1953年 トランス1個5ドルの修理受託から始まりコネクタ製造へ広がった創業の10年
- 1953年東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社を設立
- 1953年商号を日本航空電子工業株式会社と変更、本店を東京都港区に移転し、営業活動を開始
- 1954年神奈川県川崎市に工場を設置し、航空機用電子機器の修理、オーバーホールを開始
- 1955年コネクタの製造を開始
日本航空電子工業の業績推移:単体
出所:有価証券報告書・会社四季報等
航空エレクトロニクスの空白期に置かれた設立と商号変更
1953年1月、東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社が設立された。同年8月には商号を日本航空電子工業株式会社へ改め、本店を東京都港区へ移して営業活動を始めている。会社が創業と定めるのは商号を現在のものに変えたこの1953年8月で、2023年に創立70周年を迎えた。設立の狙いは、将来日本に必ず訪れる航空・宇宙産業時代にエレクトロニクス技術で貢献することにあった。当時の日本は戦後の航空機産業の空白期により欧米諸国に後れを取り、航空エレクトロニクスも未知の分野が多い状態だった。有価証券報告書が沿革に記す設立日は1953年1月19日だが、商業登記上の設立日はこれと異なる。1970年4月1日に株式額面変更のための合併を行った結果、登記上は合併会社である旧称「株式会社四国鋼材工業所」の設立日1950年11月28日が残り、日本航空電子工業は事実上の存続会社でありながら被合併会社の側に立った。 [1][2][3][4][5][6][7]
- 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
- [1]1953年1月に東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社を設立
- [2]設立時の商号は日本航空エレクトロニクス株式会社、創業地は東京都中央区
- [3]1953年8月に商号を日本航空電子工業株式会社と変更、本店を東京都港区に移転し営業活動を開始
- [6]事実上の存続会社である日本航空電子工業(被合併会社)の設立日は1953年1月19日
- [7]株式額面変更のため1970年4月1日に合併を行ったため、商業登記上の設立日は合併会社(旧称「株式会社四国鋼材工業所」)の設立日である1950年11月28日である
- JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
- [4]会社は1953年8月を創業とし、2023年に創立70周年を迎えた
- [5]将来日本に必ず訪れる航空・宇宙産業時代においてエレクトロニクス技術で貢献したいという思いで創業。当時の日本は戦後の航空機産業の空白期により欧米諸国に後れを取り、航空エレクトロニクスも未知の分野が多い状態であった
1954年8月、神奈川県川崎市に工場を設置し、航空機用電子機器の修理とオーバーホールを始めた。相手は、当時最新鋭の電子機器を最も多く利用していた米国極東空軍である。初代社長の沼本實氏はトランス1個の修理5ドルという受注から事業を興し、熾烈な競争のなかで年間契約を獲得した。米軍機の修理を請け負うことは、そのまま新技術を習得する手段でもあった。会社は並行して国内外で電子機器に関する調査研究を進め、次に手をつける領域を探している。沼本氏は自らトップ交渉に臨んで海外大手企業との技術提携を実現し、社長と会長として20年以上にわたり経営を担った。創立20周年に際して沼本会長(当時)が掲げた「開拓、創造、実践」の経営理念は、現在も企業理念として引き継がれている。 [8][9][10][11][12][13][14]
- 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
- [8]1954年8月に神奈川県川崎市に工場を設置し、航空機用電子機器の修理、オーバーホールを開始
- JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
- [9]当時最新鋭の電子機器を最も多く利用していた米国極東空軍から電子機器の修理契約を得ることで新技術を習得した
- [10]創業者・初代社長は沼本實
- [11]日本航空電子工業の初代社長としてトランス1個の修理5ドルの受注からスタートした
- [12]国内外で電子機器に関する調査研究を進めた
- [13]沼本實は自らトップ交渉に臨んだ海外大手企業との技術提携を実現し、社長・会長として20年以上にわたり経営を担った
- [14]創立20周年に際し沼本会長(当時)が掲げた経営理念「開拓、創造、実践」は現在も社内に受け継がれている
- 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
- [1]1953年1月に東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社を設立
- [2]設立時の商号は日本航空エレクトロニクス株式会社、創業地は東京都中央区
- [3]1953年8月に商号を日本航空電子工業株式会社と変更、本店を東京都港区に移転し営業活動を開始
- [6]事実上の存続会社である日本航空電子工業(被合併会社)の設立日は1953年1月19日
- [7]株式額面変更のため1970年4月1日に合併を行ったため、商業登記上の設立日は合併会社(旧称「株式会社四国鋼材工業所」)の設立日である1950年11月28日である
- [8]1954年8月に神奈川県川崎市に工場を設置し、航空機用電子機器の修理、オーバーホールを開始
- JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
- [4]会社は1953年8月を創業とし、2023年に創立70周年を迎えた
- [5]将来日本に必ず訪れる航空・宇宙産業時代においてエレクトロニクス技術で貢献したいという思いで創業。当時の日本は戦後の航空機産業の空白期により欧米諸国に後れを取り、航空エレクトロニクスも未知の分野が多い状態であった
- [9]当時最新鋭の電子機器を最も多く利用していた米国極東空軍から電子機器の修理契約を得ることで新技術を習得した
- [10]創業者・初代社長は沼本實
- [11]日本航空電子工業の初代社長としてトランス1個の修理5ドルの受注からスタートした
- [12]国内外で電子機器に関する調査研究を進めた
- [13]沼本實は自らトップ交渉に臨んだ海外大手企業との技術提携を実現し、社長・会長として20年以上にわたり経営を担った
- [14]創立20周年に際し沼本会長(当時)が掲げた経営理念「開拓、創造、実践」は現在も社内に受け継がれている
キャノン社との技術援助契約が開いたコネクタ製造
調査研究のなかで会社が着目したのは、航空電子機器の中に使われるコネクタの重要性と将来性だった。まず米国キャノン・エレクトリック社との技術援助契約によってコネクタ類の輸入販売業務を始め、そこから技術を取得したうえで、1955年8月に自社でのコネクタ製造へ移った。修理受託で身につけた電子機器の知識を、輸入代理という中間の段階を挟みながら自社製品へ変える経路を選んだ。設立から2年半の判断だが、この1955年のコネクタ製造開始こそが、70年後に売上高の9割弱を占める主力事業の始まりにあたる。航空機の修理会社として出発した会社は、航空機に載る部品そのものを作る会社へ移り始めた。 [15][16][17]
- JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
- [15]航空電子機器の中に使用されるコネクタの重要性と将来性に着目した
- [16]米国キャノン・エレクトリック社との技術援助契約によりコネクタ類の輸入販売業務を開始し、技術取得を経て自社でのコネクタ製造が始まった
- 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
- [17]1955年8月にコネクタの製造を開始
コネクタの納入先は、当初は防衛関係機器向けが中心だった。ところが1960年頃には民間企業が主力へ入れ替わり、無線通信機、テレビ、ラジオ放送機器、工作機械、電動機と多種多様の分野で使われた。防衛需要で技術を確立し、民需で数量を稼ぐという後年まで反復される型が、創業から7年ほどでかたちを見せている。輸入販売から自社製造へ、防衛から民生へ。この二つの移動が創業の10年に重なって起きたことが、のちに軍需と民需の両方を抱える会社の性格を決めた。国策に近い需要と大衆消費に近い需要を同じ工場で作り分ける構造は、この時期に始まっている。 [18]
- JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
- [18]コネクタは当初は防衛関係機器向けが中心だったが、1960年頃には納入先は民間企業が主力となり、無線通信機、テレビ、ラジオ放送機器、工作機械、電動機と多種多様の分野において使用されるようになった
- JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
- [15]航空電子機器の中に使用されるコネクタの重要性と将来性に着目した
- [16]米国キャノン・エレクトリック社との技術援助契約によりコネクタ類の輸入販売業務を開始し、技術取得を経て自社でのコネクタ製造が始まった
- [18]コネクタは当初は防衛関係機器向けが中心だったが、1960年頃には納入先は民間企業が主力となり、無線通信機、テレビ、ラジオ放送機器、工作機械、電動機と多種多様の分野において使用されるようになった
- 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
- [17]1955年8月にコネクタの製造を開始