤代祥之 | 連続買収による半導体周辺装置とライフサイエンスへの多角化 半導体ウエハ搬送ロボットで世界的なシェアを持つローツェは、業績が最高益圏に達した2023年から2024年にかけ、周辺領域と異分野の買収を相次いで進めた。2023年3月に半導体向け分析・洗浄装置のイアスを29億8800万円で完全子会社化し、2024年には米国の半導体装置スタートアップNanoverse Technologiesと、創薬向け研究受託のジェノスタッフを子会社化した。2017年のライフサイエンス参入から4件のM&Aで、単一事業からの多角化を進めた判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤代祥之 | Nanoverse Technologies, Ltd.を第三者割当増資により子会社化 | ★ | ||
| 藤代祥之 | ローツェライフサイエンスがジェノスタッフを完全子会社化 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ローツェ)