浜松ホトニクスの歴史
沿革
1948年に高柳健次郎氏の助手だった堀内平八郎氏が浜松市に設立した東海電子研究所が起源。
1979年に小柴昌俊氏から託された口径20インチの光電子増倍管をカミオカンデへ納め、ノーベル物理学賞につながった。光電子増倍管で世界シェア9割を持ち、売上の8割弱を海外が占める。
創業期
1948年〜堀内平八郎の東海電子研究所設立と浜松テレビへの継承
- 堀内平八郎が東海電子研究所を浜松に設立[1]
- 光電管PV26が街路灯自動点滅器に採用[2]
- 浜松テレビを設立し東海電子研究所の業務を引継[1]
- セレン光電面ビジコンを発売[2]
- 初めての半導体製品CdSセルを開発[2]
- 光電子増倍管の開発に成功[2]
- 事務所を開設[1]
- 赤外線用テレビカメラを発売[2]
- 新工場を建設[1]
- ホローカソードランプ、重水素ランプの試作を開始[2]
- ニューヨーク駐在員事務所を開設[1]
- ロケット自動追尾装置(X-Yトラッカー)の開発に成功[2]
- 本社を移転[1]
- テレビカメラを用いた瞳孔面積計測装置を開発[2]
- シリコンフォトダイオードを開発[2]
成長期
1973年〜医療機器への参入と浜松ホトニクスへの改称
- 豊岡製作所新設・独逸子会社設立[1]
- ストリークカメラシステムを発売[2]
- コンピュータ用ビジコンカメラを開発[2]
- 宇宙からのオーロラ撮像に世界で初めて成功[2]
- 事業目的に医療機器等の研究・製造・販売を追加[1]
- 大阪市東区(現中央区)に大阪営業所を新設[1]
- プライベート展示会「フォトンフェア」を初開催[2]
- 天王製作所を新設[1]
- 事業部制の導入を決定[2]
- ホトニックマイクロスコープ(顕微鏡用カメラシステム)を発売[2]
- 常光製作所を新設[1]
- 浜松ホトニクスへ改称[1]
- 米国にホトニクス・マネージメント・コーポを設立[1]
- 光子・粒子計数型画像計測装置PIASを発売[2]
- 株式店頭登録[1]
- 浜松市砂山町に本社事務所を新設[1]
- 筑波研究所を新設[1]
- フランスにハママツ・ホトニクス・フランスを設立[1]
- 英国にハママツ・ホトニクス・ユー・ケイを設立[1]
安定成長期
1990年〜コーア電子工業の営業譲受と東証一部上場
- 中央研究所を新設[1]
- コーア電子工業の営業全部を譲受[1]
- マイクロフォーカスX線源を発売[2]
- 都田製作所を新設[1]
- 東京証券取引所二部に上場[1]
- 半導体レーザによるイネの人工室内栽培に世界で初めて成功[2]
- 東京証券取引所一部銘柄に指定[1]
- 光電子増倍管を設置したカミオカンデの研究で小柴昌俊氏がノーベル物理学賞[2]
- 浜松光医学財団の浜松PET診断センターが竣工[2]
- 「光産業創成大学院大学」を開学[2]
- 産業開発研究所を新設[1]
- 晝馬明氏が社長に就任[2]
- 欧州販売子会社間の業務効率化のため欧州統括会社を設立[2]
安定成長期
2011年〜中国・欧州統括会社の設立とNKTフォトニクスの買収
- 子会社(浜松光子学商貿)を設立[1]
- 「浜松光宣言2013」を地元3大学と調印[2]
- 「20インチ光電子増倍管」がIEEEマイルストーンに認定[2]
- スーパーカミオカンデでの研究で梶田隆章氏がノーベル物理学賞[2]
- 半導体検査装置向け光源のEnergetiq Technologyを子会社化[2]
- ベルギーに欧州統括会社を設立[1]
- 東京営業所を東京都千代田区へ移転[1]
- 丸野正氏が社長に就任[2]
- 東京証券取引所プライム市場へ移行[1]
- 横浜IT開発室を開設[2]
- CMOSイメージセンサのFairchild Imagingを子会社化[2]
- NKTフォトニクス子会社化[1]