manufacturing

日清紡HDの歴史

祖業は紡績だが、斜陽化を受けて主力事業を自動車用ブレーキに転換。さらに、新日本無線の買収でエレクトロニクスを拡充

主な損失事案

○顧客・社員・株主に対するネガティブな事案
2019年12月
2期連続の最終赤字。TMD社減損
-140億円
TMD社減損
日清紡HDの長期業績
1951〜2022

■ 半期売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 半期売上高_半期経常利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社年鑑(1956年版), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1907 02月
*1
日本紡績株式会社を設立(会社登記)
会社設立

東武鉄道などを展開する根津財閥は、工業化の波に乗るために明治時代を通じて複数の製造業に参入。紡績業に新規参入するために日清紡績を設立した。

1908 06月
*2
亀戸本社工場を新設

東京に亀戸工場を開設し、根津財閥として紡績業に参入。ところが不景気により日清紡の業績は悪化した。このため「瀕死の日清紡績」と呼ばれるなど、創業期は厳しい状況であった

1914
*3
宮島清次郎氏が専務就任

経営再建のために、元東京紡績出身の宮島清次郎(みやじま・せいじろう)氏が日清紡の専務として入社。会社再建12条の考えに従って、工場内の組織改革を実施。その後、第一次世界大戦の勃発による特需もあり、日清紡の経営再建に寄与。1919年から1940年までの約21年にわたって社長を歴任し、戦前の日清紡の業績拡大を担った。

会社再建12か条
出所 : 1964『事業経営の鬼たち : 財界人・この一番 (ヒット・ブックス)』
1920 12月
*4
岡崎紡績株式会社を合併(愛知・針崎工場)
1921 09月
*5
名古屋工場を新設
1924 05月
*6
東京紡績株式会社を合併(東京・西新井工場)
1926 11月
*7
浜松工場を新設
1927 05月
*8
帝国紡績株式会社の工場買収(福岡・戸崎工場)
1933 11月
*9
富山工場を新設
1937 11月
*10
川越紡績株式会社を買収(埼玉・川越工場)
1938 09月
*11
日清レイヨン株式会社を買収(愛知・美合工場)
1944 05月
*12
湖東紡績株式会社を買収(滋賀・能登川工場)
1944 05月
*13
南進製機株式会社を明治工場を買収(静岡・吉原工場)
Performance
1907〜1944
日本国内の紡績工場の買収で規模を拡大。愛知県と静岡県を中心に工場を稼働し、十大紡の一角に成長

■ この間の売上は不明です※

■単体 | ■連結

■ この間の利益率は不明です※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1945
*14
桜田武氏が社長就任

戦後の公職追放もあり、桜田氏は当時41歳での社長抜擢。1945年〜1964年までは社長、1964年〜1970年までは会長、1970年〜1984年までは顧問をつとめ、日清紡の実質的な経営トップを約40年にわたって歴任した。

1949 10月
*16
日東アスベスト株式会社を設立
会社設立

ブレーキ事業に参入

1949 05月
*15
東京証券取引所に株式上場
株式上場
1950 05月
*17
上田日本無線株式会社を設立
会社設立

ブレーキ事業に参入

1951 10月
*18
朝鮮特需の好況で利益率10%超を達成
1952 07月
*19
島田工場を新設(静岡)
1958 07月
*20
徳島工場を新設
1958 12月
*21
日本高分子管株式会社を設立
会社設立
1966 01月
*22
藤枝工場を新設(静岡)
1967
*23
デーベス社と技術提携。自動車ブレーキに本格進出

日清紡はブレーキ部品(ライニング・ブレーキシュー)の製造を行なっていたが、自動車市場の発展を受けて最終製品であるブレーキ機器への進出を決定。最新鋭のディスクブレーキに参入するために、デーベス社と技術提携を締結した。設備面では1968年に美合工場のブレーキ設備を名古屋工場に移設し、20〜30億円の設備投資で生産設備を刷新。その上で、自動車メーカーからのコストダウン要請に対応できる事業展開を目指した。ブレーキ機器への参入に先立って、日清紡は顧客として「ホンダ、日野自動車・プリンス自動車(日産自動車)」の3社に納入する契約を取り付けた。

幕内氏(日清紡・当時常務)
出所 : 1967/08 月刊経済
1972 12月
*24
ブラジルに現地法人を新設
Performance
1945〜1974
東海地方の工場を軸に繊維事業で業容を拡大。従業員数1万名の大企業に発展

■ 半期売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 半期売上高_半期経常利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社年鑑(1956年版), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1975 10月
*25
オイルショック不況でも最終黒字を確保

1973年10月のオイルショックにより、FY1974〜FY1977にかけて同業他社の繊維企業が赤字に転落する中、日清紡は最終黒字を確保。固定費を増やさない経営に徹した成果が現れ、業界内で相対的に高収益な繊維会社として注目を集めた。

露口達氏(日清紡・当時会長)
出所 : 1975/11/24 日経ビジネス
1978 02月
*26
東海製紙工業株式会社を買収
1981 11月
*27
館林工場を新設(群馬県・ブレーキ)

自動車向けブレーキ部材の量産のために、群馬県に館林工場を新設。館林工場でライニングなどの部材を生産し、名古屋工場で最終製品であるブレーキ機器を製造する分業体制を整えた。従来の関東地区では東京工場(西新井)でブレーキの生産を行っていたが、生産効率を高めるために館林工場に設備を移管した。1981年に第一工場(1期工事)、1984年に第一工場(2期工事)、1990年に第二工場、1994年に第3工場をそれぞれ館林工場内に新設し、ブレーキの主力生産拠点として活用した。

1984 11月
*28
乗用車向けディスクブレーキの生産開始
1985 05月
*33
日新デニム株式会社を買収
1986 04月
*34
美合工場の工作機械部門を美合工機工場として分離
1987 01月
*29
浜北精機工場を新設(ABSブレーキ)

ABSに対応したブレーキの製造拠点として、浜北精機工場を新設

1990 03月
*30
国内転換社債の発行で200億円を調達

自動車向けブレーキ事業への設備投資(館林第3工場の新設)のために転換社債の発行を決定。年間の営業キャッシュフロー140億円に対して、日清紡の年間投資予定額(ブレーキ事業への投資・繊維事業の合理化)が160億円を予定したため、不足分を社債発行で充当する狙いがあった

1991 11月
*31
ブレーキ事業の売上高300億円を突破
業績好調

1980年代の館林工場の新増設により日清紡はブレーキ事業の売上高を拡大。1991年にはブレーキ事業の売上高が約320億円を記録した

1992 07月
*35
千葉工場を新設
1993 04月
*36
本社を東京中央区日本橋に移転
1995 04月
*32
桜田武氏(元社長・顧問)が逝去
1995 06月
*37
日清紡都市開発株式会社を設立
会社設立
Performance
1975〜1996
繊維業の斜陽化を受けて工場の閉鎖転換を実施。自動車用ブレーキに積極投資

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社四季報, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1997 03月
*38
戸崎工場を閉鎖(繊維)
1997 03月
*39
米国に自動車ブレーキ製造の現地法人を設立
会社設立
2000 12月
*40
独Continentalと合弁会社を設立
会社設立
2000 12月
*41
能登川工場を閉鎖
2004 03月
*42
浜松工場を閉鎖(繊維工場)
2005 01月
*43
豊田工場を新設
2005 12月
*44
新日本無線株式会社をTOBにて買収
175
億円
新日本無線の取得(53%)

日清紡は「繊維・自動車ブレーキ」に次ぐ主力事業を展開するために、エレクトロニクス業界の新日本無線の買収を決定した。ただし、当時、新日本無線の株価が保有資産に比べて割安だったため、村上ファンドと日清紡HDの2社が、新日本無線のTOBに名乗りを上げた。最終的に日清紡は、新日本無線の株式53%を175億円で取得に成功して議決権を確保した。

村上雅洋氏(日清紡HD・2020年〜社長)
出所 : 2018/8/15
2006
*45
富山工場を閉鎖
2006 12月
*46
名古屋工場を閉鎖(ブレーキ工場)

名古屋市内の名古屋工場を閉鎖し、ブレーキ製造を2005年に新設した豊田工場に移転。工場の耐震性や周辺宅地化の影響を加味し、旧名古屋工場の閉鎖を決定

2008
*47
針崎工場を閉鎖(繊維)
2008
*48
東京工場を閉鎖(繊維)
2009 04月
*49
商号を日清紡HDに変更。持株会社に移行。
Performance
1997〜2009
新日本無線の買収で通信事業を取り込み。繊維業と実質的に決別へ

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社四季報, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2010 01月
*50
島田工場を閉鎖(繊維国内生産から撤退)
事業失敗
2010 12月
*51
日本無線株式会社をTOBにて買収
125
億円
日本無線の取得価格
2011 11月
*52
独TMD社を買収(ブレーキ)
433
億円
TMD社取得のための支出

日清紡(鵜澤静社長)は、ドイツのブレーキ摩耗材メーカーの買収を決定。株式100%を約400億円で取得し、日清紡としては大型投資となった。TMD社の取り込みで、欧州向けの自動車メーカーの製造拠点および販路確保を目論む

2017 04月
*53
紙製品事業から撤退。子会社4社を200億円で譲渡
事業失敗

大王製紙に売却

2017
*54
日本無線を完全子会社化
完全子会社
河田正也(日清紡HD・当時社長)
出所 : 2017/9/7日経新聞
2018 03月
*55
リコー電子デバイス株式会社を買収(日清紡マイクロデバイス)
2019 07月
*56
NJコンポーネント株式会社を買収
2019 12月
*57
2期連続の最終赤字。TMD社減損
業績低迷
▲140
億円
TMD社減損

FY2018とFY2019の2期連続で最終赤字に転落。FY2018は当期純損失71億円、FY2019は同66億円。FY2019は買収したドイツTMD社の「自動車用ブレーキ用摩耗材製造資産」について140億円の減損損失を計上したことが主要因。投資有価証券の売却による特別利益34億円を計上して損失の一部をカバー。

村上雅洋氏(日清紡HD・当時社長)
出所 : 1967/08 月刊経済
Performance
2010〜2023
日本無線の買収でエレクトロニクスメーカーに転身。国内の繊維生産から撤退

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
55 References.