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ロート製薬の歴史

少品種への集中投資に特色。祖業は胃腸薬だが、目薬、メンソレータム(軟膏)、肌ラボ(スキンケア剤)へと主力事業を転換
ロート製薬の長期業績
1960〜2022

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 証券14(11)(162), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1899 02月
*1
信天堂山田安民薬房を創業。胃腸薬「胃活」を発売
創業

明治23年に胃腸薬「胃活」の製造販売を開始すると共に、信天堂山田安民薬房を創業した。以後、現在に至るまでロート製薬は山田家による同族会社として経営されている。戦前は国内に加えて、上海などの中国大陸にも工場を建設するなど、手広く商売を手掛けた。

1909
*2
点眼薬「ロート目薬」を発売

当時、日本眼科学会で主導的な存在であった井上博士が目薬を開発し、ロート製薬が商品化した。ロートの名称は、当時、世界的な眼科医として知られていたドイツ人の「ロート・ムンド博士」に由来する

1931
*3
目薬の容器をガラス瓶に変更
1949 09月
*4
ロート製薬株式会社を設立
会社設立

創業家の山田輝郎氏が社長に就任

Performance
1899〜1951
胃腸薬で創業。目薬に多角化

■ この間の売上は不明です※

■単体 | ■連結

■ この間の利益率は不明です※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1952
*5
「ロートマイペニ目薬」を発売。テレビCMに出稿
マーケティング
1959 10月
*7
大阪市生野区に本社工場を新設
1961 10月
*8
大阪証券取引所第2部に上場
1962 10月
*9
東京証券取引所第2部に上場

1962年7月時点の売上構成比率は「ロート胃腸薬シロン」の売上26.9億円(構成比74.5%)、目薬の売上9.1億円(同25.2%)、その他(胃活・ロート頭痛薬など)の売上0.9億円(同0.3%)。つまり「胃腸薬シロン」の成長がロートの株式上場の原動力になった。また生産量シェアについて、健胃消化剤で国内1位(38%)、点眼薬で国内1位(36.7%)を確保

1964 10月
*10
東京証券取引所・大阪証券取引所の第1部に指定
Performance
1952〜1974
少品種に絞り込んだ広告宣伝投資と大量生産により、胃腸薬シロンと目薬の販売を拡大。高収益を享受

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 証券14(11)(162), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1975 08月
*11
米国メンソレータム社から国内の商標使用権を取得

日本国内でメンソレータム(くちびるの軟膏剤)の製造販売権を握っていた近江兄弟社(近江八幡市本社・従業員270名)が会社更生法の適用を申請したことを受けて、ロート製薬が国内のメンソレータムの商標使用権を独占的に取得。契約期間は10年、ロイヤリティーは売上高の7.5%で設定。ロート製薬は軟膏領域に本格参入し、年間10億円の販売目標を据えた。

1975
*12
日本ジョセフィンなど3社を買収。化粧品に本格進出

日本ジョセフィン、関西有機化学。モナ化粧品の3社を買収。3社の合計で化粧品の年間売上高は32億円

1983
*13
胃腸薬の国内シェア首位陥落

1980年代を通じて胃腸薬をめぐる競争が激化。興和の「キャベジン」と大正製薬の「大正胃腸薬」など、ニーズに特化した胃腸薬が成長。総合胃腸薬に強みがあったロートの牙城が崩された。ロートの「シロン」は、1983年に国内シェア首位から陥落し、1991年にシェア3位に低迷

Performance
1975〜1987
次の大型商品を生み出すべく企業買収を積極化。この中でメンソレータムが育つ

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社四季報, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1988 07月
*14
米国のメンソレータム社を買収
1996 09月
*15
ロート・インドネシアを設立
会社設立
1997 08月
*16
ロート・メンソレータム・インドネシアを設立
会社設立
1998 03月
*17
ロートUSAを設立
会社設立
1998 03月
*18
オーチャードパーク市に工場を新設

メンソレータム社の本社及び工場として活用

Performance
1988〜1998
メンソレータム社の買収によりグローバル展開を本格化

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社四季報(1988年夏号), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1999
*19
山田安邦氏が会長、山田邦雄氏が社長に就任
2003
*20
上野テクノセンターに第二工場棟を新設

スキンケア剤の生産工場

2004
*21
スキンケア「肌研(ハダラボ)」を発売

スキンケア剤の「肌ラボ」を発売。当時急速に普及していたドラッグストア向けの販路を重視。その後、肌ラボはロート製薬を代表するヒット商品に成長。FY2011には肌ラボ単体で年間100億円以上を売り上げる大型商品に育った

山田邦雄(ロート製薬・当時会長)
出所 : 2016/10/29週刊東洋経済
Performance
1999〜2008
肌ラボのヒットによりスキンケア剤で業容を拡大

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 会社四季報(1999年夏号), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2009
*22
山田邦雄氏が会長、吉野俊昭氏が社長に就任
2011
*23
国内向け肌ラボの販売額が頭打ちへ

FY2004〜FY2011にかけて「肌ラボ」の販売額は順調に拡大したが、FY2012に販売額の伸びがストップ。以降、肌ラボの年間販売額は100〜120億円前後で推移するようになり、国内需要が一巡へ

山田邦雄(ロート製薬・当時会長兼CEO)
出所 : 2016/5/28週刊東洋経済
2011
*24
アジア向けの投資を継続
Performance
2009〜2015
中国を中心としたアジア事業を拡大

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2016 02月
*25
社外チャレンジワーク制度を開始(社員の副業容認)

2016年当時、日本の上場企業で副業を容認する企業は稀有だったが、ロート製薬は社員からの発案をベースに副業の容認を決定。入社3年目以降の社員について、業務時間外の副業を容認する「社外チャレンジワーク制度」を導入。2016年3月時点の応募者は60名

山田邦雄(ロート製薬・当時会長)
出所 : 2016/10/29週刊東洋経済
2018
*26
吉野俊昭氏が急逝

吉野社長が心筋梗塞により67歳で逝去。山田邦雄氏が会長兼社長に就任

2022 03月
*27
販売促進費を抑制。3期連続で利益率を改善
マーケティング

国内とアジアにおける販売促進費の抑制により全社の営業利益を改善。ただし、米国と欧州の利益率は一貫して悪く課題が多い

Performance
2016〜2023
スキンケアの需要が一巡。利益率の改善に着手

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
27 References.