1946年6月、馬渕健一氏は香川県高松市で関西理科研究所を創立し、小型モーターの開発に入った。翌1947年には、直流モーターとして世界で初めて界磁にマグネットを用いた小型マグネットモーターを完成させ、主に教材用の模型モーターとして売り出した。以後の需要を生んだのは、玩具・模型という用途である。当時この分野の動力はゼンマイで、巻き直すたびに手を止めなければならなかった。電池とマグネットモーターを組み合わせればその手間はなくなり、関西理科研究所の製品はゼンマイに代わる動力として玩具・模型の分野へ食い込んだ。創業からの30年間、同社は直流マイクロモーターの専門メーカーとして、品質の高い製品を安い価格で途切れなく届けることを目標に据え、製品の開発・改良と生産の合理化を重ねた。
馬渕健一氏は1926年11月、香川県高松市で金属加工業を営む家の長男に生まれ、小学校では蒸気機関の模型を自作して釜を爆発させている。強力で安全な動力があればと考えたのは、その時だったという。戦後はその着想を元に、1946年、学校教材用の小型モーターをスクールモーターと名付けて製造を始めた。弟たちを動員した手仕事で作り、関西一円の小・中学校を自ら訪ねて売る仕事は、約1年順調に伸びた。だが特許を申請していないと知った大阪の業者が資金力にものを言わせて同類品を量産し、手作りの家内工業は在庫を抱えて赤字に陥った。翌1947年に開発した、界磁に永久磁石を用いる馬蹄型の小型マグネットモーターでは、今度は先に特許を申請している。売れる製品を作ることと、その製品で稼ぎ続けることは別だという区別を、創業から数年のうちに一度の失敗から覚えた。
馬蹄型マグネットモーターを広める先として、馬渕健一氏が1950年ごろに目を付けたのが玩具だった。当時の玩具の動力はゼンマイが常識で、輸出好況のさなかにあった業界は新しい動力を求めなかった。それから2年ほどで、安いが技術の裏付けのない日本製の玩具は海外で振るわなくなり、業界は不況に陥る。馬渕健一氏はこの時機に、馬蹄型マグネットモーターを内蔵した模型飛行機と自動車を試作して東京・蔵前の業界最大手へ持ち込んだ。返答の期限を切って高松へ引き揚げると、約2週間後に相手は独占取引を申し出て、20万円を現金で手付けした。注文は確実にさばけて工場はフル回転し、好況の2年が過ぎるあいだに製品の改良と量産化が進んだ。参入の時機を決めたのは自社の準備ではなく、買い手が動力を替える理由を持った瞬間だった。
東京へ工場を移す構想を、馬渕健一氏は父・栄氏に反対された。輸送費を下げられ情報も早いという理由からだったが、高松を離れたことのない父は首を縦に振らず、独りで行けと言って500円を渡した。高松から東京までの片道は連絡船と汽車を乗り継いで270円であり、東京に着いた時点で残っていたのは200円ほどだった。それでも上京したのは、手元に特許があったからである。蔵前の取引先へ直行し、東京進出のために来たと告げたうえで100万円の出資と工場の貸与を求め、いずれも受け入れられた。偵察に来た弟たちはそのまま東京に残り、1949年に関西理科研究所へ入っていた隆一氏は、1954年1月の東京科学工業への改組と同時に専務取締役に就いている。相手の事業が自社のモーターに依存している状態そのものを、資金の代わりに使った。
借りた倉庫を二階建てに改める工事には3か月を要し、人手は職業安定所を通して集めた。1954年1月18日、東京都葛飾区に東京科学工業を設立し、小型マグネットモーターの本格的な製造と販売を開始した。葛飾を選んだのは、当時の玩具・模型メーカーがこの一帯に集中していたためである。東京科学工業は当初から製品を玩具・模型向けに売っていた。1940年代の終わりから1950年代にかけて玩具・模型の輸出が急速に伸びると、同社は短い期間で業容を広げ、この業界へ小型マグネットモーターを納める供給元としての地位を固めた。製品は玩具に組み込まれて海外へ渡ったため、海外で玩具・模型を手がけるメーカーにも早い時期から名が通った。やがて直接の輸出も始まった。
1955年8月には部品製造を目的とする日本科工を設立し、同じ月に自動巻線機を自社で開発して生産力の増強とコスト低減を実現した。1957年9月には輸出専門商社として馬渕商事を設立している。同社は1969年3月にマブチ国際通商へ商号を変更し、1972年12月に本体へ吸収合併された。モーターを作る機械を自分で作るという方針はこの時期に始まり、自動巻線機をはじめとする主要な生産機器は、以後も自社で開発・改良・製作した。生産ラインの自動化と省力化は、この自社製の機器を土台にして進んだ。機能を足すときに部門ではなく別の会社を立てたのが、この時期の型である。
マブチモーターが法人としての起点に数えるのは、1958年8月に設立された馬渕工業である。それまでモーターの完成品は東京科学工業、部品は日本科工と二つの会社に分かれていたが、この年に統合し直された。伸びる需要に見合う管理の体制を整えることが狙いで、馬渕工業は東京科学工業と日本科工の営業を引き受けた。商号はその後、1959年4月に東京科学、1971年3月にマブチモーターへと改まった。創業者の姓を冠した社名に行き着くまで、設立から13年を要したことになる。
1963年10月1日には、株式額面変更のため東京科学が高松木材を存続会社として吸収合併された。高松木材は1926年3月13日に設立された別会社であり、この合併によって登記上の設立日は大正期まで遡る。ただし実質上の存続会社は被合併会社である東京科学のほうで、1987年の新規上場会社紹介も合併期日以前の記載は東京科学のものを載せている。会社概要が掲げる設立日は1954年1月18日、公式の創業年は1946年であり、会社の登記と事業の連続は、同じ年を指していない。有価証券報告書の沿革は1958年8月の馬渕工業設立から書き起こしており、高松木材との合併には触れていない。登記上の法人は、事業の履歴とは別に動いた。
1964年2月、香港九龍の新蒲崗三祝街に、小型マグネットモーターの製造と販売を担う萬寶至實業有限公司を設立した。1ドル360円の当時は国内生産でも輸出品として十分に戦えたが、増える需要に対しては、それまでの国内工場の新設ではなく、人件費が低く欧米の特恵関税を受けられる香港に拠点を置いた。まだ国内で作っても通用する時期に海外生産を始めたことについて、専務取締役の馬渕隆一氏は後に、好条件がそろった局面での決断だったと語っている『日本で生産しても十分通用する時代に海外で生産を始めるということは、潮が満ちている状態です』。根にあったのは、顧客に値下げを迫られてから動くより自ら絶えず価格を追いかけることが望ましいという考えで、外圧を待たずに値下げの根拠を自前で用意していたのである。
萬寶至實業は自社製品に加えて関係会社の製品も仕入れ、香港の地元市場と海外へ幅広く売った。子会社のうちで最も重い位置を占めたのが、この拠点である。香港の工場が使うモーターの精密部品は、例外なく日本から送られていた。人手を要する組み立てだけを人件費の低い土地に移し、品質を左右する部分は国内にとどめる分担である。1976年には生産の拡充と国際競争力の強化のために基湾工場を増設し、建物面積5,000平方メートル、従業員400人を加えた。一方で1965年3月には千葉県松戸市に松戸工場が完成しており、国内の生産をやめたわけではない。外へ出したのは工程であって、製品そのものではなかった。
1965年3月、米国ニューヨーク市にニューヨーク駐在事務所を開設した。翌1966年4月には西独フランクフルト市に欧州駐在事務所を置き、現地の顧客が出す注文をその場で受け取るようにした。これによって現地顧客への直接販売が増え、新規の需要先の開拓も進んだ。それまで海外の需要は、玩具や模型に組み込まれた製品を通じて向こうから届くものだった。商号を東京科学からマブチモーターへ改めたのは1971年3月である。同年7月には本社機能を千葉県松戸市へ移し、松戸が国内の中心になった。作る場所と売る場所を同時に動かし、顧客との間に入る者を減らした。
人件費が低く、欧米諸国から特恵関税の恩恵を受けられる土地で需要の伸びに応えるという考え方は、香港と同じであった。この方針のもと1969年12月、台湾台北市に小型マグネットモーターの製造・販売を目的とする華淵電機工業を設けたが、香港の萬寶至實業が100%出資だったのと違い、こちらは50%出資の合弁であった。新竹工場では玩具・模型向けのエコノミー・シリーズを作った。1978年に音響機器用を主体として増設した湖口工場は、建物面積2万1,000平方メートル、従業員2,200人と、台北の工場をはるかに上回る規模であった。生産を香港の一か所に預けた状態から二か所へ割ったことで、人件費の上昇にも操業の停止にも逃げ場ができた。
昭和40年代、すなわち1965年以降に、シェーバーやドライヤーといった家電分野へ製品を広げた。1970年代には、カセットテレコを中心とする音響・映像分野と、カーミラーを中心とする自動車分野にも入った。用途を広げる手立ては、新しい市場を探すことではなく、製品の改良で同じモーターが使える先を開くことだった。玩具・模型は占有率が90%を超えて成熟しており、そこで伸ばせる量には限りがあった。ドアミラーやドアロックのように、人手を省く機能が製品に足されるたび、モーターの需要先は増えた。動力を売る会社にとって、需要を作るのは自社の営業ではなく買い手の製品の仕様である。
製品は、機能と特性によって四つのシリーズに整理された。玩具や目覚まし時計に使うエコノミーと、テープレコーダーやカメラ向けの低ノイズが並んだ。そこへ電動工具と自動車電装品向けの高出力、一定回転を保つ電子ガバナーが加わる。顧客ごとの特注ではなく、番号を持つ標準品を並べて選ばせる形であり、その経済性と品質の安定、供給の弾力性が評価を集めた。1974年3月には群馬県館林市にモーターシャフトの生産を担うマブチ精工を設立し、部品の側も自社に取り込んだ。海外の工場が組み立てだけを担えたのは、標準化された製品と、日本から送る部品の両方が揃っていたからである。
1977年1月、電子回路を内蔵して常に一定の回転を保つ、電子ガバナー内蔵型モーターを開発した。これによってカセットテレコやホームステレオという新しい市場に入った。高性能と低価格を同時に実現したこのシリーズは、音響機器に加えてデータレコーダーなどのOA機器にも使われた。1970年代に進出したカセットテレコ分野はその後順調に伸び、主要な用途先になった。同じ1977年1月、ニューヨーク駐在事務所を販売子会社のマブチアメリカコーポレーションに改めた。米国のほかカナダと中南米の営業をこの会社が担い、欧州市場はフランクフルトの駐在事務所が引き受けた。用途を開く手と売り先へ近づく手を、同じ月に打っている。
1979年8月、台湾高雄市の楠梓加工出口区に、製造だけを目的とする萬寶至馬達を設立した。100%出資で毎年の拡張を重ね、5年後には建物面積3万6,000平方メートル、従業員3,100人とグループ最大の規模になった。香港の萬寶至實業が生産と販売の両方を重要な機能とするのに対し、高雄は生産が中心で、製品を東京本社と香港へ輸出する限られた機能を持たされた。台北の華淵電機工業も、自社製品の一部を台湾地場に売り、残りを本体と香港へ回す形をとった。高雄の利益率が香港より低かったのは、この限られた機能に加え、設立から間もない時期の相次ぐ設備投資によるものだった。拠点を増やすたびに同じ機能を重ねるのではなく、作る場所と売る場所を分けて置いた。
1979年12月期の単体の売上高は15,428百万円で、前期の16,876百万円から8.6%減った。1976年12月期の11,772百万円から3年で1.4倍に伸びたあとの、初めての減収である。だが連結では、同じ期に19,388百万円から23,749百万円へ22.5%増えている。単体の減収は、生産の一部を海外の関係会社へ移したことによる表面的なものだった。1978年には急激な円高も重なっている。1979年12月期の連結の経常利益は4,933百万円で、売上高経常利益率は20.8%に達した。どこで作るかを決め直すたびに、本体の数字は縮み、グループの数字は伸びた。
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|---|---|---|---|---|
| 1946〜1963年高松の馬蹄型マグネットモーターから玩具用動力へ | 馬渕工業として設立し小型モーターの生産販売を開始 | ★★ | ||
| 商号を東京科学に変更 | ★ | |||
| 1964〜1979年香港と台湾に移した組み立てと日本が握った精密部品 | 香港に萬寶至實業有限公司を設立し海外生産を開始 | ★★★ | ||
| 千葉県松戸市に松戸工場が完成 | ★ | |||
| 台湾の華淵電機工業に資本参加 | ★★ | |||
| 商号をマブチモーターに変更 | ★★ | |||
| 千葉県松戸市に本社機能を移転 | ★ | |||
| 群馬県館林市にマブチ精工を設立 | ★ | |||
| 台湾高雄市に萬寶至馬達を設立 | ★ | |||
| 1980〜1993年1987年の大連進出と国内量産の打ち切り | 株式を店頭登録により公開 | ★★ | ||
| 馬渕隆一 | 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 馬渕隆一 | 中国大連に万宝至馬達大連有限公司を設立 | ★★★ | ||
| 馬渕隆一 | 東京証券取引所市場第一部に指定替え | ★ | ||
| 馬渕隆一 | シンガポールにマブチモーターシンガポールを設立 | ★ | ||
| 馬渕隆一 | 小型モーターの国内量産を終了し全量海外生産に移行 | ★★★ | ||
| 馬渕隆一 | 千葉県印旛郡に技術研究所が完成 | ★ | ||
| 馬渕隆一 | 中国江蘇省に華淵電機(江蘇)を設立 | ★ | ||
| 1994〜2026年音響から自動車電装へ移した主力と3つのM | 馬渕隆一 | 中国広東省に東莞万宝至電機設備製造を設立 | ★ | |
| 馬渕隆一 | 中国大連に万宝至馬達瓦房店を設立 | ★ | ||
| 馬渕隆一 | ベトナムにマブチモーターベトナムを設立 | ★★ | ||
| 馬渕隆一 | 中国上海市に万宝至馬達(上海)を設立 | ★ | ||
| 馬渕隆一 | マブチ精工を吸収合併 | ★ | ||
| 亀井愼二 | ベトナムダナン市にマブチモーターダナンを設立 | ★ | ||
| 亀井愼二 | 中国東莞にモーター研究開発センターを設立 | ★ | ||
| 大越博雄 | ドイツフランクフルト市に研究開発センターを設立 | ★ | ||
| 大越博雄 | タイにマブチモータータイランドを設立 | ★ | ||
| 大越博雄 | スイスのエレクトロマグエスエーの全株式を取得 | ★★ | ||
| 谷口真一 | プライム市場に移行 | ★ | ||
| 谷口真一 | マブチモーターオーケンの全株式を取得 | ★★ | ||
| 高橋徹 | マブチオービーギアシステムの全株式を取得 | ★★ | ||
| 高橋徹 | マブチモーターマイクロテックの全株式を取得 | ★ | ||
| 高橋徹 | マブチモーターNPMの株式を取得 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(マブチモーター)