歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1985年3月、崎谷文雄氏が広島県福山市で資本金1,000万円のローツェを設立し、モータ制御機器の開発から事業を起こした。半導体の集積地でも首都圏のベンチャー密集地でもない地方都市での創業だった。1985年にステッピングモータドライバ、翌年に超小型コントローラを投入し、1986年12月にはクリーンロボットの製造販売を開始する。ステッピングモータが得意とする精密な位置決めを、汚染を嫌う半導体製造工程のウエハ搬送へ転用したこの一品が、地方の独立系制御ベンチャーを半導体ウエハ搬送ロボットメーカーへ方向づけた。
決断事業構造を決めたのは1996年10月、ベトナム・ハイフォン市への生産拠点設立である。外資製造業の進出が緒に就いたばかりの時期に量産を据え、福山本社が設計と営業を握り、ベトナムが量産を担う機能別の分業を組み上げた。同じ年に台湾・シンガポール・米国へ、翌年には韓国へと販売・開発拠点も広げている。生産を低コスト国に寄せたこの分業が、半導体投資の振動を低い費用構造と高い営業利益率で受け止める収益基盤となり、店頭登録時の中堅メーカーを世界トップシェアへ押し上げた。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1985年に地方都市で創業したモータ制御ベンチャーが、半導体ウエハ搬送ロボットの世界トップシェアへ育ったのか
- A 競合のいない無塵搬送のニッチへ、崎谷文雄氏の横断的な技術と「世界的にニュースとなる製品のみを商品化する」という創業の方針を集中させたからである。崎谷氏は太洋無線で電子回路を磨き、8回の転職で半導体の前工程・後工程を一通り経験していた。1986年12月のクリーンロボットは、自社のドライバとコントローラを他社品の20分の1に収め、磁性流体シールで発塵を抑えて平均故障間隔8年超の評価を得た。「占有率50%になったら放っておく」とニッチに徹する戦略が、地方発の独立系ベンチャーを世界トップシェアへ導いた。
- Q なぜ1996年、ローツェは中国ではなくベトナムを量産拠点に選んだのか
- A 半導体投資の振れを低い費用で吸収するには、勤勉な労働力と世界有数に安い素材が要ると崎谷文雄氏が見極めたからである。崎谷氏は中国とベトナムを比べ、よく働き納期を守る人材と、世界一安いアルミ素材をベトナムに見いだした。1996年10月にハイフォン市へRORZE ROBOTECH INC.を設け、設計と営業を福山本社に、量産をベトナムに置く機能別の分業を組んだ。低コストの生産網が半導体投資の急縮小にも耐える体質を生み、店頭登録時の中堅メーカーを高い営業利益率で世界トップシェアへ押し上げた。
- Q なぜリーマンショックで売上が4分の1に沈んだローツェが、装置単売からM&Aによる多角化へ動いたのか
- A 装置を売って終わる収益構造の弱点が、2010年2月期の急縮小で突かれたからである。ピークの2008年2月期に136億円あった売上は、リーマンショックで2010年2月期に36億円・経常損失10億円まで沈み、保守・消耗品による安定収益の薄さが弱点として表れた。受注変動に左右されない収益源を周辺へ広げる必要から、創業家を継いだ藤代祥之社長は2023年に半導体ウエハ洗浄装置のイアスを子会社化し、ライフサイエンスを含む4件のM&Aで事業の幅を広げた。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1985年〜1997年 崎谷文雄氏が「縁の下の力持ち」を期して創業したモータ制御ベンチャーの12年
崎谷文雄氏の半生と社名ローツェに託した「縁の下の力持ち」の思想
ローツェ創業者の崎谷文雄氏は、1945年4月に岡山県井原市の農家の長男として生まれ、中学時代のラジオ修理をきっかけに電気回路の技術一筋で歩んだ[1]。近畿大学工学部電気工学科を中退したのち東京の太洋無線に入り、船舶用の高精度なロラン受信機を開発して特許も取得した[2]。28歳で郷里に戻ってからは、半導体の前工程・後工程を担う地元企業を渡り歩き、自ら開発した2,500分の1の分解能を持つ電子天秤の事業や、液晶製造のスピン塗布技術で知られるタツモの取締役開発課長などを務めた。合わせて8回に及ぶ転職で半導体製造を一通り手がけた経歴が、のちのローツェの製品設計を支えた[3]。
1985年3月、崎谷文雄氏は40歳で広島県福山市に資本金1,000万円のローツェを設立し、モータ制御機器の開発に乗り出した[4]。本社を構えた備後地区は半導体の集積地でも首都圏のベンチャー密集地でもなく、ローツェは地方発の独立系制御技術ベンチャーとして出発した。社名のローツェは、世界最高峰エベレスト(8,848m)に連なるヒマラヤの高峰ローツェ(8,516m)に由来する[5]。目立たないがエベレストを引き立てる山のように、世界の先端企業を支える縁の下の力持ちでありたいという思いを込めた命名で、崎谷文雄氏は「技術に自信をもって、楽しみながら仕事のできる集団」を会社の理念に掲げた[6]。
「世界的にニュースとなる製品」のモータ制御3製品と資金繰りの突破
創業の翌年から、ローツェは自社開発のモータ制御技術を立て続けに製品化した。1985年9月にステッピングモータドライバ、1986年5月に超小型コントローラ、1986年12月にクリーンロボットの製造販売を順に開始した[7]。崎谷文雄氏は「他社が販売している同等品は製品にしない、世界的にニュースとなる製品のみを商品化する」を創業の合言葉に据え、競合がひしめく市場ではなく誰も手がけない領域を選んだ[8]。半導体製造工程ではタバコの煙の粒子より小さな塵の付着が不良品を生むため、人手を介さずウエハを運ぶ無塵のロボットが求められており、ローツェのクリーンロボットがこの需要に応えた[9]。
クリーンロボットは、自社のステッピングモータドライバとコントローラを他社品の20分の1の大きさに収め、電気部と機械部を一体化したブロックごと交換できる単純な構成を取った。アームの回転部には磁性流体シールを採用して内部からの発塵を抑え、平均故障間隔(MTBF)8年超という評価を顧客から得た[10]。もっとも創業からの2期は、ドライバ・コントローラの販売が伸びず売上6,000万円台にとどまる連続赤字だった。流れが変わったのは1986年12月のクリーンロボット投入で、半導体製造装置メーカーがウエハ搬送の自動化に採用したのを機に、3期目の1988年2月期に売上は1.3億円へ倍増した[11]。
創業期の資金繰りは綱渡りだった。設立当初は崎谷文雄氏の人物を見込んだ東京の経営者が銀行融資1億円の保証を引き受けたが、2年後の1987年に当の経営者が倒産し、銀行は担保の差し入れを求めてきた。崎谷文雄氏の人柄と技術力を高く評価する銀行員が父の田畑などの不動産を目いっぱい評価し、融資につなげて窮地を脱した[12]。受注交渉でも、製品の水準を世界レベルとする代わりに代金を前払いで受け取る取り決めを引き出すなど、乏しい運転資金を補う工夫を重ねた。設立4年目には民間最大のベンチャーキャピタル日本合同ファイナンスが出資に加わり、のちに約4割を握る筆頭級の株主となった[13]。
市場占有率が五〇%になったら、放っておくのがよい。目の色を変えて、高めようとする必要はない。小さい占有率の分野はいくらでも伸ばせる。
日本的レベルなら手形で三カ月とか四カ月、アメリカ的レベルだったらまず半分現金、納品してから半分、世界的レベルの場合は前金で全部いただきますと。
製品の多軸化と1996年の海外展開、BISTEC・店頭登録
製品ラインの多軸化は1990年前後から加速した。1989年11月に真空用クリーンロボット、1992年11月にデュアルアームクリーンロボットの製造販売を開始し、半導体の真空プロセスへの対応と搬送スループットの向上を実現した[14]。1993年12月にはFPD(フラットパネルディスプレイ)向けの大型ガラス基板クリーン搬送ロボット、1994年7月にそのデュアルアーム型を投入し、半導体ウエハより大判の液晶用ガラス基板の搬送へ領域を広げた。液晶では搬送が最大の難所で、トラブルの8割が基板の搬送で起きるとされ、顧客の要請がローツェの参入を後押しした[16]。1995年10月には液晶ガラス基板搬送ロボット・装置の製造工場を福山市神辺町道上に新設した[15]。
1996年、ローツェの海外展開が一気に進んだ。同年2月にシンガポール、3月に台湾新竹科学工業園区の関連会社RORZE TECHNOLOGY, INC.(現連結子会社)、11月に米国カリフォルニア州の子会社を相次いで設け、10月にはベトナム・ハイフォン市にRORZE ROBOTECH INC.を設立して生産拠点を構えた[17]。崎谷文雄氏が中国ではなくベトナムを選んだのは、勤勉な労働力と世界有数に安いアルミ素材を評価したためで、設計・営業を日本に、量産をベトナムに置く機能別の分業を構想した[18]。この体制が、半導体投資の変動に耐える低コストの収益構造を生んだ。1997年11月には韓国京畿道にも子会社を設けた[19]。
崎谷文雄氏は地域ぐるみの技術集積も主導した。1992年4月にローツェ本社の食堂で始めた土曜の勉強会を母体に、1993年9月、地元の34の法人・個人による備後半導体技術推進連合会(BISTEC)が発足し、崎谷文雄氏が会長を務めた[20]。繊維と機械の集積地である福山を日本のシリコンバレーになぞらえ、半導体の人材育成と異業種連携を地域に根付かせる狙いがあった。事業の土台がそろった1997年12月、ローツェは株式を日本証券業協会に店頭銘柄として登録し、創業12年で資本市場にデビューした[21]。2002年2月期の連結売上高は66億円(米国会計基準)で、中堅規模の独立系装置メーカーの位置にあった。
中国ではどこへいっても、なにをしているのか分からない、遊んでいる人がいる。しかしベトナムには一人もいないからだ。 ベトナム人は手は器用だし、納期通り製品ができるのは日本とベトナム人だけだ。
1998年〜2014年 ジャスダック上場とベトナム量産によるグローバル分業、リーマンショックの試練
ジャスダック上場と300mmウエハ対応・中国進出による国際化
上場前のローツェは、半導体の世代交代に合わせて製品と生産網を整えた。2000年7月、ウエハの口径が200mmから300mmへ大型化する業界の転換に対応し、300mmウエハ対応キャリアストックステーションを開発した[22]。同年11月には熊本県菊池郡合志町に九州工場を新設して九州FAセンターを統合し、ベトナム・国内九州・福山本社の三拠点で量産と保守を分担する体制を整えた[23]。半導体ウエハの大口径化は搬送機にも寸法対応を迫る変化で、ローツェは大口径世代への移行へ技術投資で追随した。
2003年6月にシンガポール、同年11月には韓国子会社RORZE SYSTEMS CORPORATIONが韓国店頭株式市場(KOSDAQ)に上場し、海外子会社が現地資本市場へ足場を広げた[24]。2004年12月、ローツェ本体はジャスダック証券取引所に上場し、1997年の店頭登録から7年で取引所市場へ昇格した。2008年6月には中国上海市に子会社(現RORZE CREATECH)を設けて中国市場に布石を打った[25]。業績は半導体投資の拡大を取り込み、2004年2月期の売上73億円から2008年2月期の売上136億円・経常利益18億円まで増収を続けた。
リーマン後の売上4分の1への縮小と崎谷文雄社長にとって最大の試練
2008年9月のリーマンショックは、ローツェの半導体・FPD関連装置事業を直撃した。ピークの2008年2月期に売上136億円・経常利益18億円を計上したのち、2009年2月期は売上84億円・経常利益2億円へ縮み、続く2010年2月期は売上36億円・経常損失10億円・純損失7億円と、創業以来最大の落ち込みに陥った。装置の受注を主体とする収益構造は、世界半導体投資が急縮小すると振れ幅の出やすい特性を抱えており、それが数字に表れた。半導体メーカーが設備投資を一斉に止めると、製造装置に組み込まれるローツェのウエハ搬送ロボットの受注も同時に細る連鎖が働いた。
売上が4分の1に縮んだ2010年2月期は、装置を売って終わりとなりがちな事業構造の弱点を浮き彫りにした。装置の稼働後に保守・部品交換で安定収益を得るモデルへの転換は半導体製造装置業界に共通する課題で、ローツェも長期的な収益基盤の整備に取りかかった。製品面では2008年12月に真空プラットフォームと単軸ロボットを発表し、半導体製造装置向けの真空搬送機の品ぞろえを広げた[26]。創業者の崎谷文雄氏は1985年以来この時期まで代表取締役社長を務め、縮小期の経営判断を担った[27]。
縮小からの回復と装置受注変動に耐える収益基盤づくり
2011年2月期は売上110億円・経常利益10億円・純利益6億円と一度持ち直したが、回復は長続きしなかった。2012年2月期は売上103億円・経常利益5億円、2013年2月期は売上94億円・経常利益5億円・純損失1億円と、業績は数期にわたり伸び悩んだ。装置の受注に連動して1〜2年周期で売上が上下する半導体製造装置の特性が、ローツェの数字に繰り返し表れた。装置を納めた後の保守・消耗品による収益が薄く、受注が細るとそのまま業績が沈む体質も、伸び悩みの底流にあった。
伸び悩みを抜けたのは2014年2月期で、売上は142億円・経常利益10億円・純利益4億円へ回復した。ベトナム量産による低コストの生産網と、保守・消耗品を含む収益基盤の整備が、受注変動への耐性を少しずつ高めた。折しも世界の半導体メーカーが微細化と大口径ウエハへの投資を再び増やし、ウエハ搬送ロボットの需要が戻ったことも回復を後押しした。創業から30年を控え、崎谷文雄社長のもとで築いた事業の土台を次の世代へ引き継ぐ準備が整いつつあった。
2015年〜2025年 創業家第二世代・藤代祥之社長への承継とAI・先端半導体投資ピークの取り込み
崎谷文雄氏から娘婿・藤代祥之氏への創業家第二世代承継と東証一部指定
2015年5月、創業者の崎谷文雄氏が代表取締役会長に退き、藤代祥之氏が代表取締役社長に就任した[28]。藤代祥之氏は1980年3月生まれで、2006年9月にローツェへ入社し、2009年11月にソフトウエアソリューション部長、2013年5月に専務取締役と昇進したのち経営トップに立った[29]。崎谷文雄氏の娘婿にあたる姻族への承継は、オーナーベンチャーとしては独特の形を取った。崎谷文雄氏は2017年5月に取締役相談役へ退き、創業家のバトンタッチは2段階で進んだ[30]。
承継後の業績は、半導体投資の世界的な拡大を追い風に伸びた。2016年2月期は売上199億円・営業利益29億円・純利益22億円、2017年2月期は売上247億円・営業利益46億円・純利益31億円と増収増益が続いた。市場区分でも、2016年1月に東京証券取引所市場第二部へ移り、同年8月に市場第一部銘柄へ指定された。2004年のジャスダック上場から11年で東証一部への指定を果たし、機関投資家の保有比率の高まりに上場区分が追いついた[31]。1997年の店頭登録から数えれば19年を経ての一部指定で、地方発のベンチャーが全国の投資家層へ届く段階に入った。
AI・先端半導体投資ピークの取り込みとライフサイエンス事業の育成
承継期のローツェは、半導体で培ったクリーン搬送・精密制御の技術を医療分野へ転用した。2015年10月に自動培地交換機能を備えた細胞培養装置「CellKeeper」、2016年11月に細胞自動培養CO2インキュベータ「SCALE48」を発表し、2017年3月には茨城県つくば市の関連会社を完全子会社化してローツェライフサイエンスへ改称した[32]。これにより事業は半導体・FPD関連装置とライフサイエンスの二軸となったが、2018年2月期のライフサイエンスは連結売上の1%に満たず、育成の段階にあった[33]。
主力の半導体・FPD関連装置は、世界的な投資の波に合わせて売上が上下した。2018年2月期は売上522億円と前期の2.1倍へ急増したが、翌2019年2月期は314億円へ4割減り、半導体製造装置に特有の投資循環がそのまま表れた。供給網の面では、2017年11月にベトナム・バクニン省へ第二の生産拠点、2019年4月にドイツ・ザクセン州へ欧州拠点を設け、米国・台湾・韓国・中国・東南アジア・欧州に及ぶ多極の生産・販売・開発の網を整えた[34]。受注は先端ロジックとメモリ双方のメーカーの投資判断に左右され、年ごとの振れは避けられなかった。
AI・先端半導体への投資が世界で加速すると、ローツェの業績は上場以来の高水準へ駆け上がった。2020年2月期の売上371億円から、2021年2月期508億円、2022年2月期670億円、2023年2月期945億円へと4期続けて増収増益となり、2023年2月期の営業利益率は28%に達した。2024年2月期は売上932億円へ一度減速したが、2025年2月期は売上1,244億円・営業利益320億円・純利益236億円と上場後の最高を更新した。多極の生産網が、先端半導体投資のピークを取りこぼさず受け止めた。
M&Aによる多角化と創業者が筆頭株主であり続ける所有構造
高収益を背景に、藤代祥之社長は周辺領域のM&Aで事業の幅を広げた。2022年4月に東京証券取引所の市場区分見直しでプライム市場へ移り、2023年3月には半導体ウエハ洗浄装置メーカーのイアス(東京都日野市、現ローツェイアス)を完全子会社化して、搬送ロボットと洗浄装置を組み合わせる提案力を強めた[35]。2024年には6月に米国Nanoverse Technologies, Ltd.を連結子会社化し、9月にローツェライフサイエンスがジェノスタッフを完全子会社化した。2017年のライフサイエンス参入から4件のM&Aで、創業時の単一事業からの多角化が進んだ[36]。
所有構造は、創業家への持株集中と機関投資家の保有増が併存する形にある。2025年2月期時点で、創業者の崎谷文雄氏が個人で発行済株式の35.12%(61,942,000株)を握る筆頭株主で、藤代祥之社長が2.99%、中国銀行が1.81%を保有する。一方、日本マスタートラスト信託銀行(信託口)が7.26%で第二位、日本カストディ銀行(信託口)が4.98%、バルンリバー合同会社が4.74%と、信託・機関投資家も上位に並ぶ。創業者個人の高い持株比率と機関投資家の保有が、世界トップシェアメーカーへの評価を映している。
創業から40年、ローツェの主力である半導体・FPD関連装置は世界半導体投資の波に高い感応度を示し続けたが、ベトナム量産と多極の販売網による低コスト体質と高い営業利益率で振れ幅を吸収する構造を組み上げてきた[37]。崎谷文雄氏が築いた事業の土台と、藤代祥之社長によるAI・先端半導体投資ピークの取り込みおよびライフサイエンスの育成という二段の戦略は、地方発のオーナーベンチャーが世界トップシェアメーカーへ転じた道のりを示す。投資ピーク後の縮小への耐性、ライフサイエンスの規模拡大、創業家への持株集中のもとでの次の承継の設計が、藤代祥之社長の今後の課題として残る。