明治23年に胃腸薬「胃活」の製造販売を開始すると共に、信天堂山田安民薬房を創業した。以後、現在に至るまでロート製薬は山田家による同族会社として経営されている。戦前は国内に加えて、上海などの中国大陸にも工場を建設するなど、手広く商売を手掛けた。

明治23年に胃腸薬「胃活」の製造販売を開始すると共に、信天堂山田安民薬房を創業した。以後、現在に至るまでロート製薬は山田家による同族会社として経営されている。戦前は国内に加えて、上海などの中国大陸にも工場を建設するなど、手広く商売を手掛けた。
当時、日本眼科学会で主導的な存在であった井上博士が目薬を開発し、ロート製薬が商品化した。ロートの名称は、当時、世界的な眼科医として知られていたドイツ人の「ロート・ムンド博士」に由来する
創業家の山田輝郎氏が社長に就任
1962年7月時点の売上構成比率は「ロート胃腸薬シロン」の売上26.9億円(構成比74.5%)、目薬の売上9.1億円(同25.2%)、その他(胃活・ロート頭痛薬など)の売上0.9億円(同0.3%)。つまり「胃腸薬シロン」の成長がロートの株式上場の原動力になった。また生産量シェアについて、健胃消化剤で国内1位(38%)、点眼薬で国内1位(36.7%)を確保
日本国内でメンソレータム(くちびるの軟膏剤)の製造販売権を握っていた近江兄弟社(近江八幡市本社・従業員270名)が会社更生法の適用を申請したことを受けて、ロート製薬が国内のメンソレータムの商標使用権を独占的に取得。契約期間は10年、ロイヤリティーは売上高の7.5%で設定。ロート製薬は軟膏領域に本格参入し、年間10億円の販売目標を据えた。
日本ジョセフィン、関西有機化学。モナ化粧品の3社を買収。3社の合計で化粧品の年間売上高は32億円
1980年代を通じて胃腸薬をめぐる競争が激化。興和の「キャベジン」と大正製薬の「大正胃腸薬」など、ニーズに特化した胃腸薬が成長。総合胃腸薬に強みがあったロートの牙城が崩された。ロートの「シロン」は、1983年に国内シェア首位から陥落し、1991年にシェア3位に低迷
メンソレータム社の本社及び工場として活用
スキンケア剤の生産工場
スキンケア剤の「肌ラボ」を発売。当時急速に普及していたドラッグストア向けの販路を重視。その後、肌ラボはロート製薬を代表するヒット商品に成長。FY2011には肌ラボ単体で年間100億円以上を売り上げる大型商品に育った
FY2004〜FY2011にかけて「肌ラボ」の販売額は順調に拡大したが、FY2012に販売額の伸びがストップ。以降、肌ラボの年間販売額は100〜120億円前後で推移するようになり、国内需要が一巡へ
2016年当時、日本の上場企業で副業を容認する企業は稀有だったが、ロート製薬は社員からの発案をベースに副業の容認を決定。入社3年目以降の社員について、業務時間外の副業を容認する「社外チャレンジワーク制度」を導入。2016年3月時点の応募者は60名
吉野社長が心筋梗塞により67歳で逝去。山田邦雄氏が会長兼社長に就任
国内とアジアにおける販売促進費の抑制により全社の営業利益を改善。ただし、米国と欧州の利益率は一貫して悪く課題が多い