決断
仕様を先に固めてから、生産の仕組みごと国外へ移してきた。1963年、社長の営業姿勢に反発した幹部が別会社の設立を進めて社内が割れる。収拾にあたった馬渕隆一専務は取引先との接待を一切やめ、より良い物をできるだけ安く供給することだけを経営の理念に据えた。手段に選んだのが海外生産である。国内で部品を標準化してラインを単純化し、未熟練の労働者でも扱える形へマニュアル化してから移す順序をとった。1964年2月に香港、1979年8月に台湾高雄、1988年3月に大連と工場を置き、1990年には小型モーターの国内量産を打ち切っている。生産機械も1955年の自動巻線機以来、主要な設備を内製した。移す前に仕様を固めたことが、賃金の安い土地を選び直すたびに同じ生産方式を持ち込める形を作った。