1885年〜 官営ガスの払い下げからLNG革命と天然ガス転換完了
東京ガスの業績推移:単体
- 1885年 東京府瓦斯局の払い下げ引き受けと東京瓦斯会社の創立 赤字のまま安く受けるか、黒字にしてから受けるか——官営ガス事業の払い下げをめぐる四年
- 1893年 東京瓦斯に商号変更
- 1944年 関東瓦斯以下19社を合併吸収
- 1949年 東京証券取引所・名古屋証券取引所に上場
- 1962年 本社地区の熱量変更を実施
- 1969年 アラスカ産LNGの15年長期契約と東京電力との共同調達、根岸基地の建設 単価の高い未知の燃料を、誰と分け合って引き取るか——公害対策が迫った原料転換と、競争相手への共同購入の申し入れ
- 1972年 供給熱量の11,000キロカロリーへの引き上げと、首都圏550万件のガス機器の自社調整 機器の買い替えを客に求めるか、社員が一軒ずつ回るか——外部委託を退けた熱量変更の工程
官営瓦斯局の払い下げと都市ガス事業の民間化
1885年10月、東京府が運営していた官営瓦斯局の払い下げを受けて東京瓦斯会社が創立された。横浜で1874年に始まった日本の都市ガス事業が、東京で民間主導の事業として出発した瞬間である。渋沢栄一ら実業家が設立に関与し、石炭を原料とするガス灯を中心とした事業で首都の夜を照らした。明治期の東京では電灯の普及以前にガス灯が街路照明の中心を占め、ガス事業は都市インフラの重要な一角を担った。石炭を原料とする製造ガス(石炭ガス)の供給には、原料の輸送・貯蔵・製造設備の維持という重いオペレーションが欠かせない。当時の技術水準では事業運営そのものが難題であり、製造・輸送・需要家対応の各工程で経験の積み上げが不可欠な事業形態だった。 [1][2][3]
- 東京ガス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1885年10月 東京府の官営瓦斯局の払い下げを受け東京瓦斯会社が創立
- [2]日本の都市ガス事業は1874年に横浜で始まった
- [3]渋沢栄一は東京瓦斯会社の創立に関与(民営化を主導し創業時の委員長に就任)
戦時中の1944年には関東瓦斯以下19社を合併吸収して首都圏全域に供給エリアを拡大し、戦後の1949年に東京証券取引所に上場した。1962年には供給ガスの熱量を3600kcalから5000kcalへ引き上げ、石炭ガスから石油系ガスへの転換を行った。原料の切り替えは単なる燃料の変更ではなく、供給設備の改修とガス機器の対応を同時に要する事業であり、都市ガス会社が定期的に経験する技術的な節目でもあった。高度経済成長に伴う都市部の人口集中とガス需要の急増は、東京ガスにさらなる原料転換を迫る圧力となった。1960年代後半には次の技術選択として天然ガス(LNG)が経営議論の中心に据えられた。当時の首都圏の大気汚染問題は政治課題としても顕在化しており、低硫黄のエネルギー源への転換は社会的な要請でもあった。 [4][5][6]
- 東京ガス 有価証券報告書【沿革】
- [4]1944年 関東瓦斯以下19社を合併吸収し首都圏全域に供給エリアを拡大
- [5]1949年 東京証券取引所に上場(実際は東京・名古屋両取引所に上場)
- [6]1962年 供給ガスの熱量を3600kcalから5000kcalへ引き上げ(石炭ガスから石油系ガスへ転換)
- 東京ガス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1885年10月 東京府の官営瓦斯局の払い下げを受け東京瓦斯会社が創立
- [2]日本の都市ガス事業は1874年に横浜で始まった
- [4]1944年 関東瓦斯以下19社を合併吸収し首都圏全域に供給エリアを拡大
- [5]1949年 東京証券取引所に上場(実際は東京・名古屋両取引所に上場)
- [6]1962年 供給ガスの熱量を3600kcalから5000kcalへ引き上げ(石炭ガスから石油系ガスへ転換)
- [3]渋沢栄一は東京瓦斯会社の創立に関与(民営化を主導し創業時の委員長に就任)
LNG導入決定と400万世帯のガス機器交換事業
転機は1960年代後半に訪れた。高度経済成長に伴うガス需要の急増と、都市部の深刻な大気汚染に対応するため、東京ガスは天然ガスへの全面転換を決断する。1966年に根岸LNG基地を稼働させ、1967年にはMarathon Oil社・Phillips Petroleum社とLNG売買契約を締結した。1969年11月、LNG船「ポーラ・アラスカ号」がアラスカから根岸基地に入港し、日本初のLNG輸入が完了した。この判断は世界的にも他に先例がなく、日本が世界最大のLNG消費国へ成長する出発点となった。大気汚染対策とエネルギー安全保障の両面で重要な政策的意義を持ち、日本のエネルギー政策全体の歴史的な転換点ともなった。さらにこの決断は、タンカー・基地・パイプラインといった巨大設備への先行投資を前提とする重い意思決定でもあった。 [7][8][9]
- 東京ガス 有価証券報告書【沿革】
- [7]1966年 根岸LNG基地を稼働開始
- [8]1967年3月 東京ガス(東京電力と共同)がMarathon Oil・Phillips PetroleumとLNG売買契約を締結
- [9]1969年11月 LNG船「ポーラ・アラスカ号」がアラスカから根岸基地に入港し日本初のLNG輸入(11月4日・約3万トン)
LNG導入に続き、1972年から供給ガスの熱量を5000kcalから11000kcalへ引き上げる天然ガス転換事業が始まった。約400万世帯の顧客が使うガス機器を一台ずつ天然ガス対応に交換しなければならない。地区ごとに新旧のガスが混在しないよう切り替え日を設定し、作業員が各家庭を訪問して機器を調整するという、世界的にも類例のないインフラ転換事業である。1973年にはブルネイからのLNG導入と袖ケ浦LNG基地の稼働を開始し、LNGの調達先と受入設備を同時に拡充して転換のスピードを上げた。2度のオイルショックを挟みながらも作業は続き、1988年10月に全供給エリアの天然ガス転換が完了した。16年の歳月を要したこの事業は、SO2やNOxの排出削減に加え、天然ガスの高発熱量を活かしてガス機器の性能向上と供給効率の改善をもたらす革命的な転換となった。 [10][11][12][13]
- 東京ガス 有価証券報告書【沿革】
- [10]1972年から供給ガスの熱量を5000kcalから11000kcalへ引き上げる天然ガス転換事業を開始
- [11]約400万世帯のガス機器を一台ずつ天然ガス対応に交換
- [12]1973年 ブルネイからのLNG導入と袖ケ浦LNG基地の稼働を開始
- [13]1988年10月 全供給エリアの天然ガス転換が完了(1972年から16年)
- 東京ガス 有価証券報告書【沿革】
- [7]1966年 根岸LNG基地を稼働開始
- [10]1972年から供給ガスの熱量を5000kcalから11000kcalへ引き上げる天然ガス転換事業を開始
- [11]約400万世帯のガス機器を一台ずつ天然ガス対応に交換
- [12]1973年 ブルネイからのLNG導入と袖ケ浦LNG基地の稼働を開始
- [13]1988年10月 全供給エリアの天然ガス転換が完了(1972年から16年)
- [8]1967年3月 東京ガス(東京電力と共同)がMarathon Oil・Phillips PetroleumとLNG売買契約を締結
- [9]1969年11月 LNG船「ポーラ・アラスカ号」がアラスカから根岸基地に入港し日本初のLNG輸入(11月4日・約3万トン)