1912年〜 渦巻ポンプ理論から国産ポンプ事業化への歩み
荏原製作所の業績推移:単体
- 1912年 ゐのくち式機械事務所を創業
- 1920年 荏原製作所を設立
- 1938年 羽田工場を新設し本社・工場を移転
- 1945年 戦災により羽田工場から川崎工場へ生産移管
- 1949年 東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部に上場
- 1956年 荏原インフィルコを設立
- 1964年 戦後初の海外事務所をタイ・開設
井口在屋の渦巻ポンプ理論から事業化へ
荏原製作所の起源は1905年に東京帝国大学教授の井口在屋が発表した世界初の渦巻ポンプ理論にある。この研究を実用化するために国友鉄工所が創立され、井口は自らの設計による渦巻ポンプの試作を同所で続けたが、明治末に経営が立ちいかず閉鎖され、事業化には失敗した。国友鉄工所で井口に学んだ畠山一清は、渦巻ポンプの将来性を信じて1912年にゐのくち式機械事務所を創業し、東京日暮里で設計・製造・販売を一貫して行う体制を整えた。当時の日本のポンプ市場は輸入品が中心で、国産品としては三菱重工と日立製作所が競合していた。大学発の基礎研究を事業化する過程で、先行した国友鉄工所が失敗した教訓を踏まえて、畠山は実務面での体制構築に力を注いだ。理論と実機の架橋を一人で行うという、当時としては先進的な経営スタイルの原型がここで形をとる。 [1][2][3]
- 荏原製作所 有価証券報告書 第161期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1905年(明治38年)井口在屋(東京帝国大学教授)が渦巻ポンプ理論を発表
- [3]畠山一清が1912年(11月)にゐのくち式機械事務所を創業(東京日暮里)
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [2]井口は自設計の渦巻ポンプの試作を国友鉄工所で続けたが、明治末に同所は経営破綻で閉鎖され事業化に失敗した
畠山は東京市のポンプ性能試験(入札)に参加し、一貫生産による品質の高さで国産品が輸入品を駆逐する流れを作った。1919年には浅草田原町のポンプ場と三河島汚水処理場へ渦巻ポンプ計15台を納入し、当時としては記録的な大型ポンプの受注を通じて技術と経営の両面で社礎を固めた。1920年には本社工場を東京府荏原郡品川町に移転し、資本金300万円で株式会社荏原製作所を設立した。社名の「荏原」は移転先の地名に由来する。昭和初期の戦前期には荏原製作所は国内ポンプ生産量でシェア6割強を確保し、日立・三菱と並ぶ国産トップメーカーの地位を築いた。産学連携が事業化に至るまで7年を要した経緯は、後年の技術指向の社風へと引き継がれた。畠山が井口の弟子として受け継いだ、理論と実機を両方手がける流儀は、荏原の経営スタイルの原型として後年まで語り継がれる。創業精神「熱と誠」として後の荏原の社員教育にも引き継がれた。 [4][5][6][7][8][9]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [4]1919年(大正8年)浅草田原町ポンプ場・三河島汚水処理場へ渦巻ポンプ計15台を納入(当時記録的な大型ポンプ)
- [6]1920年の設立時資本金は300万円
- [8]昭和初期に国内ポンプ生産量でシェア6割強を確保し主導的地位を築いた
- 荏原製作所 有価証券報告書 第161期(2025年12月期)【沿革】
- [5]1920年5月 荏原製作所を設立し本社工場を東京府荏原郡品川町に設置
- [7]社名「荏原」は移転先の荏原郡という地名に由来
- [9]創業精神「熱と誠」は創業者畠山一清が唱えた荏原の創業精神
- 荏原製作所 有価証券報告書 第161期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1905年(明治38年)井口在屋(東京帝国大学教授)が渦巻ポンプ理論を発表
- [3]畠山一清が1912年(11月)にゐのくち式機械事務所を創業(東京日暮里)
- [5]1920年5月 荏原製作所を設立し本社工場を東京府荏原郡品川町に設置
- [7]社名「荏原」は移転先の荏原郡という地名に由来
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [2]井口は自設計の渦巻ポンプの試作を国友鉄工所で続けたが、明治末に同所は経営破綻で閉鎖され事業化に失敗した
- [4]1919年(大正8年)浅草田原町ポンプ場・三河島汚水処理場へ渦巻ポンプ計15台を納入(当時記録的な大型ポンプ)
- [6]1920年の設立時資本金は300万円
- [8]昭和初期に国内ポンプ生産量でシェア6割強を確保し主導的地位を築いた
- [9]創業精神「熱と誠」は創業者畠山一清が唱えた荏原の創業精神
戦後復興と水処理・サービス事業領域の拡大
1938年には東京市蒲田区羽田に羽田工場を建設し、本社と工場を品川から移転した。この羽田工場は2007年の閉鎖までの約70年間、荏原の本社工場として直径数mクラスのポンプやプラント機器の製造を担った。1941年には川崎工場も新設され、戦時下の生産体制が整ったが、1945年には戦災により羽田工場から川崎工場に生産を移管する緊急対応が必要になった。1949年5月には東京証券取引所一部・大阪証券取引所一部に上場し、戦後復興期の資本市場に参加した。戦災からの復旧と上場による資本基盤の拡充は、戦後の拡張期に向けた重要な土台となった。戦前のポンプ専業メーカーから、戦後の総合機械メーカーへと事業領域を広げる基礎は、このころ整えられた。 [10][11][12][13]
- 荏原製作所 有価証券報告書 第161期(2025年12月期)【沿革】
- [10]1938年(4月)羽田工場を建設し品川から本社・工場を移転
- [11]1941年(12月)川崎工場を新設
- [12]1945年(4月)戦災により羽田工場から川崎工場へ生産移管
- [13]1949年5月 東証一部・大証一部に上場
1955年には生産の主力を羽田工場に復帰させ、翌1956年には水処理装置の製造販売を目的として荏原インフィルコ株式会社を設立した。水処理事業の起点であり、後に1994年の吸収合併と2009年の水ing設立を経る長期事業の始まりである。1964年には戦後初の海外事務所をタイ・バンコクに開設し、同年に荏原サービスを設立してアフターサービス事業を組織化した。1965年には藤沢工場を新設し、日本で初めて標準ポンプの量産体制を整えた。1968年には札幌証券取引所にも上場し、地方市場も含めた多元上場の時代を迎えた。祖業のポンプ・水処理・サービスという3つの事業の芽が揃って育ち始めた。標準ポンプの量産体制確立は、後年のグローバル展開における主力製品群の土台を作った。 [14][15][16][17][18][19][20]
- 荏原製作所 有価証券報告書 第161期(2025年12月期)【沿革】
- [14]1955年(1月)生産の主力を羽田工場に復帰
- [15]1956年(1月)水処理装置の製造販売を目的に荏原インフィルコ株式会社を設立
- [16]荏原インフィルコは後に1994年吸収合併・2009年水ing設立につながる水処理事業の起点
- [17]1964年(4月)戦後初の海外事務所をタイ・バンコクに開設
- [18]同年(1964年6月)荏原サービスを設立しアフターサービス事業を組織化
- [19]1965年(5月)藤沢工場を新設し日本で初めて標準ポンプの量産体制を確立
- [20]1968年(11月)札幌証券取引所に上場
- 荏原製作所 有価証券報告書 第161期(2025年12月期)【沿革】
- [10]1938年(4月)羽田工場を建設し品川から本社・工場を移転
- [11]1941年(12月)川崎工場を新設
- [12]1945年(4月)戦災により羽田工場から川崎工場へ生産移管
- [13]1949年5月 東証一部・大証一部に上場
- [14]1955年(1月)生産の主力を羽田工場に復帰
- [15]1956年(1月)水処理装置の製造販売を目的に荏原インフィルコ株式会社を設立
- [16]荏原インフィルコは後に1994年吸収合併・2009年水ing設立につながる水処理事業の起点
- [17]1964年(4月)戦後初の海外事務所をタイ・バンコクに開設
- [18]同年(1964年6月)荏原サービスを設立しアフターサービス事業を組織化
- [19]1965年(5月)藤沢工場を新設し日本で初めて標準ポンプの量産体制を確立
- [20]1968年(11月)札幌証券取引所に上場