歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1980年、レジャー消費が郊外へ広がるなか、杉野一族が大阪府泉大津市でローラースケート場にゲームコーナーを併設して開いた。続いて同地でボウリング場を始め、複数の遊びを一つの拠点に集めた。客は天候にも年齢にも左右されず同じ施設で長く遊び、滞在時間と回転がそのまま売上へ積み上がる。1990年の堺市・石津店で屋内型・複数業態併設の業態を固め、家族や友人を丸ごと一施設に囲い込む稼ぎ方を成立させた。
決断杉野公彦社長の決定的な一手は、この複合施設を一施設あたりの規模で勝負する出店事業に磨き、3段階上場で得た資本を一施設ごとに一括投下する形に固めたことにある。2004年の京都伏見店ではスポッチャで業態を重ね、稼働率と単価を引き上げた。同じ一施設一括型を、衰退する米国の郊外ショッピングモールへそのまま移し、数年の赤字を10年後の主力事業と読んで投資を貫いた。この賭けが当たり、米国事業が国内の成熟を補う収益源へ育っている。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1980年に一つの遊びでなく複数業態を一拠点に集めたのか
- A 1980年に杉野公彦氏が選んだのは、一つの遊びではなく複数の遊びを一拠点に集める形だった。天候や年齢に左右されにくく滞在時間と回転がそのまま売上に積み上がるためである。同年に大阪府泉大津市でローラースケート場にゲームコーナーを併設して開き、1982年7月には同じ泉大津店にボウリング16レーンを足した。1990年12月の堺市・石津店で屋内型・複数業態併設・大規模という業態の基本形を固め、家族や友人を丸ごと一施設に囲い込む稼ぎ方を成立させた。
- Q なぜ2004年にスポッチャ業態を重ねて出店の型を変えたのか
- A 2004年に杉野公彦氏が京都伏見店でスポッチャを重ねたのは、ボウリングだけでは中高年男性に客層が偏り、一施設あたりの稼働率と単価を引き上げきれなかったためである。2004年7月、ローラースケート・バッティング・卓球等を一施設に詰め込んだ総合スポーツアミューズメントを併設し、家族・カップル・友人の利用を取り込んだ。以降の新規出店は基本的にスポッチャ併設型で進め、この一施設一括型の業態を後に米国へそのまま移植する土台とした。
- Q なぜ2024年に純粋持株会社へ移行したのか
- A 2024年に杉野公彦氏が純粋持株会社へ移ったのは、成熟する国内と伸びる米国・中国を別会社に分け、各社別の最適経営を本体が統括するためである。2024年4月に屋内型複合レジャー施設の運営をラウンドワンジャパンへ承継し、同年6月に米国でRound One Delicious Holdings, Inc.を設立、2025年2月に食事業を米国法人へ譲渡した。2025年3月期の米国売上は731億円と連結の約4割に達し、国内の成熟を米国が補う構造が定着した。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1980年〜1996年 杉野興産・ローラースケート場から始まったレジャー事業
父のローラースケート場を引き継ぎ杉野興産を創業
1980年12月、大阪府泉南市に遊戯場の経営を目的として杉野公彦が杉野興産株式会社を資本金300万円で設立した[1]。公彦は父が経営していたローラースケート場を引き継ぐ形で事業を起こし、[2]設立と同時に大阪府泉大津市にローラースケート場(ゲームコーナー併設)をオープンした[3]。これが後のラウンドワンの原点となった。
1982年7月には同じ泉大津店にボウリング16レーンを併設してボウリング場の経営を開始し、[4]ローラースケート + ボウリング + ゲームの3業態が1拠点に並存した。後の複合レジャー施設につながる形が、ここに見て取れる。1987年10月にローラースケート場は閉場したが、[5]1990年12月に堺市西区に屋内型複合レジャー施設の石津店をオープンし、[6]この時点で「屋内型・複数業態併設・大規模」という同社業態の基本形が整った。
1993年「株式会社ラウンドワン(旧)」の設立と現社名への移行
1993年3月、現代表取締役社長・杉野公彦氏ら2名により株式会社ラウンドワン(旧)(資本金10百万円)が堺市西区に設立された[7]。同年9月、杉野興産の営業の一部、すなわち泉大津店の全部門および石津店・大仙店のゲーム部門が、ラウンドワン(旧)へ営業譲渡された[8]。
1994年8月にラウンドワン(旧)の全株を杉野興産が取得して100%子会社化、[9]1994年12月にラウンドワン(旧)を吸収合併すると同時に、商号を「杉野興産株式会社」から「株式会社ラウンドワン」に変更した[10]。設立母体の「杉野興産」から、施設運営事業を担う「ラウンドワン」へと社名が切り替わった転機であり、これ以降の社名が定まった。1995年2月に堺市堺区戎島町四丁の堺駅前ポルタスセンタービルに本社を移転し、[11]関西広域でのチェーン展開拠点を整えた。
1997年〜2008年 1997年大証二部から東証一部へ、スポッチャ業態の確立
3段階上場:大証二部 → 東証二部 → 東証一部
1997年6月、横浜市戸塚区に関東第1号店「横浜戸塚店」をオープンし、[12]関西発祥のチェーンから関東進出の足場を築いた。同年8月、大阪証券取引所市場第二部に株式を上場し、初の株式公開を行った[13]。地元・大阪の市場での上場により、家業段階の杉野興産から株式会社ラウンドワンへの商号転換に続いて、資本市場へのアクセス経路を開いた。
1998年12月には東京証券取引所市場第二部にも上場、[14]1999年9月には東京・大阪両証券取引所の市場第一部銘柄に指定され、1997年8月の大証二部上場からわずか2年で「大証二部 → 東証二部 → 東証一部」の3段階上場を達成した[15]。同期間の上場プロセスを駆け抜けた事例は東証一部銘柄の中でも限定的で、関西発祥のレジャー業態が東証一部企業へ短期間で到達した稀有な経路となった。
3段階上場により資本調達基盤を整え、全国チェーン展開の財務原資を引き上げた1990年代後半だった。1990年12月の堺市西区・石津店で形にした「屋内型・複数業態併設・大規模」業態を、[16]関東圏および全国主要都市へ多店舗展開する事業ステージに進むうえで、上場による資本拡充は前提条件となった。後にスポッチャ業態として広がる出店投資負担も、1997〜1999年に整えた財務基盤が支える構造となる。
2004年7月、京都伏見店で「スポッチャ」業態を確立
2004年7月、京都市伏見区に屋内型複合レジャー施設スポッチャ併設第1号店の京都伏見店をオープンした[17]。スポッチャはローラースケート・バッティング・3on3バスケ・卓球・ビリヤード・ダーツ・カラオケ等を1施設に詰め込んだ「総合スポーツアミューズメント」業態で、[18]ボウリング・ゲーム・カラオケに加えてスポーツ系のアトラクションを取り込んだ点が特徴だった。スポッチャ業態の確立により、ラウンドワンは「ボウリング屋」から「屋内型複合レジャー施設の総合プレイヤー」へ業態進化を遂げた。以降、新規出店は基本的にスポッチャ併設型で進められ、1店舗あたりの集客力と滞在時間が向上した。
スポッチャの強みは、天候・季節に左右されない屋内型である点と、年齢層・属性をまたがる客層を1施設で吸引できる点だった。ボウリングだけでは中高年男性が中心になりがちだったが、スポッチャ併設により家族・カップル・友人グループの利用が増加し、店舗の稼働率と単価が同時に上昇した。2008〜2009年のリーマンショック時の業績は若干悪化したものの、コア業態の競合優位性は揺るがなかった。
2009年〜2026年 米国・中国海外展開と持株会社体制移行
2010年米国進出と長期投資の継続
2009年4月、米国にRound One Entertainment Inc.(現連結子会社)を設立し、海外進出の準備を整えた[19]。2010年8月、米国カリフォルニア州プエンテヒルズ店で海外第1号店をオープンした[20]。日本国内のショッピングモール内テナント業態をそのまま米国へ移植する戦略で、米国の郊外型ショッピングモールが衰退する中で、エンタメ・体験型施設としてのモール集客力再生に賭けた長期投資だった。
米国事業は初期数年間は赤字が続いたが、杉野公彦社長は[21]「米国は10年後の中核成長エンジン」として継続投資の方針を貫いた。国内のスポッチャ業態で1施設あたりの集客力と単価を引き上げた経営の延長線として、米国市場でも単一施設の規模と多業態併設を維持し、ボウリング・アーケード・スポッチャの複合運営をモール内に持ち込んだ。
2010年代後半から米国店舗の稼働率が上昇し、米国事業の収益化が国内成熟市場の停滞を補う役回りを担い始めた。海外比率の上昇は、後の中国出店と持株会社体制移行へつながる海外重心シフトの土台となった。
2021年中国進出、2022年プライム移行
2019年8月、ロシアにRound One Rus LLC(連結子会社)を設立し、[22]2020年12月にロシアモスクワ市にロシア第1号店ユーロペイスキー店をオープンした。しかしロシア店舗は2022年4月に閉店し、[23]ウクライナ侵攻後の事業環境悪化を受けてロシア市場から実質撤退した。2019年9月、中国に朗玩(中国)文化娯楽有限公司(現連結子会社)を設立し、[24]2021年5月に中国広東省で中国第1号店「広州新塘イオンモール店」をオープンした[25]。中国出店は米国出店と同様、ショッピングモール内テナント業態を中国市場へ移植する戦略で、米国に続く海外成長軸となった。
2022年4月、東京証券取引所の市場区分の見直しによりラウンドワンは東証一部からプライム市場へ移行した[26]。コロナ禍の影響でFY21(2021年3月期)は営業赤字へ転落したが、FY22以降は本格回復に転じた。
2023〜2024年、持株会社体制への移行
2023年4月、持株会社体制への移行のため、株式会社ラウンドワンジャパン(現連結子会社)を設立した[27]。2023年9月には株式会社ラウンドワンデリシャス(現連結子会社)を設立し、食事業の分社化を行った[28]。2024年4月、屋内型複合レジャー施設の運営事業を株式会社ラウンドワンジャパンに事業承継し、株式会社ラウンドワンは純粋持株会社へ移行した[29]。同年6月には米国に持株会社体制の親法人となるRound One Delicious Holdings, Inc.(現連結子会社)、子法人Round One Delicious USA, Inc.(現連結子会社)を設立し、米国事業の親会社・子会社構造を整備した[30]。2025年2月にはRound One Delicious USA, Inc.に株式会社ラウンドワンデリシャスの事業を譲渡し、米国へ食事業の機能集約を完了した[31]。
持株会社体制への移行は、創業者・杉野公彦社長による事業会社経営からグループ統括への役割転換を意味する[32]。FY24以降、株式会社ラウンドワン(持株会社)は米国・中国の海外運営、ラウンドワンジャパンによる国内事業、ラウンドワンデリシャスによる食事業の3軸を束ねるグループ親会社である。創業者かつ筆頭株主(保有約5,969万株)として実質支配を維持しながら、海外運営をグループ親会社視点で統括する体制が整った。30年以上の長期在任を経て、杉野社長の経営テーマは「米国・中国の海外事業の中核化」と「持株会社体制下での事業会社別最適経営」に絞り込まれている[33]。