1980年〜 雑貨卸から「驚安の殿堂」へ──圧縮陳列と深夜営業の方程式
パン・パシフィック・インターナショナルホールディングスの業績推移:連結
- 1980年 ジャストを設立
- 1989年 現金問屋からディスカウント小売への業態転換 卸で稼ぐ会社を、なぜ安田隆夫氏は自ら小売へ引き戻したか
- 1989年 主たる事業形態を小売業に変更
- 1995年 ドン・キホーテに商号変更
- 1997年 郊外型ディスカウントストアから都市型「深夜DS」への転換 金融ビックバンで放出された都心の一等地に、安田隆夫氏はなぜ深夜営業店を賭けたか
- 2005年 安田隆夫氏が会長兼CEOに就任
- 2007年 長崎屋の買収——GMS・食品・大型店への進出とMEGAドン・キホーテ業態の母胎 都市型ディスカウンターは、経営破綻から再建途上の総合スーパーをなぜ抱え込んだか
雑居ビルで生まれた1号店『ドン・キホーテ府中店』
1980年9月、安田隆夫氏(31歳)は資本金300万円で「株式会社ジャスト」を東京都杉並区に設立した。設立目的は「日用雑貨品等の卸売販売・小売販売」で、商品仕入と倉庫管理を兼ねた小規模事業からの出発だった。安田氏は慶應義塾大学法学部を1973年に卒業した後、不動産会社勤務などを経て独立を選んだ経歴を持つ。同社の創業期は卸売中心の事業で、1982年6月には「主たる事業形態を卸売業へ変更」と有価証券報告書に明記しているとおり、しばらくは雑貨卸の中小企業として歩んだ。卸売事業のジャストは資本金300万円・社員数名規模の零細企業のままで、後年のディスカウント小売の片鱗は表向きまったく見えなかった。 [1][2][3][4][5]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1980年9月 株式会社ジャストを東京都杉並区に設立(資本金300万円・日用雑貨品等の卸売販売・小売販売を目的)
- [3]設立目的は日用雑貨品等の卸売販売・小売販売
- [5]1982年6月 主たる事業形態を卸売業へ変更
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 公式IRサイト 創業者紹介 安田隆夫
- [2]設立時の安田隆夫氏の年齢は31歳(安田氏は1949年5月生まれ)
- [4]安田隆夫氏は慶應義塾大学法学部(政治学科)を1973年に卒業
転機は1989年3月、東京都府中市にディスカウントストア「ドン・キホーテ府中店」を1号店として開設したことだった。雑居ビルの一室を借りて雑多な日用品・家電・玩具・食品を所狭しと並べる「圧縮陳列」と、深夜まで営業して仕事帰りの顧客を取り込む「深夜営業」が、府中店で確立された。この2点は同社が今日まで通底させる業態の核となり、後のPB「情熱価格」やドン・キホーテ=「驚安の殿堂」というブランド表現を支える原型に位置付けられる。創業から9年後の業態転換は、卸売事業で蓄積した仕入ネットワークを小売販売へ振り向ける判断であり、深夜の繁華街・住宅地で「他の小売店が閉まっている時間帯の独占需要」を狙う立地戦略でもあった。商号は1995年9月に「株式会社ドン・キホーテ」へ変更され、卸売事業の「ジャスト」から、ディスカウント小売の「ドン・キホーテ」へ業態と社名の統一が完了した。 [6][7][8]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [6]1989年3月 東京都府中市にディスカウントストア「ドン・キホーテ府中店」を1号店として開設
- [8]1995年9月 商号を株式会社ドン・キホーテへ変更
- [7]圧縮陳列・深夜営業が府中店で確立された業態の核
府中店の業態が予想以上の反響を呼んだ結果、同社は出店ペースを上げた。1992年11月にPOS(販売時点情報管理)システムを導入、1993年7月にEOS(電子発注システム)を導入し、雑居ビル型小型店舗を多数展開する業態を支える基幹システムを早期に整備した。圧縮陳列・深夜営業という店舗運営面のオリジナリティとは別に、商品情報・発注情報のデジタル化では業界の標準を先取りする姿勢を見せた。1995年6月には株式会社リーダーを取得しマーチャンダイジング機能を内部化、同年9月に「ドン・キホーテ」へ商号を変更してブランドを統一した。1996年12月、同社は日本証券業協会へ株式を店頭登録した。創業から16年で、雑貨卸として始まった同社はディスカウント業態を整え終えた上で公開企業となった。 [9][10][11][12]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [9]1992年11月 POS(販売時点情報管理)システムを導入
- [10]1993年7月 EOS(電子発注システム)を導入
- [11]1995年6月 株式会社リーダーの株式取得(MD機能の内部化)
- [12]1996年12月 日本証券業協会へ株式を店頭登録
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1980年9月 株式会社ジャストを東京都杉並区に設立(資本金300万円・日用雑貨品等の卸売販売・小売販売を目的)
- [3]設立目的は日用雑貨品等の卸売販売・小売販売
- [5]1982年6月 主たる事業形態を卸売業へ変更
- [6]1989年3月 東京都府中市にディスカウントストア「ドン・キホーテ府中店」を1号店として開設
- [8]1995年9月 商号を株式会社ドン・キホーテへ変更
- [9]1992年11月 POS(販売時点情報管理)システムを導入
- [10]1993年7月 EOS(電子発注システム)を導入
- [11]1995年6月 株式会社リーダーの株式取得(MD機能の内部化)
- [12]1996年12月 日本証券業協会へ株式を店頭登録
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 公式IRサイト 創業者紹介 安田隆夫
- [2]設立時の安田隆夫氏の年齢は31歳(安田氏は1949年5月生まれ)
- [4]安田隆夫氏は慶應義塾大学法学部(政治学科)を1973年に卒業
- [7]圧縮陳列・深夜営業が府中店で確立された業態の核
二部上場・東証一部・100店達成──首都圏型ディスカウンターの全国化
1998年3月にグループ店舗数10店を達成した同社は、1998〜2004年にかけて出店ペースを加速した。1998年6月、東京証券取引所市場第二部へ上場、その2年後の2000年7月には東京証券取引所市場第一部に指定替えとなった。上場会社としての体裁を整えるとともに、首都圏中心の店舗網を全国へ広げる資本基盤を手にした。2001年11月には株式会社パウ・クリエーション(後の日本商業施設)を設立してテナント管理事業へ参入、2002年6月にグループ店舗数50店を達成して全国展開の節目を迎えた。1989年の府中1号店から13年で50店、そこから2年4カ月後の2004年11月にはピカソ港南台店の開設で100店を達成した。出店ペースは年を追って加速し、1〜10店達成までの9年から、10〜50店達成までの4年4カ月、50〜100店達成までの2年4カ月へと、規模の節目を踏むたびに短縮された。 [13][14][15][16][17][18]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [13]1998年3月 グループ店舗数10店達成
- [14]1998年6月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [15]2000年7月 東京証券取引所市場第一部に指定
- [16]2001年11月 株式会社パウ・クリエーション(後の日本商業施設)設立(テナント管理事業)
- [17]2002年6月 グループ店舗数50店達成
- [18]2004年11月 ピカソ港南台店開設でグループ店舗数100店達成
2004年4月には会員ロイヤルティプログラム「Club Donpen Card」の発行を開始した。圧縮陳列・深夜営業に加え、会員データを用いた販促が業態を支える3本目の柱として組み込まれた。2005年1月には株式会社ドンキコム(現リアリット)を設立し、IT・EC事業へ進出した。2001年のパウ・クリエーション設立で始めた商業施設運営事業も2004〜2005年に体制を整え、雑居ビル賃借による出店から自社・グループ運営施設での出店へ主力を移した。1989年に府中の雑居ビルから出発した業態は、ピカソ・ドン・キホーテ・MEGAドン・キホーテと複数フォーマットへ広がり、駅前繁華街・ロードサイド・郊外と立地のバリエーションも拡大した。1990年代後半から2000年代前半にかけての出店加速期は、首都圏ディスカウンターから全国チェーンへの転換期だった。 [19][20]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [19]2004年4月 会員ロイヤルティプログラム「Club Donpen Card」発行開始
- [20]2005年1月 株式会社ドンキコム(現リアリット)設立(IT・EC事業)
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [13]1998年3月 グループ店舗数10店達成
- [14]1998年6月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [15]2000年7月 東京証券取引所市場第一部に指定
- [16]2001年11月 株式会社パウ・クリエーション(後の日本商業施設)設立(テナント管理事業)
- [17]2002年6月 グループ店舗数50店達成
- [18]2004年11月 ピカソ港南台店開設でグループ店舗数100店達成
- [19]2004年4月 会員ロイヤルティプログラム「Club Donpen Card」発行開始
- [20]2005年1月 株式会社ドンキコム(現リアリット)設立(IT・EC事業)
米国ダイエー継承と長崎屋取得──GMSへの拡張
2006年2月、同社はTHE DAI'EI(USA),INC.等を子会社化し、ダイエーから米国・ハワイ事業を取得した。海外進出の起点となる買収だった。ダイエーが経営再建で切り離した海外資産を引き取る形で、ハワイの「Don Quijote (USA)」店舗網と、ホノルル拠点の小売事業基盤を獲得した。創業者の安田隆夫氏が後に「米国は日本ディスカウンターの実験場」と位置付ける北米事業の最初の足場となった。日本でしか通用しないと見られていた「驚安の殿堂」業態を、米国・ハワイの市場で試す機会を、ダイエー再建案件の付随取引として手にした計算となる。 [21]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [21]2006年2月 THE DAI'EI(USA),INC.等を子会社化しダイエーから米国・ハワイ事業を取得(北米事業の起点)
2007年1月にはホームセンター事業のドイト株式会社及び子会社1社を子会社化(後のスカイグリーン)、同年10月には株式会社長崎屋及び子会社7社を子会社化してグループ店舗数200店達成という節目を迎えた。長崎屋買収はそれまでのドン・キホーテ業態とは異なる「GMS(総合スーパー)」業態への進出を意味する転換点だった。長崎屋は、千葉県・東京都・神奈川県を中心とした店舗網を持っていたが、2007年時点では債務超過と再建途上にあった。買収後は売場面積3,000平方メートル超の店舗を「MEGAドン・キホーテ」業態へ転換、ディスカウントを主力に据えた売場面積の広い店舗の中核チャネルとして再生した。ドン・キホーテ業態のGMS化を制度化する素地となった。 [22][23]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [22]2007年1月 ドイト株式会社及び子会社1社を子会社化(後のスカイグリーン・ホームセンター事業)
- [23]2007年10月 株式会社長崎屋及び子会社7社を子会社化しグループ店舗数200店達成
2007年7月には吉田直樹氏(当時43歳)が入社、海外事業本部長として米国Don Quijote(USA)の社長を兼務した。マッキンゼー・INSEAD・ユニオン・バンケール・プリヴェを経てT・ZONEホールディングス代表取締役社長を務めた後の中途入社で、同社の海外事業を後年に率いる人物の入社年でもあった。創業者の安田氏は2005年9月に代表取締役会長兼CEO体制へ移行しており、社長は1990年代から長く務める成沢潤治氏が引き継いでいた時期に当たる。卸売から始まり、ディスカウント1号店、東証一部、米国進出、長崎屋取得、GMSへの進出と、創業から27年で業態と地理の幅を立て続けに広げた時期が幕を閉じた。 [24][25][26][27]
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [24]2007年7月 吉田直樹氏が入社(海外事業本部長兼Don Quijote(USA)社長)
- [27]安田隆夫氏は2005年9月に代表取締役会長兼CEO体制へ移行(社長は成沢潤治氏)
- [25]吉田直樹氏は1964年生まれ。2007年7月入社時点で42〜43歳
- [26]吉田直樹氏はマッキンゼー・ユニオン・バンケール・プリヴェ・T・ZONEホールディングス代表取締役社長を経てPPIHへ中途入社(INSEAD経営学修士)
- パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [21]2006年2月 THE DAI'EI(USA),INC.等を子会社化しダイエーから米国・ハワイ事業を取得(北米事業の起点)
- [22]2007年1月 ドイト株式会社及び子会社1社を子会社化(後のスカイグリーン・ホームセンター事業)
- [23]2007年10月 株式会社長崎屋及び子会社7社を子会社化しグループ店舗数200店達成
- [24]2007年7月 吉田直樹氏が入社(海外事業本部長兼Don Quijote(USA)社長)
- [27]安田隆夫氏は2005年9月に代表取締役会長兼CEO体制へ移行(社長は成沢潤治氏)
- [25]吉田直樹氏は1964年生まれ。2007年7月入社時点で42〜43歳
- [26]吉田直樹氏はマッキンゼー・ユニオン・バンケール・プリヴェ・T・ZONEホールディングス代表取締役社長を経てPPIHへ中途入社(INSEAD経営学修士)