歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1973年、神戸家が1946年に瀬戸で創業した丸和合資会社を母体に、愛知県瀬戸市の窯業地で株式会社丸和セラミックが設立された。初代の代表取締役は神戸芳樹氏で、神戸誠氏は専務として参画した(社長就任は1992年)。瀬戸は江戸期から陶磁器・タイル・碍子を産する集積地で、その伝統技術を引き継ぎながら、つくる相手を民生用の食器ではなく固定電話や無線機器に組み込む通信機器向特殊磁器へ絞った。地場の窯元が並ぶなかで、用途を工業用電子部品に定め、瀬戸の窯業から電子部品セラミックスの専業会社へと業態を移した。
決断転機は、量産規模で他社を追うのではなく、自社で磨いた材料の技術に回路設計や実装などの要素技術を掛け合わせ、機器ごとに最適化した部品を供給する稼ぎ方へ絞り込んだことにある。価格で競う量産品ではなく付加価値で稼ぐため、地場の中堅としては異例の速さで動けた。設立16年でマレーシア生産、26年で世界三極の生産販売網、27年で東証1部までを進めた神戸家経営のもとで、のちの営業利益率37.5%という高い収益水準を生んだ。
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ丸和は出発点の固定抵抗器用セラミックスから「チップの丸和」へ主力を移したのか
- A 固定抵抗器用セラミックスで出発した丸和は、同業七社のうち四〜五番手で販売が伸び悩んだ。社長・神戸誠氏によれば、その時期に得意先からチップ抵抗器用基板を提案され、碁盤の目状の基板を均一に割る量産技術を磨いて電子回路用セラミックスの主力商品へ育てた。これが評価を呼んで「チップの丸和」と呼ばれ、大手を含む各社から注文を集めた。1995年3月期には電子回路用が品目別販売の58.8%を占める稼ぎ頭となり、固定抵抗器用15.0%を上回った。量産規模で他社を追うのではなく、得意先のニーズに合わせて磨いた部品で稼ぐ商売の型が、この製品の入れ替えで定まった。
- Q なぜ丸和セラミックは設立22年の1995年に株式を店頭公開したのか
- A 設立16年目の1989年にマレーシア生産子会社、台北・ソウル・フランクフルトに販売拠点を構え、丸和セラミックは地場の中堅としては早くから海外へ出ていた。社長・神戸誠氏は1995年の店頭公開について、マレーシア工場の増設など海外生産網を広げる資金調達を最大の目的に挙げた。あわせて、早くから社員に株式を持たせ持株会への参加が広がっていたことから、公開を社員のこれまでの働きに報いる機会とも語った。国内首位ではなく世界で一、二位を狙える製品づくりを掲げ、1995年8月に日本証券業協会へ店頭登録して資本市場に初めて立った。この公開は、1998年の東証二部、2000年の東証一部指定へ続く格上げの始まりだった。
- Q なぜMARUWAは2020年代に周辺のLED照明事業を畳み、本業のセラミック電子部品と石英ガラスへ資源を寄せているのか
- A MARUWAは2005年にMARUWA SHOMEIでLED高輝度照明へ、2012年にはヤマギワを買って照明卸へ広げたが、いずれも本業に比べて規模・成長とも限られ、照明は売上構成で1割まで縮み、ヤマギワは事業再編で連結から外れた。一方、5G通信・車載パワー半導体・生成AIサーバ向け高放熱基板の需要が2020年代前半に重なり、FY24(2025年3月期)は売上718億円・営業利益率37.5%と本業が伸びた。自己資本比率89.9%・実質無借金の財務余力を、創業者の長男・神戸俊郎社長のもとで、福島・三春工場の石英ガラス新棟(2026年3月完成予定)など半導体製造装置向けの新材料へ振り向けている。周辺の照明をたたみ、本業に隣接する石英ガラスへ資源を寄せる選別が進む。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1973年〜2000年 瀬戸の窯業からセラミック電子部品メーカーへ──東証1部指定までの27年
通信機器向特殊磁器の生産で立った会社──1946年の丸和合資会社を母体に
1973年4月、神戸家が1946年に瀬戸で創業した丸和合資会社を母体に[2]、1973年に愛知県瀬戸市祖母懐町で株式会社丸和セラミックが設立された[1]。初代の代表取締役は神戸芳樹氏で、神戸誠氏は専務取締役として参画した(社長就任は1992年)[3]。瀬戸は江戸時代から続く窯業の集積地で、伝統的に陶磁器・タイル・碍子を産する地域である。設立時の事業は通信機器向特殊磁器の生産で、当時の固定電話・無線機器・産業用機器に組み込まれる小型セラミック部品を主力とした。電子部品用途への転換は1960年に丸和合資会社の段階で既に始まっており[4]、1973年の株式会社化は、民生用陶磁器ではなく工業用電子部品へ用途を絞る専業化を制度として固める段階にあたった。
1981年9月に愛知県瀬戸市山の田町へ山の田工場(旧瀬戸工場)を新設し[5]、1984年4月には岐阜県土岐市鶴里町に土岐工場を新設した[6]。土岐は瀬戸と並ぶ美濃焼の産地で、窯業圏内での生産拠点分散にあたる。法人設立から10年で2拠点目を立てたうえで、瀬戸から県境を越えた美濃側へ生産能力を広げた展開は、瀬戸窯業圏の地理的拡張の一歩であった。1973年の株式会社化から1980年代前半までの最初の10年は、量産設備投資より先に「セラミック電子部品の用途と顧客を作る」局面にあった。土岐工場新設まで通信機器・産業機器の電子部品セラミックス用途で受注を積み上げる時期であり、後年の海外生産シフトに先行する国内生産能力の整備局面にあたる。
1973年の株式会社化に際し、創業者・神戸芳郎氏の子で愛知工業大学工学部機械科を卒えた神戸誠氏が専務として製造と営業を担い、八歳上で文系出身の兄・神戸芳樹氏が経営全般を受け持つ役割分担を敷いた[7]。神戸誠氏は京セラのアルミナ基板の将来性に着目して入社し、当初の主力だった固定抵抗器用セラミックスの販売が伸び悩むなか、得意先から提案されたチップ抵抗器用基板の量産技術を磨いて電子回路用セラミックスの主力商品へ育て、「チップの丸和」と呼ばれた[8]。1995年3月期の品目別販売構成は電子回路用58.8%・固定抵抗器15.0%・機構部品10.0%・ディバイス関係7.7%で[9]、チップ基板が稼ぎ頭に立つ製品転換の帰結を示す。
当社の足取りを振り返ると、固定抵抗器用セラミックスの生産・販売でスタートし、同業7社のうち4~5番目ぐらいになったが、そこで販売が伸び悩み、困っていた時点で、ある得意先からチップ抵抗器用基板を提案され、これが現在、当社の電子回路用セラミックスの中のメイン商品になっている。 チップ基板には碁盤の目のように細かいスリットがあり、それを割って小さなユニットにするのだが、均一に綺麗に割るのには非常に高いレベルの技術が必要だ。そのころの当社にとっては大変なことだったが、全力で取り組んで良い製品の開発に成功し、「チップの丸和」と言われるまでに高い評価を得て、大手をはじめ、すべてのユーザーから注文が入ってくるようになった。
マレーシア・ドイツ・米国──設立16年で築いた世界三極生産販売網
1989年12月、設立から16年目で初の海外生産拠点としてマレーシアにMaruwa(Malaysia)Sdn. Bhd.を設立した[10]。1980年代後半は円高基調でアジア生産シフトが進む時期であり、同社は早期にコスト競争力ある生産拠点をマレーシアに置く判断を下した。1993年7月には韓国に販売子会社Maruwa Korea Co., Ltd.を[11]、1994年11月にはドイツにMaruwa Ceramic GmbHを設立し[12]、欧州市場開拓の橋頭堡を据えた。設立から20年で東南アジア生産・欧州販売の両方を抑えた点は、瀬戸を本拠とする地場の中堅セラミックメーカーとしては早期の海外展開である。
1995年8月に日本証券業協会に株式を店頭登録し、資本市場への初進出を果たした[13]。設立から22年での店頭登録について、社長・神戸誠氏は資金調達を最大の目的としつつ、早くから社員に株式を持たせ持株会への参加が広がっていたことから、公開を社員のこれまでの働きに報いる機会と位置づけたと語った[14]。調達資金はマレーシア工場の増設など海外生産網の拡張に充て、国内でトップを競うのではなく世界で1~2位を取れる製品づくりを目指す方針を示した[15]。1997年6月には本社を愛知県尾張旭市南本地ヶ原町へ移転し[16]、設立地の瀬戸市祖母懐町から離れた。本社機能を都市部寄りの尾張旭市へ集約した移転は、伝統的な窯業会社から電子部品メーカーへの企業像の更新を示す動きであった。
利益も十分出ていたし、公開すべきか否か随分迷いましたが、結果的には良かったと思っています。 一番うれしかったのは、年配の社員から「社長のおかげで大きな財産ができました」と言ってもらえたこと。うちは随分早くから社員に株を持ってもらっていましたからね。
今後は世界の各ブロック圏に生産拠点と販売拠点をくまなく設置し、政治経済や為替相場の変動があっても、それなりにやっていける会社づくりをやっていく考えだ。日本でトップということではなく、世界で1~2位になれるような商品づくりをしていきたい。
商号「丸和セラミック」から「MARUWA」へ──東証1部指定で完成
1998年12月、設立から25年で東京証券取引所及び名古屋証券取引所市場第二部へ新規上場を果たした[17]。同月、イギリスにMaruwa Europe Ltd.を設立して欧州販売網を二拠点化[18]、翌1999年2月にはアメリカにMaruwa America Corp.を設立し、北米市場販売網を整備した[19]。1989年マレーシア・1993年韓国・1994年ドイツ・1998年英国・1999年米国と、設立16年から26年の間に5拠点を立て、東南アジア生産+欧米販売の世界三極体制を整えた。1992年に社長に就いた神戸誠氏のもとで[20]、資本市場での認知拡大と海外販売網整備を3カ月の短期間で重ねた点に、意思決定スピードと並行展開の姿勢が表れている。
1999年8月、商号を株式会社丸和セラミックから株式会社MARUWAへ変更した[21]。丸和セラミックという和風の社名から、英文表記そのままの「MARUWA」へ切り替えた商号変更は、セラミックス専業から電子部品メーカーへの企業イメージ転換にあたる。グローバル展開を意識したブランド名の統一であり、設立地・瀬戸の窯業会社という地縁の表現から離れる選択でもあった。設立から26年での社名変更は、海外取引先・投資家・採用市場との接点で「日本のセラミック専業会社」から「グローバルな電子部品メーカー」へ自己定義を更新する動きにあたる。
2000年3月、東京証券取引所及び名古屋証券取引所市場第一部銘柄に指定された[22]。設立から27年での1部指定で、店頭登録(1995年8月)から4年7カ月、2部上場(1998年12月)から1年3カ月での到達である[24]。同年12月にはロンドン証券取引所及びシンガポール証券取引所にも上場した[23]。設立25年で2部上場、設立27年で1部指定という上場経路の短さは、海外展開と並行して資本市場での認知拡大を急いだ経営判断の表れである。社長・神戸誠氏のもとで、1995年の店頭登録から5年弱で東証1部までの上場区分昇格に至り、世界三極体制と1部上場銘柄という二つの社格更新を同じ時期に進めた。
2001年〜2020年 中国・LED事業への染み出しと、リーマンショックを越えた20年
中国販売拠点とLED高輝度照明事業への参入──祖業の周辺領域への染み出し
2003年3月、中国にMaruwa (Shanghai) Trading Co., Ltd.を設立した[25]。1990年代までに東南アジア・欧州・北米の三極を整備した後の中国販売拠点設置で、対中需要取り込みの体制を整えた。創業30年目の出店で、世界生産販売網の最後の主要ピースである。中国市場は当時、家電・通信機器の生産拠点として規模が拡大する局面にあり、セラミック電子部品の販売市場としても規模拡大期にあった。1989年マレーシア・1993年韓国・1994年ドイツ・1998年英国・1999年米国・2003年中国と、法人設立から30年で生産販売の6カ国拠点が立った計算になる。
2005年4月、株式会社MARUWA SHOMEIを設立してLED高輝度照明業界に進出した[26]。創業以来32年間続けた電子部品セラミックス専業から、LED照明という関連領域への染み出しである。LED素子は半導体技術の応用領域で、放熱基板にはセラミック部品が用いられる。セラミック材料と照明用途を組み合わせた新規事業として立ち上げたが、市場競争のなかで後年は規模・成長性とも本業に比べて限定的にとどまった。2012年12月には照明器具卸の老舗・ヤマギワ株式会社の全株式を取得し、LED照明事業との補完を狙った(後年の事業再編で同社株式は売却され連結除外)[27]。
リーマンショックの経常損失と回復──電子部品セラミックスの市況連動性
2008年秋のリーマンショックは、輸出依存度の高い電子部品セラミックスメーカーに直撃した。FY08(2009年3月期)の連結売上高は167億円と前年比19%減、経常損失1.3億円・親会社株主に帰属する当期純損失7.7億円を計上した。設立以来初の経常赤字であり、社長・神戸誠氏は日刊工業新聞「経営ひと言」(2008年11月13日付)で逆風に耐える花と表現し[28]、逆境下の経営姿勢を花に喩えた発言を残した。世界同時不況下の輸出減と為替変動を同時に受け、法人設立から35年目で初の経常赤字を計上した局面である。
回復は早く、FY09(2010年3月期)には経常利益13.8億円・純利益11.0億円へ黒字転換、FY10(2011年3月期)は経常利益30.9億円・純利益20.1億円と回復した。社長・神戸誠氏は再度日刊工業新聞のコラム(2011年11月2日付)で良いポジションにあると発言し[29]、2012年3月期の業績見通しに自信を示した。電子部品セラミックスは世界の通信機器・産業用機器の設備投資サイクルに連動する事業であり、市況変動を受ける一方で、回復局面では2期で収益が立ち上がる体質を持つことが、リーマンショック前後の連結業績で示された。
神戸誠氏30年体制の継続と設備投資の前倒し──5G・半導体需要への対応
FY11(2012年3月期)以降、連結売上高は213億円→243億円(FY12)→334億円(FY13)→328億円(FY14)→305億円(FY15)→321億円(FY16)→385億円(FY17)と推移し、FY17では創業以来初めて300億円台後半に到達した。営業利益はFY14 24.0億円からFY17 91.7億円へ約3.8倍へ拡大し、営業利益率はFY14 7.3%からFY17 23.8%へ16ポイント改善した。電子部品セラミックスの本業は、5G通信規格策定・半導体製造装置投資の拡大・車載EV化という構造需要の立ち上がりに合わせて設備投資を前倒しした。
社長・神戸誠氏は決算説明会(FY21・2021年4月)で経営方針を「BRIDGING INNOVATION」とし、独自性として「創業から培ってきた材料技術により優れた特性の材料を開発・製造し、それに回路設計・実験評価・実装・シミュレーション等の要素技術を掛け合わせる」(FY21決算説明会資料)と発信した[30]。「材料技術×要素技術」の掛け合わせを経営の中軸に据える方針で、後年の5G・半導体製造装置・生成AI関連の高放熱基板事業の伸長は、この方針下での設備投資の継続が前段にある。同説明会では「人間力(=技術力)」をキーワードに従業員主導の技術蓄積を強調し、株主に対しても技術人材の価値を経営の中軸として発信した。
2021年1月、神戸誠氏は代表取締役の異動を公表し、2022年4月1日付で代表取締役会長に転じ、長男・神戸俊郎氏(当時44歳・2001年3月入社の生え抜き)を代表取締役社長に充てる人事を決定した[31]。1992年の社長就任からおよそ30年を経た節目での世代交代であり、神戸誠氏は代表権付きの会長として残り、ガバナンス上は親子で代表権を共有する体制を組んだ[32]。長期視点と意思決定スピードを両立させる構造で、創業家経営の継続を担保した。後継者の神戸俊郎氏は社内で要職を歴任した生え抜きであり、内部昇進の正規ルートを辿った第二世代承継であった。
2021年〜2025年 5G・車載EV・生成AIの需要立ち上がりが重なった過去最高益更新の5年
FY21売上543億円・経常利益191億円──5G・半導体・EVの三需要
FY21(2022年3月期)の連結売上高は543億円・前年比31.1%増、経常利益は191億円・前年比85.7%増と増収増益となった。電子部品セラミックスを構成する5G通信規格対応基板・半導体製造装置向け高純度部品・車載EV化(パワー半導体向け)の三つの構造需要が同じ2020年代前半に立ち上がり、創業以来の電子部品セラミックス本業が拡大局面に入った。FY11(2012年3月期)売上213億円から見れば、10年で売上2.5倍・経常利益5.9倍であり、創業から49年経った会社で本業の高成長フェーズが訪れたかたちである。
FY22(2023年3月期)売上588億円・経常利益211億円(前年比10.5%増)、FY23(2024年3月期)売上615億円・経常利益211億円(横ばい)、FY24(2025年3月期)売上718億円・経常利益270億円(前年比28.0%増)と、4期連続で過去最高売上を更新した。営業利益率はFY21 33.5%・FY22 34.3%・FY23 32.2%・FY24 37.5%と30%台後半に張り付き、付加価値率の構造的な高水準維持を示す。電子部品セラミックスの高収益体質が、創業52年目の決算で過去最高益として現れた。
神戸俊郎社長就任──生成AI関連の高放熱基板と三春工場の石英ガラス新棟
2022年4月、神戸誠氏の長男・神戸俊郎氏が代表取締役社長に就任した[33]。1977年1月生まれ、2001年3月のMARUWA入社後[34]、社内で要職を歴任して社長へ昇格した。44歳での就任は同業他社の世代交代と比べても若い水準である。父・神戸誠氏が代表取締役会長として残り、ガバナンス上は親子で代表権を共有する体制を組んだ[35]。社長就任から3年で、5G通信・半導体製造装置・車載パワー半導体・生成AIサーバ向け高放熱基板の4用途で需要が同時に立ち上がる経営環境を引き受けた。
直近の市場別売上構成(FY24・2025年3月期)は情報通信36.6%・車載21.9%・半導体15.0%・産業機器13.9%・照明10.2%で[36]、次世代高速通信向け基板(情報通信)と車載EV化(パワー半導体向け)が二大柱となった。生成AIサーバ向け高放熱基板は半導体・産業機器カテゴリのなかで2023年以降に立ち上がる用途で、データセンター投資の拡大に伴って中期的に伸長する見込みである。設備投資はFY22 103.1億円・FY23 95.3億円・FY24 88.5億円とセラミック部品事業で3期連続100億円規模の設備投資を継続し[37]、三春工場(福島県)の石英ガラス生産新棟(2026年3月完成予定)が次の主要案件である[38]。
自己資本比率89.9%・有利子負債ほぼゼロ──無借金経営と高収益の併存
FY24(2025年3月期)の総資産1,423億円・自己資本1,279億円・自己資本比率89.9%は、東証プライム上場の電子部品メーカーのなかでも最上位の水準である。有利子負債はFY19 21億円から年次で圧縮され、FY24ではほぼゼロまで縮減した。営業CFはFY21 147億円・FY22 156億円・FY23 172億円・FY24 254億円と一貫して右肩上がりで、特にFY24は前年比47.2%増の前期超過となった。現金等同等物の期末残高はFY24 716億円と総資産の半分を超え、設備投資・株主還元・買収余力の三方向に厚く配分できる財務基盤を蓄えている。
筆頭株主は創業家資産管理会社の株式会社神戸アート(旧称:株式会社ケーマルワ)で、FY24時点で29.5%・3,641千株を保有する[39]。神戸誠氏個人保有300千株(約2.4%)と合算すると、創業家関連の安定持分は約33%となる[40]。残りの上位は日本マスタートラスト信託銀行(信託口)12.66%・日本カストディ銀行(信託口)9.95%・STATE STREET BANK AND TRUST COMPANY 8.36%等の信託銀行・外国法人[41]で、機関投資家比率の高さと創業家持分の高さが併存する二極構造である。創業家ガバナンスが担保された資本構造のもとで、長期視点の設備投資路線が継続される体制が整っている。