【筆者所感】 1885年10月に東京府の官営瓦斯局の払い下げを受けて東京瓦斯会社が創立された。石炭を原料とするガス灯の時代から始まった事業は、戦時中の1944年に関東瓦斯以下19社を合併吸収して首都圏全域に供給エリアを拡大し、戦後の1949年に東京証券取引所に上場した。1962年には供給ガスの熱量を3600kcalから5000kcalへ引き上げ、石炭ガスから石油系ガスへの転換を進めた後、1969年にアラスカから日本初のLNG導入を実現し、1972年から約400万世帯のガス機器を16年かけて交換する天然ガス転換事業を完遂した。1988年10月の転換完了までの16年間にわたる大規模インフラ転換事業は世界的にも類例がなく、東京ガスの供給基盤を天然ガスに一新するとともに、首都圏のエネルギー供給構造そのものを作り替える歴史的な事業となった。
2016年4月の電力小売全面自由化では攻める側に回り、2022年3月期から2023年3月期にかけてはウクライナ侵攻に伴うLNG市場高騰を背景に経常利益4088億円の過去最高益を記録した。しかしこの利益の多くはLNG在庫の評価益やスポットトレーディングなどの一過性要因に支えられており、価格正常化後の2024年3月期には半減、2025年3月期には1136億円まで落ち込んだ。2023年12月には米国シェールガス企業ロッククリフ・エナジーを約27億ドルで買収し、国内ガス販売量の減少を前提に事業構造を量から質へ転換する方針と、北米上流統合という新たな賭けに踏み出した。外部環境の変化に合わせて供給構造を作り替える判断を、140年にわたり繰り返してきた企業である。
歴史概略
1885年〜1988年官営ガスの払い下げからLNG革命と天然ガス転換完了
官営瓦斯局の払い下げと都市ガス事業の民間化
1885年10月、東京府が運営していた官営瓦斯局の払い下げを受けて東京瓦斯会社が創立された。横浜で1874年に始まった日本の都市ガス事業が、東京で民間主導の事業として出発した瞬間である。渋沢栄一ら実業家が設立に関与し、石炭を原料とするガス灯を中心とした事業で首都の夜を照らした。明治期の東京では電灯の普及以前にガス灯が街路照明の中心を占め、ガス事業は都市インフラの重要な一角を担った。石炭を原料とする製造ガス(石炭ガス)の供給には、原料の輸送・貯蔵・製造設備の維持という重いオペレーションが欠かせない。当時の技術水準では事業運営そのものが難題であり、製造・輸送・需要家対応の各工程で経験の積み上げが不可欠な事業形態だった。
戦時中の1944年には関東瓦斯以下19社を合併吸収して首都圏全域に供給エリアを拡大し、戦後の1949年に東京証券取引所に上場した。1962年には供給ガスの熱量を3600kcalから5000kcalへ引き上げ、石炭ガスから石油系ガスへの転換を進めた。原料の切り替えは単なる燃料の変更ではなく、供給設備の改修とガス機器の対応を同時に要する事業であり、都市ガス会社が定期的に経験してきた技術的な節目でもあった。高度経済成長に伴う都市部の人口集中とガス需要の急増は、東京ガスにさらなる大規模な原料転換を迫る圧力となった。1960年代後半には次の技術選択として天然ガス(LNG)が経営議論の中心に据えられた。当時の首都圏の大気汚染問題は政治課題としても顕在化しており、低硫黄のエネルギー源への転換は社会的な要請でもあった。
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LNG導入決定と400万世帯のガス機器交換事業
転機は1960年代後半に訪れた。高度経済成長に伴うガス需要の急増と、都市部の深刻な大気汚染に対応するため、東京ガスは天然ガスへの全面転換を決断する。1966年に根岸LNG基地を稼働させ、1967年にはMarathon Oil社・Phillips Petroleum社とLNG売買契約を締結した。1969年11月、LNG船「ポーラ・アラスカ号」がアラスカから根岸基地に入港し、日本初のLNG輸入が実現した。この判断は世界的にも他に先例がなく、日本が世界最大のLNG消費国へ成長する出発点となった。大気汚染対策とエネルギー安全保障の両面で重要な政策的意義を持ち、日本のエネルギー政策全体の歴史的な転換点ともなった。さらにこの決断は、タンカー・基地・パイプラインといった巨大資本財への先行投資を前提とする重い意思決定でもあった。
LNG導入に続き、1972年から供給ガスの熱量を5000kcalから11000kcalへ引き上げる天然ガス転換事業が始まった。約400万世帯の顧客が使うガス機器を一台ずつ天然ガス対応に交換しなければならない。地区ごとに新旧のガスが混在しないよう切り替え日を設定し、作業員が各家庭を訪問して機器を調整するという、世界的にも類例のない大規模インフラ転換事業である。1973年にはブルネイからのLNG導入と袖ケ浦LNG基地の稼働を開始し、LNGの調達先と受入設備を同時に拡充して転換のスピードを上げた。2度のオイルショックを挟みながらも作業は続き、1988年10月に全供給エリアの天然ガス転換が完了した。16年の歳月を要したこの事業は、SO2やNOxの排出削減に加え、天然ガスの高発熱量を活かしてガス機器の性能向上と供給効率の改善をもたらす革命的な転換となった。
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1989年〜2015年LNG基地網整備と首都圏供給体制の確立
複数国からのLNG調達と供給基盤の多元化
1988年の天然ガス転換完了を受けて、1989年以降の東京ガスは首都圏のガス需要全体を天然ガスで賄う新しい供給体制の確立に取り組んだ。この間に1983年にマレーシア、1989年にオーストラリア、1994年にインドネシアからのLNG調達が始まり、供給基盤は複数国にまたがるLNG長期契約のポートフォリオとして形を整えた。特定国に依存しない分散調達体制はエネルギー安全保障の観点からも高く評価され、日本の他の都市ガス・電力会社がLNG調達網を整備する際のモデルケースとなった。長期契約中心のLNG調達は、20〜25年の契約期間で量と価格のリスクを分散し、供給側と需要側の双方の投資回収を保証する仕組みとして機能した。この取引形態は日本のエネルギー安全保障を支える経済制度として定着した。
1998年には扇島LNG基地が稼働を開始した。根岸(1966年)、袖ケ浦(1973年)と合わせて東京湾岸に3つの大規模LNG基地を擁する体制が整い、首都圏への安定供給能力が格段に向上した。1976年に稼働した天然ガス環状幹線(袖ケ浦-根岸間)と1977年の東京湾海底幹線により、基地間を結ぶパイプラインネットワークも完成し、どの基地に障害が生じても供給を維持できる冗長性が確保された。1998年12月にはカタールからのLNG調達も開始し、アジア太平洋に加えて中東まで広がる世界的な調達網へと発展した。3基地体制と広域幹線網の組み合わせは、首都圏という人口密集地への大量供給に欠かせない物流インフラとして機能し、以降の成長基盤となった。
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北関東への供給圏拡大と料金構造の制約
2000年代以降は供給圏が北関東へ拡大する。2001年の埼北幹線、2005年の栃木ライン、2012年の千葉-鹿島ラインと幹線パイプラインを延伸し、2016年には4番目の主力基地となる日立LNG基地を稼働させた。日立LNG基地は東京湾岸以外の受入拠点として、首都圏供給の冗長性を高めると同時に、北関東の内陸需要に直接アクセスできる戦略拠点としても機能する重要な設備だった。東京ガスの供給エリアは関東1都6県に広がり、都市ガス販売量は国内最大規模を維持した。幹線パイプラインの整備は、首都圏の需要集中地区だけでなく、周辺の工業地帯や中規模都市へのガス普及を支える物流インフラとして機能し、都市ガスの全国的な普及率向上にも寄与した。
2000年代後半から2010年代にかけて、売上高は2006年3月期の1兆2665億円から2015年3月期の2兆2925億円へ倍近くに拡大したが、営業利益は1123億円から1718億円と売上ほどには伸びなかった。都市ガスの料金は原料費調整制度により原料価格に連動するため、LNG価格が上がれば売上は増えるが利益率は圧縮される構造だった。規制料金のもとで燃料費の変動を価格に転嫁する仕組みは利益の平準化という効果を持ったが、成長性の観点では売上拡大と利益拡大が比例しないという経営課題も生んだ。東京ガスにとって新しい収益源の開発は長期的な経営課題となった。ガス販売単体では量的成長が限界を迎えるなか、電力・海外・ソリューションといった新しい事業軸の模索が具体化していった。
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2016年〜2023年電力参入とウクライナ危機下の過去最高益
電力小売自由化への参入とガス自由化への対応
2016年4月の電力小売全面自由化は、東京ガスにとって守りではなく攻めの機会だった。工場や大規模施設向けには既に年間約100億kWhの電力を供給していたが、家庭向け市場に参入し、2020年までに販売電力量300億kWhを目指す方針を掲げた。ガスと電力のセット販売で顧客囲い込みを図った結果、電力セグメントの営業利益は2017年3月期の45億円から2023年3月期には511億円へと10倍以上に伸び、ガスに次ぐ第2の収益の柱に育った。異業種からの参入を逆手に取って電力市場でシェアを獲得する戦略は、都市ガス会社のなかでも積極的な取り組みとして業界の注目を集め、自由化後の競争環境を踏まえた経営判断の代表例として評価された。電源調達と小売営業を両立させる実行力が問われた時期だった。
一方、2017年4月にはガス小売全面自由化が始まり、東京電力エナジーパートナーが首都圏のガス市場に参入した。東京ガスは電力で攻めながらガスでは守るという二正面の競争構図に置かれた。2017年3月期の連結営業利益は584億円と前期の1920億円から7割減に落ち込んだ。原油安に伴うガス販売単価の低下に加え、電力自由化初年度の顧客獲得コストと販売管理費の増加が重なった結果だった。利益水準は翌2018年3月期に1163億円まで回復するが、自由化前の安定的な利益構造には戻らず、市場の価格競争に恒常的に晒される事業環境へと移った。規制時代に培った運営効率の優位性だけでは長期的な競争力を保てず、顧客対応やソリューション提案の力が経営の中心課題となった。
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ホールディングス体制・海外事業とLNG高騰の恩恵
2019年11月、東京ガスは「Compass2030」経営ビジョンを策定し、2030年に向けた長期方針を示した。国内の人口減少と省エネの進展によりガス販売量の構造的減少が避けられないとの認識のもと、電力・海外・ソリューション事業への収益シフトを打ち出した。2030年の利益目標2000億円のうち25%にあたる500億円を海外で稼ぐ方針を掲げた。2022年4月にはガス導管事業を東京ガスネットワークに分社化し、ホールディングス型グループ体制に移行した。ガス事業法改正に伴う法的分離と事業ポートフォリオの再編を同時に進める大規模な体制変更だった。規制事業と競争事業を線引きすることで、グループ全体の資本配分と経営判断を柔軟にする基盤が整い、海外投資の自由度も高まった。
2022年3月期から2023年3月期にかけて、ロシアのウクライナ侵攻を契機としたLNG市場の高騰が東京ガスの業績を押し上げた。2023年3月期の売上高は3兆2896億円と前年比53%増、経常利益4088億円、純利益2809億円と、いずれも過去最高を更新した。ガスセグメントの営業利益は2942億円と前年の1026億円から3倍近くに膨張し、海外も701億円、電力511億円と全セグメントが増益となった。ただしこの利益にはLNG在庫の評価益やスポットトレーディングの利益など、市況連動の一過性要因が多く含まれており、その後の価格正常化局面では利益水準が急低下する含みがあった。過去最高益というニュースの華やかさの背後で、収益の質そのものを問い直す必要性を経営陣は認識していた。
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直近の動向と展望
約27億ドルのロッククリフ買収と北米上流統合
2023年12月、東京ガスは米国テキサス州・ルイジアナ州のシェールガス開発・生産会社ロッククリフ・エナジーの全株式を約27億ドル(約4050億円)で取得した。東京ガス史上最大の投資であり、国内ガス会社としても異例の規模の海外上流権益取得だった。ロッククリフの保有鉱区は約810平方キロメートルで東京都の面積の約4割に相当し、既存鉱区と合わせることで北米でのガス生産量は4倍、鉱区面積は2倍に拡大した。2025年4月にはシェブロンとのシェールガス共同開発契約も締結し、北米の上流から中下流までのバリューチェーン構築を加速している。日本のガス会社が天然ガスの川上工程に本格参入する歴史的な節目であり、国内市場の縮小を海外で補う構造転換を具体化させた事例でもある。
笹山晋一社長は「これからは『量』に依存しないビジネスモデルを展開していく必要がある」(日経エネルギーNext 2023/07/24)と述べ、国内ガス販売量の減少を前提とした事業構造の転換を明示した。2025年には「海外投資の過半を米国に。北米でバリューチェーンを構築し、国際的なトレーディング機能を強化する」(ロイター 2025)と北米上流統合の方針を踏み込んで示した。2023年2月に策定した中期経営計画「Compass Transformation 23-25」ではROA4%・ROE8%の資本効率目標を掲げたが、2025年3月期時点で達成途上である。LNG価格が正常化した2024年3月期には経常利益は2282億円へ半減し、2025年3月期はさらに1136億円と最高益時の4分の1強まで落ち込んだ。2期間で経常利益が3000億円近く変動する振れ幅が、LNG価格と電力市場の市況に収益が強く左右される構造を浮き彫りにした。
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- 日経エネルギーNext 2023/7/24
- ロイター 2025
海外ROAと資本効率の課題・次期中計の焦点
2025年3月期の業績は売上高2兆6368億円、経常利益1136億円、純利益742億円だった。総資産は3兆8551億円で、ロッククリフ買収により海外セグメントの資産が1兆1954億円に膨張している。有利子負債は1兆3080億円、自己資本は1兆7254億円。海外セグメントの営業利益は189億円にとどまり、資産に対するROAは2%弱にすぎない。決算説明会では事業リスクに見合うには2桁台のROAが必要だと会社自身が認めており、投資の回収はこれからの課題となる。巨額の上流投資は時間をかけて利益貢献が現れるため、短期的な財務指標と長期的な戦略意図のバランスを取る経営判断が問われる。投資家に対しては、資本効率の改善計画を具体的な数値目標と時間軸で示すことが引き続き求められている。
セグメント構成はエネルギー・ソリューション(営業利益1207億円)、ネットワーク(同31億円の赤字)、海外(同189億円)、都市ビジネス(同234億円)の4事業。エネルギー・ソリューションが利益の大半を稼ぐ構造は変わらないが、不動産を中心とした都市ビジネスが市況に左右されにくい安定収益源として機能している。次期中計では2030年頃にROE10%を目指す方針を打ち出した。そのためには、北米シェールガスから利益貢献を本格化させること、電力事業のリスクマネジメントを高度化すること、国内事業の生産性を改革することという3つの課題を並行して進める必要がある。量から質への転換という戦略の成否が問われる段階であり、140年にわたり原料と供給構造を作り替えてきた歴史を踏まえた次なる転換期である。
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- 日経エネルギーNext 2023/7/24
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