マブチモーター の歴史

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創業 1946年
創業者 馬渕健一
創業地 香川県高松市
創業
1946年6月、馬渕健一氏が香川県高松市で関西理科研究所を創立した。翌1947年、直流モーターとして世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを完成させ、ゼンマイに代わる動力として教材や玩具・模型へ売り出す。1954年1月に東京都葛飾区で東京科学工業を設立したのは、当時の玩具・模型メーカーがこの一帯に集まっていたためである。1955年8月には部品製造の日本科工を設け、同じ月に自動巻線機を自社で開発した。分かれていた2社の営業は1958年8月に設立した馬渕工業が引き継ぎ、商号は1959年4月に東京科学、1971年3月にマブチモーターと変わる。1984年7月に店頭登録し、1986年12月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。
決断
仕様を先に固めてから、生産の仕組みごと国外へ移してきた。1963年、社長の営業姿勢に反発した幹部が別会社の設立を進めて社内が割れる。収拾にあたった馬渕隆一専務は取引先との接待を一切やめ、より良い物をできるだけ安く供給することだけを経営の理念に据えた。手段に選んだのが海外生産である。国内で部品を標準化してラインを単純化し、未熟練の労働者でも扱える形へマニュアル化してから移す順序をとった。1964年2月に香港、1979年8月に台湾高雄、1988年3月に大連と工場を置き、1990年には小型モーターの国内量産を打ち切っている。生産機械も1955年の自動巻線機以来、主要な設備を内製した。移す前に仕様を固めたことが、賃金の安い土地を選び直すたびに同じ生産方式を持ち込める形を作った。
現況
モーターの平均単価は141円で、年に13億個を売っている。2025年12月期の連結売上高は2,004億円、営業利益255億円、当期純利益263億円だった。用途別では自動車電装機器が1,545億円で77.1%、ライフ・インダストリー機器が458億円で22.9%を占める。地域別では中国617億円、欧州462億円、米州359億円と続き、日本は243億円で12.1%にとどまる。所在地別のセグメント利益はアジア156億円と日本99億円が大半で、欧州は2021年から5期続けて営業損失を計上し、2024年12月期には79億円を減損した。2021年以降はエレクトロマグ、応研精工、オービー工業、日本パルスモーターと周辺部品の会社を取得し、モーター単体からユニットへ売る単位を広げている。
競合
顧客の仕様に合わせず、標準品のなかから選ばせてきた。製品は機能と特性で分けた数系列の標準品にまとめ、玩具・模型から音響機器、家電、自動車電装へと同じ考え方のまま用途を移してきた。1992年時点の世界シェアは50%に達していたが、馬渕隆一社長は理想は70%までで、100%を取れば20年ももたないと述べている。同じ小型モーターを扱う不振企業の買収と立て直しを成長の方法に据えたニデックは、不振の企業を取得して立て直す方法で品種と規模を広げ、現在は工作機械まで扱う。マブチモーターは品種を増やさず、平均単価141円という水準を保ったまま自動車電装が77%を占める構成へ寄せた。標準品に絞ったことが、量産の原価で価格を決める位置を保つ代わりに、需要を自動車の生産台数へ委ねる構成を残した。
長期業績の推移 1986〜2025年
マブチモーター:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年12月期2025年12月期

創業ストーリー 高松の馬蹄型マグネットモーターから玩具用動力へ (1946年〜)

創業ストーリー(1)

関西理科研究所と世界初の馬蹄型マグネットモーター

1946年6月、馬渕健一氏は香川県高松市で関西理科研究所を創立し、小型モーターの開発に入った[1]。翌1947年には、直流モーターとして世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを完成させ、主に教材用の模型モーターとして売り出した[2]。当時の玩具や模型の動力はゼンマイであり、巻き直すたびに手が止まった。電池とマグネットモーターの組み合わせはその手間を消し、関西理科研究所の製品はそのゼンマイに代わる動力として玩具・模型の分野へ入り込み[3]、以後の需要はこの用途から生まれた。馬渕健一氏は1984年の講演で、創業から30年にわたり直流マイクロモーターの専門メーカーとして、より良い製品をより安く安定的に供給することを掲げ、製品の開発・改良と生産合理化に努めてきたと述べている[4]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [1]1946年6月、馬渕健一が香川県高松市で関西理科研究所を創立し、小型モーターの開発を開始した
    • [2]1947年、直流モーターでは世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを開発し、主に教材用の模型モーターとして販売を始めた
    • [3]同研究所の小型マグネットモーターが、玩具・模型の動力源として既存のゼンマイ等に代わって使用されることになった
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [4]当社は創業以来30年、直流マイクロ・モーターの専門メーカーとして、よりよい製品をより安く安定的に供給することをモットーに、製品の開発・改良ならびに生産合理化の実現のため、ひたすら努力を続けてきた

1954年1月18日、東京都葛飾区に東京科学工業を設立し、小型マグネットモーターの本格的な製造と販売を始めた[5]。葛飾を選んだのは、当時の玩具・模型メーカーがこの一帯に集中していたためである[6]。1940年代の終わりから1950年代にかけて玩具・模型は輸出品として急速に増え、当初から製品を玩具・模型向けに売っていた東京科学工業は、業容を短期間で広げるとともに、玩具・模型業界に対する小型マグネットモーターの供給元として定着した[7]。玩具の一部として製品が海外へ渡ったことで、海外の玩具・模型メーカーにも早くから知られ、直接の輸出も始まった[8]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [5]1954年1月18日、東京都葛飾区に東京科学工業を設立(改組)し、小型マグネットモーター等の製造・販売を開始した
    • [6]玩具・模型分野に本格的に進出するため、当時玩具・模型メーカーが集中していた東京都葛飾区に工場本社を設立した
    • [7]昭和20年代の終りから昭和30年代にかけて玩具・模型が輸出製品として急速に増加し、同社は業容を急速に拡大するとともに、玩具・模型業界に対する小型マグネットモーターの供給者としての地位を強固なものとした
    • [8]同社製品が玩具・模型の一部として海外に輸出されたことから、海外の玩具・模型メーカーにも早くから知られて製品を輸出することとなった

機能を足すときは別会社を立てた。1955年8月には部品製造を目的とする日本科工を設立し[9]、同じ月に自動巻線機を自社で開発して生産力の増強とコスト低減を実現した[10]。1957年9月には輸出専門商社として馬渕商事を設立[11]。同社は1969年3月にマブチ国際通商へ商号を変え、1972年12月に本体へ吸収合併された[12]。モーターを作る機械を自分で作るという方針はこの時期に始まり、自動巻線機をはじめとする主要な生産機器は、以後も自社で開発・改良・製作した[13]。生産ラインの自動化と省力化は、この自社製の機器を土台にして進んだ[14]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [9]1955年8月、小型マグネットモーターの部品製造を目的とする日本科工を設立した
    • [11]1957年9月、小型マグネットモーターの販売を目的とする馬渕商事を設立した
    • [12]馬渕商事は1969年3月に商号をマブチ国際通商へ変更し、1972年12月に同社へ吸収合併された
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [10]昭和30年8月に自動巻線機を自社開発し、生産力の増強とコスト低減に成功した
    • [13]自動巻線機をはじめとして、使用される主要な生産機器は自社で開発、改良、製作を通じ独自のノウハウを生み出した
    • [14]創業以来、生産ラインの自動化・省力化をはじめとする生産テクノロジーの開発に力を入れ、自社開発した生産機器の蓄積の上に自動化・省力化を進めて生産性の向上を実現してきた
  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [1]1946年6月、馬渕健一が香川県高松市で関西理科研究所を創立し、小型モーターの開発を開始した
    • [2]1947年、直流モーターでは世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを開発し、主に教材用の模型モーターとして販売を始めた
    • [3]同研究所の小型マグネットモーターが、玩具・模型の動力源として既存のゼンマイ等に代わって使用されることになった
    • [5]1954年1月18日、東京都葛飾区に東京科学工業を設立(改組)し、小型マグネットモーター等の製造・販売を開始した
    • [6]玩具・模型分野に本格的に進出するため、当時玩具・模型メーカーが集中していた東京都葛飾区に工場本社を設立した
    • [7]昭和20年代の終りから昭和30年代にかけて玩具・模型が輸出製品として急速に増加し、同社は業容を急速に拡大するとともに、玩具・模型業界に対する小型マグネットモーターの供給者としての地位を強固なものとした
    • [8]同社製品が玩具・模型の一部として海外に輸出されたことから、海外の玩具・模型メーカーにも早くから知られて製品を輸出することとなった
    • [9]1955年8月、小型マグネットモーターの部品製造を目的とする日本科工を設立した
    • [11]1957年9月、小型マグネットモーターの販売を目的とする馬渕商事を設立した
    • [12]馬渕商事は1969年3月に商号をマブチ国際通商へ変更し、1972年12月に同社へ吸収合併された
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [4]当社は創業以来30年、直流マイクロ・モーターの専門メーカーとして、よりよい製品をより安く安定的に供給することをモットーに、製品の開発・改良ならびに生産合理化の実現のため、ひたすら努力を続けてきた
    • [10]昭和30年8月に自動巻線機を自社開発し、生産力の増強とコスト低減に成功した
    • [13]自動巻線機をはじめとして、使用される主要な生産機器は自社で開発、改良、製作を通じ独自のノウハウを生み出した
    • [14]創業以来、生産ラインの自動化・省力化をはじめとする生産テクノロジーの開発に力を入れ、自社開発した生産機器の蓄積の上に自動化・省力化を進めて生産性の向上を実現してきた
創業ストーリー(2)

馬渕工業への改組と高松木材との形式合併

モーターの完成品と部品は、東京科学工業と日本科工という別々の法人が担っていた。分かれていた会社を束ね直したのは1958年である。増加する需要に対応する管理体制を確立するため、同年8月4日に馬渕工業を新たに設立し、東京科学工業と日本科工の営業を引き継いだ[15]。マブチモーターが法人として数えるのは、この馬渕工業の設立である[16]。商号はその後も動き、1959年4月に馬渕工業から東京科学へ、1971年3月には東京科学からマブチモーターへ変わって[17]、設立から13年をかけて創業者の姓を冠した社名に落ち着いた。

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [15]増加する需要に対応する管理体制を確立するため、1958年8月に新たに馬渕工業を設立して東京科学工業と日本科工の営業を引き継いだ
    • [17]商号を1959年4月に馬渕工業から東京科学に、1971年3月に現在のマブチモーターへ変更した
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1958年8月、馬渕工業として設立し小型モーターの生産販売を開始

登記上の法人は、事業の履歴とは別に動いた。1963年10月1日には、株式額面変更のため東京科学が高松木材を存続会社として吸収合併された[18]。高松木材は1926年3月13日に設立された別会社であり、この合併によって登記上の設立日は大正期まで遡る[19]。ただし実質上の存続会社は被合併会社である東京科学のほうで、1987年の新規上場会社紹介も合併期日以前の記載は東京科学のものを載せている[20]。会社概要が掲げる設立日は1954年1月18日、公式の創業年は1946年であり[21]、会社の登記と事業の連続は、同じ年を指していない。有価証券報告書の沿革は1958年8月の馬渕工業設立から書き起こしており、高松木材との合併には触れていない[22]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [18]1963年10月1日を合併期日として、株式額面変更のため東京科学(旧高松木材)に吸収合併された
    • [19]設立年月日は昭和29年1月18日(形式上大正15年3月13日)
    • [20]申請会社は昭和38年10月1日を合併期日として旧東京科学を吸収合併したが、実質上の存続会社は被合併会社である旧東京科学であるため、合併期日以前については旧東京科学について記載した
    • [21]創業は1946年、設立年月日は1954年1月18日
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
    • [22]有価証券報告書【沿革】の記載は1958年8月の馬渕工業設立から始まる

もう一つ、この時期に借入をしないという原則が固まった。原則は数字にそのまま出て、1985年12月期の株主資本比率は87.0%、借入金はゼロ、現金預金は123億500万円に達した[23]。1984年の設備投資計画も、同社単体で35億円、グループ全体で80億円にとどまった[24]。手元資金の厚さは、後年の海外進出を自己資金だけで進める条件になった。

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [23]昭和60年12月期の株主資本比率は87.0%で、まったく借入金がなく、現金預金は12,305百万円だった
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [24]1984年度の設備投資計画は当社35億円、グループ全体では80億円を予定している
  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [15]増加する需要に対応する管理体制を確立するため、1958年8月に新たに馬渕工業を設立して東京科学工業と日本科工の営業を引き継いだ
    • [17]商号を1959年4月に馬渕工業から東京科学に、1971年3月に現在のマブチモーターへ変更した
    • [18]1963年10月1日を合併期日として、株式額面変更のため東京科学(旧高松木材)に吸収合併された
    • [19]設立年月日は昭和29年1月18日(形式上大正15年3月13日)
    • [20]申請会社は昭和38年10月1日を合併期日として旧東京科学を吸収合併したが、実質上の存続会社は被合併会社である旧東京科学であるため、合併期日以前については旧東京科学について記載した
    • [21]創業は1946年、設立年月日は1954年1月18日
    • [23]昭和60年12月期の株主資本比率は87.0%で、まったく借入金がなく、現金預金は12,305百万円だった
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1958年8月、馬渕工業として設立し小型モーターの生産販売を開始
    • [22]有価証券報告書【沿革】の記載は1958年8月の馬渕工業設立から始まる
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [24]1984年度の設備投資計画は当社35億円、グループ全体では80億円を予定している
創業ストーリー(3)

別会社設立の計画と1963年の社内分裂

1963年、会社は分裂の一歩手前まで進んだ。馬渕健一社長の派手な営業活動と度を越した接待に反発した幹部数人が、社長を外した新会社を設立する計画を進め、材料費を実際の価格より高く買い取った形にして差額をプールしていた[25]。事実を社員から知らされた弟の馬渕隆一専務は兄に伝え、以後は連日深夜2時、3時まで2人で話し合った[26]。相談を受けた社外の人物は、別会社設立に関わっている者を排除すれば会社はつぶれるとして、話し合いによる解決を勧めた[27]。当時、馬渕隆一専務はモーターの生産技術と研究開発を担い、取引先を広げようと駆け回る兄の馬渕健一社長とともに会社を支えていた[28]

  • 日経ビジネス 1989年5月22日号
    • [25]1963年、馬渕健一社長の経営方針に疑問を持つ会社幹部の間に別会社設立の動きが持ち上がり、幹部数人は材料費を実際の価格より高く買い取った形にして差額をプールし、別会社設立のための資金を蓄え始めていた
    • [26]馬渕隆一は事実を馬渕健一に話し、2人の話し合いは連日深夜の2時、3時に及んだ
    • [27]相談を持ち込んだ人物は「話し合いで解決すべきだ。別会社設立にかかわっている者を排除すれば、マブチはつぶれる」と述べた
    • [28]当時、専務だった馬渕隆一はモーターの生産技術、研究開発の仕事に専念し、取引先を拡大しようと駆けずり回る兄の馬渕健一とともに会社の屋台骨を支えていた

幹部6〜7人が抜けることは織り込めても、現場の課長・係長クラスまで関わっていれば業務は完全に止まる[29]馬渕隆一専務は正攻法を選んだ。課長以下の中堅社員を集めて別会社設立の動きを話し始めたところ反応がなく、関与が現場まで広がっていることを察した[30]。それでも隠さずに全てを語ると、事実を打ち明ける者や涙を流して非を認める者が現れ、今後のマブチについて腹を割った話し合いの場になった[31]。処分は分けて、首謀者だった幹部数人には会社を去ってもらい、課長・係長級には責任のあるポストを任せた[32]。この1カ月で馬渕隆一専務の体重は10キログラム減った[33]

  • 日経ビジネス 1989年5月22日号
    • [29]会社幹部6〜7人が抜けるのは痛いが対応できると考えた一方、現場の課長・係長クラスまでかかわっているとしたら業務は完全に麻痺すると馬渕隆一は考えた
    • [30]課長以下の中堅社員を集めて別会社設立の動きがあることを話し始めたところ社員たちに反応がなく、馬渕隆一は全員がある程度かかわりを持っていると直感した
    • [31]つつみ隠さず全てを語った結果、事実を打ち明ける者、涙を流して自分の非を認める者も現れ、今後のマブチについて腹を割った話し合いの場となった
    • [32]首謀者だった幹部数人には会社を去ってもらい、課長・係長クラスは話し合いの結果、責任のあるポストを任せた
    • [33]決断までの約1カ月間で馬渕隆一の体重は10キログラム減った

騒動の後、馬渕隆一専務は取引先との接待を一切やめ、より良い物をできるだけ安く提供することだけを経営の理念に据えた[34]。理念を実現する手段として選んだのが海外生産である[35]。労働集約的なモーター生産では労働コストを抑えれば大幅なコストダウンが可能になるため、国内で部品の標準化と生産ラインの単純化を進めて生産システムをマニュアル化し、海外の未熟練労働者でもそのまま扱える形にしてから丸ごと移す方法をとった[36]。海外生産シフトは、騒動の翌1964年に始動し[37]、1970年代のうちに海外生産比率は半分を超えた[38]

  • 日経ビジネス 1989年5月22日号
    • [34]馬渕隆一は26年前の事件を教訓に取引先との接待は一切しないとし、「より良い物を、できるだけ安く提供する。あの事件を経験して、これだけを会社経営の理念に置けばいいと思った」と述べた
    • [35]馬渕隆一は「安く作るためにはどうすればよいか。その答えが海外生産だった」と述べた
    • [36]労働集約的なモーター生産では労働コストを抑えれば大幅なコストダウンが可能になるため、国内で部品の標準化・生産ラインの単純化など徹底的に生産システムをマニュアル化し、海外の未熟練労働者でもすぐ扱えるようにして、その生産システムをそっくりそのまま海外に移した
    • [37]マブチの海外生産シフトは会社分裂騒動の翌1964年から始動した
    • [38]1964年に香港、1969年に台湾、1979年に台湾の第二の生産拠点を設け、海外生産比率は半分を超えた
  • 日経ビジネス 1989年5月22日号
    • [25]1963年、馬渕健一社長の経営方針に疑問を持つ会社幹部の間に別会社設立の動きが持ち上がり、幹部数人は材料費を実際の価格より高く買い取った形にして差額をプールし、別会社設立のための資金を蓄え始めていた
    • [26]馬渕隆一は事実を馬渕健一に話し、2人の話し合いは連日深夜の2時、3時に及んだ
    • [27]相談を持ち込んだ人物は「話し合いで解決すべきだ。別会社設立にかかわっている者を排除すれば、マブチはつぶれる」と述べた
    • [28]当時、専務だった馬渕隆一はモーターの生産技術、研究開発の仕事に専念し、取引先を拡大しようと駆けずり回る兄の馬渕健一とともに会社の屋台骨を支えていた
    • [29]会社幹部6〜7人が抜けるのは痛いが対応できると考えた一方、現場の課長・係長クラスまでかかわっているとしたら業務は完全に麻痺すると馬渕隆一は考えた
    • [30]課長以下の中堅社員を集めて別会社設立の動きがあることを話し始めたところ社員たちに反応がなく、馬渕隆一は全員がある程度かかわりを持っていると直感した
    • [31]つつみ隠さず全てを語った結果、事実を打ち明ける者、涙を流して自分の非を認める者も現れ、今後のマブチについて腹を割った話し合いの場となった
    • [32]首謀者だった幹部数人には会社を去ってもらい、課長・係長クラスは話し合いの結果、責任のあるポストを任せた
    • [33]決断までの約1カ月間で馬渕隆一の体重は10キログラム減った
    • [34]馬渕隆一は26年前の事件を教訓に取引先との接待は一切しないとし、「より良い物を、できるだけ安く提供する。あの事件を経験して、これだけを会社経営の理念に置けばいいと思った」と述べた
    • [35]馬渕隆一は「安く作るためにはどうすればよいか。その答えが海外生産だった」と述べた
    • [36]労働集約的なモーター生産では労働コストを抑えれば大幅なコストダウンが可能になるため、国内で部品の標準化・生産ラインの単純化など徹底的に生産システムをマニュアル化し、海外の未熟練労働者でもすぐ扱えるようにして、その生産システムをそっくりそのまま海外に移した
    • [37]マブチの海外生産シフトは会社分裂騒動の翌1964年から始動した
    • [38]1964年に香港、1969年に台湾、1979年に台湾の第二の生産拠点を設け、海外生産比率は半分を超えた
創業ストーリー(4)

1964年の香港進出と国際分業の始まり

1964年2月、香港九龍新蒲崗三祝街に萬寶至實業有限公司を全額出資で設立し、小型マグネットモーターの製造と販売を始めた[39]。香港を選んだのは、人件費が安いうえに欧米諸国からの特恵関税を享受できたためである[40]。当時は1ドル360円の固定相場にあり、日本で作っても十分に通用した[41]。海外工場で組み立てるモーターの精密部品はすべて日本から供給し、品質は国内で握った[42]。設立から20年後の1984年、香港の年商は200億円、従業員は800人に達した[43]。香港は組み立てだけの拠点ではなく、自社製品に加えて関係会社の製品を仕入れ、香港地場と海外へ広く販売する役割も担った[44]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [39]1964年2月、香港九龍新蒲崗三祝街に小型マグネットモーターの製造・販売を目的とする萬寶至實業有限公司を設立した
    • [40]需要の増加に対応するため、人件費が安く欧米諸国からの特恵関税を享受できる香港等に進出した
    • [44]香港にある萬宝至実業有限公司は自社製品のほか関係会社製品を仕入れて、香港地場のほか海外に広く販売を行っており、同社にとって最も重要な子会社となっている
  • 日経ビジネス 1993年3月1日号
    • [41]1964年から海外生産を始めており、当時は1ドルが360円の時代だった
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [42]これらの海外工場で生産されるモーターの精密部品はすべて日本から供給され、安定した品質が保証されている
    • [43]香港の萬宝至実業は昭和39年に100%出資で設立され、20年を経た1984年時点で年商200億円、本社および周辺工場の建物面積は約1万平方メートル、従業員800人となった

国内で作っても売れる時期に海外へ出た理由を、馬渕隆一氏は潮の満ち引きにたとえて説明している[45]。潮が満ちていれば海底のガラクタは見えないが、引いたときに片づけておかなければ次の満ち潮でまた見えなくなる。日本で生産しても通用する時代に海外で作り始めるのは潮が満ちた状態での作業にあたり、それでも底をきれいにしておくという考え方だった[46]。顧客から安くしろと言われてから動くのではなく、常に価格を追求するのが理想だとも述べた[47]。海外に工場を建てるのは大変だったが、そのこと自体が勉強になり、その時の経験があるからこそ他の国でも同じことができるとも語っている[48]

  • 日経ビジネス 1993年3月1日号
    • [45]馬渕隆一は、海の潮が満ちてくると底にガラクタがあっても見えないが、潮が引くとガラクタが見えてくる、地道な努力とは潮が引いた時にガラクタをきれいに片づけておくことだと述べた
    • [46]馬渕隆一は「日本で生産しても十分通用する時代に海外で生産を始めるということは、潮が満ちている状態です。それでも底をきれいにしておかなければいけない、という考え方です」と述べた
    • [47]馬渕隆一は「客から『もっと安くしろ』と言われてからやるのではなく、常に価格を追求するのが理想なんです」と述べた
    • [48]馬渕隆一は「大変だけれどもそのこと自体がいい勉強になるじゃないですか。その時の経験があってこそ、今度は他の国でもできるわけです」と述べた

生産の海外移管と並行して、販売の拠点も現地へ置いた。1965年3月に米国ニューヨーク市へ駐在事務所を開設し[49]、翌1966年4月には西独フランクフルト市に欧州駐在事務所を設けて、現地顧客の需要に直接応える窓口とした[50]。商社を介さない直接販売が増え、新規の需要先の開拓も進んだ[51]。国内では1965年3月に千葉県松戸市の松戸工場が完成し[52]、後に本社機能が移る土地に生産の足場ができた。香港では1976年に基湾工場を増設し、生産の拡充と国際競争力の強化にあてた[53]。建物面積は5,000平方メートル、従業員は400人を数えた[54]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [49]1965年3月、米国ニューヨーク市にニューヨーク駐在事務所を開設した
    • [50]1966年4月に西独フランクフルト市に欧州駐在事務所を開設して現地顧客の需要に直接対応できる体制を整えた
    • [51]これにより現地顧客への直接販売を増加させる一方、新規需要先の開拓をも促進させた
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1965年3月、千葉県松戸市に松戸工場が完成した
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [53]香港の基湾工場は昭和51年に生産拡充と国際競争力強化のために増設された
    • [54]基湾工場の建物面積は5,000平方メートル、従業員数は400人
  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [39]1964年2月、香港九龍新蒲崗三祝街に小型マグネットモーターの製造・販売を目的とする萬寶至實業有限公司を設立した
    • [40]需要の増加に対応するため、人件費が安く欧米諸国からの特恵関税を享受できる香港等に進出した
    • [44]香港にある萬宝至実業有限公司は自社製品のほか関係会社製品を仕入れて、香港地場のほか海外に広く販売を行っており、同社にとって最も重要な子会社となっている
    • [49]1965年3月、米国ニューヨーク市にニューヨーク駐在事務所を開設した
    • [50]1966年4月に西独フランクフルト市に欧州駐在事務所を開設して現地顧客の需要に直接対応できる体制を整えた
    • [51]これにより現地顧客への直接販売を増加させる一方、新規需要先の開拓をも促進させた
  • 日経ビジネス 1993年3月1日号
    • [41]1964年から海外生産を始めており、当時は1ドルが360円の時代だった
    • [45]馬渕隆一は、海の潮が満ちてくると底にガラクタがあっても見えないが、潮が引くとガラクタが見えてくる、地道な努力とは潮が引いた時にガラクタをきれいに片づけておくことだと述べた
    • [46]馬渕隆一は「日本で生産しても十分通用する時代に海外で生産を始めるということは、潮が満ちている状態です。それでも底をきれいにしておかなければいけない、という考え方です」と述べた
    • [47]馬渕隆一は「客から『もっと安くしろ』と言われてからやるのではなく、常に価格を追求するのが理想なんです」と述べた
    • [48]馬渕隆一は「大変だけれどもそのこと自体がいい勉強になるじゃないですか。その時の経験があってこそ、今度は他の国でもできるわけです」と述べた
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [42]これらの海外工場で生産されるモーターの精密部品はすべて日本から供給され、安定した品質が保証されている
    • [43]香港の萬宝至実業は昭和39年に100%出資で設立され、20年を経た1984年時点で年商200億円、本社および周辺工場の建物面積は約1万平方メートル、従業員800人となった
    • [53]香港の基湾工場は昭和51年に生産拡充と国際競争力強化のために増設された
    • [54]基湾工場の建物面積は5,000平方メートル、従業員数は400人
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1965年3月、千葉県松戸市に松戸工場が完成した
創業ストーリー(5)

電子ガバナーで入った音響市場と台湾・高雄の増設

1960年代にはシェーバーやドライヤーなどの家電分野へ入り[55]、1969年12月には台湾台北市に50%出資の合弁会社である華淵電機工業を設立して、香港に次ぐ生産拠点を置いた[56]。国内の並びも変え、1971年3月に商号をマブチモーターへ変更した[57]。本社機能は同年7月に千葉県松戸市へ移り[58]、1974年3月にはモーターシャフト生産のマブチ精工を群馬県館林市に置いた[59]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [55]昭和40年代にはシェーバー、ドライヤー等の家電分野に進出した
    • [56]1969年12月、台湾台北市に小型マグネットモーターの製造・販売を目的とする50%出資の合弁会社、華淵電機工業を設立した
    • [59]1974年3月、群馬県館林市にモーターシャフトの生産を目的とするマブチ精工を設立した
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
    • [57]1971年3月、商号をマブチモーターに変更した
    • [58]1971年7月、千葉県松戸市に本社機能を移転した

1977年1月に電子ガバナー内蔵型モーターを開発し、カセットテレコやホームステレオの新市場へ入った[60]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [60]1977年1月、電子ガバナー内蔵型モーターを開発し、カセットテレコ、ホームステレオ等の新市場に進出した

1977年1月には、ニューヨーク駐在事務所を販売子会社のマブチアメリカコーポレーションへ改組[61]。1979年8月には台湾高雄市の楠梓加工出口区に全額出資の萬寶至馬達を設立し、製造だけを担わせた[62]。高雄はその後も拡張を続け、1984年には建物面積3万6,000平方メートル、従業員3,100人とマブチグループ最大の規模になった[63]。1979年12月期の売上高は154億円[64]、用途別では音響・映像が伸びる一方、玩具・模型は占有率90%を超えて成熟していた[65]。高雄は機能を生産に絞り、製品は東京本社と香港へ輸出した[66]

  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [61]1977年1月、米国ニューヨーク市に小型マグネットモーターの販売を目的とするマブチアメリカコーポレーションを設立した(ニューヨーク駐在事務所を販売子会社化)
    • [62]1979年8月、台湾高雄市の楠梓加工出口区に小型マグネットモーターの製造を目的とする萬寶至馬達を設立した
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [63]高雄マブチは昭和54年に100%出資で設立され、1984年時点で建物面積3万6,000平方メートル、従業員数3,100人とマブチ・グループで最大の規模、年商100億円超となった
    • [64]売上高は昭和54年12月期の154億円だった
    • [65]用途別売上構成の推移をみると、成熟度が高く占有率90%を超えた玩具・模型分野を除き、音響、家電、自動車などの電動製品分野が著しい伸びを示した
    • [66]高雄マブチは生産が中心で、その製品を東京本社と香港マブチに輸出するという限られた機能を担っている
  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介
    • [55]昭和40年代にはシェーバー、ドライヤー等の家電分野に進出した
    • [56]1969年12月、台湾台北市に小型マグネットモーターの製造・販売を目的とする50%出資の合弁会社、華淵電機工業を設立した
    • [59]1974年3月、群馬県館林市にモーターシャフトの生産を目的とするマブチ精工を設立した
    • [60]1977年1月、電子ガバナー内蔵型モーターを開発し、カセットテレコ、ホームステレオ等の新市場に進出した
    • [61]1977年1月、米国ニューヨーク市に小型マグネットモーターの販売を目的とするマブチアメリカコーポレーションを設立した(ニューヨーク駐在事務所を販売子会社化)
    • [62]1979年8月、台湾高雄市の楠梓加工出口区に小型マグネットモーターの製造を目的とする萬寶至馬達を設立した
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
    • [57]1971年3月、商号をマブチモーターに変更した
    • [58]1971年7月、千葉県松戸市に本社機能を移転した
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
    • [63]高雄マブチは昭和54年に100%出資で設立され、1984年時点で建物面積3万6,000平方メートル、従業員数3,100人とマブチ・グループで最大の規模、年商100億円超となった
    • [64]売上高は昭和54年12月期の154億円だった
    • [65]用途別売上構成の推移をみると、成熟度が高く占有率90%を超えた玩具・模型分野を除き、音響、家電、自動車などの電動製品分野が著しい伸びを示した
    • [66]高雄マブチは生産が中心で、その製品を東京本社と香港マブチに輸出するという限られた機能を担っている

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沿革年表 1958〜2026年

マブチモーターの沿革1958〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1946〜1963年高松の馬蹄型マグネットモーターから玩具用動力へ馬渕工業として設立し小型モーターの生産販売を開始★★
商号を東京科学に変更
1964〜1979年香港生産と1960年代後半に選んだ標準化香港に萬寶至實業有限公司を設立し海外生産を開始★★★
千葉県松戸市に松戸工場が完成
台湾の華淵電機工業に資本参加★★
商号をマブチモーターに変更★★
千葉県松戸市に本社機能を移転
群馬県館林市にマブチ精工を設立
台湾高雄市に萬寶至馬達を設立
1980〜1993年1987年の大連進出と国内量産の打ち切り株式を店頭登録により公開★★
馬渕隆一東京証券取引所市場第二部に上場
馬渕隆一中国大連に万宝至馬達大連有限公司を設立★★★
馬渕隆一東京証券取引所市場第一部に指定替え
馬渕隆一シンガポールにマブチモーターシンガポールを設立
馬渕隆一小型モーターの国内量産を終了し全量海外生産に移行★★★
馬渕隆一千葉県印旛郡に技術研究所が完成
馬渕隆一中国江蘇省に華淵電機(江蘇)を設立
1994〜2026年音響から自動車電装へ移した主力と3つのM馬渕隆一中国広東省に東莞万宝至電機設備製造を設立
馬渕隆一中国大連に万宝至馬達瓦房店を設立
馬渕隆一ベトナムにマブチモーターベトナムを設立★★
馬渕隆一中国上海市に万宝至馬達(上海)を設立
馬渕隆一マブチ精工を吸収合併
亀井愼二ベトナムダナン市にマブチモーターダナンを設立
亀井愼二中国東莞にモーター研究開発センターを設立
大越博雄ドイツフランクフルト市に研究開発センターを設立
大越博雄タイにマブチモータータイランドを設立
大越博雄スイスのエレクトロマグエスエーの全株式を取得★★
谷口真一プライム市場に移行
谷口真一マブチモーターオーケンの全株式を取得★★
高橋徹マブチオービーギアシステムの全株式を取得★★
高橋徹マブチモーターマイクロテックの全株式を取得
高橋徹マブチモーターNPMの株式を取得★★
出典・参考 5件
出典・参考
  • マブチモーター 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1984年9月号(馬渕健一・講演要旨)
  • 日経ビジネス 1989年5月22日号
  • 日経ビジネス 1993年3月1日号
  • 証券 1987年39(1)(454) 新規上場会社紹介

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